第23話グラデ左 グラデ右安倍と矢口

 最初に、矢口のほうが安倍を見つけた。

 矢口はその日、久しぶりにお台場のテレビ局にいた。犯罪ドキュメンタリーの番組に、コメンテーターとして出演するためである。
 その番組では一切「あのこと」に触れていないものの、あきらかに5年前の武道館爆破事件に遭遇した矢口を意識した底意地の悪いキャスティングだ。

 矢口がその番組のリハーサルのために楽屋から出ると、慌ただしいテレビ局の裏側の雑踏に紛れて、廊下の奧に立ち話をしている安倍がスターとしての輝きを放っていた。マネージャーと付き人を従えて、プロデューサーとおぼしき人物にプリントに印刷されている内容を指さしながら細かい確認作業をしている。おそらく秋から始まる新ドラマの打ち合わせでもあるのだろう。

T E N

 安倍は、なぜか小川以外の元モーニング娘。メンバーとの接触を避けているように矢口は以前から感じていた。電話、手紙、それにメール・・・この時代直接会わずとも、連絡をとる方法はいくらでもあるはずだ。
 ましてや安倍と矢口は同じ事務所に所属している。

 しかし矢口がその姿を直接目にすることは滅多になく、安倍は事務所の忘年会などのイベントに出席することもなければ、意図的に自分とのスケジュールをずらしているとの噂も小耳に挟んだ。
 だからといって、矢口から声をかける気も起こらなかった。矢口が事件から1年の休養期間をおいて芸能界に復帰したときには、既に芸能人としての安倍との格の差は歴然としていたからだ。それに加えて、あの態度。
 彼女のことが嫌いになってしまったわけではないが、自分とはすでに違うステージに立っているんだなァと矢口も割り切って考えるようになり、すっかり安倍との関係は途絶えてしまった。

 事件後も芸能界に残ったモーニング娘。のメンバーは、当初の予定から大幅に減って、たったの4人。
 吉澤ひとみ、安倍なつみ、高橋愛、そして矢口真里。
 その中で女優を中心にして活躍しているのは、安倍だけである。吉澤は「男装」タレント、高橋はシンガー。
 バラエティや司会の仕事をあてこんでいた矢口だけが、いまだに曖昧なポジションにいる。

 あれほど加入当時風当たりが強かった2期メンバー3人のなかで、いち早くキャラを確立した矢口。しかし皮肉なことに、仲間がいなくなってからの彼女は伸び悩んでいた。
 仕事が少ないからといって、あり余ったプライベートの時間も気を抜くわけにはいかない。
 武道館の事件から1年半後に、友人の男性タレントと一緒に食事していたところを写真週刊誌に隠し撮りされた。2週間後に発売されたゴシップ誌の見出しにはこう書かれていた。

「武道館爆破事件・メンバーで唯一無傷の矢口真里が男漁(あさ)りの日々」

 矢口は怒りを通り越して悲しくなってきた。
 なぜ無傷などとデリカシーのないことが書けるのだろうか、と。矢口自身も他のメンバー同様に心に深い傷を負ったというのに。

  なぜあの事件の当事者メンバーの中で私だけがバッシングの対象になるの?
  怪我が一番軽かったから? そんなことのために?

 何もかもが裏目にでて、悩みぬく日々が続いた。あれほどまでの事件の直接の被害者にもかかわらず、ダーティなイメージが払拭できない。
 矢口にとって、ぬかるみの上を歩くかのような5年弱の月日が経過した。

 そんななか届いた、飯田からの同窓会の通知。
 頭に血が昇った矢口は、それを読んだ瞬間に握りつぶして自室のゴミ箱に投げつけた。丸まった紙は、ゴミ箱の縁に弾かれて、カサカサという音を立てながら床に転がった。
 ひとりぼっちの夜。
 あの頃は仲間がいた。楽しいことが、当たり前だと思っていた。
 苦しい事やつらい事があっても、くだらなくて笑えるメールを送って励ましてくれる、心からの友達がいた。
 矢口はソファの上で、膝を抱えながら昔のことを思い出しているうちに涙が止まらなくなってきた。どれくらいの時が流れたかは分からない。泣き疲れていつのまにか、矢口はそのまま眠りについていた。

  あの「おもいで」はこの胸の中に仕舞っておきたい。
  あまりにも美しい思い出だったから。
  それに足し算も引き算もしたくないってのが何故わからないの。

T E N

 その翌日。
 最初に矢口のほうが、安倍を見つけた。

 安倍もあの招待状を受け取ったのだろうか。

 もしかしたら安倍も、あんな同窓会に出席する気などないのかもしれない。
 過去に縛られて飛躍できない矢口。
 過去をバネに着実にステップアップしている安倍。
 対称的な二人だが、モーニング娘。の同窓会などという馬鹿げたことに参加する気などないことでは共通しているかもしれない、と矢口は思う。なんとなく事件後の安倍のよそよそしい態度を見ていると、そう思う。

 そんなことを考えていると、立ち話をしていた安倍に突然パッと目が合った。
 一瞬とまどいの表情を浮かべたが、女優らしい堂々とした歩き方で一歩一歩近づいてくる。
 周囲のスタッフも矢口の存在に気付いて一瞬動きが止まり、その場の空気が冷たく張りつめているのが伝わってくる。
 安倍は目の前までくると、立ち止まって丁寧なお辞儀をした。ひとつひとつの動作にメリハリがある。

「矢口さん、お久しぶりです」
「あ、ああ・・・久しぶ・・・」
 安倍が何の前触れもなく矢口の耳に口を近づけて、こうささやいた。
「同窓会、参加するよね?」
 矢口が安倍の声を直接聞いたのは、後になって考えてみるとあの最後の武道館コンサート以来である。
 実に5年振りの会話。
 だが何だろう、この不思議な感触は。

 その時矢口が感じた違和感の正体が明らかになるのは、まだ先の話である。

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