わたし
数年後これを読み直したとき、「プッ」と笑っていることを祈り
これを記します。
現在(平成15年9月)、私は31才で妻子持ち。
大学卒業後、コンサルタント会社に数年勤務し、転職した現在の
会社で数年目になる。妻もフルタイムで働き、共稼ぎである。
賃貸アパートに住み、新築マンションを今年購入し、来年引越しである。
平成11年頃、僕は結婚式で久しぶりに幼馴染P君と再開した。これが全ての
始まりだった。
結婚式が終わり、新婚旅行から帰ってきて数ヶ月、新婚生活を満喫し
子供も授かり、ごくごく一般的な幸せなサラリーマン家庭だった。
僕は結婚する前からずっと普通の生活が一番幸せだと当時彼女だった妻に
話してきた。彼女はそれではつまらないらしく、普通では満足がいかない
ような感じではあった。
子供が生まれそうになり、産休に入った妻は実家へ帰っていった。ここで
一年ぶりの一人暮らしが再来した。はっきりとは覚えていないが、おそらく
このあたりから幼馴染のP君と飲みにいくようになった。このときはまだ、
たまに飲みに行く程度だったように記憶している。
P君が転職するという話を聞いてから全てがエスカレートする。
確かこの当時たまたまいっしょに始めたのが「大工の源さん」だった。
この台、出るときはとまることを知らない出方をする。仕事がこの時期
そんなに忙しくなく、職業柄売上さえ上げれば何をしていてもあまりいわ
れなかったせいか、次第にはまっていく。
毎日行くと以外に出る台が見えてきて確かに最初のころは数万円は勝って
いたと認識していた。平行して「海物語」を楽しみ、これも勝っていたと
認識している。
ここら辺でP君は新しい会社へ移り、仕事もお互いそこそこ忙しくなり、
一緒にはパチンコ屋に行かなくなった。また毎日行かなくなったため、
出る台などもイマイチよくわからなくなり(これは当時の言い訳)負け
続けた。
ここで一旦、パチンコ屋から足が遠のく。
僕自身も転職をしたからである。
当時、転職後は毎晩に近く先輩と飲みに行き、色々教えてもらっていた。
何せ、子供が生まれ転職したからにはそれなりに頑張らないといけないという
使命感が心の底からあった。
数ヶ月が経ち、仕事も落ち着き、久しぶりにP君と会った。おそらく飲みに行った
んだと思う。このときP君はスロットをやっていた。P君は十年前頃からスロット
をやっていて、僕にずっと進めていた。僕はパチンコが楽しかったのでスロット
はやっていなかったのだがその場でスロットの話がでた。そこにはP君の後輩、
僕にとっても後輩がいた。この後輩いわく「すごい熱い台があるんすよ!!」という。
今考えれば後輩にとっては全てが熱い台なんだが、当時はそういうものかと思い
勢いで「じゃ、今度やってみよう」となり、多分あの当時の勢いだと翌日、行った
と思う。世の中を一斉風靡した「大花火」である。この台でもスロット初体験の
僕には難しかった。通常、ビギナーズラックで勝てるはずらしいが僕は最初のころ
負けつづけた。しかし、一週間もしないうちに勝ちに転じた。1日で10万勝ったのである。
これで味をしめると毎日のように通った。そして通うだけ勝った。財布の中には万札
が入り、パチンコ屋には貯玉ならぬ、貯コインが数千枚あった。全盛期には数万あった。
金にして数十万円。この当時、これで食っていけるとも思った。こうなると仕事ではない。
いかに早くあがって打ちに行くかしか考えない。そして23時まで打って、その後飲みに
いく。たまに20時から飲み会などがあっても飲んでいる最中、ゆっくり飲んでいられず
そこから抜けて、近くのパチ屋に打ちに行き、数時間で戻るといった具合である。
この時点で完全なる依存症になった。
このような状況が1年ほど続いたと思う。
その後、「大花火」が飽きてきたと思うと「007」「キュロゴス」「コンチネンタルT」
などを場所を変えながら行なった。最初のころは仕事を早く終わらすために仕事を一生
懸命にやり、周りからも仕事の速い奴だといわれていた。確かにこの時期もものすごい
勢いで仕事をこなさないと打つ時間がなくなる。しかし、仕事とは面白いもので仕事を
量をしなくなると段々仕事がなくなってくる。というか、仕事をする人のところへ
仕事が回る。よく言う「できる人の所に仕事はいく」というやつだ。しかし、それは
ちょっと違って「仕事をする人のところへ仕事はいく」が正しいようである。
ともかく時間を作って様々な台を触りに行った。確かに楽しかった。
今思えば行き着いたところは「クランキーコンドル」「オリエンタル」だった。
僕はこれらの台が出たときは知らず、20年弱経過後初めて打った台である。この台を知っ
ている人にとっては信じがたいことだと思う。特に「オリエンタル」ははまった。
フラグが経つと”ビカッビカッ”。これはたまらない。脳内麻薬が出まくりだった。
「クランキー」は当然青天。ズルンと滑って青天は気持ちよく、またきれいだった。
やはりビック中の打ち方で獲得枚数があれだけ違う台も今では珍しい。500枚OVERが達成
したときにはやはり脳内麻薬出まくり状態であった。
よく考えると僕はよく勝っていた。
当然負けるときもあったが、この時点では自分のこずかいの中で清算できる状態での
遊びであった。しかし、日ごとの収支は数万単位で変動していた...
