愛車の戦績
愛車との生活の中で特に主だった事件を取り上げています。 (テキストばっか。長いよ。)

● 購入前の記録 [1994/06/15]
初の車購入までの過程とその瞬間。
● 違反記録1 [1994/08/19]
初めて警察に厄介になる。スピード超過22km/h。
● 事故記録1 [1995/01/02]
初の交通事故。雪上道路でのスケーティング。行き着いた果てはガードレール。
● 事故記録2 [1995/09/05]
シルビア撃沈!。 戦闘の最中に行きついた果て。
● トラブル記録1 [1996/11/??]
初のトラブル。遠征先箱根でのオーバーヒート。
● 違反記録2 [1996/12/??]
シートベルト未装着でつかまる。
● トラブル記録2 [1999/07/24]
バック中に脱輪!これは恥ずかしい。
● 違反記録3 [1999/10/24]
免許取消危機! スピード超過52km/h。
● トラブル記録3 [2000/04/02]
2度目のオーバーヒート。 愛車の廃車を決定づけたトラブル!。
● 廃車時記録 [2000/05/27]
愛車とお別れする時の想いを一言。
シルビア撃沈
写真: 愛車シルビア撃沈!
    フロントエアロとグリルは(計13万円相当)
    たった3ヶ月と持たなかった。
    [事故記録2] photograph by K.T

 

購入前の記録

3年式ATシルビア購入 [H6.3.7] 購入金額1,220,000円
2年式MTシルビア購入 [H6.6.15] 購入金額1,150,000円

当時(H.6)若者が狙う中古車にはどんな車があったか。 私はとにかく、FR、かつスタイル抜群のシルビア(MT車)に決めていた。 当時の日産は新型スカイライン、シルビアを販売していたものの 売れ行き不調。逆に同車先代モデルの中古車相場が極端に上がっていた。 高額な値をつけられた中古車なのだが飛ぶように売れていたという。 そのため、S13シルビアはタマ切れ状態…。

車は親の仲介(日産のお得意さん)で長野で買うことになっていた。 地元長野でもシルビアタマ切れ状態は同じだった。
私のために押さえた3年式MT車が、 親と日産のお得意さんとの手違いで他の人に売られてしまったという事件があった。 (これは今でも惜しいことをした。) この事件があったせいか、MT車が出てくるまでAT車に乗るという話になった。 (普通こんな話ないよな。)

平成6年3月7日、S13(3年式AT)を1,220,000円で購入。
が、この車、静岡に戻る途中、オーバーヒートを起こした。 S13はヤバイ車が多いと聞いていたが、この時実感した。


私が求める理想のシルビア
  1. MT車(必須)
  2. 色:白 or 白/金ツートン
  3. 後期モデル(2000CC)
  4. 走行距離:少ないほどいい(80000キロ以上は勘弁)
  5. 傷なし(事故車なんてもっての他)
結局、2と3で天秤にかけることになって、"色"をとる。 購入から3ヶ月の6月中旬。
平成6年6月15日、S13(3年式AT)を 購入価格1,220,000円で売却。
S13(2年式MT)を1,150,000円で購入。
AT車をただ乗りして残した足跡 2ヶ月後、帰省すると、私の乗っていたATシルビアが中古車屋に 展示されていた。 売却済みで車検付1,170,000円という価格だった。 私の残した傷跡はしっかり残されていた。ごめんなさい。

(1997年7月記載)
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違反記録1
スピード超過22km/h [H6.8.19] 罰金15,000円 マイナス2点
松本乗鞍に向かう県道?号線

