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そのドアには、黒のマジックで「こんの」と書かれた紙がセロテープで張られていた。 赤茶色の重々しい扉にはいかにも不釣り合いだったので、紺野はいったん部屋に入ったあと廊下に誰もいないのを見計らって、すぐにその紙をはがした。 それが取り除かれると、今度は扉のプレートに「Dance Site」と書かれたシールが貼られているのを発見し、紺野は吹き出しそうになった。 (私がダンス・・・?)気を取り直して部屋に入ってまず目についたのは、机の上のしなやかなアウガルテン製の花瓶に差してある一輪のコーネリア。四季咲きのソフトピンクの薔薇だが、初秋はさらに赤が強くなることでも知られる花。石川が用意したのだろう。風に乗ってその香りが鼻腔をくすぐり、視覚的にも嗅覚的にも心を落ちつかせるには十分だった。 ビジネスホテルのシングルルームぐらいの(紺野は受験旅行のときに使用したっきりだが)狭い室内。 メッソニエ(高名な装飾家)の雰囲気を醸し出している絨毯や、アラブ様式の幾何学的紋様が施されている室内スタンドが、素朴でシンプルな構造の室内にあって凛とした高級感を演出している。 大きめの荷物をクローゼットに放り投げ、シングルベッドにとりあえず大の字で飛び込んで長時間運転の疲れを癒そうとした。 目を閉じ聴覚を研ぎすませる。風の音。木々がサラサラと擦れる音。時おり聞こえてくる鳥の声。 そのまま眠ってしまいそうだ。眠ってしまいたい。 そんな紺野の想いとは裏腹に、静寂を破るノックの音。
上半身だけ起こして面倒くさそうなのがバレないように「どうぞ」と促すと、高橋が遠慮がちに「おじゃましま〜す」と入室してきた。 「愛ちゃんの・・・205号室は何って言うんだっけ?」 「“Revolution”。 「はぁ〜。なんで私は“恋のダンスサイト”なんだろう〜?紺野はがっくりとうなだれる。ダンスで誉められたことなんてないのにぃ、とボヤきながら。 高橋はそれを見て、そんなこと言ったら歌で誉められたりしたこともないし、紺野にふさわしい歌の名前なんて無いんじゃあ・・・? と、5年前だったら意地悪く突っ込んだかもしれない。 (でもね、今は違う)落ちこぼれ呼ばわりされながらも一生懸命自分の姿勢を崩さないで努力し続けていた、あの頃の紺野の気持ちが今なら分かる。 当時高橋は、少なからず同期メンバーの中ではナンバーワンの実力者という自負があった。それに対して紺野はどんなに頑張っても、歌やダンスの分野では高橋より前に出ることはなかった。 悪いとは思いつつも、どこか高橋の目にはそれが滑稽に映った。 (じゃあ逆に今のわたしの姿は、あさ美ちゃんにはどう映っているのだろう)それに昔のことを思い出すと―――やはりどうしても、あの二人の姿が脳裡をよぎる。 「同期は私たちだけなんやよね・・・」新垣はあの爆破で帰らぬ人となった。 小川は未だに意識が戻らず、植物人間の状態が続いている。
それをふまえた上で、あらためて部屋に高橋と二人だけでいる状況を紺野は想う。 「よく、ホテルの部屋で4人で話し合いましたよね・・・」5期メンバーが加入してからはCDの売り上げが伸び悩んだり、レギュラー番組も打ち切られたり低視聴率であえいだりと、誰も先輩は口にしなかったが5期メンバーにその責があるのではないかと、自分たちでさえ感じ始めていた。 5期メンバー同士4人でホテルの部屋に集まっては、悩みを打ち明けあったりもした。 一番貧乏クジを引いたという意識が、ないわけではない。 そんな苦しい境遇と時代を一丸となって乗り切ろうとした5期の4人も、今では2人。
高橋が解散後ソロシンガーの道を選択したときは、周囲のかなり強い反対があったと紺野は聞いている。あんな事件があったから、なおさらその風当たりは強かったであろうと推測できる。 「あたし、5期メンバーが足ひっぱってるって言われるの我慢できんかってん」強い力を秘めた目で高橋が言う。 加入して不完全燃焼のまま解散を迎えた5期メンバー。 追い打ちをかけるように、最後のコンサートでの爆破事件。 新垣との別れ。 小川を襲った悲劇。 紺野の引退表明。 そして同期では高橋だけが芸能界に残り、歌手として再スタート。 期待とは裏腹のセールス不振。 常にプレッシャーとの闘い。 わざと聞こえるように陰口を叩かれたこともある。
次々と高橋の口から吐露される想いに、黙って耳を傾けていた紺野もやがて胸が締め付けられる。最後のほうはお互い涙目になっていた。
彼女らを慰めるかのように、森の薫りが開け放ってある窓から流れてきた。 「へへへ、こうゆう話あさ美ちゃんだけにしか、できんのやけど」上京して6年たつが、高橋の福井訛りはいまだに抜けていなかった。 |
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