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'93この年、'92にどんな所か下見を済ませライダーとしてBAJAに来ていた。準備は、流石に慣れきっている両人に任せつつ無事終わりに近づいていた。写真は、プレラン中で"奴"を待っているところ。
この度のバハ1000のエントリーについては、一人のワガママな"奴"から始まった。前置きの通り"奴"はこの写真には写っていないが。そいつは、何故か仲間が出ようという時(ストレートルート)は、出ないでループの時に出ようとする。"奴"の話には色々有ったが前回は、クワド(バンシー)で出たいと意地になり日本で大金を注ぎ込み1台を造り上げたが、日本からバハに向け持ち込もうとしたが、荷受けの手続きの違いで保税倉庫から一歩も出せずに終わりアメリカの地でとうとう受け取る事が出来なかった。 ココまでは在りがちな事であるが、本人はアメリカに着いてからも諦められずに、また、一からマシーンを造ると言い出した。挙句の果てに、牧場用でレース用では無いクワドを買い込み挑戦した。(この選択が正しかったかは"奴"だけしか解らないが、後悔したことは確か?) "奴"はバハの岩山で瓦礫と共に"奴"だけの漆黒の夜の祝福を朝方まで楽しみながらリタイアとなった。
この翌日、日の出と共に、スタートになる。今回はループコースで時間の余裕が初無い上に私にとって初めてということも有って、写真撮影の準備も無くそれは無に等しかった。スタートの地は皆が初めてのメヒカリ市であった。メヒカリ市はバハ半島の付け根の東側の都市である。この年はメヒカリ市内に宿も取れず隣接するアメリカ側の町に宿を取った位だ。今想うに、この年のバハは他のチームでのマシントラブルが多見していた中で、私らは天候に驚かされたくらいで済んでいたとてもツキのある年であった。
スタートを見送ると直ぐに市外へ向かう真っ直ぐなアスファルト路が続く、そこをピックアップで移動していくとエンジントラブルで数台のバイクが立ち往生している。残念ながらそこで終わってしまったチームに構う事無く橋を渡り(コースは川沿い入る)コースから外れ国道を南下してループするコースの交わる地点へ向かう。ライダーのピット地点だ。 ここで3時間位かそいつを待つ。待っている間も次々と先行のライダーが通過していく。心情的には居たたまれない。 トップライダーの走りを目の当たりにして感激と不安が湧いてくる。 "たまらない"
そうこうしていると、"奴"は現れた。交代だ。ただ、あせっているのは俺だけ? 周りは、淡々と給油、エアークリーナーの取替、チェーンのテンション調整等を行う。その間に、自分の中に幾分の余裕が出来た。
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「今になって思うとライダーはあせって当然、レース中ピットの中でサポートはゆっくり行動すべきではないかと。あせっても数秒の差でしかない、その差だけなら相手は見える位置に居る、それが抜けないのであればライダーの責任である。プロでないのだからそれで良いと思った。」
バイクに跨り、デザートに飛び出す。コース脇には他のピットが点在している。そんな中で、俺の頭の中が真っ白になった。そして、悪い事ばかり考えつく。「人の居るところは罠がある気を付けろ。」 ピットで給油したばかりなのにMAG7を探したり必要以上にリタイヤに対する恐怖が頭に過ぎる。そこうしているうちに我に帰る、この道はプレランで走っているのだから間違えない。そう言い聞かせながらも不安は残る。ドライレイクに入った見渡す限りの平らな土地で地面はひび割れているがレンガ敷きの様にしっかりと堅くなっていた。4〜5キロくらい湖の底を走って行くと対岸のブッシュの入り口が見えてきたコースの様子が有る。ここからは砂漠の中のクネクネ道、細かなウォッシュボード有りの眺めが変わらない分岐のところで有るがココは右、この先には確か深いパウダーが有った筈、と考えながらコースを走りきるとチェックポイントが現れ渓谷に入っていく。
(ここから先の中盤のマトミウォッシュは、プレランのイメージだけしか記憶に無い。
