第104話グラデ左 グラデ右矢口

「私も、もしかしたら梨華ちゃんみたいに・・・なってたかもしれない」
 矢口は、もう無理して一人称に「オイラ」を使うことはない、と思った。
 少しでも、あの頃の楽しかった日々に近づければ―――今日は自分のことを、すっかりここ最近の芸能生活で封印した「オイラ」で呼ぼうとあらかじめ参加前に決めていた。しかし、やはり上辺だけ繕っても取り戻せないものがあることを、いざ同窓会に出席してみて悟ったのだ。
 車椅子の加護。声を出さない飯田。笑いながらゴキブリを踏み潰す石川。

 先ほどまで夢中でデザートを頬張っていた紺野も、矢口の真剣な眼差しに気圧(けお)され、一転して佇まいを正し先輩の話に耳を傾ける。

「武道館のあの爆発のとき、私も観客席に吹き飛ばされたんだ。知ってる?」
 紺野は突き上げるような目のまま、うなずく。
「そう、あのラスコンは・・・ウチらもお客さんも、みんなハイになってた。当然だぁね。ライブなんて麻薬みたいなもんだし。知らないけど。
 梨華ちゃんはその狂った男どもに犯されたんだ。ち・・・」
 最後は声にならなかったが、矢口の唇の動きで何を言おうとしていたのか、はっきりと分かる。
「ちくしょう」と。
「モーヲタ」
 ゴクリ、と矢口は唾を飲み込む。
「当時はね、モーヲタって呼ばれていたけど。まあ、そんな連中のド真ん中に放り出されたわけよ。なんてゆーわけ? あれ・・・あーゆう人たち・・・まあファンであることには変わりないんだけど・・・正直、キショイと思ってた。こんなコト言ったり、態度に出したりするのダメなんだけど、見るのもシンドかった。紺野ちがう?」
「え・・・あ・・・はぁ・・・」
「じゃあ、インターネットの掲示板とかで見たことない? ファンが好き勝手にアタシらのこと書き殴っているの!」
「んん〜当時はまだ・・・中学生でしたから・・・でもちょっとだけ・・・」
 曖昧な返事を繰り返しているのは、紺野は嘘をつくことが下手な人間だと自覚しているため。矛盾を指摘されると、しどろもどろになってしまうため、最初からどちらとも取れる無難な発言に終始してしまう。一種の防衛本能と呼んでもいい。

 実をいうと、紺野は「ちょっとだけ」見たわけではなかった。
 ネット上に流布する、自分たちに対する罵詈雑言の数々。ほとんどは根拠のない噂ばかり。
 賛辞が打ち消され、憎悪や罵声が増幅される闇。妄想と真実が同列に扱われる世界。そんな空間が自分の預かり知らぬところで展開されていることも、当時から十分承知していた。
 ゆえに、新垣の加入経緯の「疑惑」に関してもネット上でファンが互いに情報を補完していたことは、当時メンバー内で話題に出すことがタブー視されていたが、内容は熟知していた。
 ただ、紺野の場合は自分のココロの中で予防線を張ることができたので、幸運にも精神的に破綻することはなかった。他人は他人、自分は自分と割り切れる性格が多いと言われている血液型Bの特性なのだろう。

「ふぅん、私は結構ね、現役の頃から見てたのネットを。
 『矢口うるさいんだよ』だの『スッピンが汚い』だのさんざん言われていてね、勝手にヌード写真に私の顔だけ当てはめられたりもして・・・コラ何だっけ? ああゆうの?」
「アイコラ」
「そうそう、アイコラ。(って紺野あンたやけに詳しいわね。まあいいわ)
 アイコラとか、あと笑っちゃうのが私となっちがエッチしている創作のね、小説とか」
「・・・そんなのまで読んでいたんですか!?」
「いや、そんな隅々まで読んでないけどサ、よーやるわって感じで。うん。
 割と客観的に面白がっていた部分も否定しないし」
「へえ」
「と、とにかくね。脱線しちゃったケド、あのライブの時モーヲタの中に放り込まれて、そりゃね私も服をはぎ取られたりしたわけよ」
「信じられないですね、自分らの応援しているアイドルなのに・・・」
「わかってないね紺野。あいつらはファンである以前に男なの。野獣よ、ケ・モ・ノ」
「野獣って・・・じゃあ矢口さんも・・・」
「・・・思い出したくないけど・・・地獄だったわよ。今でも夢に出てくるぐらい」
「・・・」
(それじゃあ公になっていないだけで、矢口さんも石川さん同様「一線」を)と紺野が思った、その瞬間。
「でもね、紺野」
「・・・はい?」
「私の場合はね、梨華ちゃんと違って・・・確かに殴られたり身体中を触られたり、そりゃあ非道い目にあったんだけど・・・最後まで犯されなかった。
 何故だか分かる?」
「・・・いえ」
「あんな・・・ホント今でも、奇跡に近いと思っているんだけど・・・あんな状況の中でも、私を庇ってくれるファンがいたの。必死で護って・・・それこそ命がけで・・・今となっちゃあどんな人で、何人いたのかさえも思い出せないんだけど・・・私をケモノの群れから、助け出してくれた人・・・人たち、かな。人たちがいたの」
「そんなことが・・・」
 聞いていた話とは違う。
 観客席にまで爆風で飛ばされたものの、奇跡的にほとんど軽い傷で済み(マスコミ的には「無傷」扱い)、自力でなんとか逃げ延びた―――それが紺野の知っているあの事件に関する矢口の顛末の全てだ。
 しかし冷静に考えてみると、世間に出回っている「事実」に意図的に歪曲された部分があったとしても不思議ではない。
 人一倍野心の強かった矢口は、ああいった事件が起きた後でも芸能人を続ける選択をした。そこで重要なのは、あの事件の後処理についての問題。
 いくら被害者とはいえ「暴行を受けた」という言葉からは、様々なネガティブな要素が引き出される。それは一部、タレントとしては致命的なイメージも含まれている。アイドルはイメージを売る商売だ、と紺野も昔担当マネージャから諭された記憶がある。矢口の芸能活動の今後を考えて、あえて「無傷」というイメージが浸透するように事務所が仕掛けたということも十分ありえる。

