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薄暗い地下のワイン庫。 裏庭に面している勝手口。そこに入って左に行くと厨房、右へ向かい石壁に囲まれた階段を降りるとこのワイン庫だ。当然四六時中、温度・湿度が一定に保たれており、壁一面に並ぶワイン棚が壮観だ。部屋の奧へ進むとそのワインをケース単位で地下から1階の厨房、そして2階のバーカウンター裏の簡易調理場へと運ぶことが出来る小型エレベーター。長期的に大量の肉や魚を保管しておく冷凍室などがある。ホテルだった頃の名残だが、つんく♂の私邸となってからは放置されているようだ。 石川と吉澤は今、裸電球に照らされたこの部屋に二人きりでいる。 さきほど吉澤の部屋(206号室)でも、色々話合ったふたりだが・・・その時とはまた違った緊張感を、石川は感じていた。
吉澤はすっかり並べられているワインの数に圧倒されて、そこらじゅうの瓶のラベルを丹念に調べ回っている。逆に石川は滞在一週間になるが、この部屋に足を踏み入れたことはほとんどない。冷蔵庫は厨房にある一般家庭用のもので十分足りているし、加護も石川もアルコールには縁も興味も全くないのであった。 「梨華ちゃん、ほんとにつんく♂さんここのワイン好きなの飲んでいいって?」 「うん」 「・・・ウソだって。多分。このガラス張りになってる中のワインあるじゃん」 「えーっと、ロ・ロマニー・・・何て書いてあるの?コレ」 「ロマネ・コンティ。幻の赤ワインって言って・・・幾らぐらいすると思う?」 「そ〜だなぁ。5万円くらい?」 「私も飲んだことないけど・・・40万はするね」 「よんぢゅ・・・!」 「よし、今夜これにしよう」 「や、やめよーよ、よっすぃー・・・そんな・・・」 「ハハハ、冗談だヨ。流石に」つんく♂さんは私を試しているのかも、と吉澤は思った。 夜の世界にもレヴェルがあって、ホンモノの客を相手にする場合にはうわべだけのごまかしなど通用しない。吉澤は自分の店レヴェルを上げるために必死になって勉強した。環境に順応するための学習。酒も、スーツも、香水も、車も一流の物を揃えた。その成果が今こうして役に立っているわけだが、もし知識が無ければ、何の気兼ねもなくこの超高級ワインを口にしていたかもしれないのだ。 吉澤は、そう考えただけでもゾッとする。知らないほうが、幸せなことだって世の中には必ずある。それでも人は、知ろうとすることを決してやめないわけだけれども。
冷静になって吉澤は考えてみる。 「おお〜いいねぇ。ジュヴレ・シャンベルタン。コレにしよっ」 「スゴイスゴ〜イ! なんでそんなにお酒に詳しいの、よっすぃ〜!!」 「え・・・何故って・・・水商売もー長いし・・・」 「?〜」石川は「水商売」という言葉を吉澤が口にした瞬間、悲しそうな顔をして首をかしげる。 吉澤は事情を話した。自分の経営しているバーが普通のバーではないこと、そこで得たもの、失ったもの、そして今はその生き方をまったく後悔していないこと・・・。 何故か吉澤が「ウチの店は男子禁制だから、女のお客さんしかいないよ」と言った部分で、石川はホッとしたような表情を見せる。 「あッ、でも今日のディナーはニク? 魚?」 「サーモンでございます」 「じゃあ白のほうがいいかなぁ」そして再びズラっと並んだ棚の中から、自分の知っているワインを探す吉澤。しびれを切らして石川が後ろの回した手をモジモジさせながら言う。 「ねぇ・・・用事って何なの?」 「うーん・・・さっきまでオレ裏庭にいたんだけどね・・・」 「裏庭って・・・噴水のムコウ?」 「うん・・・梨華ちゃんが、ののを見たっていうトコロ」 「はぁ・・・」吉澤はそう言いながらも、目線はワインのラベルをなぞっている。 「いた? ののが」 「ううん、いなかった」 「ねぇ、ウチら見たの本当にののだったのかなぁ・・・」 「わかんね。それに5年前にこの屋敷で起こったアレも気になるし・・・」小川や新垣が遭遇したという「幽霊」の話と、コミュニケーションノートの中で後藤が書いていた「あんなことがあったのでブルー」な話は多分同じなんだろう。この屋敷で何か普通じゃないことが起こったことは間違いないのだが・・・。それが、今日石川と吉澤が目撃した人物と、どう繋がっているか分からない。 「シャブリでいいっかぁ」どうやら吉澤は辻のことより、いつの間にか並べられたワインに関心が移行しつつあるようだ。クリーム地のラベルにシャブリ・グラン・クリュ・レ・クロと筆記体で書かれた文字と金色の箔押しが、否応なく高級感を煽るワインを一本だけ、吉澤は棚の中から抜き取る。 「もう、よっすぃーったら・・・」 「あと、梨華ちゃん」ワインを片手で掲げて石川の方へ振り向き、クールな笑みを浮かべる吉澤。 「え? 何」 「ますます可愛くなったよなぁ」石川は思いがけないその一言に、耳まで真っ赤になった。が、地黒の肌と薄暗い地下室では、その赤面が吉澤に伝わったのかまでは分からなかったが。 |
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