場所は、あの松本サリン事件でも有名になった松本。 この頃の松本はまだサリン事件の後ということで厳重体制だった。 だから止められた時も、サリン事件の検問だと思ったくらいである。
私     :「ご苦労様です。別にあやしいモンじゃないっすよ。」
おまわりさん:「ここ、40km/h制限なんですよね。」
私     :「はっ?えっ!!!」ねずみ取り!
おまわりさん:「はい、車こっち持って来て。車から降りて、車(パトカー)に乗ってね。
        じゃあ。ここ書いて。今度からは気を付けるんだよ。」
正直言って運が悪かったと思ったくらいで全然反省していなかった。 (40km/h制限の道路で60km/hくらい誰だって出すジャン!) 捕まった後といえど、ぶっとばして帰った。 後から分かったことだが、地元では検問個所として知れた場所だったらしい。 初めて走る道はスピードを抑えようと思った。
翌日、単純な私は、レーダー(速度取締り機探知機)を購入する。

(1997年7月記載)
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事故記録1

雪上でのスケーティング走行によるガードレール激突 [H7.1.2] 修理金額580,000円
聖高原 県道48号線18号カーブ

中古車で購入したものの絶対事故車にしてなるものか、と堅く決意していた。 購入から半年後、その決意は無残にも自分の愚かな運転で破れた。

時は新年早々。場所は帰省先の長野「聖高原」という峠。 長野自動車を更埴から麻績まで走って、 聖高原経由で長野に帰ろうとしていた時だった。 圧雪もされていない峠道路を、 過信しすぎたスタッドレスタイヤで帰ろうとした自分が愚かだった。
あともうちょっとだった。 峠を越え、ずいぶん下ってようやく抜けようと安心していた時だった。

県道48号線18号カーブ
ここが記念すべき場所となる。約20秒間の10シーン。

制御不能状態のままスケーティング状態で、 ゆっくりとガードレールが近づいてくるあの恐怖。「絶望への一途」だった。

平成7年1月2日23時 交通事故を経験する
瞑っていた目を開けて更に絶望した。 ひびの入ったフロントガラスの向こう側に、 グニャッと曲がったガードレールを確認した。 低速走行の割に、異常なほど愛車のノーズはガードレールの下に潜り込んでいた。 (今思えば写真に治めておけばよかったほどの傑作いや悲惨なシーンだった。)
その後、運良く巡回中のパトカーに助けてもらい、 フロント部がぐちゃぐちゃの状態で自走して帰った…。 同伴者のK.IとJ.Sには多大なる迷惑をかけた。すまん。
修理金額580,000円 (車両保険でまかなう)

何がいけなかったか?そもそもあんな所に行ったのが間違いだったのだが、 それなりの運転はできたはず。 なぜにサードにギアを入れるほどスピードは出したのか? 問題はそこだった。私は愚かだった。

半年後の夏、そこは避暑地として有名な聖高原へ向かう道として よく人々が利用する。 現場に行くと、「???!。ガードレールがない!」
県道48号線18号カーブのガードレールが(中途半端に)ないのは私のせいです。

(1997年7月記載)
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事故記録2
戦闘?中にガードレール激突 [H7.9.5] 修理金額600,000円
聖高原 県道48号線36号カーブ

この事故で自分の運転がかなり変わった。ギリギリの運転をしなくなった
事故車という汚名をつけた事故[事故記録1]から 9ヶ月後、愚かな私はまた事故を起こした。 本当に愚かである。しかも1回目事故と同じ峠でまた起こしたのだ。 しかもしかも!超無謀運転!!!

夏は、避暑地である聖高原へ向かう道で人々が利用する道。 しかし、夜は一転して走り屋が集うスポットになる。 この道路は、道が狭く、急ではあるものの低速カーブが多く、 ハイパワー車関係なく、NAシルビアでも結構走れる!と思われる道路である (私はそう分析している)。

峠ヒルクライムで、シルビアは戦闘モードだった。 この時、(多分、走り屋系車小僧は皆そう思っていると思うが) 本当に車を操っているような気になってしまうのだ (どこぞの車マンガではないが)。
激しいスキール音を放ちつつ、ガンガンと上って行った。 そろそろ登り切ろうとしていた、 ちょっと下り目のS字カーブでのことだった。

