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'91COMPUTERLAND AUSTRALIAN SAFARI RALL START/1DAYS NIGHT。

'91COMPUTERLAND AUSTRALIAN SAFARI RALL
1991年7月、私にとって初めての海外がシドニー オーストラリアだった。
今改めてこの時のこと思い返してみると、出発前の1年間私は、生涯忘れることの出来ない素晴らしい思い出、誰にでも出来ることではない一つの達成感だけを求めていた。
この頃の私自身には、やろうと考えたことの全てを成し遂げる無謀とも思える自信だけで有った。
このことについて私は今でも誰の中にも必ず存在する極普通の事だと思うが。
バイクの世界に関わって7年目のワガママであった。 初めはバイトで稼いで買った中古のyz125であった。 そのyzを多摩川の河原に押して行き乗り回し、クタクタの身体で押して帰ると言った事を毎週末繰り返していた。 そんな事を繰り返していると、河原ではさすがに物足りなくなって来る。 その頃、身近なところで丁度エンデューロレースの主催が始まりMFJモトクロスしか知らない私は興味を持った。 まだエンデューロと言う言葉さえ浸透していない頃だ。 ただ、皆が皆それぞれの心望で楽しんでいた。 技術的にもほとんどのライダーが未熟で有ったのか参加者の誰もが上位へ入賞を目指し楽しく転んでいた頃だった。 コースも羽鳥サーキット、エビスサーキットなどのマウンテンサーキットがありシリーズ戦を楽しんだ。
この頃、レースの仲間達とのツーリングも全盛であった。ツーリングにしても東京周辺の林道も十分に楽しめ、ダートライディングの楽しさを満喫できた頃であった。 そんな頃が終わりを告げるかの様にマウンテンサーキットは閉鎖され、そして、その頃を境にバブルの全盛期が始まり山梨県では山の奥の奥まで道という道の全てはアスファルトの道となり山の林道は死に絶えダートツーリングの楽しみを奪われた。 近年では、富士山麓の林道の主立った所の全てがアスファルト化されてしまった。 そして、この環境からのストレスが海外のオープンフィールドのラリーへと向けられて行ったのだ。 



