第107話グラデ左 グラデ右高橋と紺野

 紺野は高橋に連れられて、3階の物置までテクテクとやって来た。なぜ自室ではなく、この部屋を高橋が密談(と言ってもいいだろう)の場に選んだのかは分からないままに。
 2階西棟沿いの渡り廊下の先にあるエントランスホールを見下ろしながらの(高所恐怖症の人にとっては辛そうな)螺旋階段はこの部屋へと直接繋がっている。
 つんく♂邸の3階はふた部屋しかなく、ピアノ室と物置。
 二人が今いる物置部屋―――他に適当な呼び方が見あたらないので、今は仮にそう呼んでいる―――には、壊れているものの捨てるには忍びないほど立派な彫像やアンティーク小物、そして楽器や雑誌などが山積みになって散在している。中には見たこともないような、世界の民族楽器もいくつか見受けられる。
 だがこれは5年前写真集の撮影で5期メンバーが訪れた時と、さほど変わらない光景だ。ただ、物置ならば整理棚などがあってしかるべきなのだろうが、多くのガラクタは無造作に床の上に放置されている。
 おそらく最初はリビングか何かだったのだろう。低い天井からは物置部屋にはもったいない程のシャンデリアが辺りを薄暗いながらも照らしている。2階の渡り廊下が吹き抜けから見おろせる窓。その先には、外に面しているカラフルなステンドグラス。
 1階の居間や2階の廊下からも、見上げるような格好でステンドグラスを鑑賞することもできるが、3階の窓からだとよりハッキリとその美しさを間近で見つめることが出来る。ひとつ残念なのは、現在の時刻だと外からの陽光が無いため本来の荘厳な雰囲気を充分に堪能できないことか。
 エントランスホールの吹き抜けとの間にはガッチリと手すりがしてあり、さらにその手前には観葉植物がいくつも並べられている。おそらくこれは手すりから身を乗り出す危険を防ぐためで、同時にエントランスから見上げる分にはちょっとした飾りにもなる。だがこれといって生活感を連想させるものが無いため、基本的にこの屋敷の中では殺風景な部屋に分類できる。置いてある物はそれぞれに魅力的だが、無秩序な佇まいが、この屋敷の一室としてはどこかしら違和感があるような印象を与える要因のひとつなのだろう。

 物置の隣りは大きな扉を隔ててピアノの置いてある部屋に通じる。そして、その階段からさらに2階の遊技場へと直接降り立つことの出来る狭い階段で結ばれている。だが今はそのピアノ室への扉は固く閉じられたままで、広々としている割にはどこにいていいのか分からない居心地の悪い部屋。二人はガラクタに混じって置いてある古い椅子を埃を払いつつ引っ張ってきて、埃をパンパンと払いのけ部屋のほぼ中央に向き合うように座った。
 紺野は踏み台のような簡素な椅子。
 高橋は中身のクッションが背もたれからはみ出ている、いわゆる「社長の椅子」に腰掛けている。