県道48号線36号カーブ

ヒヤッとした瞬間はあったが、コトはすぐ起こった。
足廻りかステアリングの調子がおかしかったという愛車の欠陥もあった。 それを知っていての危険な走行。 オーバースピードでコーナーに入ったこと、 ブレーキが甘かったこと、 カウンターを当てるタイミングが遅かったなどの自分の運転ミス。 直前は、ヤバサを悟り、ブレーキを奥まで踏み込んだ状態、 つまりタイヤがロックされた状態になっていた(と思う)。 こうなってはもう遅い。 愛車は、けたたましいスキール音と共にガードレールに激突した。
シルビア撃沈 激突時ブレーキライン 激突先ガードレール
平成7年9月5日24時 2回目の事故を起こす

愛車フロントがガードレール下におもいっきり突き刺さった。 後輪が浮いていた。 異常に曲がったボンネット。その隙間からは夥しいほどの水蒸気 (ラジエター全損)。 危うくエンジンまでオシャカになるところの 廃車寸前状態だった。

自分の起こした事故で狭い道路の登り車線をふさいだ。 後輪駆動の愛車、後輪が浮いてしまってはどうにもならない。 愛車は通りすがりの走り屋さん達によって助けられた。 事故現場には10台以上の車がすぐに集まり、 集まった人達全員で廃車寸前の車を退避場まで押してもらった。 更に、電話をかけなければならない私を公衆電話のある場所まで送迎してくれた。 彼らには本当に親切にしてもらった。ありがとうございます。
更に更に、励ましのお言葉も。落ち込んだ私も少し楽になった。
「ココきついでね。そこのガードレールのへこみ、アレ、俺がやったんだ。」
「俺もやったな。アンタのよりひどかったよ。」
「まっ、誰でもやってんだよ。元気出しなよ。」
「車直ったらまたおいでよ。」

しかし、警察も親も怒りを飛び越え、あきれていた(そりゃそうだ)。 また、同伴者のS.IとK.Tには多大なる迷惑をかけた。すまん。

修理金額600,000円
(車両保険適用。保険等級:最悪の1等級。 廃車手続きをし、ナンバー変更する。)

同じ峠で2回目も事故を起こしたこの 聖高原は、私にとって呪われた場所になってしまった。 以後、ここに来るときは冗談でもスピードを出さないようにしている。

(1997年7月記載)
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トラブル記録1
箱根遠征中にオーバーヒート [H7.11.??] 修理金額80,000円
箱根町 国道1号線

遠征?(お出かけ)中に起こるトラブルには本当に困る。 何とか自走して帰ってこれたけど…。

箱根といえば、深夜走り屋が大集結するところで有名 (そういうことにしておいてください)。 大学1,2年の頃にはよく出かけていた。 大学3年次は居場所を浜松に移しており、箱根は遠かった。 久々の箱根遠征だった。以前静岡にいた頃の自分を懐かしんでいた。
箱根に近づくにしたがって、ソレらしい車がドンドン上っていく。 私もその中の1台にまぎれて、軽快にヒルクライムを楽しんでいた。
時は深夜。当時の箱根はちょっと霧が出ていた。 「霧? えっ、でも…」。まさか愛車のボンネットが 白煙を撒き散らしているなんて誰が予想しようか。 私は愚かにもボンネットからの白煙を霧と勘違いして、 いい気になって走っていた。 異常に気がついて、ドライバー席パネルの マックスと示された水温計、赤く示された警告灯。 すぐに車を止めた。 ボンネットをあけた時の夥しい白煙
これがオーバーヒートという現象だった。
帰路が地獄だった。途中何回もエンジンを休めながら5時間かけて浜松へ。 もう夜明け近くだった。必然的に同伴者の帰りが遅くなってしまった。 ごめんなさい。

事故から2ヶ月、 ラジエターも取り替え済みだったのに最悪なトラブルが起きた。 ヘッドガスケットの劣化が原因だった。さすがにお金がソコをついた。

修理総額80,000円
でもこの事件以来、運転時常に水温計をチェックするようになった。

(1996年7月記載)
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違反記録2
シートベルト未装着 [H7.12.??] 罰金なし マイナス1点
当時住んでいた場所のすぐ近く(どこだよ)

