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| 購入前の記録 |
車は親の仲介(日産のお得意さん)で長野で買うことになっていた。
地元長野でもシルビアタマ切れ状態は同じだった。
私のために押さえた3年式MT車が、
親と日産のお得意さんとの手違いで他の人に売られてしまったという事件があった。
(これは今でも惜しいことをした。)
この事件があったせいか、MT車が出てくるまでAT車に乗るという話になった。
(普通こんな話ないよな。)
(1997年7月記載)
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| 違反記録1 |
私 :「ご苦労様です。別にあやしいモンじゃないっすよ。」 おまわりさん:「ここ、40km/h制限なんですよね。」 私 :「はっ?えっ!!!」ねずみ取り! おまわりさん:「はい、車こっち持って来て。車から降りて、車(パトカー)に乗ってね。 じゃあ。ここ書いて。今度からは気を付けるんだよ。」正直言って運が悪かったと思ったくらいで全然反省していなかった。 (40km/h制限の道路で60km/hくらい誰だって出すジャン!) 捕まった後といえど、ぶっとばして帰った。 後から分かったことだが、地元では検問個所として知れた場所だったらしい。 初めて走る道はスピードを抑えようと思った。
(1997年7月記載)
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| 事故記録1 |
時は新年早々。場所は帰省先の長野「聖高原」という峠。
長野自動車を更埴から麻績まで走って、
聖高原経由で長野に帰ろうとしていた時だった。
圧雪もされていない峠道路を、
過信しすぎたスタッドレスタイヤで帰ろうとした自分が愚かだった。
あともうちょっとだった。
峠を越え、ずいぶん下ってようやく抜けようと安心していた時だった。
制御不能状態のままスケーティング状態で、
ゆっくりとガードレールが近づいてくるあの恐怖。「絶望への一途」だった。
何がいけなかったか?そもそもあんな所に行ったのが間違いだったのだが、
それなりの運転はできたはず。
なぜにサードにギアを入れるほどスピードは出したのか?
問題はそこだった。私は愚かだった。
半年後の夏、そこは避暑地として有名な聖高原へ向かう道として
よく人々が利用する。
現場に行くと、「???!。ガードレールがない!」
県道48号線18号カーブのガードレールが(中途半端に)ないのは私のせいです。
(1997年7月記載)
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| 事故記録2 |
夏は、避暑地である聖高原へ向かう道で人々が利用する道。
しかし、夜は一転して走り屋が集うスポットになる。
この道路は、道が狭く、急ではあるものの低速カーブが多く、
ハイパワー車関係なく、NAシルビアでも結構走れる!と思われる道路である
(私はそう分析している)。
峠ヒルクライムで、シルビアは戦闘モードだった。
この時、(多分、走り屋系車小僧は皆そう思っていると思うが)
本当に車を操っているような気になってしまうのだ
(どこぞの車マンガではないが)。
激しいスキール音を放ちつつ、ガンガンと上って行った。
そろそろ登り切ろうとしていた、
ちょっと下り目のS字カーブでのことだった。
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愛車フロントがガードレール下におもいっきり突き刺さった。 後輪が浮いていた。 異常に曲がったボンネット。その隙間からは夥しいほどの水蒸気 (ラジエター全損)。 危うくエンジンまでオシャカになるところの 廃車寸前状態だった。
自分の起こした事故で狭い道路の登り車線をふさいだ。
後輪駆動の愛車、後輪が浮いてしまってはどうにもならない。
愛車は通りすがりの走り屋さん達によって助けられた。
事故現場には10台以上の車がすぐに集まり、
集まった人達全員で廃車寸前の車を退避場まで押してもらった。
更に、電話をかけなければならない私を公衆電話のある場所まで送迎してくれた。
彼らには本当に親切にしてもらった。ありがとうございます。
更に更に、励ましのお言葉も。落ち込んだ私も少し楽になった。
「ココきついでね。そこのガードレールのへこみ、アレ、俺がやったんだ。」
「俺もやったな。アンタのよりひどかったよ。」
「まっ、誰でもやってんだよ。元気出しなよ。」
「車直ったらまたおいでよ。」
しかし、警察も親も怒りを飛び越え、あきれていた(そりゃそうだ)。 また、同伴者のS.IとK.Tには多大なる迷惑をかけた。すまん。
同じ峠で2回目も事故を起こしたこの 聖高原は、私にとって呪われた場所になってしまった。 以後、ここに来るときは冗談でもスピードを出さないようにしている。
(1997年7月記載)
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| トラブル記録1 |
遠征?(お出かけ)中に起こるトラブルには本当に困る。 何とか自走して帰ってこれたけど…。
箱根といえば、深夜走り屋が大集結するところで有名
(そういうことにしておいてください)。
大学1,2年の頃にはよく出かけていた。
大学3年次は居場所を浜松に移しており、箱根は遠かった。