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スタート前、 オペラハウスを望む。

人の本質、本当の自分を知るうえで一人で出歩く事がとても「良い」と知った。それは、一人で居ることの寂しさは、日本ではとても味わえない。外国での会話(自己の解放)が解らないことが本当に辛かった。 英語が「出来る」「出来ない」とかの問題ではなく「土地勘のまったく無い土地」で緊張感の中での孤独な生活とラリーの準備、買出し、バイク店の工場を間借りしてのセットアップと改造。そんなことを一人で行うことに出来ないとは考えもしない日本人、世間知らずの自分があったのだ。 だが、ふと気付くと、日本人と会った時の妙にお喋りな自分が居た。 そんな中、一通りバイクも出来上がり翌日の日曜日に試乗を兼ねたツーリングにバイク屋のスタッフのラットと行く事となった。ラットは長身の痩せ形で24、5歳とは思えぬ程_が薄い。翌日のツーリングに使うバイクとしてカワサキの天涯を中古車展示場の中から選んだ。 私は日本人として当然の判断として明日は慣らし程度走りと受け止めていた。 当日の朝8:00にバイク店に集まりシドニー郊外へ向け走り出す。 道も知らないので後を付いて走ると1時間程で辺は山々に囲まれる自然の中に居た。 ラットはいつも来ているのかドライブインで昼食用のサンドイッチを買う為に停まり、しばしのコーヒーブレイクを2人でとる。 山間に入ると広くしっかりとしたダートの道が奥へと続いていた。 初めアスファルト舗装と見間違う程整備された道幅10メートルはある道であった。 ラットは速い。と直に認めざるを得なかった。 スピードの感覚は流石である。 フラットダートのコーナーの進入速度は優に130KM/Hを超えている。 シフトを1速落しそのままコーナーリング中の速度そのまま保ち走り抜ける。当然ながらカウンターステアーのままコーナーの外へ膨らみながら抜けて行く。 日本の林道では考えられない、経験出来ない速度であった。 山梨、静岡、福島の林道でのコーナーリング速度は精々90KM/Hであった。 当然の様に自分にとって未体験の速度であった為とてもそんなのには着いては行けず、ただ関心をしていた。途中の休憩中にどうやってやるのか聞いてみると何も変わった事はしていない様だ。 何でもそうだが、一つ出来無いと思い込みをしてしまうと先には進めない、と痛感させられた。 ここに来るまでは、そんな走りを目の当たりにするとは想像し得なかった。 天涯のスピードは速いとは思うがコーナーリングスピードで負けているとは思いもしない事であった。あの重さで曲がれるとは。これも自分の世界の狭さからくる思い込みであった。
   そして、私一人での14日間が過ぎバイクも出来上がりシドニー市内に移ると、同じレースを目指し集まっていた仲間と会う事が出来久しぶりの安堵感に包まれた。「団体生活が嫌いで一人でこの地に来た筈が自分でも不思議になる程、自分が変わっていた。」合流からは、団体生活の炊き出しと雑魚寝とラリーの始まるまでの準備期間を満喫した。 スタートが近付とイミグレーションと車検チェックが待っていた。まずはイミグレーション、夕刻から市内ロックにて行われ、翌日には参加車両の車検がある。イミグレーションを聞きに市内のロックに出向き日本同様にバイクを歩道のフェンスにワイヤーでロックして駐車を済ませて会場に向かい2時間程の説明を聞きバイクの所に戻ると駐禁の切符を切られていた。「最低のスタートだ」 車検当日にはバイクに乗り会場に向かう。検査項目は装備品に及び緊急食料、水、の装備の確認に始まり、レースを行う為の安全検査で終わる。検査自体は日本の車検と変わりないがレース特有のレギュレーションが加わる事で細かな点で不合格となりうる。要はレギュレーションの解釈の違い、勘違いである。 多少の違いは人と人、話せば何とかなるもので同行の車両は全て合格となった。 明日はスタートの順番を決める予選会である。  シドニー郊外の予選会場に各々がバイクで移動して集まると一周2km程のコースが用意されていた。 私は少々緊張しているのを自覚し押さえようと必死になっていた。 そんな中で次々とスタートラインからはバイクがコースへと消えて行きまた戻って来ていた。 そろそろ私の番である、誘導に従って位置に付きスタートの合図と共にコースへ走り出して行く、先にコースを終えた奴よりコースマップは必要ないと言われていた通り轍の通り走ると間違えなくコースを通れた。 しかし、私が一番心配していた事が起きてしまった。 タイトターンをするところでスロットルを開けられずバランスを崩し転んでしまったのだ、しかもエンジンも止まってしまった。 そこは足場も悪くスタンドがかけられない状況にありエンジンが懸からず5分程が経ちリザルトも当然ビリであった。


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キャンプでの夕食/キャンプの安らぎの一日

レースはシドニーオペラハウスを望む港の赤煉瓦で鋪装された小奇麗な公園からのスタートであった。 市内を抜けハイウエーに乗り込み一路北に向かう。途中、1台のレース参加のバイクが止っていた。私を呼んでいたので私も止ると何やらスター前に給油を忘れた様でガス欠での停車で在った。私はタンクからガソリンを分けてその場を発った。 200キロ程進むと始めてのSSスペシャルステージが在った。 このステージの中のタイムが順位となる。文字通りレースだ。 ファーストステージは2キロ程度だった。コースマップを診る暇も無くゴールした。チェック後、再び移動の道のりとなる。 先ずは給油このレース初めての事だ。コースマップにも載っている。移動は4〜5時間を費やしキャンプに着いたのは夜になっていた。 ラリー初日のキャンプ、これまで私が夢としていた一夜となる。 キャンプに着くと無性に人寂しく感じられ人との触合いを知らず知らずのうちに求めている私が居た。 直ぐにバイクの点検を行い寝床のテントを張る。 後はキャンプでの夕食である。 夕食は決して豪華では無いが一言で言うと私の想い描いていた通りの心地良い場であった。 そこは、このラリーに参加しているライダー達の安らぎの一時が有り酒盛りは無いが皆が楽しんでいた。 そんな中で大事な事を忘れていた。 明日の用意の一つで有るコースマップの作成で有る。
寝る前にやっておかなければいけないのが明日のコースマップのセットだがバイクにセットするのは一仕事。マップ一枚一枚を繋ぎ合わせ一枚のロールシートに仕上げマップホルダーに巻き付ける。「1時間は掛る」 この仕事で就寝時間が遅れてしまった。
 私は今日のSSの成績から順位を30位上げた。その分スタートの順番が早まっていた。 am6:30のスタートの事を考えながら慌てて眠りについた。



