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渡米した保田は最先端の火傷治療の権威とも言われている、とある外科医のもとで治療に専念することにした。初老のどっしりとした体格の医師は(日本での担当医の冷たい目とは違って)太い黒縁メガネの奧から優しい瞳を保田にさしのべて、ゆっくりと語った。「ノープロブレム、きっと元の姿に戻れますよ、ヤマトナデシコさん」アメリカ北西部の豊かな自然に囲まれた環境の中で、保田は充実した時間を過ごしていた。「治療に専念」のつもりだったが気を紛らわすためとの名目で英語の勉強やヴォイストレーニング(ただしこれは医者に止められることもしばしばあった)、さらには作曲までにも精を出す日々。 周囲の人々は勿論のこと、自分でもびっくりするぐらい精力的に取り組んだ。 アメリカは胸のもやもやした何かを忘れて、掲げた目標に没頭するのにはもってこいの国だった。いや、日本でなければどこでも良かったのかもしれないが。 (自暴自棄になりかけていた、こんな自分に期待をかけてくれている人たちを裏切るわけにはいかない)逆境でも、なお燃え続ける「ムスメ魂」は異国の地でもいかんなく発揮されていた。 施設には同じ境遇に悩んでいる様々な人種の患者がおり、お互いを励ましあった。それぞれの国の歌を教えあい、そして合唱する。 ほんとうの意味での、音楽の楽しさを全身に染み込ませたのもこの時期だ。 日本でも、アメリカでも多くの人に支えられて、保田は生きる勇気をもらった気がしたのであった。
そんな最初の一年が経過し、異国での生活がようやく馴染んできた頃。
このことを知っているのは、親族と所属事務所関係者、そして元メンバーの中でもごく一部だけらしいことも分かった。
それを聞いてもなお保田はアメリカでの孤独な闘いとの中で、あの後藤に会いに行きたいという願望が日に日に高まっていくのを感じた。自分の住んでいるとなりの州に生活していると分かったときは、いよいよその気持ちは抑え難くなってきた。
・・・だが会ったところで、記憶を失っている後藤に何と声をかけたらいいのだろう?
サンフランシスコという言葉の響きに保田はどこかレトリックな、セピア色のイメージを抱いていた。飛行機の座席から見おろして、眼下に広がる霧に包まれた都市。赤レンガ色の巨大な鉄橋などがそのイメージを強くする。 (邦題では「夢のサンフランシスコ」って言われるぐらいだしね)そのメロディとは、往年の名曲・スコット=マッケンジーの「“花の”サンフランシスコ」だった。
空港を降りて中心地のユニオン・スクエアへとバスで向かう。それに乗っている30分程の間に窓の外を眺めながら保田は、自分の抱いていたイメージが半分当たっていて、半分的外れなことが分かってきた。
中心地から遠くなるにつれて、徐々に車内の客の姿もまばらになる。
後藤との再会は突然、意外な形となって目の前にあらわれた。 |
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