第54話グラデ左 グラデ右飯田と安倍

 螺旋階段を勢いよく駆け降りていた吉澤が、急に足を止めて最後の1段に立ち尽くす。
「なにやってんのよ、よっすぃー!!」
 あとからゆっくり付いてきた安倍が、その先に待ちかまえている飯田の姿を確認し「なるほど」と思う。
 スラッと長い足を片足だけ半歩踏みだし、斜めに構えている。
 口元は微かに弛んでいる。飯田独特の、ギョロっとした目で見つめる。
 5年以上も前の・・・アイドルだった頃からそうだったが、たぶん怒っているか笑っているか、どちらだと言われれば笑っているのだろう。しかしニュートラルな顔がそもそも不機嫌そうな面構えなのだから、微笑をたたえると中途半端に恐い顔になる。
「い・・・いーださん、どうも」
 おそるおそる発した吉澤のその言葉を受けて、飯田は腕を大きく動かして何かを伝えてきた。
(なんで、俺手話分からないのに)
 吉澤は助けを求めに後ろを振り返ると、安倍が手話でなにか返答している。実は飯田は吉澤ではなく、その後ろ階段の3〜4段上で立ち止まっている安倍にメッセージを送っていたのだ。
 吉澤は自分の立っている位置が会話(正確には手会話?)の邪魔になるのでは、と慌てて階段を降りてエントランスホールで彼女らの腕と指先を使っての伝達を、わけもわからないままただじっと見つめていた。

 やがてこの屋敷で一番大きい玄関扉に向かって二人並んで歩き出したので、吉澤も後に付いていった。あいかわらず一言、二言会話をくり返している安倍と飯田。
 玄関の扉を抜けて、外の清々しい風が頬をかすめる。やや薄暗くなりかけた空を三人揃って見上げる。
 石階段とその両側に緩めのスロープ。多分加護はこの坂があるために車椅子でも自由に外に出入りできるのだろう。両側に青銅製の手すりがあり、そこによしかかりながら対面になる形で安倍と飯田が手話を繰りかえしている。

「じゃ、いこうか」
 玄関先に並べてある4台の車を意味もなく眺めている吉澤の方を振り向き、唐突に安倍はそう言い放った。

 吉澤が二人が交わしていた話の内容が分からないのでどういった流れで安倍がそうゆう結論に達したのか分からない。
 飯田のほうに目をやると、玄関から正門に向かっての(それなりの距離にはなる)道なりをテクテク歩き始めていた。

「すごいっすね、安倍さん。いつの間に手話なんて憶えたんですか」
「あ〜よっすぃー知らなかったっけ? “ピンチランナー”」
「あっ」
 そう言われて、吉澤はようやく思い出した。その映画の中で、安倍は聴覚障害を持つ母親の娘という役柄を演じていた。確かにそこで手話を使ってはいたものの・・・。
「でも、あれはそうゆう役だったんじゃあないですか?」
「ううん。だけどそれで手話に興味持ってね、ちょっとぐらいなら分かるんだ」
「・・・そーなんだ・・・で、飯田さんとはどんな会話を?」
「ん〜ん、別に・・・元気だった?とか・・・外の空気を吸いたくなったとか・・・そんな、たあーいの無いことだけど」
「飯田さんはどこへ・・・」
「散歩だって」
 安倍と吉澤の二人はそんな会話をしながら、屋敷の東側を歩く。
 振り返ると、すでに飯田の姿はもうかなり小さくなっている。
 続いて屋敷の外観に目を移す。ここからは1階の101号室(加護と石川)、2階の203号室(さっきまで自分たちがいた矢口の部屋)、それに201号室(飯田)がよく見える。いずれも窓は開け放たれていて、上品なレースの白いカーテンが揺れている。
「・・・何だと思います? やぐっさんの部屋の出来事」
 安倍は後ろに手を回して、うつむき気味に歩く。
 すでに先月、27歳の誕生日を迎えたはずの安倍だが、23歳の吉澤と並んで歩いていても兄と妹のように見えるかも知れない。吉澤は男という以前に、兄という存在に憧れていた。悪くないなこういった場面も、と悦に入る。
「・・・」
「安倍さん?」
「・・・」
「どーしたんですかっっ!」
「ん? あああ、なんだっけ」
 ちょうど屋敷の両脇の2階にそれぞれある(ここでは東棟)バルコニーの下を通りかかったときだった。
 安倍は、吉澤の質問に対してはうわのそらで、ただ屋敷を―――飯田の部屋を見上げていた。
「も〜、しっかりして下さいよっ」
「へへっ」
 照れ臭そうに笑みを浮かべる安倍。
 やはりどこか、ぎこちない微笑みではあったが、それを見たとたんに吉澤はなぜ安倍を責めていたのか、すっかり忘れてしまった。

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