ちょこっと買い物をしようと車で出かけた時のことだった。 全然気が付かずにおまわりさんに止められた。
おまわりさん:「なんでシートベルトしないの?」
私     :「えっ!?、あっ!」
        ここで初めて声をかけられたのがおまわりさんであることに気付いた。
      :「ちょっとそこまで行くだけだったんで...」
おまわりさん:「そこまでだったらシートベルトしなくていいの?」
私     :「いいえ…」
おまわりさん:「そうだよね。じゃあ、こっち来てくれる?」パトカーの中へ…。
シートベルト違反をした人がよく口にすると言われる、この”ちょっと”が 私の場合にも当てはまってしまった。 罰金はないもののマイナス1点。 この時から、いかなる時でもシートベルトをするようになった。 これはいい経験になった。

(1996年7月記載)
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トラブル記録2
バック中に前輪脱輪 [H11.7.24] 修理なし
実家の駐車場(これは恥ずかしい)

親戚は誰でも落としたと言われている。 私もついに落としてしまった。 慣れというには本当に恐ろしい。 けど今思うと恥ずかしい。だ、脱輪だなんて。

がたん!!!
なんだ!と思ったけどすぐ状況がわかった。 車から降りてみて確認する。紛れもない脱輪だった!!!。 (車の)足を痛めてしまった、ということで 相当なショックを受けた。
気が動転した私はすぐ父親を呼び出し、更には友人まで呼び出した。 作業は2時間もかかった。 バック中(1km/hもないような速度)での事故だったので、 (多分)損害はなく、車体の下を覗いても アームが曲がってないようだったので、そのままにしている。
免許獲得から6年目。初めて脱輪を経験する。

(1999年6月記載)
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違反記録3
スピード超過52km/h [H11.10.24] 罰金80,000円 マイナス12点(一発免停)
西湘バイパス上り線料金所近く

これはショッキングな事件だった。スピード狂シルビア、ついに御用となった。 あの事故[事故記録2]から4年。 ギリギリの運転はしなくなったがスピードを出していたことに変わりはなかった。 今回事件で免許取り消しの危機にさらされることにもなった。 運転に臆病になった。そのせいで注意力が散漫になった気もする。

日常からスピードをかなり出す私でも以下に示す場合のみ自粛している。

でも!、早く帰りたい、一人でいる、ストレスがたまっている、 停止状態からのダッシュ各場合、やはりアクセルを踏み込んでしまう。 (注:私の場合。)

場所は西湘バイパス。 静岡からの帰路で、時間は20時頃。 このバイパスは海岸線沿いを直線に走る非常に見通しのいい道路。 渋滞が続いた箱根超え。遠方からの帰りで疲れていた。 もう早く帰りたかった。一人だったし…。
料金所からのダッシュ。レーダー反応なし。 1速6000回転!。2速6000回転!!。3速6000回転!!!。軽快に加速!!!!。 そこを押さえられてしまった!!!!!(無念) (取締り中という看板は出ていた。分かっていて出した。やはり愚かだ)

頻繁にルームミラーを確認する私は、 まさに赤のパトランプが点灯する瞬間をみたような気がする。 とっさにブレーキ(もう遅いだけどね)メーターを見て唖然とする。140km/h弱…。 「やっちゃったよ…」。
赤色のパトランプを回したパトカーがそのまま愛車の背後にピッタリついた。 そのまま退避場へ。顔面蒼白状態…。

スピード違反でつかまるのは2回目。 パトカーに乗るや否やすぐにメーターを確認した。122km/h…。
覆面パトカーは白スカイラインのセダン(R34)。 後になって気づいたことだが、 料金所付近のパーキングエリアで待ち伏せていたと思われる (夜であったが、追い抜く車に88ナンバーは絶対なかった)。 後方受信機能を持つレーダーを搭載していた愛車だが、 レーダーに反応しなかった。 購入から5年も経つ。パトカーの取締り機の方が性能が上だったらしい。
不祥事ばかりの神奈川県警。 そのせいか以前つかまった時(長野・静岡県警だけど)より、 かなりやさしかった。だけど処分はえげつなかった。