ARLEN NESS アレンネス ボディープロテクター


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CAMPS NIGHT

ラリー2日目、ラリーの朝は早い。どこで聞いたフレーズであるが私の想像を超えた確かな事だった。日常生活に於いても朝の苦手な私にとって日の出前の起床は非情の時間だ。 私は起きてすぐテントをたたみ身支度をし朝食を取りスタートラインに着かねばならない。この私はこんな事30分ジャ出来ない。 私は朝食待ちの列に向かうがその長々と続く様を見て直に諦めた。その結末は当然、朝食抜きである。だが、昼用のサンドイッチを2食分戴く、我ながら悪知恵は働く途中で朝食を取ろうとする。 スタートをするが東の空が白々しているがまだ暗い。 ヘッドライトを頼りに進むにつれ日は立ち上り周囲を光と温かさを運んでくれた。実に素晴らしい光景で有る。50キロ進んだ所だったかチェックポイントに出た。 いよいよ本格的「SS」の始まりだ。 スタートの順番を待つ。その間にサンドイッチを食べようと取り出すが冷凍されたサンドイッチは未だ解けていない、食べるのを諦めてスタートを待つ。 ゼッケンを呼ばれてスタートラインに進みオフィシャルのゴーサインを待つ。 片手の指でカウントダウンが始まり5、4、3、2、1、ゴーサインが出され、コースへ走り出すこの喜びは忘れまいと身体に染み込ませる。 コースマップのコーションマークは危険の度合いを示しているが未だ慣れぬ身の私はコースマップの!!!マークを見て驚いていた。 この日はマップに振り回され目の前のオーストラリアの広野を観ていない未熟な自分が居た。
走っていて楽しくない焦っているだけだ。 アクセルワーク。ブレーキング。ボディーアクション。と段々と自分のライディングフォームを思い出し自分自身を取り戻して行く。 どこまでも続く大地に延びるダートロード、あそこまでどれ程かダートロードの先に目印を探し思い浮かべるが、日本の私の育った環境では縁の無かった距離を測れる訳が無かった。 一人で走る中で考えている事などそうあるわけでも無く考える事が無くなっていた。


