第63話グラデ左 グラデ右後藤と保田

 保田は結局、警察署で一夜を過ごした。というか、気がついたら夜が明けていたのだ。
 ずっと地下の廊下のベンチで泣き続けていた。人間は一晩でこれほど涙を流せるものだとは思わなかった。目の下を擦りすぎて、ただでさえデリケートにしなければいけないと担当医に言われていた目の周りが、赤く腫れ上がっている。
 さきほどの小太りの警官が見るに見かねて、現場である後藤のアパートに行くかと保田に声をかたときには、すでに時計の針は朝の8時半を指していた。
 勤務時間はとっくに超過しているはずだが、悪いとは思いつつも保田は好意に甘えることにした。
It would seem she lived with the younger brother at first....(最初は弟さんと同居していたらしいんだけどね)」
 アパートへ向かう車の中で、警官は語り始めた。
 記憶を失った後藤が留学という名目で渡米して、そして自らの手で死を迎えるまでの3年間。最初の1年程はお目付役の弟・ユウキと郊外のアパートで同居生活を続けていたらしい。
 だが、そのうちユウキがホームシックにかかり帰国。(本当の理由は、彼が当時ベタ惚れしていた現地の恋人が日本に留学することになり、それを追っかけるためだったらしい)
 それからしばらくして後藤に出来た恋人というのが、保田が初めてサンフランシスコに訪れたあの日バスの中で見かけた、彼女が肩を寄せていた青年。後藤の友人の紹介で、知り合ったらしい。同い年で、カメラマン志望。
 この青年が後藤の死に大きく関わっているという。

T E N

 保田が、あとから知った話である。
 21世紀になりネットワーク社会が完全に浸透し、世界どこにいようと取り出したい地域の情報を瞬時にインターネットを介して手に入れることができる。
 しかしその土地で起こっている微妙な異変は、その土地にいないと肌で感じることは難しい。たとえ情報の伝達に距離という制約が取り払われた、新世紀においても。
 風の噂、というのがあるが日本の風をアメリカで感じるためには、よほど敏感なアンテナを張っていないと困難だということらしい。

 実は後藤と保田が悲劇的な再会をすることになった5日前から、日本のアングラ界では、とある十数枚のデジカメ画像とひとつの動画の真贋をめぐって蜂の巣をつついたような騒ぎが巻き起こっていたという。
 保田は後藤の遺体を確認した翌日、その話を和田マネージャーから聞かされた。すでにその画像はアングラに詳しくない保田でさえ、簡単に目に触れてしまうほど日本のサイト界では浸透していた。

 スーパーで牛乳や缶詰をカゴに入れて買い物している少女の姿。
 その買い物の帰りに荷物を積んだ自転車を運転している姿。
 プールで水着姿でくつろいでいたり、オープンカーを乗り回していたり。
 これだけだと青春のヒトコマというか、単なるスナップ写真だ。しかし、当然それだけでは終わらない。
 一人の女が裸でベッドに横たわっている。
 あどけない表情でピースマークをしているが、それは一糸まとわぬ姿だ。
 笑顔でソファの上でいろんなポーズをとる。
 そして30秒ほどの動画。
 同じ部屋の中のベッドで金髪の青年と深く絡み合っている。
 さきほどの幼い表情とはうってかわって、妖艶な流し目。

 全部、後藤だった。
 そして彼女と情事に勤しんでいるのは、例の青年。

(こんなものがネットに出回っていたというの・・・?)
 あまりにも生々しいアングルのショットが多く、スナップ写真や動画と照らし合わせても合成ということは考えにくい。
 しかも画像の状況から考えて、これを撮影したのはおそらくこの青年。
 保田は、爆破事件のあと病院で自分の顔を鏡で見た時以来の、深い奈落に突き落とされたような絶望感を味わった。

 その画像の存在を知るのはまだ先の話だが、保田は今まさにその現場である後藤が3年という月日を過ごしていたアパートの一室にいた。「立入禁止」と書かれた黄色いテープをくぐると置物や電化製品の破片が床に散乱しているリビングルーム。
 さすがアメリカだけあってアパートといっても日本のような狭苦しい印象はない。広いバルコニーからは、さんさんと陽光が照りつける広々とした空間。大きなソファ、ゆったりとしたベッド、どっしりとしたテーブルセット。しかもそれぞれの家具がぎゅうぎゅうに押し詰めてあるという印象の否めない日本の家庭とは違い、散在しているかのように余裕を持って配置されているところが、部屋の広さを物語っている。
 そしてベッドと壁に赤い血の跡。予想していたとはいえ、背中に冷たい汗が吹き出る。
 保田がベッドに視線を投げかけたのに気が付き、慌てて警官はそこに白い布を被せた。

(ここでごっちんは・・・)
 散らかって荒れ果てている床と、ベッドの血痕。それにさえ目をつむれば、年相応のお洒落なシスコでの生活を後藤は送っていたようだ。
Won't you tell me....what sort of conditions they were?(教えていただけませんか?・・・どんな状況だったか)」
 警察は渋い顔をしながら、アパートで後藤の隣りの部屋の住人(黒人の少し太りぎみのオバさん)から事情聴取した一部始終を語りはじめた。

 事件当日の朝(保田が今後藤の部屋にいるときから計算するとちょうど24時間前)、その住人は後藤と青年が、大声で何か口論をしている声を壁ごしに耳にした。
 そのうち何かを投げつけて壁にぶち当たる音や、ガシャンと割れる音が聞こえてきたので、隣人はただならぬ胸騒ぎを感じとっていたという。普段から喧嘩はたまにしていたようだが、これほどまでにヒステリックな言い争いは初めてだったからだ。
 その罵声に「インターネット」や「知らない間」「勝手に」といった言葉が含まれていたことから、この時はてっきり浮気か何かが喧嘩の原因かと思ったが、後から考えてみるとネットで出回っている画像のことがその口論の原因であったのは間違いない。
 事実、あとで警察が押収した青年所有のデジカメにはネットで出回っている画像と同じデータが記録されていたという。

 そんな二人が言い争う声と物を投げつける音が、小一時間ほど続いた。
 いい加減隣人も業を煮やして、後藤の部屋へ仲裁に向かおうかと思い始めたら急に静寂が訪れた。

 拍子抜けしつつも安心したそのとき、響きわたった1発の銃声。
 隣人はドサっという音が窓の外から聞こえてきたので、何か危険を感じつつもベランダに出て下をのぞき込む。すると路地のコンクリートの上に、一人の青年がうつ伏せに倒れ込んでいた。そしてその青年の頭を中心に血が、ゆっくりと正円を描いて広がり始める。
 隣の部屋から物音がする。その方向を振り向くと拳銃を手にした後藤が同じくベランダから身を乗り出して下をのぞき込んでいた。
 後藤は隣の住人に見られたことに気付くと、慌てて部屋の奧へと逃げ込んだ。

 そしてしばらくして、2発目の銃声が鳴り響いた。

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