スピード超過52km/h 後処理記録

つかまると本当にやっかい。以下に違反後の処理記録を記述しましょう。

罰金の支払い(裁判所 午前中)[H11.11.10]
事件発生日、裁判所出廷日時[H11.11.10.9:00〜]を伝えられた。
当日、勝手が分からない私は一時間も早く8:00に現地到着。 受け付け開始8:30。当然一番だった。
簡易裁判といっても非常に簡単なもの。素直に罪を認めた。

速度超過(高速)の場合の今回の罰金
(※ヒミツ!。あくまで私から見た参考記録です。 裁判所では公にしません。)

30km/h以上40km/h未満60,000円3点
40km/h以上50km/h未満70,000円6点
50km/h以上     80,000円12点
備考
・60km/h以上   :懲役がつくらしい(裁判官曰く)
・77km/h超過の方、罰金100,000円。行政処分ではなく、刑事処分だったらしい

免許停止処分(免許センター 午前中)[H11.11.19]
意見の聴聞:停止処分に対する意見の申し立てを行う会みたいなものが 免許センターにて行われた。 この日を持って正式に停止処分を受けることになる。 その案内は、事件から10日後くらいに神奈川県警から通知が来ていた。 案内状が赤だったので90日免停だというのは初めから分かっていた。 だが私の場合、過去3年遡って違反記録がないので60日免停で修まった。

意見の聴聞では、全員の反則内容が公開される (覆面パトスポットを知ることができた)。 スピード違反でつかまった人の中には、私のようにただスピードを出した人、 仕事上でスピード出してつかまった人、この違反で会社をクビになってしまった人、 つかまった人ってたくさんいるんですね。 (つらかったのは私だけじゃない。ホントにこの時そう思いました)

交通安全講習(免許センター 1日半)[H11.12.13〜14]
免停期間短縮のための一日半の講習に出席する。 正直な話、非常にかったるかった。 試験を受けて結果で免停期間が短縮されるわけだが、 常識問題ばかりで今回の試験も全員パスした模様。
その他、適正検査も行なわれたが、結果があまりにも自分に 当てはまっていて驚いた。
「(一部抜粋)運転は丁寧で着実なものになっていますが、 少々運転に戸惑うことがあると迷いながらも前へ前へと進んでしまう傾向にあります。」 だとさ。

免許証の返還(警察署 午前中)[H11.12.20]
免停期間終了期日がちょうど日曜日だったので翌日の月曜日に 取り上げられた免許証を警察署まで取りに行った。

処分後改めて認識したことであるが、50km/h超過から突然点数が高くなります。 出しても49km/h超過だと思いました。(?)
来年の今日まで、減点は帳消しならない。 まいったな、あと3点で取り消しだ。

(1999年10月記載)
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トラブル記録3
高速道路上でのオーバーヒート [H12.04.02] 修理金額11,000円 (但し車の最低限の機能を維持するための暫定修理)
信越自動車道 下仁田IC-吉井IC間

愛車S13の廃車を決定づけた事件である。

週末を実家で過ごし、横浜に帰る途中での出来事である。 運の悪いことに今回は高速道路上でのトラブルだった。 今回も突然きた!!!。

夜(21時頃)の高速道路を交通の流れに沿って愛車は従順に流していた。 自動車道を走行し始めて数十km、 ふと、水温計がいつもより一目盛上に上がっていることに気づく。 以前にも経験したこと [トラブル記録1] だから、このぐらいのことではあせらない。 ボンネットからは煙出てないし。 暖房を入れ、仕方なく減速し、PAを目指した。
注:オーバーヒート気味の際には、外気循環で暖房を入れる。 あの時[トラブル記録1]教えてもらった。

過熱気味のエンジンの少しでも熱を与えないようにと思い、 道路が下り気味になる箇所はニュートラル走行した(やってはいけないこと)。 が、この行為を行なって3回目、走行中にいきなりエンストした。 しかもエンジンをかけ直そうとしてもかからない。 高速道路上で40km/hまで落ちた。でもエンジンがかかったからよかった。

