第30話グラデ左 グラデ右KAOとTEN

 重そうな扉が拍子抜けするほど程簡単に開いて中を覗いてみると、暗闇の中にディスプレイだけが青白く光っていた。

 扉を静かに閉めて、右手で室内のスイッチを探す。
 プラスチックの凹凸を捉えて、カチッと確かな手応えとともに何かを切り替えた感触が伝わってきた。

 しかし依然として室内は、カーペットとホコリの入り交じった臭気と深い闇に包まれている。


TEN> KAOさん、電気ならつきませんよ(09.23-14:46:13)

 暗黒と静寂の中で、パソコンのディスプレイに文字が浮かび上がる。
 わずかに響くのは、パソコンの本体のハードディスクが摩擦する音。
 画面の中ではブラウザが立ち上がっており、その少女にとって見慣れた赤茶けたおどろおどろしい壁紙のチャットルームへと繋がっている。

 暗闇の中での唯一の光源であるその長方形を少女はただ、うつろな目で眺め立ち尽くしていた。が、我に返ってたった今表示された文字列が自分を呼びかけていると理解し、静かだが力強い手つきで慣れないキーボードに指を走らせた。


<KAOさんが入室しました(09.23-14:46:51)>

TEN> おつかれさま。うまくいっているようね(09.23-14:47:33)

KAO> いちおうお膳立てはしてあげたわ。約束を忘れていないでしょうね(09.23-14:48:29)

TEN> あのこに会わせろってことでしょ。あたりまえじゃない(09.23-14:49:04)

KAO> でも辻はあのひ氏んだはずでしょ(09.23-14:49:41)

TEN> じゃああなたは辻の死体をみたっていうの?(09.23-14:49:41)

 ・・・・・。
 KAOと入力した少女は、キーボードの上に乗せている手が止まった。
 いつもこうだ。
 この―――TENと名乗る人物のやけに自信に満ち溢れた語り口調。


TEN> じつは辻もう屋敷に来ているから(09.23-14:51:18)

KAO> どこ?おしえt(09.23-14:51:43)

TEN> あせらないの。まずは今まで打ち合わせしたとおりにするの。辻にあうのはそれから(09.23-14:52:30)

KAO> あなたはいったいなにものなの?なぜ辻のひみつをしっているの?(09.23-14:53:07)

TEN> よけいなことはさぐらなくていいの。それよりわすれないで。(09.23-14:53:58)

TEN> わたしはいつでもあなたをみている。すこしでもよけいなことをしたら辻のいのちはないからね。(09.23-14:54:35)

 KAOはこの一連のやりとりを続けているうちに、この5年間累積した

(なぜ私をこれほどまでに苦しめるの?)
 という想いが弾けて、目に一杯の涙を潤ませた。

 約5年間も、こういったことが続いている。そして、徐々にエスカレートしてくるTENの不気味な要求。それに対してあまりにも無力な自分。
 辻のためとはいえ、果たしてそんなことが許されるのだろうか。


<TENさんは退室しました(09.23-14:55:11)>

 画面に浮かび上がる文字。
 この5年間、メールやチャットなどNETを介して彼女に接触してくる謎の人物TEN。彼(彼女?)は驚くべき事実を次々と明かしてきた。
 そして何よりも自分自身が消してしまいたい過去を、その人は知っていた。
(あなたは一体何者なの・・・?)
 秘密の交流を続けるうちに、次第に高圧的な態度をTENはとるようになってきた。それに屈して、いま自分は取り返しのつかない行為に手を染めようとしている。
 自分だってこの5年間いろいろあった。我ながら「強く」なったと思う。
 多少のことでは動じない自信もある。が―――これから起こる、いや「起こす」ことに対して、緊張の糸が切れて暴走してしまう可能性もまた否定できない。KAOはポケットの中に忍ばせている安定剤を2錠、口の中に放り投げた。

  だが、すべてはもう動き出している―――時間は止められない。
  5年前の武道館のときのように。

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