第43話グラデ左 グラデ右安倍と矢口

 矢口の運転する“三菱RVRR”はすでに舗装されていない山道へと突入し、ようやくオフロードでの強さを発揮していた。
 とはいえ、揺れがひどいので安倍は後部座席から矢口の横の助手席まで移動し、その手には例の衛星携帯電話が握られている。
「ええ、ごめんなさいドラマの撮影のほうがちょっと長引いちゃって・・・うん。あと、やぐっつぁんが道間違えたりもしたんだけど。タハッ」
 安倍が申し訳なさそうに弁解する。
(おいおい、私の責任もアリかよ。いや確かにそうなんだけれど、わざわざ言うことねーじゃん・・・)
 と矢口は苦い顔。
「もう、山道。ああ、けっこうデコボコしてる。そしたらもうすぐなの? うん。なるべく早く着くようにするから。ホントごめんね。わかった。気をつけていくし」
 集合時間からすでに30分以上を過ぎてしまったので、屋敷にひとことお詫びの電話を入れたのだ。
 安倍が「切」のボタンを押したのを確認してから、矢口が尋ねる。
「誰だった?」
「石川・・・さん。もう他の人は、ほとんど来ているって」
 そりゃそうだろうよ、と心の中で突っ込んでから、矢口がちょっと意地悪っぽく言う。
「モー。衛星携帯持っているんだったら最初っから言ってくれればいいのに、なっちったらぁ」
「はぁ。ずっと寝ていましたしねぇ」
 とあくまでもノンビリと笑顔で返す安倍。
 安倍はあの事件のすさまじさから精神的に大きなショックを受け、心からの笑顔を失ってしまったと矢口は聞いていた。たしかに運転しながら横目でその表情を確認したが、モーニング娘。だった頃に「天使のように」と形容されたほどの笑顔ではない。どこか憂いを含んだ微笑みのように、矢口は感じる。
「ねぇ。ヤグ・・・真里っぺ」
「何?」
「そろそろ教えてくれない? どうしてこの同窓会に参加したくなかったの?」
 さきほどは、その理由までは矢口は言わなかった。
「どうして?」との安倍の問いに、矢口は沈黙で答えたつもりだったが彼女にそういった曖昧さは通じない。「実直」といえば聞こえはいいが、ひねくれた言い方をすれば無神経。本人に至って悪気がないだけに、それがしばしば誤解を生むこともあったが、そういったストレートな生き方に密かに憧れを抱いていたのも矢口は否定できない。
 渋々ながら、矢口はその理由を丁寧に教えることにした。
「ん・・・だって、私・・・高橋もそうだけど・・・解散したあとは、芸能界では正直パッとしてないじゃん? なんか、それで、モーニング娘。時代のメンバーに会ったら、引け目を感じるっていうのかな、多分忙しかったけど充実していたあの頃を思い出して、それと今の自分を対比して虚しくなるんじゃないかなぁって思ったわけで・・・」
「・・・」
「だから、なっちに同窓会に出席するように強くプッシュされたときはすっごい悩んだんだよ、本当に」
「・・・そうだったんだ・・・私は、けっこう、こんな同窓会するんだったら真里っぺが主宰してもおかしくないと思ってた」
「うん、もちろんあんな事件がなくて、私も仕事が順調にいってれば、そんなこと考えてもべつに不思議じゃないよ。でも正直、何を今さらっていう気持ちも未だにあるってのを分かってほしいんだ」
「・・・そっか・・・」
「なっちは、そうゆうの無い? もうモーニングに関わりたくねーや、みたいなの」
「ううん、私はモーニング娘。に入れていなかったらこうやって女優の仕事をさせてもらうってことも、無かったと思うし」
「そっかぁ謙虚だなぁ。
 もし私がなっちみたいに解散後もさらにビックなってたら、それはそれで何今さら同窓会かよっていう気分になるかもしれないけどなぁ」
 そんなもんかな、と安倍はささやくほどの小さな声でつぶやいたが路面の悪い山道を走る音にかき消された。矢口は山道の先を、安倍は次々と車窓の外に流れる深い森を、ただじっと見つめる。
「変わりすぎたんだよ」
 突然矢口が沈黙を破り、吐き捨てるようにそう言った。
「あまりにも、バラバラになりすぎたんだ」
 すぐ横にいるにもかかわらず、それは矢口の独り言のように安倍は感じた。

 それが、矢口の本心。

 それを聞いてしばらく安倍は、どう声をかければいいか迷っていたが結局、全然関係のない話へと「逃げ」ることにした。元メンバーの石黒彩がファッションブランドを立ち上げて、それなりに好評を博しているといった話題や、初代リーダーの中澤が昨年結婚・出産。その息子がカワイイといった話題。
 その「逃げ」は成功したようだ。
 矢口自身に眠っていた、本来のバラエティ体質というか、おしゃべり上手なところのツボを小気味よく押され、イキイキしているように見える。
 あるいは矢口も喋ることによって、さきほど自分でつい漏らしてしまった本音をかき消そうと必死になっているようでもある。だがどんな形であれ、矢口が少しづつでも元気を取り戻してくれていったことが安倍にとっても嬉しかった。

「あとね、こないだなっちに会ってからなんか違和感があるなぁって思ってたんだけど」
「え?」
 安倍は鳩が豆鉄砲を食らったような目で、饒舌になった矢口を見た。
「やっといま分かったよ」
「何?何? なにを?」
「なっち自分のことを“私”って言ってる。昔はずっと“ナッチ”だったのに」
「ああ、な〜んだそんなことね」
「実はね〜、私もひそかに昔から思っていたんだ、いい年こいて自分のことを“ナッチ”なんて呼んでいるんじゃねぇって、キャハハハハ」
「ええ、まあ、そうだよね。アハハハ」
 その笑い声が徐々に小さくなってゆき、落ちついた表情に戻るふたり。
「・・・やっぱ女優の風格でてきたよ、ナッチ」
「・・・ありがと」

グラデ右 next to ... 第44話 紺野と加護

グラデ右 最初に戻る ■  トップページ