ここが、噂の「マトミウォッシュ」川底のゴロゴロ石、川砂のコースである。川底だけあってほとんど真っすぐ。ただ、油断禁物砂の中には頭位の石が隠れている。プレランの時には平坦な砂地で予期もせず数メートルのジャンプ!色々試した結果偶然に経験したジャンプだが、4速、5速のギアで穏やかに走りながら飛び上がるジャンプは安全と知った。 「それまでは、3速ぐらいで80〜100km/h位エンジン音高々にグイグイ走っていた。こうの場合、「石を踏んだ時フロントロウで飛び上がる。」とても危ない経験もしたが誰も教えてくれないし、日本には無い状況のコース。「全て経験の積み重ねだね。」と悟った。
やっとの思いで地盤の硬いコースに辿り着き少し走ると1台のKX500がガス欠で立ち往生余りに忍びなく思いガソリンを少し分けてあげ、少し先に在るガスサービスのピット表示を示してあげた。ただ、ホンダのガスサービスなので果して受けられるかが問題だが、プライベートでましては今はプレラン中との思いは有るだろうと祈った。)
そのピットに近づくとXRのエンジン音を聞きつけ、皆がコースに飛び出て来てくれる。が、そこのガスサービスは頼んでいないので丁重に頭を下げて辞退を表して前を通り過ぎる。そして、次のチェックポイントに着きチップを受け取ろうとした時背後からYZらしきエンジン音が近づいて来た。せっかくの一人旅に焦りが出てきた早々に右肘が下がり前傾姿勢となり先へ急ぐ。 シバラクの間背後にYZのエンジン音がしていたが細かなウォッシュボードの平坦なコースの数マイル進むうちにエンジン音も聞こえなくなっていた。
目前にサンフェリーぺにある白い門が現れ自分がいる位置を頭の中の地図に載せ位置を知る。 白い門を右に見て、北上に移る。
これからがまた大変、地平線のまた向こうに続く特大ウォッシュボード休める処など全く無いウォッシュボード。送電線の鉄塔を右に見ながらの信じられない長さの規模のコースである。 これもココにしかないもの。「どうするの?」と、聞きたいくらいのウォッシュボードの連続。腰は痛くなるし、ジャンプは得意でない私が考え辿り着いたのが3速にギアを入れること。それまでは腰の痛みを我慢で速度を上げる。そうすると案外体への負担が自然に軽くなり通過できた。永い間にやはりまた腰が痛くなっていた。
安全の筈であったが、どうやらこのウォッシュボードで転んだみたいだ。みたい?と人事のように言うのは覚えていない、どう転んだかわからない。
「只、俺はバイクに跨りスターターをキックしていた。 後ろでバイクを抑えてくれていた子供が熱くなったサイレンサーに触れ熱がっていたことは覚えているが。」
進む方向を周りのメキシカンに確認して再び走り出すと今の出来事が何だったか不安になり始めて思い出そうとしながら走り続けた。
今想うにコースの目印にしていた一つの場所の通過だけが想い出せないのが解った。 そこはサンフェリーぺから北上して最初のクロスロードだ。 国道のチンポコ岩を目印にコースに向かい延びている牧場に続く一本道とのクロスロードだ。 レースでの復帰を手伝ってくれたメキシカン達が沢山居たことから察するにそこしか無い。 そこは大きなテーブルトップ状のクロスロードでウォッシュボードの終わる処だっだ。今一つの問題がやっと片付いたあそこならある程度納得がいく。ホッ!
「ひとつの事柄に不安があると、全ての事柄に波及する。2〜3ヶ所あったチェックポイントを通過しことが明確でなくなり不安になってきた。」
腰の痛みを我慢しつつ、走り続けようやく国道との交差地点に着いた。 そこがピットだ、2回目のライダー交代。また、ピットのサポートが簡単に作業をこなしバイクを送り出す。奴が国道沿いの5マイル程の区間のコースへ消えていく。
スコスコとピックアップに乗り込み1番ピット(私のスタートした処)に戻る途中、記憶が無いことを同僚に静かに語り始める。『まあイインジャナイの、コースを外れていないんだから大丈夫でしょ』だって。本人程気にはしていない様子。そうこう話しているうちにピックアップはピットに着いた。
ライダーが居ない?準備していない?そんなの有り?そんなのが我がチーム。5分10分早くたって順位に影響なし。
ライダー(大)も用意出来ていない。もう直ぐピットに着くことを伝え用意してもらう。
俺は"奴"とでライダー(大)をコースへと送り出す。
やはり、チェックポイントの通過については、気になるので片言の英語で200m位先のチェックポイントでキャンピングカーの無線を使い通過したチェックポイントの通過記録を調べてもらう。 本当に、会話というものは不思議なもので案外通じるんです。全てのチェックポイントの通過が確認でき一息付き気も休まった頃。・・・・4輪のワークストヨタそしてフォードのトラックが次々と目の前を通過して行く。ピット前の通過にも拘らず高回転V8エンジンエキゾーストのケタタマシイ音を放ち土埃と共に目の前を通り過ぎる。自然と身震いが起こる。心の中で助かったとの想いが横切る。あの追い上げに遣られることを考えると本心である。