久々の箱根遠征だった。以前静岡にいた頃の自分を懐かしんでいた。
箱根に近づくにしたがって、ソレらしい車がドンドン上っていく。
私もその中の1台にまぎれて、軽快にヒルクライムを楽しんでいた。
時は深夜。当時の箱根はちょっと霧が出ていた。
「霧? えっ、でも…」。まさか愛車のボンネットが
白煙を撒き散らしているなんて誰が予想しようか。
私は愚かにもボンネットからの白煙を霧と勘違いして、
いい気になって走っていた。
異常に気がついて、ドライバー席パネルの
マックスと示された水温計、赤く示された警告灯。
すぐに車を止めた。
ボンネットをあけた時の夥しい白煙。
これがオーバーヒートという現象だった。
帰路が地獄だった。途中何回もエンジンを休めながら5時間かけて浜松へ。
もう夜明け近くだった。必然的に同伴者の帰りが遅くなってしまった。
ごめんなさい。
事故から2ヶ月、 ラジエターも取り替え済みだったのに最悪なトラブルが起きた。 ヘッドガスケットの劣化が原因だった。さすがにお金がソコをついた。
(1996年7月記載)
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| 違反記録2 |
おまわりさん:「なんでシートベルトしないの?」 私 :「えっ!?、あっ!」 ここで初めて声をかけられたのがおまわりさんであることに気付いた。 :「ちょっとそこまで行くだけだったんで...」 おまわりさん:「そこまでだったらシートベルトしなくていいの?」 私 :「いいえ…」 おまわりさん:「そうだよね。じゃあ、こっち来てくれる?」パトカーの中へ…。シートベルト違反をした人がよく口にすると言われる、この”ちょっと”が 私の場合にも当てはまってしまった。 罰金はないもののマイナス1点。 この時から、いかなる時でもシートベルトをするようになった。 これはいい経験になった。
(1996年7月記載)
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| トラブル記録2 |
がたん!!!
なんだ!と思ったけどすぐ状況がわかった。
車から降りてみて確認する。紛れもない脱輪だった!!!。
(車の)足を痛めてしまった、ということで
相当なショックを受けた。
気が動転した私はすぐ父親を呼び出し、更には友人まで呼び出した。
作業は2時間もかかった。
バック中(1km/hもないような速度)での事故だったので、
(多分)損害はなく、車体の下を覗いても
アームが曲がってないようだったので、そのままにしている。
免許獲得から6年目。初めて脱輪を経験する。
(1999年6月記載)
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| 違反記録3 |
日常からスピードをかなり出す私でも以下に示す場合のみ自粛している。
場所は西湘バイパス。
静岡からの帰路で、時間は20時頃。
このバイパスは海岸線沿いを直線に走る非常に見通しのいい道路。
渋滞が続いた箱根超え。遠方からの帰りで疲れていた。
もう早く帰りたかった。一人だったし…。
料金所からのダッシュ。レーダー反応なし。
1速6000回転!。2速6000回転!!。3速6000回転!!!。軽快に加速!!!!。
そこを押さえられてしまった!!!!!(無念)
(取締り中という看板は出ていた。分かっていて出した。やはり愚かだ)
頻繁にルームミラーを確認する私は、
まさに赤のパトランプが点灯する瞬間をみたような気がする。
とっさにブレーキ(もう遅いだけどね)メーターを見て唖然とする。140km/h弱…。
「やっちゃったよ…」。
赤色のパトランプを回したパトカーがそのまま愛車の背後にピッタリついた。
そのまま退避場へ。顔面蒼白状態…。
スピード違反でつかまるのは2回目。
パトカーに乗るや否やすぐにメーターを確認した。122km/h…。
覆面パトカーは白スカイラインのセダン(R34)。
後になって気づいたことだが、
料金所付近のパーキングエリアで待ち伏せていたと思われる
(夜であったが、追い抜く車に88ナンバーは絶対なかった)。
後方受信機能を持つレーダーを搭載していた愛車だが、
レーダーに反応しなかった。
購入から5年も経つ。パトカーの取締り機の方が性能が上だったらしい。
不祥事ばかりの神奈川県警。
そのせいか以前つかまった時(長野・静岡県警だけど)より、
かなりやさしかった。だけど処分はえげつなかった。
速度超過(高速)の場合の今回の罰金
(※ヒミツ!。あくまで私から見た参考記録です。
裁判所では公にしません。)
| 30km/h以上40km/h未満 | 60,000円 | 3点 |
| 40km/h以上50km/h未満 | 70,000円 | 6点 |
| 50km/h以上 | 80,000円 | 12点 |
意見の聴聞では、全員の反則内容が公開される
(覆面パトスポットを知ることができた)。
スピード違反でつかまった人の中には、私のようにただスピードを出した人、
仕事上でスピード出してつかまった人、この違反で会社をクビになってしまった人、
つかまった人ってたくさんいるんですね。
(つらかったのは私だけじゃない。ホントにこの時そう思いました)
処分後改めて認識したことであるが、50km/h超過から突然点数が高くなります。
出しても49km/h超過だと思いました。(?)
