第53話グラデ左 グラデ右安倍と吉澤

 吉澤は渡り廊下から1階居間を見下ろし、テーブルの上に開かれている「例のノート」、それに加護と紺野が何か耳元でひそひそ小声で話し合っているのを確認する。
 ちょうど飯田は立ち上がって、エントランスに向かって歩き出していた。
 高橋と石川は再び夕食の準備に向かったのだろうか、その姿は見えない。
 壁にかけられている大時計の針は、すでに5時15分を指しており、あと1時間もしないうちに夕食が始まる予定だ。
「ねえ、読んだぁー?」
 その声に反応し、視線が一斉に吉澤に集中する。いや、飯田だけが一瞬だけ遅れる。
「う、ん・・・」
 なんとなく元気ない加護の返事だが、満足そうに吉澤はうなずく。
「ねえ読んだって?」
 後ろから吉澤の腰をつんつん指先でつっつく安倍。
「うひゃ」
 思わず声に出してしまった。
 クスクスと含み笑いを浮かべる安倍。すぐ後ろの、いまだにさきほどのショックから完全に立ち直れず青ざめている矢口の顔とは対称的だ。
「あのっ、地下のスタジオにね、ごっちんの書いたノートがあったの。あとで読んでみれば?」
「ふー・・・ん、後藤・・・ごっちんの・・・。あ、やぐっつぁん、それじゃっ!」
 安倍が手を振ると、階段を降りてゆく矢口も精一杯の(作り)笑顔で応える。

 ここで安倍・吉澤組と矢口が分岐する。
 矢口はそのまま居間へと降りてゆき、これから厨房にいるであろう石川に部屋の変更を直訴しに行くのだ。
 一方安倍と吉澤は渡り廊下からエントランスへと、1階に降りるための螺旋階段に向かって歩み始める。

「これ使ってみたかったんだよね、この屋敷に来たときから」
 満面の笑みを浮かべながら、その螺旋階段を早足でタタタッと孤を描き駆け降りる吉澤。それを優しい目で見守りながら、一歩一歩踏みしめてあとについてゆく安倍。
 このいきさつ知るためには、ほんの5分前までの「Alive」の部屋に時間を遡らなければならないだろう。

T E N

「ところで、おひさしぶりです」
 ベッドに座ってお互い肩を寄せ合っている安倍と矢口に向き直って、いきなり吉澤が姿勢を正しペコンと頭を下げた。
 吉澤は矢口の部屋へ挨拶しに来たはずだった。それが、矢口の叫び声に気が動転し、そのあと信じられない光景を目にして本来の目的をすっかり忘れていたのだった。それにしたって「ところで」と「ひさしぶり」は、普通結びつかない単語だろう、と矢口は思った。
「そんな久しぶりって感じしないけどね、よっすぃーは。テレビたまに出ているし」
 そう喋る安倍が、メンバーの中で現在メディアへの露出が一番多いことを自覚しているのだろうか、と吉澤は訝しがる。
「そうだね、ひさしぶり」
 矢口もさきほどまでトイレの便座での出来事について、ああでもない、こうでもないと話し合っていた緊張感からフッと抜けて、初めて落ちついた表情で吉澤に返した。
 それでも正直まだ矢口はまだ胸のドキドキが止まらずに、視点も定まっていない。安倍に深呼吸しな、と言われてふーっ、を大きく息を吐き出す。
「ごめんね。なっち、よっすぃー」
「いいんだよ、でもよっすぃーナイスタイミングだったよね」
「うん、二人がさっき来たとき俺、地下にいたからサ。再会の挨拶しなくちゃと思って、部屋の前まできたら矢口さんの叫び声が聞こえてきたんだもん。ビックリだよ」
 ああ誰かいないなぁ、とつい先ほど居間を通り抜けたときに矢口は感じたが、吉澤だったのだ。確かに白いツーツを来て短髪、長身の吉澤はそれだけで目立つ。もしそこにいたら、強く目に焼き付いていたことだろう。―――そしてこの部屋の中で一人考えていた、この屋敷に来てから抱いていた疎外感を、より一層強めていたに違いない。
「でもなんで地下なんかに・・・?」
「地下にレコーディングスタジオあるんですよ。確か安倍さんも・・・」
 そう言いかけて、吉澤は言葉に詰まった。あの悲しい事件があったために念願のソロCDデビューを断念した安倍。本人を目の前にして、その話題に触れようとしてしまった。
「え? 私が何?」
 安倍がキョトン、とした顔をして吉澤を見つめる。
「い・・・いや、あのね、俺この屋敷に来たの初めてだったから、いろいろとね、どんなトコロがあるかってね・・・探検していたの」
 失言の動揺に気が付いていないらしい安倍の様子をみて、ホッと胸をなで下ろす吉澤。
 言ったあと、奇妙な「間」が出来たので無意識のうちにスーツのポケットに入っているタバコの箱をまさぐる。だが、子犬のように怯えている矢口と、迷子になった子供のような安倍の悲しそうな目を見ると(さすがかつては「究極の童顔」と自ら言っていただけある)、その彼女らを目の前にしてたった一本のタバコを吸う行為ですら、なぜか罪悪感が漂う。結局マルボロを1本くわえただけで、火を点ける気にはなれずに唇で上下に揺り動かすだけだった。
 まったくこんな沈黙のときこそタバコは便利なのに、と吉澤は考える。便利なモノほど、それが封印されたときの不便さが身に染みる。
「よければ・・・一緒に見て回りませんか? ふたりとも初めてですよね、ココ」
 くわえていたタバコをゴミ箱に投げ捨てて、吉澤がそう切り出した。
「はぁ? 私らがぁ? あのねぇ、私は運転で疲れているし、なっちだって昨日から夜通しドラマの現場にいて・・・」
「いいね! 面白そう」
 思いがけない安倍の返事に、一瞬戸惑う吉澤。
 しかし、やがて暖かい何かが胸を徐々に満たすのを感じて、自然と顔がほころんだ。
「裏庭キレイらしいよ!」
 吉澤の提案に対して微笑みを浮かべてうなずく安倍を、矢口はどこか冷ややかな目で見ていた。

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