 ほとんど一人で走り続けるラリーでは有るがたまに一緒に成ることが有る。林を抜けて行くとカンガルーも木々の間を走り抜ける。こんな並走は「感動的」と言う他ない。
 オーストラリアの土地柄、ラリーのコースは私有地を通る為、所々にゲート柵がある。これを開け閉めしながら先に進んで行くのがマナーになっている。 時に自分で開けたゲートに後続車を通すなどして人間関係を楽しんだりしていた。面白い事に一日に私がゲートを先に通してあげた事が2回あるライダーが居た。私には抜いた覚えは無い。そのライダーはかなりのスピードでミスコースを走り続けている様子だ。優勝候補の一人のライダーであった。
 また、人寂しくなっているせいか土煙が遠くに見えればどうしても追い付きたくなる。 常に目標物を探していたせいか、当然思うものでペースも上がる。 土埃だけの気配が追って行くつれてバイクの形に見えて来る。 そしてエンジン音が聞こえてくるともう近い、埃を避けつつ追い付き抜きに掛る。 そんなことをしてSSをこなして行く。2日目の第3SS辺りだったか今度は走るペースもリズムも合うやつと一緒になった。やつとの2台でワインディングを楽しく走っているとミスコースを2台でしてしまった分岐の間違えは直ぐに解り、止まって正規のコースに戻ろうとした。が、その途端で有った、けたたましいエキゾーストの音が私たちの横を抜けて行き物凄い土埃が辺を覆った。 やつも当然同じ事を想い2人は申し合わせた様に顔を見合せ為息をついていた。
4輪混合でのラリーで有るし当然ことであるが走りに夢中になると全てが飛んでしまう。 これが全てに当てはまり集中することの難しさでも有る。
私はこの日の全てのssを終了して、ほっとしたのが夕刻の5時が過ぎた頃であった。 だが、私にはキャンプに向かう最後の移動区間100数十?が残っていた。 移動区間と言ってもssとさほど変わらずssより対向車が通る分危険度はあると思える程だ。 道路に積もった土埃は雪様にハンドルを取り走行を妨げ、舞え上げられたそれは視界を奪いその物凄さは、「流石ラリー日本じゃない」といった感じだ。 そうこうして、私は2時間余りの移動の末キャンプにやっと辿り着いた。感激だ、私は今日の出来事の全てを誰かに話したくてたまらなくなっていた。 昨日とは全く違うラリーの1日であったし、私にとって初めての経験で一杯でとても興奮していた。私は1日の最後の仕事としてバイクの点検とタイヤ交換に3時間程を費やしその後食事をした。食事の最中も、誰もが今日一日の出来事に興奮ぎみでコースの感想や、マップの記号の読み方など色々な情報交換が行われた。 夜もふけた頃、明日のコースマップを受け取りに行きスターと順位と総合順位を確認した。 私は二輪総合36位との事でまた明日の順位を上げるべく想いながらコースマップをセロハンテープで繋ぐ作業を進めていた。 私の繋げたマップのロール紙の径も7〜8センチに及んだ。 スタートは勿論am6頃である。トップから順に1分置きのスタートになるのでam6:30頃にスタートとなる。 私は急いで眠りについた。

ラリー3日目、この日はこのラリーでの想い出の全てを持たせて貰う日となった。吐き出す息も白く本当に寒い朝だ。なんだか寝たと思って直に騒々しさに起こされ寝た気がしなかった。昨日の教訓によりモトクロスパンツを履いたままの就寝であった。ただ、昨日のスターと順位からすると2日目より30分はスタートが早くなっている計算だ。また、朝食抜きになる。 それでまた、昼用のサンドイッチを2つ持っていく。 この日のSSは5つであった。最も辛い日になるとの前評判もあった。 スター後は無難に第1〜2SSをこなして行き、いつもの様に土埃を追いかけていた。そしてコースは草原の中の一本道に変わり時折、拳程の石に混じり頭程の石の点在する所であった。 ペースは明らかに前を行くバイクが遅いしかしながら道幅が狭くコース取りで違うラインが選べない程石がある。速度は70km/h程で速いとは言えない。そして、何度かアプローチをかけるがどうにも頭大の石ころが邪魔になり2メートル程の道幅に都合の良いラインは当然前を行く奴が使い無かった。そしてしびれを切らして居ると前の奴が右に寄った、一気に抜きに掛った。そのとき私の目前のライン上に頭程の石避ける事も出来ずふっ飛んだ。20メートルは転がったか身体中が痛い。骨の異常が無いのを横になりながら指先から順に確認して行くが幸い異常は無かった。私は痛みを我慢して再び走り出す。 ヘルメットのバイザーは折れて無くなり辛うじて3分の1程度を残していた。 バイザーが無いとゴーグルに着いた埃に日射しが乱反射し視界を悪くしてしまうのだ。その僅かに残るバイザーで日射しを避け走り続けるが、幾つかのチェックポイントの通過の度にその身なりでぶっ飛んだのが明白に知れてしまい照れ臭かった。
 昼が過ぎた頃、コースは草原から岩山のある土地に変わっていた。 今までは、5キロ離れていても先行車両の土埃が確認出たのだが山に視界を阻まれ見通しが悪い。 その上、道が入り組みコースマップの読みが追い付かないので、度々立ち止まり距離計とマップをチェックするが全く解らなくなっていた。迷いの中、分岐点で止まる時にふと足場を失い転んでしまう。 私はバイクを持ち上げるのが大変重く感じられるようになり、体力が知らず知らずのうちに失われていたのを痛感した。 そんな中で僅かな轍を頼りに何とかその場から抜け出す事が出来た。
 日暮れも近付き、自分の居場所が確認できた頃に妙な何処かで聞いた事の有る音が時々しているのに気付く。「ビュ〜ンといった音だった。 ギャップを越えるときにもするし速度を上げているときにもする。丁度、紐が風を切るときの音だった。走れば走る程、その音は強く頻繁にしてくる。 オーストラリア特有の丸い風車の下に差し掛かったときに、バイクを降りてみると、点検をするまでも無く一目瞭然サブフレーム(シートレール)が折れて垂れ下がっていた。フレームが折れて後輪との干渉で音が出ていたのだ。 補強された部分の一端で折れている。慌てるが何も出来ない。諦めてバイクに縛り付けているスペアーのガソリンタンク、替えのチューブ、非常食を全て捨てゴムバンドでサブフレームを縛り付けキャンプを目指す。ラリーを続ける上で非常食の携帯は義務、毎日チェックされる項目であるが、運べる状況下に今は無くただキャンプに着けば溶接も可能だ。 バイクは必ず直せるし何とかなる事だけを考え、徹夜で頑張ろうと先を急いだ。

