第36話グラデ左 グラデ右保田

 9月23日午後2時。
 保田はその日の仕事を終え、いつものスタッフとの反省会兼おやつの時間を無理言って中止にしてもらった。
 どうして?のスタッフの声に「同窓会っ」とだけ答えておいたのだが、おそらく彼らは中学校や高校の同窓会を想像しているに違いない。

 武道館爆破事件から5年の月日が経過した。
 保田にとって、モーニング娘。として過ごした期間も含めたそれまでの一生よりも、密度の濃い5年間だった。

T E N

 あの事件のあと、病院で目が覚めた保田を待ち受けていた残酷な現実。
 全身をミイラのように包帯で巻かれ、寝返りをうつだけでも全身に走る激痛。
 しかし本当の悪夢は、その包帯が取れたときに知った自分の姿だった。

 病室の保田の周囲には鏡やガラスといった反射するものが、一切置かれていなかった。
 窓は強化くもりガラス。
 食器やスプーンはプラスチック製。
 しかも、コップにはご丁寧にも水面に映った自分の顔を見ないように常に蓋がしてあり、ストローでしか飲めないようになっているのだ。
 担当医が常に目を細めて話をするのは、おそらく近視で普段メガネをかけているためであろう。

(それほどまでに、私は酷い顔になってしまったの・・・)
 他のメンバーの運命を知らされた。
 ほぼ即死だったという辻と新垣。
 自分と同じく全身に火傷や深いキズを負った吉澤。
 未だに死線をさまよっている小川。
 一生車椅子の生活かもしれない加護。
 観客に陵辱を受けた石川。
 飯田も―――かなり深い傷を負ったという。

 しかし、そんな話は保田にとって何の慰めにもならなかった。
 自分は、この顔のために一生ヒトの前に堂々と出ることすら叶わないかもしれない。誰よりも、自分の歌を誰かに聴いてもらうことに幸せを感じていたのに。そう思うと、いよいよ保田の関心はその一点に絞られる。

 数週間が経過し、それに対する回答が出される日がやってきた。
 初めてメガネをかけた担当医が、後ろに回した手に何かを持って保田の前に現れた。
 そして、その場で顔の火傷の痕が一生消えないことを「宣告」した。
 沈痛な面持ちで医者は保田に手鏡を渡す。
 その鏡の中には、赤く腫れ上がった肉団子の中に二つの目と口がぽっかりと開いていた。

(これは私なんかじゃない・・・!)
 それからはまさに地獄だった。
 昼夜問わず泣き叫んだ。病室においてあるすべての物に当たり散らした。
 自殺未遂も1度や2度では済まなかった。拘束衣を着せられたこともある。

  誰も私の気持ちなんて分かってくれるはずがない。
  これ以上どんな屈辱を受けて生きていけというのか。

 スポットライトの世界に生きた者が、理不尽に日陰者の生活へと転落したのだ。病室には様々な破片が散乱しており、足の踏み場もない。

「もう、精神病棟に行くしかないだろう・・・」
 保田は叫び疲れてベッドで寝たふりをしていたのだが、医者が看護婦にそうつぶやくのを聞き逃しはしなかった。
 その夜、保田は病院を脱走した。

 保田は芸能界の時に築いておいた人脈を巧みに使い、様々なアドバイスの中からアメリカでの皮膚移植手術という賭けを選択することにした。
 もちろん海外で、しかも一流の美容外科スタッフということもあり、それにかかる費用は目が飛び出るほどだった。自分がかつて所属していた事務所からの見舞金、それに自分が5年近く芸能界で稼いできた財産を足しても、とてもじゃないが足りないことは明白だった。
 しかし芸能界での知り合い、水商売をしている友人、事情を知った上でなおも応援してくれるファン。様々な人達が資金の援助を申し出てくれた。
 もちろんこのことはマスメディアには秘密にするということも確約してくれた上で。
 なぜそこまで親切にしてくれるの、と彼らにきいた。

「だって、圭ちゃんの歌声をもう一度聴きたいから」

 ・・・本当に嬉しいときは涙すら出ない。
 雨の日があるから、そのうち晴れの日もくる―――

 生きよう。
 その時になってあらためて保田は思った。
 そして生きている限り歌い続けよう。
 そう自分に誓った。

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