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結局、後藤の「赤い日記帳」について、突っ込んだ話はしなかった。 石川と高橋の二人は足早に調理場へと向かい、夕食の準備に再びとりかかった。
紺野の本心としては、ノートの最後のほうに書かれてあった「きのうの夜起こったあんなこと」についてもっと追求してみたい気持ちが少なからずあった。
いつのまにか会話の中心はこの5年間どう過ごしていたか、ということになっていた。紺野は普通に高校に行き、普通に大学に受かって、普通にキャンパス生活を送っているということを普通に説明した。飯田や加護を前にして、普通の話をするのは何か申し訳ないような気がした。 「加護ちゃんとは・・・途中から連絡とれなくなったんだよね。私、メンバーに年賀状だけはマメに出していたんだけど」逆に言えば紺野はこの5年間、そういったことでしかメンバーとの繋がりを持っていなかったことになる。 「うん・・・退院後は結構、引っ越し何回かしましたからねぇ」話しにくいことをあえて話さなければならないとき、丁寧語になってしまう加護の癖は変わっていないようだ。 「関西のほう?」 「ううん。関東のほうを転々と」加護の実家である奈良では、歳の離れた父違いの弟、妹がいる。一番子育てに手のかかる時期に、足が不自由になった自分が一緒に暮らすのは正直、心苦しかった。周囲の人間は、紋切り型の慰めや励ましの声をかけてくれた。また親子水入らずで暮らせばいい、などと助言してくれたが、すでに加護にとって3年以上芸能生活で両親と離ればなれに暮らしていたため、実家には自分の居場所はないような気がした。 結局、加護は自らの意思で関東の医療施設で残りの人生を送ることを選択した。途中何度もパパラッチ等のターゲットになり、他の入所患者に迷惑がかかるといっては、また移転するということがくり返された。
加護は見た目以上に、ずっと人に気を遣うし遠慮がちな性格だと紺野はモーニング娘。に加入してから気がついた。テレビを通しては見えてこなかったが―――その気遣いは目上の人、目下の人を問わなかった。辻とは、そういった面では正反対だ。だからこそ二人は絶妙なコンビであったのだろう。暴走ぎみで無礼千万の辻を引き連れて、先輩達に悪戯をしている時の加護は本当に楽しそうだった。 「でも梨華ちゃんとは、ずっと連絡をとりあっていたんだ」いろいろ加護の身の上話を聞いているうちに紺野もだんだん暗く沈んでいったのだが、その一言によって救われた気がした。 飯田は加護たちの会話を読みとろうとするわけでもなく、2階に立て掛けてある自分の描いた絵をただぼんやりと眺めていた。やがて無言で立ち上がり、紺野に(散歩してくる)と手話で伝えてきた。 いつの間にか―――ソファに座る紺野、車椅子でテーブルを挟んで向き合う加護―――といった具合に矢口と安倍がこの屋敷に来る前の状態に戻った。 「へえ〜仲よさそうだもんね、加護ちゃんと石川さん」 「うんっ! ときどき梨華ちゃん家行って手料理食べさせてもらってたんだ。スゴク上手くなったんだから!」 「ほかに、誰か連絡とりあってた人とかいないの?」 「・・・・」一瞬間を置いてから加護は車椅子から身を乗り出し、紺野の耳元でささやいた。 「・・・ごっちん」そこで突然、スタスタと何人かの足音が居間に響いた。 2階の渡り廊下で、矢口・安倍を従えて吉澤が歩いている。 紺野と目が合った。なんとなく上機嫌の吉澤。それとは対称的に、矢口は瞳に生気が感じられない。 「ねえ、読んだぁー?」その声に視線が一斉に吉澤に集中するが、耳が不自由な飯田だけが一瞬反応が遅れる。 「う、ん・・・」加護は紺野に話しかけた、そのままのささやき声で返答する。満足そうに、吉澤はうなずく。 矢口が普通に居間の階段で降りてきたのに対し、吉澤と安倍はエントランスホールへと向かう螺旋階段の方へと何かじゃれ合いながら歩いていった。飯田もそれを見ながら追いかけるようにエントランスホールへと消えていった。 矢口は無理に明るく振る舞おうといった意思が感じられるものの、相変わらず灰色のどんよりとしたオーラを放っている。 「チャーミーは?」それが石川を指しているんだ、ということを思い出した紺野は厨房へのドアを指さす。「チャーミー石川」は現役だった頃からの石川のハマリ役(キャラ)だが、現在の彼女でも無駄にテンションが高いところなど通じる部分が多いかもしれない。 紺野は、もう一回矢口にお茶でもしませんかと声を掛けたかったが、ついさっき矢口が加護に対してあからさまに嫌悪感をあらわにしたことを思い出して、躊躇してしまう。加護も矢口が指し示されたドアに入っていくのを、声をかけることもなく、ただじっと見守るだけだった。 しばらく沈黙に包まれた。
紺野は再び加護と向き合い、勇気を振り絞って後藤の話を訊くことにした。 「後藤さんと・・・連絡とりあっていたんだ」5年前、あの武道館での事件が起こった直後に、後藤と加護のお見舞いに行ったときのことを紺野は思い出す。後藤が自分の顔を見ても名前すら思い出してくれないことにショックを受けたが、それと同時に二人の仲の良さを見せつけられて、ほのぼのとした気分になったのも記憶している。 「ごっちん、ずっとアメリカにいたでしょ? 電子メールでね、いろいろと」そう言ってティーセットや皿、紺野の持ってきたお土産やお菓子が散乱するテーブルの下から何か手を伸ばして取り出した。それはノートブックパソコンだったが、かなり古い型のものだ。 もっとも新陳代謝の激しいパソコン業界においては、たった3年前の機種でも時代遅れと言われる。紺野も芸能界を辞めてからパソコンをよく使うようになったので、もうキャリアは5年ぐらいになるが、現在使っているマシンが4台目だ。 加護は膝の上にパソコンを乗せて、それを起動させた。 「私ね、後藤さんとメールするためにこれ買ったんだ」その言葉を信じるならば、もう5年以上という年季の入ったパソコンということになる。確かにネットをする分には5年前の機種のスペックでも出来ないこともないが、と紺野は思った。 「今でも、たからものだよ・・・ごっちんから貰ったメールは」 「・・・見ていい?」パソコンはまだ起動中のようだった。紺野のいる位置からは画面が見えない。 「んんん〜」その表情に真剣に迷っているという雰囲気は感じられない。 「いーよ」バタン。
突然食堂から扉を閉めきる音が聞こえたかと思うと、そこには先ほど厨房へ向かったときよりさらに思い詰めた表情で立ち尽くしている矢口がいた。 |
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