 SS4に入ってから何やら右腕の痛みが激しくなった。右腕の肘から下手の平にかけて腫れ上がり、ハンドルからの振動で肉が削げ落ち、千切れそうな痛みが馳った。今出来る事は、持っていた包帯とテープを巻き付け応急手当てを施すだけ。だが、腫れだしてきた右腕は増々腫れ上がり巻付けた包帯の脇からはみ出し膨れ上がっていた。それをまた包帯で巻き直し腫れ上がった腕が揺れない様にして走り出す。全てがラフロードの振動で腫れた腕の痛みが増す。 何とか腕を庇いながらSS4を抜け出した。
 移動中の道端にラリー参加者の為のタンクローリー車のガソリンスタンドで満タンにするが、私には満タンになったのが始め確認出来ずにいたが指を差しいれると確かに口一杯入っていた。「何を観ていたのか。」
 代金を支払い夕暮れの中今日最後のSS5に向かう。もう既に空が赤く染まり始めていた。
 SS5に入るとそこは砂深いコンディション何と言う事か今の私には地獄のコースに思えた。 もはや右腕はハンドルを握れずに摘む程度でしかない。ゆえに、アクセルを開けることさえまま成らない有り様で満足に走れない。 そのうち日も暮れ辺りは真っ暗になった。 それでも残す所100キロとなり何とか成るかと微かな希望を持った頃、頻繁にエンストをする様になった。 この土埃のせいかとエアークリーナーを取り替えるが一向に変わらずに100メートル程でエンジンが止る。エンジンが止ると片手での抑えがきかず倒れ込んでしまう。 確かに普通よりは重いバイクではあるがこんなに重いと感じた事は無い程重い。「疲れのせいだ。」 何度か走ってはエンジンが止り転んでは走りだすといった事を繰り返し、エンジンが掛からなくなってしまった。 ふとガソリンタンクを確かめると幾ら覗いても入って無いのだ。 時計を見るとpm11を過ぎていた。 それでもGタンクの底のワズカに残ったガソリンを頼りにしスタートするが直ぐにガソリンは尽きた。 再び時計を覗き込むが日付けも変わり後続車も見込めない。通りかかったとしてもガソリンを分ける余裕があるかどうか解らない。 このとき右腕の腫れと痛みはピークに達し、それと併せて疲れの全てが一気に襲い掛かってきた、そして暗闇の中で私は独り壊れてた。私は絶望と悔しさその他の全てを嘆いて焚き火の前で眠りの中に居た。 3時間程経ったのか「スイープカーと言ったか定かで無いが」救護の車に助けられた。 屈辱的では有ったが後部座席に乗り込むと心の思いとは裏腹にその乗り心地は夢の様で有りなにより人のぬくもりと安堵感で覆われた。他がら観ればただの放心状態の人間だろう。

