第26話グラデ左 グラデ右高橋と紺野

(で、どーすんのよコレ・・・?)
 助手席で眉間にしわを寄せた飯田が、目で紺野に語りかける。
 地面にタイヤがめり込んでいるようにも見えるが、当然これはパンクして凹んでいるのである。
 紺野は何をするでもなく、それを茫然と眺めている。
 人里から隔離された山道で、ぽつんと取り残された少女たち。鳥の歌声、風のささやき、木々のゆらめき・・・車のエンジンを止めて飯田とふたり取り残されたこの世界では、より一層自然の息吹を意識できるし、紺野はそれが心地よいとも感じ始めていた。
 そんな彼女を意に介する様子もなく、タイヤ交換は、と飯田は問いかけたが即座に
「したことないです」
 と首を振る紺野。
 即答である。
 そもそもなぜ紺野が、こんな走り屋御用達のクルマを借りてきたのかさえ、謎だった。
 車に関しては門外漢の飯田だが―――昔は「青いスポーツカーの男」なんて曲も歌っていた彼女だったが―――派手なウイングや太いマフラー、黄金に輝くアルミホィール。バンパーに無計画に貼られた、原色のケバケバしいステッカーの数々など、紺野の趣味ではないことだけはあきらかだ。
 初めてこの車で紺野に迎えにきてもらったときの違和感を、飯田は忘れない。例えるならば、ステルス戦闘機のパイロットがテディベアの縫いぐるみでした、のようなものだろうか。とにかく笑えた。

 いずれにしろ先ほどまでの紺野の運転の腕前を見る限り、彼女がペーパードライバーなことだけは確かだ。
 飯田は紺野に、普段は助手席センモンでしょ?と尋ねた。

 ヘヘヘ、とはにかんだ表情を見せる紺野。

(そうだよなぁ、紺野も別に男がいたっておかしくない年頃だよなぁ)
 飯田は考える。
 今、元モーニング娘。で恋愛をしている人は何人いるだろう、と。
 石川はあの事件の混乱に紛れて観客に輪姦され、その影響で男性恐怖症になったと聞いている。
 男に性転換した吉澤の恋愛対象は、やはり女性なのだろうか。
 加護もあんな身体にならなければ、同い歳の紺野のように・・・。
 飯田自身にも、現時点でひとつ屋根の下で暮らしている男がいるが、決して上手くいっているとはいえない。かろうじて結婚生活が順調なメンバーといえば、初代リーダーぐらいだ。

 大学のボンボン同級生が彼氏だという紺野に驚いたが、考えてみれば普通に恋愛しているメンバーに驚く自分こそが、この5年間奇妙で歪んだ世界に身を沈めていたことを逆説的に証明することになり、その事実に飯田は愕然とする。

 モーニング娘。は、あの爆破事件によって被害者となった。
 だが、被害者として保護されるはずの私たちが、有名人だったということだけで未だにその苦痛を様々な形で受けている。それは身体的なものもそうだし、人間関係が劇的に変化したことによる精神的苦痛も計り知れない。
 しかも常に世間から監視され、時には疑惑の目を向けられ、それに耐えなければならない。
 モーニング娘。として輝いた5年間のあまりにも大きい代償として、元モーニング娘。たちは事件後の5年を過ごしてきたのだった。

「飯田さん! あれ!」
 紺野が、シートで夢想に耽っている飯田の肩を叩いた。
 山道の自分たちが今まで走ってきた道を指さす。

 そこには曲がりくねった山道を慎重にすすむ1台のスポーツカー。もしかしたら、タイヤ交換を手伝ってもらえるかもしれない。
 紺野は飛び跳ねながら手を振った。

 減速をはじめたその車の運転手はサングラスをかけた女性。
 作り笑顔で手を振る紺野を見て、その女性は叫びにも似た声を張り上げる。

「あさ美チャンじゃない!」
「その声は・・・タカハシアイちゃん?」
 サングラスをとると例の「ビックリ」した高橋愛のなつかしい笑顔がそこにあった。
「〜〜〜〜!!!」
 言葉にならない喜びをあらわすために、高橋は器用に運転席の窓から身を乗り出して、紺野を抱きしめる。
 助手席のリーダーである飯田も、かつての仲間同士の劇的な再会を目の当たりにし、やがて目頭が熱くなるのを抑えることができなくなっていた。

 結局、紺野と飯田はパンクした車をそのまま乗り捨てて、高橋の車に乗って屋敷まで向かうことにした。

「遅れ気味だったし、石川さん心配しているよぉ、きっと」
 そう紺野が口にした矢先―――最初の曲がり道を越えた向こうに、大きな洋館が視界に飛び込んできたので一同は力なく笑うしかなかった。

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