 だがこうした表層的な見解にはぐらかされてしまいがちだが、矢口とて暴徒と化した観客の狂気を間近で見てきたのだ。そして実際に、その渦中に身を置いていたのだ。
 無傷で終わったわけがない。身体も、精神(こころ)も。

「皮肉だよね・・・っていうか、ワケわかんなかったよ。
 私が犯されそうになったのも『あんな連中』だったし、私を助けてくれたのも『あんな連中』だったことが」
 ―――あんな連中。

 キショいとか、
 ダサいとか、
 くさいとか、
 目がヤバいとか、
 さんざん矢口が、心の中で忌み嫌っていた連中。

 ある意味それは事実だし、実際に武道館事件の時には危険な目にもあった。  だが、それと同時に「そんな連中」に助けられたりもした。だから「ワケわかんない」のだろう。

「あとでファンの集団に暴行―――リンチ、だよね。暴行されて死んじゃった観客の人までいるって聞いた」
「・・・」
「私ね、その死んだ人が・・・私を助けてくれた人なんじゃないかって・・・ずっと・・・恐くって・・・悔しくって・・・」
 大きなソファに腕を組んで、怯えた子犬のように縮こまりながら話す矢口。
「私と梨華ちゃんが、何がどう違ってこうなったのか分かんない。・・・けど」
 涙は必死に堪えているものの、鼻をグスグスすする振動で今にも矢口の大きな瞳から滴がこぼれ落ちてきそうだ。
「別に梨華ちゃんのこと何とも思ってないわけじゃない。可哀想。だからって、同情したところでどうにもならないの・・・分かるでしょ?
 恐いの、色んな意味で・・・あのコを見ていると」
 完全に「弱気モード」に突入した矢口。それを見て、この居間に来てから口数は相変わらず多いのに、武道館の事件の話をなんとなく彼女が避けていた理由が、紺野はほんの少しだけ分かったような気がした。
 あの時あの場所で、石川の身に起きたことを恐らく一番理解しているメンバーは、今日の参加者の中では矢口に違いない。だからこそ、石川が哀しくもガラスのような儚い存在となったことに―――心を痛めているのだ。
 矢口言うところの「どうにもならない」はそれだけに重みがあった。いつも歯に衣着せぬ発言ばかりしている印象の強い彼女とはいえ。

 ギィ。

 厨房の扉が開かれた。
 皿洗いがようやく済んだようで、安倍に続いて高橋もエプロンを脱ぎながらひと仕事終えた顔つきで、ソファでくつろぐ二人に近寄ってきた。
 だが、高橋は長距離運転や夕食の手伝い、そして後片付けと疲労がたまっているせいか、どこか顔色が芳しくない様子。

「圭ちゃんたちは?」
 安倍のその問いに、たった今話し合っていていたウェットな内容を追求されぬよう(矢口も悟られないように、わざと潤んだ目を逸らしている)、努めて明るく冷静に答えた。
「・・・上の・・・遊技場でビリヤードしてます、プッチモニの皆さんは。ホラ、聞こえませんか? ときどきボール同士がカキってぶつかる音が」
「プッチモニ同窓会ってわけね」
「でも・・・ごっちんのいないプッチモニなんて」
「そ・・・」
 紺野は(それを言ちゃあオシマイじゃん)と、矢口の身も蓋もない台詞に危うく突っ込みそうになった。

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