そこからが最悪である。
エンジン始動後、おもしろいように水温計が上昇
よく見ればあの時 [トラブル記録1]のようにボンネットから煙が…
バックミラーに眼をやるとマフラーから発せられていると思われる夥しい煙
どうやらこの車は高速道路上で白煙を撒き散らしているらしい
更に、アクセルを踏むとボンネットからカラカラ音が聞こえてくる。
更に更に、暖房を入れているはずなのに冷房になっている。
そうしている間に、水温系はMAXどころではない、振り切った! (なぜか警告灯は点灯せず)。

遭遇したことがない状況だった。
愛車は、ハザード点滅させ、路肩走行。皆の車が愛車を避けるように抜いていく。 高速道路だからやたらに止めるわけにはいかない。 オーバーヒート走行しているうちにもエンジンがダメになっていくのは知っている。 私は混乱状態だった。

しばらくしてPAを見つける。すぐに入ってエンジンを止めた (白煙を上げて入ってくる愛車、人々の注目の的である。恥ずかしい…)。 JAFの作業員の方に来てもらう(来て頂いたJAFのお兄さんはとても親切な人だった)。

自走不可能、という診断が下された。 ヒーターホース切断状態 (冷却水を入れても全部外にもれてしまう状態。エンジン過熱は必須)。 何とか自走して帰ろうかと思ったが、あの時のようにはいかなかった。
深夜の山の中、愛車は最寄のディラーにあずけられ、私はビジネスホテルへ…。 散々な思いをした。

その後、ディラーと連絡をとった。 修理前に修理金額の見積もりをお願いした結果、修理金額70,000円と見積もられた。 やはり重度の故障だった。
・ヒーターホース交換(20,000円)
・ヘッドガスケット交換(50,000円) ガスケット交換といえばあの時と同じである。
更に、エンジン内シリンダーも点検、最悪は交換する、ということに。 (オーバーヒートしてそのまま走行を続けたのが原因である。 分かってはいた。) 最悪の場合修理金額は200,000円以上と言われた。 さすがにこれ以上、お金をかけるわけにはいかなかった。

「お別れ(廃車)か…」、そんな思いが心をよぎる。
それでも愛車を自宅の横浜まで運び入れたかった。 トラブルから一週間後、愛車は車としての最低限の機能、 「とりあえずは走れる」という機能だけを持って復活した。 ヒーターホース交換だけという暫定的な処理で修理完了とした。
ガスケット交換せず、エンジン点検せずの欠陥車。 長時間連続運転厳禁、高速運転厳禁、細目なエンジンクールダウン必須…。 いつオーバーヒートしてもおかしくない危険な車。

オーバーヒート
写真: PAにてポツンと残される不動のシルビア…
レッカーされるシルビア
写真: 自走不可能。レッカーされるシルビア…

愛車はもう走れなくなってしまっていた。
次の車を購入するまでのつなぎの他なかった。
愛車S13の事実上の廃車である。

(2000年4月記載)
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廃車

車を購入した大学2年生の頃、本当に楽しかった。 思い立ったらどこにでも行ける。 暇があったら車、車、車、本当に車三昧の毎日。 それが楽しかった。思うとおりのことができた。もう最高だった。

-シルビア大改造計画-  この世に1台しかないシルビアなんてふうに思っていたのかもしれない。 アルバイトをしてお金を貯め、そのほとんど車に費やす。 コンピュータ、エキマニ、吸気系、車高調、レカロシート…。 挙げていけばキリがないが、当時の夢は無限だった。 学生ではちょっと考えられない高額な金額を費やした。

楽しかったことばかりではない。滅多にないだろうと思っていた交通事故 [事故記録1] [事故記録2] を経験したのもこの車である。 それでも捨てきれずにここでもまた高額な金額を費やした。

廃車というその日まで、本当に最期の最期というところまで可愛がってやった。 愛車S13は永遠に忘れることはない。私の学生時代の全てである。

(2000年5月記載)
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2000/06/11