その後、間も無く大粒の雨に降られる。
?????「BAJAでも雨が降るんだ」と思い。
予告も無く降り出した雨、まるでスコール。 埃っぽいのが無くなって!と初めのうちは思ったが地面を雨水が流れ出しそれ所では無くなってきている事に気が付いた。バハの地でマディーレース。今走ってきたコースを思い起こすと、パウダー状の埃、舗装路のように慣らされたドライレーク、胸の高さの連続するウオッシュボード、どれをとってもマディーと成れば往生するのは必然、それも日没を迎え夜のコース上での無事を願いつつピットに帰るのを待つだけだ。
次々と、ピックアップトラック、バギー、クワド、バイクが目の前を通り過ぎてゆく。それぞれが、泥だらけの風貌から焦りを感じさせるモノが出ている。先程の雨による遅れを取れ戻すのに必死なのだ。真夜中のバハのライディングの醍醐味と言うことを聞く確かにそうだと思うが、ライディング中に果たしてそう思うだろうか。
横になって一眠りしたいがウォッシュボードのおかげで身体中が痛い、ジッとしていると筋肉のあらゆる所が収縮していく。ストレッチ、徘徊しながら予防していた。 待つこと7−8時間かもっとだったのかとにかくずーと待った。 遠くに目印のフォグランプが白く輝くバイクが見え近づいてくる。 戻った! 仮設ピット(トラックだけ)で暖かく向かえると、目を真っ赤にしたライダー(大)がそこに居た。 暗闇と雨と泥と埃の中から救われた表情は、とても数時間前とは変わり疲れ果てていた。「俺では無理だったかもしれない。」それが本音で有った。
そそくさと、次のパートは、俺なのでバイクに跨り国道沿いの5mile程の暗闇ウォッシュボードのコースに飛び込んでゆく。 気合ははじめの数十メートルで尽きていた。 ウォッシュボードで飛び出すと闇の中、ライトは遥か夜空を照らし出し落ちるまで何所に何が有るのか解らないから本当にビビル。 昼間でも飛び立つまで先が見えないウォッシュボードなのに。怖え!怖え!と叫びつつやっとチェックポイントに辿り着く。 「人の居るところは本当に良いよ、心細くなっていた気持ちが嘘のように晴れるし元気が出る。」 ここで元気になっても遅いのだがね! チェックポイントでチップを貰い、直ぐそこのピットに入る。 最後のライダー交代。 後はゴールまで奴が走りぬける。 タイムリミットまで8時間ぐらいは残っていたはず。・・・・・・
サッサとテントを片付けてトラックに積み込みゴールに向かう。 車ではホンの2時間程度の距離を走ると町の入り口に着いた。ここで奴が出て来るのを待つ。目印のためブルーのパトライト(回転灯)をルーフに乗せて待つ。3時間も待てば出て来る計算だ。そろそろと思う頃、睡魔の波が最高になった。もう直ぐもう直ぐと待つ間にここまで繋いだレースだ終わりにするなと想いつつ時計を気にしだす。 すると川沿いのコースから"奴"が出て来るのが見えた。思いっきり手を振り、車のホーンを鳴らし、声をかけるが聞こえる訳も無く目の前の道路を"奴"はゴールを目指して行ってしまった。心配していた想いがじわじわと感激に変わっていくのを身体から感じていた。 そう言えばゴール後の合流地は全く決めていなかった事に気付いた。 急いで後を追って行くが同じ道が通れず歩いてゴールに向かう。探すこと30分程か"奴"が居た。ホッとすのと地元の人の多さとカナリのお祭り騒ぎにビックリ。子供や大人までもサインを誰彼かまわずねだる。この私もただの紙切れにサインをしていた。どうせ捨てられてしまうのだ。初めての経験だよ!? ゴール後の初めての"奴"の口から出た言葉が「ガス欠でレース辞めようと思った。」だ。 その言葉に正直俺はガッカリした。 "奴"が言うにはMAG7のピットクルーが寝ていて呼び起こしてもなかなか起きなかったそうだ。だが、やはり"奴"は信用ならない。まっ、コンナモンデショ。うち等はね。ゴールのタイムリミットの24時間に収まる22時間でのゴールであった。 その後は地元のメキシカンと訳の解らないヨタ話をして興奮に浸っていた。 翌日、リザルト結果と買い物に出てゆくと、早くもコースで撮った写真が売られている。コースの中盤を担当した俺のを探すが全く無いのでした。スタートをこなした"奴"のは沢山有ったが
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