来年の今日まで、減点は帳消しならない。
まいったな、あと3点で取り消しだ。
(1999年10月記載)
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| トラブル記録3 |
愛車S13の廃車を決定づけた事件である。
週末を実家で過ごし、横浜に帰る途中での出来事である。 運の悪いことに今回は高速道路上でのトラブルだった。 今回も突然きた!!!。
夜(21時頃)の高速道路を交通の流れに沿って愛車は従順に流していた。
自動車道を走行し始めて数十km、
ふと、水温計がいつもより一目盛上に上がっていることに気づく。
以前にも経験したこと
[トラブル記録1]
だから、このぐらいのことではあせらない。
ボンネットからは煙出てないし。
暖房を入れ、仕方なく減速し、PAを目指した。
注:オーバーヒート気味の際には、外気循環で暖房を入れる。
あの時[トラブル記録1]教えてもらった。
過熱気味のエンジンの少しでも熱を与えないようにと思い、 道路が下り気味になる箇所はニュートラル走行した(やってはいけないこと)。 が、この行為を行なって3回目、走行中にいきなりエンストした。 しかもエンジンをかけ直そうとしてもかからない。 高速道路上で40km/hまで落ちた。でもエンジンがかかったからよかった。
そこからが最悪である。
エンジン始動後、おもしろいように水温計が上昇。
よく見ればあの時
[トラブル記録1]のようにボンネットから煙が…。
バックミラーに眼をやるとマフラーから発せられていると思われる夥しい煙。
どうやらこの車は高速道路上で白煙を撒き散らしているらしい。
更に、アクセルを踏むとボンネットからカラカラ音が聞こえてくる。
更に更に、暖房を入れているはずなのに冷房になっている。
そうしている間に、水温系はMAXどころではない、振り切った!
(なぜか警告灯は点灯せず)。
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遭遇したことがない状況だった。 愛車は、ハザード点滅させ、路肩走行。皆の車が愛車を避けるように抜いていく。 高速道路だからやたらに止めるわけにはいかない。 オーバーヒート走行しているうちにもエンジンがダメになっていくのは知っている。 私は混乱状態だった。 しばらくしてPAを見つける。すぐに入ってエンジンを止めた (白煙を上げて入ってくる愛車、人々の注目の的である。恥ずかしい…)。 JAFの作業員の方に来てもらう(来て頂いたJAFのお兄さんはとても親切な人だった)。
自走不可能、という診断が下された。
ヒーターホース切断状態
(冷却水を入れても全部外にもれてしまう状態。エンジン過熱は必須)。
何とか自走して帰ろうかと思ったが、あの時のようにはいかなかった。
その後、ディラーと連絡をとった。
修理前に修理金額の見積もりをお願いした結果、修理金額70,000円と見積もられた。
やはり重度の故障だった。
「お別れ(廃車)か…」、そんな思いが心をよぎる。 |
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愛車はもう走れなくなってしまっていた。
次の車を購入するまでのつなぎの他なかった。
愛車S13の事実上の廃車である。
(2000年4月記載)
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| 廃車 |
-シルビア大改造計画-
この世に1台しかないシルビアなんてふうに思っていたのかもしれない。
アルバイトをしてお金を貯め、そのほとんど車に費やす。
コンピュータ、エキマニ、吸気系、車高調、レカロシート…。
挙げていけばキリがないが、当時の夢は無限だった。
学生ではちょっと考えられない高額な金額を費やした。
楽しかったことばかりではない。滅多にないだろうと思っていた交通事故 [事故記録1] [事故記録2] を経験したのもこの車である。 それでも捨てきれずにここでもまた高額な金額を費やした。
廃車というその日まで、本当に最期の最期というところまで可愛がってやった。 愛車S13は永遠に忘れることはない。私の学生時代の全てである。
(2000年5月記載)
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2000/06/11