第84話グラデ左 グラデ右加護

 加護は少しだけ、苛立っていた。
 周囲のメンバーは石川の料理に感激していたが、加護にしてみればこの数年、そしてここ一週間は3食ずっと味わってきたもの。
(聞きたい)

T E N

 今日になって、後藤の思い出が次々と蘇ってきた。
 地下室で吉澤が発見したという、コミュニケーションノートがきっかけなのは言うまでもない。

 加護は、電子メールで約2年間あまり、渡米した後藤と交流を続けていた。
 最初の頃の1年は、週に2〜3通はやりとりがあった。その文面からは、アメリカでの後藤の新鮮な発見の連続がイキイキと伝わってきたし、それに一緒になって興奮している自分がいた。ちょうどその頃の加護は、リハビリ生活に突入し、肉体的にはかなり辛い時期でもあったが、後藤のメールに随分励まされた。

 ずっとメールで交流をしてただけに、さきほど見たノートでの手書きの後藤のメッセージはやけに新鮮に感じた。
 解散後の新たな旅立ちへの、不安と興奮が伝わってきた。
 でも、パソコンのフォントと手書きの文字の違いだけの問題ではない。

 加護は爆破事件によって記憶を失う前の後藤も、失った後の後藤も両方とも同じだけ「好き」だ。
 だけど、それぞれを別人と考えた時―――あのノートによって記憶を失う前の彼女の温もりに、5年振りに触れた気がする。

(何でもいいから、ごっちんの話が聞きたい)
 渡米から1年が過ぎて、やがて後藤とのメールでのやりとりは、少しづつではあるが減少していった。アメリカに遊びに来た元娘。のメンバーに会ったこと、ボーイフレンドが出来たこと、モデルのアルバイトを始めたこと・・・。後藤サイドでの話題は尽きることはなかったが、それとは対称的に加護にとってはあまりにも単調な日々が続いていた。暗い話題は努めて避けるように気を遣ったが、そうなるとメールでわざわざ書くようなこともあまりない。リハビリの毎日。
 ちょうど加護が石川との交流を再開したのがこの頃だったが、当然というか後藤にとっては関心はないようで、その話題もあまり発展することはなかった。
 後藤からのメールは週1通から、月1通、そして2ヶ月に1通といった具合に、徐々にまばらになっていった。アメリカに渡った当初は、不安と寂しさからよくレッスンが上手くいかない、言葉が通じないだのとの泣き言をメールで延々と綴ってきた。しかし、時が流れるにつれてアメリカでの生活も板についたのか、友人も増えたなどといった明るい内容が増えてきた。
 なにもかも順調にいっているのだろう、と加護もメールが少ないことを好意的に解釈するようにした。

 加護のように行動が著しく制限されているならまだしも、後藤は日本より遥かにスケールの大きなフィールドで、広い視野に立って世の中を見つめている。話題に食い違いが発生するのも無理はない、と半分諦めにも似た感情に加護は徐々に支配されていった。
 やっと大きな翼を手に入れたんだ。娘。時代の殺人的なスケジュールから解放され、第二の人生を歩み始めたことを素直に友人として喜んでやりたい。
 そう思うようになっていた。

 そうして後藤からのメールが途絶えてから半年が経過し、丁度事件から3年の月日が流れたある日。
 後藤が自殺した、との報が加護のもとにも届いた。

 正直、実感が沸かなかった。
 テレビでも大きく採り上げられたが、そこに映っているのはモーニング娘。だったころに歌ったり踊ったりした頃のVTRで、当然のように記憶の失った後の後藤ではなかった。
 もしかしたら、モーニング娘。だった頃の後藤はとっくに加護の心の中では死んでいたのかもしれない。武道館の爆破事件のときに。
 そう加護が思ってしまうのは、きっと記憶を失ってからの後藤もそれなりに知ってしまっているから。後藤には違いないが、まったく別人の、加護の中でイメージを膨らませた「ごっちん」の姿を。

 あのメールでアメリカでの新鮮な生活を報告していた後藤はまだ、どこかで生きているような気がするのだ。だからそういった意味では、加護の目の前で息を引き取った辻とは決定的に違う。
 どこかで後藤が生きている。そんな第三者からすれば、いい加減目を覚ませ ば?と言われそうな絵空事を未だにどこか心の片隅に抱き続けているのだ。

 現実逃避、といってしまえばそれまでかもしれない。どこか思い出を美化するような傾向が自分にはある、ということは加護自身も十分に自覚はしていた。事件後、そばにいたメンバーが石川ということも影響していたかもしれない。
 石川にもどちらかというと、美しい思い出は美しいままで仕舞っておきたいという意識が見え隠れしていた。これが、たとえば吉澤とかであれば、もっと前向きに生きるアドバイスがあったに違いないだろうが。

 だけど、加護は自分の身体のこともあり―――これから先のぼやけた未来への心細さ―――過去をなるだけ汚さずに生きてゆきたい、という気持ちは少なからずある。

 だからこそ、保田がミニモニ。時代の矢口を、やけに俯瞰(ふかん)で語っていたのに我慢できなかった。
 たしかにピエロだったかもしれない。恐ろしいくらい愚直な偶像だったかもしれない。加護も当時から、あたり前のようにそのことに気が付いていた。
 なぜなら、ミニモニ。の結成自体に政治的な事情が絡んでいたからだ。

 ただしそれを不満として口にするのは、加護にとって「負け」だと感じていた。

「でもミニモニ。の矢口さんは、すんごく輝いていた」
 加護は、本当は最後までこう言い切りたかった。でも言えなかった。
 こういった同窓会の場で「今だから言えることだけど、あの頃のウチらって・・・」といった話題が沸き上がることには、ある程度覚悟していた。当時は、関わっていったスタッフの多さや、事務所という看板を背負っている手前、仕事に関しての本音をぶちまけることは、娘。同士でも意外なくらい少なかった。
 だがあれから5年が経ち、仕事といったしがらみから抜け出て一人の人間としてあの頃の自分たちを振り返る、今日は絶好の機会でもある。
 保田だって、決して「あの頃」を否定しているわけじゃない。
 だけど、当事者である矢口自身がもし「あの頃」のミニモニ。を否定してしまったら―――そして、現在芸能界で伸び悩んでいる矢口には、そういった思惑も十分あり得るだろう。
 だから加護は、保田と矢口の会話に割って入らずにはいられなかった。
(そんなことはいいから、アメリカの、ごっちんは)
 保田が後藤の手紙を持ってきたことを、高橋から聞いた。
 そしてその保田が今、目の前にいる。
 いよいよ気持ちが抑えられなくなってきた。

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