第94話グラデ左 グラデ右吉澤と石川

「多分ののだった、あれ。それに・・・梨華ちゃんも。な?」
 明らかに先ほどから落ち着かない様子だった石川も、吉澤と二人だけの秘密にするつもりだった「あの話題」が「解禁」となって覚悟ができたのか、大きく深呼吸をしてからコクリと頷いた。
「見たの・・・ののを」
「なんだよ・・・どうゆうことだよ・・・もぉ」
 保田の突飛な仮説に噛みついた矢口が、ウンザリ、といった面持ちで今度は石川と吉澤を交互に見つめる。
「俺、この屋敷に来てすぐ・・・誰もいないはずの2階の廊下に、ののっぽい女の子が横切ったのを見たんだ。で、梨華ちゃんは・・・」
「私も今日の昼間のことなんだけど、裏山に白い服着たののみたいな・・・ううん、ののだった。
 ののが山の奥の方に逃げていったのを、見たの!
「グスっ・・・あの時だね」
 目の周りを真っ赤に腫らした加護が、石川のエプロンにそっと手を添えながら言う。
「うん」
「ねぇ何、どういうこと? サッパリ話が見えないんだけど」
 矢口の言葉を受けて吉澤は、もう一度詳しく今日遭遇した不可解な出来事についての詳細を述べた。
 吉澤がエントランスホールから2階に横切る白い影を目撃したこと。
 石川が裏山で、同じく白いワンピースを着た少女を追いかけたこと。
 そして彼女らが見たその女の子の顔は辻希美にウリふたつだったということ。

 一通り話が終わって、より一層食堂は神妙な空気に包まれた。
 高橋は、ぽかん、と口をあけたまま茫然としている。
 紺野も大きな目をきょろきょろさせて、誰かがフォローしてくれるのを上目遣いでじっと待ち続けている。

 後藤の手紙から、話題が思わぬ方向へと展開した。彼女の手紙の中に出ていた「のの」という人物。
 メンバーが集まるという今日この場所で石川と吉澤の二人が目撃したという、辻に似た人物。

 そして矢口は、ここにきてようやく思い出した。
 つんく♂邸に到着して、まず屋敷を外から見渡した際に、東棟の2階の窓から自分たちを見下ろしていた白いワンピースとのコントラストが眩しい黒髪の少女。どこか懐かしい雰囲気を思い出させてくれた少女。

  ―――違う違う、違う。

 矢口自身が信じて頑なに守っていた世界観が、あまりにも不自然な偶然の一致によってガラガラ音を立てて崩れていくのを感じた。

「じゃあ・・・ののは生きていて、今この屋敷のどこかにいるのかも・・・」
「バッカじゃないの・・・みんな本気で言っているわけ・・・?」
  ―――私は信じない。
「でっでも矢口さん! 私だけだったら目の錯覚だと思うけど、ほぼ同じ時間に梨華ちゃんも見たっていってるんだよ!」
「うん、偶然とは思えないですよ!」
「ああもう! だからイヤだったのよ、今日こんなの(同窓会)に出るの! ミンナして昔のことばっかウジウジ考えているから、そんなマボロシみたいなの見ちゃうんだよ!
 馬鹿馬鹿しいと思わない? 辻は死んだの! 死んだんだって!」
  ―――そう、私だって圭ちゃんと同じで見たわけじゃないけどミンナ死んだって言ってるじゃないの!
「やぐ・・・」
 初めて、矢口がハッキリと辻に関して「死」という言葉を使った。自分自身を納得させるためでもあった。
「でも、あれは幻なんかじゃないって! 見たもんハッキリと」
「フン! ハッキリとした幽霊? 真っ昼間から辻の幽霊?」
「矢口ッ! それは言い過ぎよ!」
「何? 圭ちゃんまで、このコらの言うこと信じているわけ?
 あたしイヤなの! 過去に振り回されて現実を直視していない人って!!
 いっつまで経っても辻だとか何だとか言って、あんたたち甘えているだけじゃない! 逃避しているだけじゃない!
 あたしがどんなに辛い想いをしながら、でも逃げないで今でも現場で必死になっているのか知らないでしょ?」
  ―――そうよ、こいつらミンナ弱虫なんだ!
「いえ・・・矢口さんの気持ちは分かります。けど、こればっかりは譲れません・・・ののはいたんです。この目で見たんです。
 別に幽霊だったっとしても構いません。でも別に過去とか逃げるとかって話は、今は関係ないじゃないですか」
 吉澤は毅然とした態度で、錯乱した矢口に言葉を返した。
 だが、吉澤自身が一番彼女が逆上した理由がよくわかる。あの時・・・矢口の部屋から悲鳴か聞こえてきて吉澤が駆けつけた時と同じだ。
 現在置かれた辛い境遇の中、必死になって芸能界を生き抜いていることをアピールすればするほど、実は矢口が一番過去に縛られて生きている印象を周囲の人々に与えてしまう。それは彼女自身は自覚していないのかもしれないけれど、後藤―――そして辻の話に過剰に反応している姿は、より一層の悲壮感を漂わせている。
「おっかしいよ・・・みんなして・・・」
  ―――そう、マトモな私が来るべき所じゃなかったのよ、ココは。

 矢口の瞳から、とめどなく涙が溢れ出してきた。そして小声で、やっぱり来るんじゃなかった、来るんじゃなかったとぶつぶつ繰り返している。

「矢口の言いたいことも分かるよ、ごめんね、私が変なことを言いださなければ・・・」
 保田がハンカチを差し出すが、それをも払いのけてさらに矢口は吐き捨ているように言う。
「死んだ人間は生き返らない・・・辻だって例外じゃない。なのに何だよミンナしてそんな、ありえないことをマジになって! もうあんたたちもユーレイだよ、ずっと前に死んでいたも同然だよ!」
「矢口!」
  バシッ

 次の瞬間、悲痛な叫びにも似た音が響きわたった。
 矢口がぶたれた左頬を押さえなら振り返る。潤んだ視界の中で、同じく目に一杯の涙を溜めた保田が右手を震わせながらも矢口に語りかける。

「ごめん・・・矢口の気持ちも分かるよ。辛かったんだよね。でも・・・でも・・・」
  ダン!

 すぐ目の前で繰り広げられた矢口と保田の言い争いを唖然と見つめていたメンバーが、不意にテーブルに振動が走り、鈍い音が鳴り響いた方へと振り向く。
 リーダーである飯田が、険しい表情で両手を思いきりテーブルに叩き付けた直後だった。そして不機嫌極まりない目で威嚇するように保田と矢口を睨み付ける。

(お願い、辻のことで喧嘩するのはやめて)
「・・・と飯田さんは言っています」
 再び飯田が手話で何かを語ろうとしている。
 張り手を受けた左頬にまだ痛みが残っている矢口も、錯乱した彼女を諌(いさ)めるためとはいえ初めてメンバーに暴力を振るったことに激しく動揺している保田も、その瞬間はキョトンとした。
「(少なくともこの同窓会で、辻のことで喧嘩するのはやめて)」
 “通訳係”の紺野が仲介して、飯田の今の想いをみんなに伝える。
「(今からちょっと思い出話をします)と言っています。何か飯田さんは話したいことがあるみたいですよ」
「・・・」
  ―――何だろう。
  ―――こんなときに何を話したいというのだろう、かつてのリーダーは。

 飯田は一瞬とはいえ感情的になった自分を少し恥じたのだろうか。食堂の天井を数秒眺めて心を落ち着かせてから、その話を(もちろん手話で)始めた。

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