何度もやめよう、やめようと友達と話した。しかし、それは決まって負けた時。
勝ってしまえばまたやろうといった繰り返し。でも本気で何度かやめようと思った。
だけどやめられなかった。この時点で依存症は相当進んでいたと思う。
2年ほど経ち、管理職に昇進した。パチ屋に行っているのに昇進などおかしな話だと
友人は思っただろう。僕は今認識したのだが、相当な二重人格だ。仕事や家庭を大事に
する一般的なサラリーマンと31歳サラリーマンとは考えにくい駄目だめリーマンの僕。
なので今まで依存症になっても半分の僕がいたから家庭も仕事もそこそこ続いている
のだと先日妻に言われた。
で、初めての管理職。これには参った。精神的に追い込まれた。どうやっていいか
わからない。どうやって教えたらいいかわからない。自分でやったら半分以下の時間で
終わるのにやってしまったら意味がない。ストレスがたまる。部下がいるので置いて
帰れない。スロットが打てない。ストレスがたまる。飲みにいった...
月に飲み代10万使用。家の貯金を下ろしてしまった。この時は純粋に飲み代だった。
妻にバレ、怒られ、心を入れ替え頑張ろうと思った、が少しだけ「まあ、飲みだから
いいかなぁ」という気持ちがあったのは確かだ。
1ヵ月後、「アラジン」にであった。なかなか怖い台だと思ったが、なぜかすんなり
遊ぶことができた。ある日、一気に6000枚でた。しかも千円で。約12万の勝ちである。
次の日、1万枚強が一気に出た。これで約20万の勝ち。その後も4000枚など出したが
当然負けの日もある。しかし、こんなに勝っていいのか位勝ちつづけた。
当然、その後は負けつづける。
そして、また家の貯金から下ろす。
全部で20万位使ったと思う。飲み代とパチ代である。
この時点で自分がどうしようもない人間だと思い、自分から妻に告白した。
パチンコでお金を使い込んでしまった、ごめん。
そして自分からスロットをやめようと思い、今までの全てを告白した。
かなり、もめた。当然だと思う。そして信用を失った。。。
僕は一からの出直しの気持ちでそれから過ごした。
1ヵ月後、後輩が彼女と別れたと泣きながら電話をしてきた。平日の昼頃だった。
それまで一切仕事中にパチ、仕事後のパチを行っていなかったが、この日後輩からの
電話でパチ屋にきてほしいと連絡があった。行かなければいいものを、パチがやりたい
わけではなく、先輩としてかっこつけたいが為の行動であった。で、もう打たないと
誓ったスロットを付き合い打ちし、そんなことをしているうちに昔の感覚が戻り、
結局、5万負けた。そして次の日また負けた。
これはなぜか?
打ちたかったわけではない。5万打ったことがバレれば「今度やったら離婚」と位
言われていたのでやばいと思い、取り返さないとと言う気持ちだけだった。
だが、そこにはまた巻けたらという気持ちはなかった。
そして、次の日も含め12万ほどまたまた使い込んでしまった。
駄目と思っていてもやってしまう。これは依存症であろう。
これをしったのは妻がこの時あるHPを見せてくれた。僕は依存症という精神病に
最初は正直、戸惑った。認めたくなかった自分もそこにはいた。しかし、反面
病気であると知った途端、楽になった自分もいた。直せばいいという解決に向けて
の方向が明確に定まり、原因もはっきりしたからである。
最後に、僕はいいんだ。
やっちゃったことを告白し、気分いいだろう。
でも、妻は???
どうしたらいいかわからないといっている。
確かにそうかもしれない。
何やってんだ、俺は。
今からやるべきことは3つ。
@妻の信用を回復する
Aお金を返す
Bスロット依存症を治す
ABは具体策がありそうだ。
@は難しい。長い時間がかかるのか???
日記を書きながら考えてみることにしたいと思う。
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