第42話グラデ左 グラデ右石川と高橋

「石川さん、これは・・・」
 ボウルの中にボイルされたエビが盛られていて、高橋はそれを遠慮がちに指さす。
「うん、グラタンの中に入れるの」
 石川はディナーの料理が一人分増えたことにより食器類の数を再度確認し、不足分を厨房の隣りの食堂の棚から持ってきたりと相変わらず慌ただしい。
「ダメですよ、保田さんは」
「え? 何が?」
石川がその足を止める。
「エビですよ。保田さんがエビアレルギーだったの、忘れたんですか?」
「ああ」
 石川は、ため息と驚きを懐かしさが入り交じったような声をあげた。
 (そういえば)と、むかし保田がエビ中毒で身体全体にジンマシンが発生し番組の収録を急遽休んだことがあったのを思い出した。そしてそれ以来保田はどんな料理だろうと、エビを食べないようにしているのは石川も知っていた。
 その高橋の言葉を聞いてから、プライベートで保田と石川が温泉旅行に行ったときも旅館で出された刺身の甘エビを彼女が残していたのを思い出す(イヤイヤ石川は自分のマグロと保田の甘エビを交換したものだ)。
「よく知っているわねぇ、あのとき確かまだ愛ちゃんメンバーじゃなかったでしょ?」
 高橋はその頃はまだ、地元福井で普通の中学2年生として過ごしていた。
 しかも保田が体調を崩して休んだその番組自体、その地方では放送していなかったのだ。
 もっとも、そこまで石川は知っていたわけではないのだが、妙に高橋がそのことに詳しいので意外に思った。
「私も後から保田さんに言われて知ったんやけど、聞いてくれますぅ? 石川さん!」
 高橋もようやくこの人里離れた洋館の厨房で、石川と二人きりで料理にとりかかるという、ある意味特殊な状況に慣れてきたのだろう。さきほどまでの「固さ」が取れて、しゃべり方にも若干余裕が見られるようになった。
 つまり、ところどころ訛りが目立つようになってきたということでもあるのだが。
「私い、解散する前に保田さんと二人だけで中華料理食べに行ったんですよ。  したらぁ、保田さんエビチリ自分で頼んだクセして、いざテーブルに出されたら(あっ、私そういやエビアレルギーだったわ、愛ちゃん全部食べて)なんて言うんですよ! 山盛りのエビチリをですよ! もう信じられない!」
 ふふふっ、と後輩のそのちょっと脱力感あふれる発音も含めて石川は「ウケた」。確かに姉御肌の割には、オッチョコチョイな保田さんのやりそうなことだなぁ、と思う。
「もう、私エビチリだけでお腹いっぱいなっちゃって、そんあとの料理全然食べれんかったんですよ!」
「あははっ、それじゃあ保田さん用にエビを抜いたグラタンも一つ作っておけばいいわけね」
 高橋は大きくうなずいた。
 グラタンは夕食のときにアツアツの出来たてが並べられるように、まだ前準備の段階なので高橋がエビのことに気が付いたのは絶妙のタイミングだった。


 確かに保田が突然参加することを知って、食堂にある棚から同じ皿を引っ張りだしてきたりと仕事は増えたものの、やはり高橋が手伝うことによって多少ゆとりが出てきたようだ。
 作業の手を休めるほどの暇はないものの、ぽつりぽつりと会話も増えてきた。

「ほんでぇ、石川さんと加護ちゃんって一週間前からこのつんく♂さんの屋敷におるんですよね」
「うんっ、けっこう大変だけど楽しいよ」
「ずっと二人だけで?」
「そうだけど?」
「そうっすか・・・」
 高橋はさきほどからの、ほぐれた表情と口調で続ける。
 しかしこれから話すことに、どこか決意というか覚悟のようなものが瞳の奧に宿っているように石川は感じた。
「なんか夜中にヘンなモンとか見んかったですか?」
 石川の動きが一瞬、止まった。と同時に手にしている皿がスルリと滑り落ちそうになったのを、あわててしっかりと握り直した。
「あのぉ、ウチら4人で写真集の撮影にココ(屋敷)に来たって、さっきゆうたじゃないですか」
「うん」
「私と紺野ちゃんは次に仕事あるからすぐに帰ったんですけど、その・・・まこっちゃんと里沙ちゃんはお泊まりだったんですよ」
「へえ」
 高橋はグレープフルーツの皮をむきながら、あくまでも涼しい顔―――のつもりでいるのだろうか。やはり目が泳いでいて、ぎこちない。
 一方、石川も適当に相槌を打って冷静を装ってはいるものの、高橋の口から紡ぎ出される言葉のひとつひとつに、ただならぬ胸騒ぎを感じとっていた。
「・・・で何日か後に会ったら二人とも何か元気ないんですよ。  私冗談のつもりで(つんく♂さん家でユーレイでも出たの〜? いかにも出そうなトコロだったもんね〜)って笑いながら言ったら・・・」
「いたって?」
 高橋はこっくり、うなずいた。
 しばらく沈黙が続いた。
「誰の?」
 石川はつい、そう言ってしまった。
 新垣が生きている解散前の話ともなると、当然の如く辻も生きている。じゃあ小川たちが見た幽霊とは一体誰だったのか。
「え? 誰のって?」
 高橋がそう訊き返してきて、初めて石川は自分の言ったことが失言だと気が付いた。
 この場合、屋敷で見た幽霊ということだけで、つい辻だと石川は決めつけようとしていた。しかしそれが武道館の事件の起こる前の話ということで、また新たな疑問が沸いたのだ。

 その幽霊はじゃあ誰なのか。

 しかしこの話を切り出した高橋にしてみれば「幽霊」の存在の有無について言及するのをいきなり省いて、石川が幽霊の人物像にまで飛躍したことに大きな違和感を感じたのだった。
 厨房に気まずい空気が流れているのが、お互い分かる。

 石川は皿を取りに行くふりをして、半ば茫然としながらフラフラと食堂へと向かった。
 ついさきほど裏山で見かけた、辻の姿が頭の中でリフレインしている。

 食堂に入り、目的も忘れて食器棚に視線を泳がせていると、階段からちょうど吉澤も生気を失った顔でゆっくりと上から降りてきた。
 石川の胸の中でモヤモヤしていたものが、ここぞとばかりに熱い言葉となって口から発せられる。

「よっすぃー! あのユーレーがね、あのね、あのコらも見たって・・・!」
 そう言いかけたところで吉澤の後ろからもう一人、手すりによりかかりながら頼りなさげについてきた紺野を見かけて石川は言葉を失った。
 吉澤も紺野も、結局石川が何を言いたいのか分からなかった。
 二人とも、しかめっ面をしている。
 つくづくタイミングが悪い。

 やり場の無い焦りと憤りが胸に沸き上がってくるのを感じかけたその時、石川の耳にある音が飛び込んできた。

「ジリリリリリリン!」
 居間の階段の横に備え付けられた電話が、けたたましく鳴り響いてる音だった。

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