或いは想い、意見、感情

由来
由来といってもHNの事です。

前のHPでは「ZERO」と名乗ってました。
なぜ「ZERO」なのか?という意見もありまして、その答えを書こうと思ってた矢先にサイト閉鎖してしま
い、結局書けずじまいでした。

理由は大きく2つあったのです。
一つはこりゃもう簡単、単に響きが良かっただけです(苦笑
覚えやすいし。
ま、ネット世界では結構ありきたりでしたが。

もう一つ、それは「自分は自分であり、他において自分という存在はZEROである」という自己哲学から取
ってます。
自分という存在が分からずに、その確証が欲しいという理由で人を殺める危ない昨今、自分という存在
を見失わない為にこのHNを使ってたというのがもう一つの、裏の理由だったのです。

それでは今回の「伶音」というのは?
これはあまり大きな意味はありません。イヤ実際。
僕がゲームするときに好んでつけてた「レオン」を漢字変換しただけで(w;

・・・覚えやすくていいでしょ?



クルマについての無頓着
最近自分の車に色々手を加えてると、ふと思う事がある。

「果たして、前のオーナーはこの車をどう扱ってきたのか」


聞くところによると、前のオーナーは女性だったらしい。
多分オバハンではなく、結構若いめな女性。
恐らく指輪などの類はせず、喫煙家。

そして、一番大事なところがココ。
『絶対買ったあとは乗りっぱなし』


まずはココに至るまでの経緯を述べてみる。

オーナーが男か女か、年齢などは更新される前の車検証およびオークションの前歴で分かる。
ま、これは噺ついでに買ったところの専務が話してくれたことだ。

指輪などの類は、ハンドル、ATセレクターノブなどに現れる。
特にこのクルマはハンドルは革巻きステアリングなので、傷などは顕著に表れやすい。
天井が薄汚れていた、備え付けの灰皿にヤニ、灰がこびりついてる。
そしてなにより、7年ものというのにATF,タイヤ、ブレーキパッドを変えたという形跡が無い。
ただ、35000という走行距離から察するに、一回ほどは純正であるがタイヤを交換してあると思われ
る。

・・・中古車という物はこういう前歴を探れるから面白いのだが。


後、オーナーの走行時の「クセ」という物は、エンジンのECUが記憶するので、これも掴み易い。
試乗してみた際、そして最初の頃に感じたエンジンの回り方から察するに、どうもセレクターのD・N・R・P
しか使っていなかったようである。
つまりエンジンが「回ってくれない」のである。

とどのつまり、前のオーナーは「速い下駄」としてこいつを購入したらしい。
目の付け所はいいのだが。自分もそうであるからね。

しかしながら思う。車という趣味性の高いものを何の手も掛けずに使えると思っていたのだろうか?
しかもこの「ミラージュ」という車の中でも一番扱いにくいと思われるこのグレードを、である。
凡そ知る限り、もっともATの必要性が無い車の一部であるのに。


聞くところによると、新車を購入後、オイル交換すら行わずにエンジンを焼きつかせてメーカーに文句を
いったオバハンが居るとかいないとか。
実際ありえそうな話なのだが・・・。

クルマというものは、それこそデリケートなもので、それ相応の知識さえ無しでは維持できない物なのであ
るが、あにはからんや、自動車大国日本においてそんな知識の無いままにクルマを所有している人が見
渡していてもかなり多い。


そう、つくづくクルマに対して無頓着な人間が居るという事である。
だが、生活において必ずしもそういう人が無頓着であるわけではない。
むしろ普段はマメな人であるかもしれない。

ただね、そうだからこそ自分の車に関心を払って欲しい・・・と。
僕はそうおもっている。


・・・でも良く考えたら、そういう人は僕を「ただの散財者」とか「物好き」とか思うんだろうな・・・。



焦燥
最近自分に問い掛ける事がある。
「自分は一体何者なのか?」

最近考えてる事がある。
「自分は何がしたいのか?」

最近答えを出そうとしている問題がある。
「自分は何所へ行こうとしているのか?」


答えが無いわけじゃない。
したいことはあるに決まってる。
考えてもどうにもならないものだってある。


・・・でも違う。
自分の出した答えに自分が納得できない。

常に新しいとき方を構築し、
経験というデータベースから結論を導き出す。
自問自答の繰り返し・・・。

そして、それを冷ややかに見つめる自分。
「そんなことして何になるというのだ!?」
「所詮無駄な事なんだよ」
「そんなことはどうでもいいだろう?」

・・・なぜ?
なぜそこで嘲る?
なぜほっといてくれない!?
黙れ、黙れ、黙れ・・・!


・・・本当はわかっている。
問題提起の理由も、自嘲している理由も。

恐れている、焦っている。
自分しか知らない自分を・・・
あるのかわからない結論をみちびくのに・・・。
いや、果たしてそれが本当に自分なのか。
結論は分かっているのに、それを理解したくないだけ・・・?


自分は自分である、くらいの確証は一応持てる。
こんな僕でも夢や希望という物は存在する(取るに足らない、くだらないものであるとは思うが)。
結論だけは導き出している。


ならなぜこんなにも・・・?


本当に分からないのか・・・いや、分かっている。
分かっているのか・・・でもそれは本当に「分かっている」 と言えるのか?


怖いのだ。
傷つく事が、傷つける事が。
知る事が。


それから目をそらし、そらしている自分を自分が嘲る。
しかし、嘲る自分も、決して向き合わない。
・・・向き合えない。


不安が焦燥にかわり、やがて恐怖と混ぜ合わされる。


しかし、そのなかで、やっと一抹の答えを得ることが出来る。
ちっぽけで、矮小卑賤で、震えてる自分。
それ以上でもそれ以下も無い、自分という存在。
そして、そこに至るまでのプロセスで、自分の存在を確かめる。

ある種の開き直りにも似た感情が生まれる。
「なるようにしかならないよ」

・・・つくづく情けない。
苦笑交じりに呟いてみる。
毎度毎度悩んだ末の変わらぬ結論・・・。


このままじゃダメなのはわかってる。
分かってるけど動けない、動かない。
でも、とりあえず。
ぼちぼちと。

まだ焦ってる
まだ怖くて向き合えない。
何かが変わったのか、変わらないのか。
でも、
・・・たとえ少しずつでも・・・。


朝焼けに紫煙をくゆらせながら、そう考えてた、
7月のある日の朝。



・・・タバコが美味い。





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