 キャンプ地に私が着いたのはそろそろ次の日程のスタートが始まる頃、AM5を過ぎていた。 全てのエントラントがスタートをしてから周りの人の助けの中ヨウヤク身支度をしてAM9頃になる頃に「ゆったりとした朝食」を済ますと気持ちの整理もつき現状を認識して行く事が次第にできる様になっていた。 今日からの移動はサポートのバスになる。昨日まで私が跨がっていたバイクのゼッケン45に/印が付けられトラックに積まれているがバスの客席の窓より見えていた。 私の乗ったバスはトラックの横を通りキャンプ地を後にしていった。
私はバスの座席に着いてこの完全な敗北について考えていた。ただの言い訳を右腕を観ながら考えていた。 ガソリンタンクの不良、バイクの欠陥補強、追い付かれて居たにも関わらずコースを譲らないアイツが悪いのだ。誰かの責任にする事名など理由を付ければどうにでもなるが、その場はどうにもならなかった。その場の私には都合が良かったのだ。 私の邪心は疲れと極度の緊張からの解放され昼間だと言うのに深い眠り誘われていた。 そんな私をよそに、バスの中のボランティアスタッフの人々は一様に私のリタイヤした者など気にもせずに居るのである。「このスタッフ達はバス旅行(観光)を楽しんでいる。」 私がそう感じたとき、徐々にこのスタッフに親しんで行き、ラリーの側面、心理を感じた事でその全てが理解出来たし自己の既成概念からの解放をしていく事ができた。 私自身の解放により今までの世界観の全てを改めることになった。 このラリーの参加者にも1番を求めている者、ゴールだけを求めて終止に於いてスリル/リスクを負わずひたすらに我慢の走りをする者と色々いる。 正直、後者を私は認めていなかった。私に後者の全てを否認していた。 そんな私にラリーは大切な世界観を与えてくれた。この今の世で自分自身の力量を試せる冒険的要素を持ち合わせたものはラリーの他には無いと思うし、その経験をラリーは間違いなく参加者に与えてくれる。ラリー競技中の参加者は孤独から得る冒険心、好奇心そして恐怖に包まれる。 この孤独こそラリーの醍醐味であったと痛感させられた。 ラリーの全てがこの孤独にあったのだった。 私はリタイヤによって最上級の孤独を与えられ、最上級の世界を得られた。 また、ラリーでは私の様に挫折をしようと何度でも全てを受け入れてもらえる。そして、閉鎖された環境の中で砕かれた自己は復活も早いが、人生での挫折は命取りとなり今後の人生の足枷となりかねない。
ラリー参加者は一様に同じ経験を求めているのも事実であり。また、多様な個性が入り交じり多様な感じ方を各々が受けている。 孤独の中の戦いを抜け多様な人々がキャンプに集まるという単純な事がラリーだ。こんな単純なものの中でこれだけの感動を与えてくれるのもラリーである。
確かにラリーを毛嫌いし受け付け様としない者もいるがそれは性格や好みの違いで仕方ない事である。ただ、ラリーはそんな者達でも受け入れてきっと変えてくれる。   私が生まれ変わるのに重要な役目を果してくれたやつの言葉で、「せっかくのオーストラリアで怒り、怒鳴ってしまった。」 「出発前の誓いだったが」と独り言の様に何気なく誰に話すでも無く(やはり、やつ自身への戒めの言葉として)話していた。 その言葉から私は怒りが己の記憶となり、その数だけ良い思い出が消えてゆくと思わされた。 つまり、怒りで己で対処できない問題の吐け口を外に求めるのは、己の無能さを出しているだけだと気付かされた。 
そして、自分自身の全てと、自分を取り巻く人々全てを受け入れられる様にしてくれたこのラリーと明るいオジーのボランティアスタッフ、そして、参加者の全て個性に感謝する。
 最後にこのラリーで命を失う事になったオージーライダーの冥福を心より祈る。



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