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(うわっ、このトビラ懐かしい〜・・・)狭くて薄暗い階段をくぐり抜け、扉を開けると中から流れ出てきた生暖かい空気が吉澤の頬に伝わる。 特殊なクッションのついた、防音用の分厚い扉。 吉澤が懐かしいと感じたのは、その扉がモーニング娘。が毎回レコーディングしていたスタジオのものと同じだったからだ。 録音室と呼ばれるその地下の一室は、電気が点いていた。 「あれ」一瞬、動きが止まる。 「あのー・・・、誰かいるんですかぁ?」静寂。 「もしもーし!」返事はない。 吉澤は見た目とは裏腹に、拍子抜けするほど軽い扉を閉めて周囲を見渡す。
モーニング娘。だった頃に、何度となく挑んできたレコーディング。 (たぶん「マック」ってやつだ)今の時代、音楽作りにコンピューターが欠かせないものになっていることぐらいは、いくら吉澤でも分かる。だが吉澤の持っている自宅のパソコンはというとメールチェックやごくたまにネットを巡回する程度で、やってる事は携帯端末とあまり変わらない。 なにせ未だに吉澤は自分の使ってるパソコンが「ウィンドーズ何々」なのかすら、知らないのであった。それゆえに具体的にパソコンでどう音楽づくりするかということも、まったく理解できないでいた。
クリアなガラスで仕切られた向こうの部屋にはマイクやギター、スピーカーなども置かれている。
吉澤にとって、歌の世界から遠ざかって5年経つ。
運がよかったんだな。
吉澤はそう思う。仕事が順調にいっていればいるほど、自分にはカリスマがあるだの実力があるだのと自惚れてしまうのが普通だ。実際、モーニング娘。だった頃の吉澤自身がそうだったように。あの頃は、若かった。勢いで何でも乗り切れるような気がした。
今は違う。自分ひとり、の本能の赴くままに生きていたあの頃とは違い、周囲との関係性を重視する冷静な目も備わってきたと吉澤は自分なりに分析する。
それにしても吉澤にとって気になるのは―――なぜこの部屋の電気がついていたのか? ということだ。
石川が来て、電気を消し忘れたのだろうか。それとも自分がここに来る直前まで誰かがいて、何らか理由で突然姿を消したのだろうか。とにかく、隅々まで調べないことには薄気味悪くてしょうがない。そう感じた吉澤は、ひとまず奧のブースへと進んだ。 (これは・・・?)ほとんどが薄っぺらい中綴じの冊子が多い中、ひとつだけ分厚くてタイトルも何も書かれていない赤い革張りのハードカバーの本を見つけた。中をパラパラめくると、ほとんどが真っ白な紙で手書きの文字が書き込まれているのは冒頭の数ページのみ。知らない人が見ると日記帳に見えるかもしれない。 「コミュニケーションノートだ、このスタジオの・・・!」モーニング娘。が通っていたスタジオの控え室にも置いてあった、あのノート。レコーディングで準備を待っているアーティスト達が、暇つぶしに自由に読んだり書き込んだりできる雑記帳だ。 だがこのスタジオで収録したアーティストといえば、吉澤もよく知っているあの一人のみ。
吉澤は改めて、じっくりと最初の1枚目をめくる。 |
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