第33話グラデ左 グラデ右石川と高橋

「ありがとぉ、助かるよ〜」
 厨房を所狭しと駆け回る石川に、いつの間にか部屋の隅に追いやられた高橋はあっけにとられていた。
 ボウルには昨日のうちから下ごしらえしていたと思われる材料が入れられ、テーブルの上に整然と並べられている。
(おやつを運ぶ程度だと思ってた・・・)
「へへへ、夕食の準備もボチボチ始めなきゃなんないしねぇ。あ、それじゃあ愛ちゃんには野菜を切ってもらおっかな」
 石川はオーブンからパイ生地を取り出し、間髪入れずにコンロにかけてある陶磁器の鍋の火力を落とす。甘い香りが一帯を包み込んでいた。なおも慌ただしく動き回る石川に、高橋は圧倒されていた。
 高橋は二人きりになったら、石川に以前より訊きたいと思っていたことがあった。しかも、かなり昔から。しかし今はとてもその話を切り出せる状況にないようだ。ずっと石川につきまとっているある噂についての質問で、いつか白黒つけたいと思っていた。直接、石川の口から答えてもらわなきゃならない。
 そう高橋は思い続けていた。

 高橋はレタスをちぎりながら、石川を観察する。
 さきほどの甘い香りはカスタードクリームのようだ。それを今日のお昼に焼き上げたというパイの上にうすく流し込み冷蔵庫に入れて冷ます。その間にも夕食用のグラタンの下地を整えたり、ドレッシングをかき混ぜたりと息をつく暇もないようだ。

「すごいですね、石川さん。本格的じゃあないですか」
「やっぱり作りたてが一番美味しいからねぇ〜」
 高橋は「手作り」ということが本格的だということを言いたかったのだが、石川はさらにその先をいっているように思えた。
「夕御飯も手伝ってもらってもいい?」
「ええ、私でよければっ」
 ここにズラリと並べられた食材が、2時間後にはどういった料理に変貌するのか―――高橋は単純にそれに興味をそそられた。そして5年前、ダンスをしたり歌ったりブリッ子している(のちに素であることが分かった)石川から想像できないような、また違った彼女を垣間みることができそうな気がした。

 しばらくして、さきほどのパイの上に新鮮なイチゴを並べ終わったあと、思い出したように叫ぶ石川。

「そうだ! 忘れちゃいそうだし、ちょっとまだ明るいけど玄関の明かりをつけておこっか」
 ぎっしりと敷き詰めたイチゴの上に、慎重に特製ソースを流し込んでいる、その最中だ。
「あいちゃ〜ん、いま手が離せないからそこにスイッチあるのよぉ」
 アゴをつきだして、台所の奧にある裏庭に続く勝手口の壁にある電気系統のスイッチパネルを指し示した。高橋は石川が昔、アゴのしゃくれを気にしていたのを思い出して顔がにやけたが、その表情を悟られないようにその通路の隅まで小走りに進む。
 ガシャリ、という音とともにパネルを開くと、40個ほどはあるだろうか、それぞれのスイッチの下には「庭園噴水ライト」「シャンデリア」などの小さなプレートが貼ってある。ほどんどのスイッチがオンになっている中で「玄関入口灯」のスイッチはオフになっていた。
「今日は特別な日だから、全部外の電気もオンにしちゃって」
 高橋は石川の言われるままに「裏口灯」「噴水ライト」「物置入口」などのスイッチを次々とオンにしていくうちに、あることに気が付いた。
 パネル上にズラっと並んでいるスイッチの中で、右下にあとからつけ足したような、ほかのものより新しいスイッチが2つある。その下には「地下スタジオ」のプレートが貼ってある。
「あっ石川さん、これ・・・」
 その2つのうちのひとつがオフになっている。
「ひとつだけ室内でオフになっているのがありますけど?」
 トレーの上に数枚のケーキソーサー、そして作りたてのパイを載せる。
 石川はお湯が沸騰しているのに気が付いて、コンロに走りながら横目でそれを確認する。
「おっかしいなぁ、屋敷の部屋の電気は全部オンになっているはずだけど」
「じゃあオンにしておきますね」
 高橋がスイッチを上げたその時、石川の歓喜の声が厨房に響きわたった。
「出来た〜!! 完成ッ!!
 モーニング娘。ストロベリーパイスペシャルゥ〜」
 それはキツネ色のこんがりと焼かれたパイ生地の上にイチゴがギッシリと敷き詰められており、トロトロのラズベリーソースがそれらを包み込んでいる。
 スイッチパネルを閉じた高橋はその声を聞いて実物に駆け寄り、目の前に鎮座している赤い円盤を見つめゴクリ、と唾を飲み込んだ。

 石川は、ケトルのお湯をいったんティーカップに注いでから、その湯をロイヤル・コペンハーゲンの白いティーポットに移す。こうして2分待って注ぐと美味しい紅茶になるんだよ、と言いながらその2分のうちに居間にいる仲間に注ぐべく、あらかじめトレーの上に用意してあったティーセットを持ってドアへ向かった。
 その背中を見つめながら、高橋も出来たてのパイ・ケーキソーサーのトレーをしっかりと両手で持ち支え追従した。
 それにしても石川のグルメに対するこだわりに、高橋は頭が下がる想いだ。

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