第17話グラデ左 グラデ右飯田

(さすが秀才コンノちゃんね、手話まで覚えるなんて)
(飯田さんがいなかったら、多分興味沸かなかったと思います)
(興味だけで覚えられるものでもないわよ。でも誰から聞いたの?)
(安倍さん)
(ホントに昔から口が軽いんだからあいつは!)

T E N

 モーニング娘。最後のリーダー・飯田圭織は、例の武道館爆破事件により聴覚を失った。
 爆破の直接の衝撃で鼓膜を損壊したわけではない。
 飯田が爆風で吹き飛ばされた先に、運悪く大型スピーカーがあった。爆破による電気系統の不具合で、高音のハウリングが武道館会場内に十数分間も響き渡った。
 爆破のパニックを助長するような、その不愉快な轟音は武道館の外にいるファンまで耳を塞いだほどだった、とのちに語られている。その音を発している巨大なスピーカーの前で飯田は気を失っていたのだ。

 それから数日後、目が覚めて四肢全てをギブスで固定された飯田が知った過酷な現実。
 目を見開いて驚いている看護婦。
「セ・ン・セ・イ イ・シ・キ・ガ・モ・ド・リ・マ・シ・タ」
 何を言っていのかは解る。解るけれど聞こえない。何を話しても伝わらない。指先ひとつを動かそうとしただけでも全身に激痛が走る。
 そんな状態が1週間続いた。
 そして、医師が飯田の聴覚機能が破壊されたということに気が付いたときには、もうすべてが手遅れだった。

 飯田はメンバーの面会すら拒絶し、退院とともにひっそりと姿を消していった。

T E N

(あの集中治療室の日々は今思い出しても、思い出したくないわ)
 と、独特の表現で語る(もちろん手話で、だが)飯田。わけのわからないことを仏頂面で必死に腕を振り回して伝えようとするかつてのリーダーに、紺野はシリアスな場面にもかかわらず笑いをこらえるのに必死だった。
 すでに20代後半にさしかかっているはずの飯田だったが、大学キャンパスの芝生がよく似合っていた。
(それじゃあ、あの轟音で耳が・・・?)
 紺野がそう尋ねると、飯田は静かに首を横に振った。
 飯田が主張するには、大きな音だけでは難聴になることはあっても、完全な聾唖(ろうあ)にまで陥ることはまずないという。おそらく怪我の治療のための、薬の大量投与による副作用なのではないかと飯田は思っているが、医師側は否定しているという。
(それじゃあ医療ミス?)
(私はそう思っている)
 弁護士にも訴訟を奨められたが、飯田はけっきょく法的手段に乗り出すことはなかった。
(音を失ったのも、もちろん悔しいけれど・・・それより飯田圭織というアーティストが一生歌えないと世間に知れ渡るのも恐いのよ)
 ここが飯田独特の哲学なのだろう、と紺野は思った。
 事故の後遺症を公(おおやけ)にすれば、世間から一瞬の同情を得られるかもしれない。だが、その一瞬に甘えてしまったがために、その後の人生を立て直すチカラをも失ってしまう。そのことのほうがよっぽど自分にとっては恐ろしいことだ、と飯田は力説する。
(それじゃあ、聴覚障害になったことを4年たった今でも公表しないのも?)
「・・・・・」
 結局この時は、その理由をはっきりと聞くことができなかった。
 だがメンバー内においても人一倍音楽を愛していた彼女が、音を失ったことがどれほど苦しかったことか。幸いにもあの事件で後遺症を残さなかった紺野だが、その飯田の苦悩を想像しただけで身震いするのだった。
 事件から4年あまり表舞台にも立たず、他のメンバーともほとんど接触せずにひとり殻に閉じこもっていた飯田。不器用で純粋なリーダーにとって、この4年間はどのような意味をもっていたのだろう。

 紺野はもうひとつ気になることがあった。
 飯田のケースは中途失聴者といって、生まれつき耳が聞こえないわけではない。ゆえに聴覚に障害があるといっても、言葉を喋る能力には問題はないはずだ―――。
 だが目の前にいる飯田は、頑なに発声することを避けている。筆談と手話。そしてメール。

(なんでだろう・・・?)
 飯田的哲学。
 紺野には、その理由のアウトラインがおぼろげながら見えてきた。
 それは、紺野自身には理解のできないプライドではあったけれども。


 現在は人目を避けて、別ペンネームでエッセイやイラストの仕事を中心に活動しているという。
 飯田の独特の文章は、それだけで世界観を持っていた。すでに特定のファン層を獲得し、地味ながらも一定の評価を得るまでになった。
 飯田は着実に人生の立て直しに成功しているように、紺野の目には映った。

 そして、そこで娘。同窓会の計画を飯田から打ち明けられた。メンバーの中でこのことを相談したのは意外にも紺野が最初だったということも知らされた。

(なんでだろう・・・?)
 これは本気で分からなかった。

 そして、その理由を知るのはずっとあと―――とりかえしのつかない事件が起こった後だった。

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