「ごめんね、こんなトコロに呼び出して」
 運転や後片付けなどで疲労が蓄積されているであろう高橋。だがそれを差し引いても、紺野は彼女の顔を見てしみじみと感じることがある。
(なんだか老け込んだな、愛ちゃん)
 照明の真下に座っているため、顔の彫りに薄暗く浮き出る影がそういった印象を与えるというのもあるのだろう。
 だがそれとは別に、高橋がこの5年間「元モーニング娘。」という看板に翻弄されながらソロとしてブレイクせずに現在に至っているという一種のフラストレーションが顔に表れている、という解釈もあながち的外れではないように紺野は思う。
「あさ美ちゃん、なんだろね・・・さっきの食堂の話」
「・・・」
 軽く首を傾げる紺野。
 いろんな話がありすぎた。それぞれに鮮烈で複雑な想いが交錯し焦点を絞りきれないのが偽らざる心象だ。
「なんか不気味やわぁ・・・ある程度覚悟はしとったけど、やっぱなんかココって変やない?」
「はぁ・・・この屋敷で見たってゆー、辻さんの幽霊の話ですか・・・」
「ううん、それもあるけど先輩もなんだかコワイ・・・あまりにも昔とは変わりすぎとってぇ・・・」
「変わり?」
「・・・」
「愛ちゃん、安倍さんと何かあったの?」
「う・・・ううん」
 ワンテンポ遅れて頭を振って否定するが、瞳の色は相変わらず沈んだままの高橋。指をモジモジと絡ませており、戸惑っている様子がよく伝わってくる。
 高橋もまた他の多くのメンバーと同じく「思い出」と「推測」と「現実」のギャップに困惑している一人なのだろう。
「でも仕方ないよそれは・・・あんな、あんな事件とかあったんだし・・・」
「うん・・・。で、お願いがあるんやけどぉ」
「な〜に?」
「今日恐いから一緒に寝てくれん?」
 ペットショップで檻の中から客を見つめる、子犬のような涙目で高橋は訴えかける。高橋は紺野より一歳年上だが、その瞳はまるで迷子になった幼稚園児を連想させるぐらい、幼さと不安に満ちていた。
「う〜ん、でも多分、愛ちゃんと私の部屋ほとんど同じだと思うけど、アレ、シングルベッドじゃなかった?」
「うん・・・チョット、二人で寝るのにはキツいんやけど・・・でも、一人で寝るのは嫌やよ・・・絶対」
 最後だけ強い口調で高橋は言い切る。
 紺野も同じ想いを、実は感じていた。
 客室の性質上、自分に割り当てられた部屋はシングルルームだが、できれば飯田らのようなツインに変更してほしかった。特別寂しがり屋というわけではないものの、とりわけこのつんく♂邸で一人床に就いても寝付きが悪そうだというのは、出発前から感じていた。
「う〜ん、たしかに5年前のこともあるし」
「・・・やっぱあさ美ちゃんも覚えてたんだ。『ユーレイ』の話」
「私らは日が暮れる前に帰ったけど、あの後しばらくは麻琴ちゃんや辻ちゃんも大人しかったよねぇ」
「うん・・・里沙ちゃんの・・・あの怯えとった顔、今でも忘れられんよお。」
「・・・ね。私も・・・幽霊とかは信じるタイプじゃないけど・・・なんかさっきから胸騒ぎが収まらないみたいな・・・思い込みだと自分に言い聞かせてきたんだけどね、ずっと」
「それに後藤さんが書いたっちゅうあのノートにも、そんなみたいなコトと書いてあったやん? あの夜に何かあったって! ・・・関係あるんかなぁ?」
「多分・・・あ」
 紺野は目を見開いたまま、固まってしまった。
 頭の中で記憶のスイッチのひとつがオンになったかのように、パッと高橋を見つめる目が輝く。
「・・・なんでこんな簡単なことに、今まで気がつかなかったんだろ」
「どうしたの? あさ美ちゃん?」
 驚きと不安が入り交じり今にも逃げ出しそうな紺野だったが、ようやく高橋の視線に応える形で向き直して彼女にひとつの疑問を投げかける。
「ねえ愛ちゃん、あの、その、偶然かもしれないけど・・・。解散したときのメンバーで、今日の同窓会に参加していない人って誰だっけ?」
「な・・・」
 一瞬ひるんだのは、高橋にとっては答えづらい質問だったから。
 この同窓会に参加していないメンバー=参加したくても出来ない―――いや参加しようと思うことすらできない人たちばかりだからだ。
「いいから。一人一人名前挙げていって」
「まず・・・辻ちゃん、あと里沙ちゃん。あと麻琴ちゃんと、後藤さ・・・あ!!」
「気が付いた?」
 大きく目を見開いたまま、素早く首を縦に振る高橋。
「・・・そう。あの日、私たちがこの屋敷に写真集の撮影に来た日。ウチらは陽が暮れる前に帰ったけど、あの日お泊まりだったメンバーはみんな・・・なぜか今日参加していない・・・」
「・・・」
 参加していない理由は、あきらかだ。
 小川以外の3人は、もうこの世にはいないはず。
 そして小川もまた、事件から5年を経過した今も病院で生死の境をさまよっている。
「ねえ、これって偶然やよね・・・?」
 紺野は、高橋の問いかけにどうしても「イエス」という言葉を返せないでいた。
(あまりにも出来すぎている)
 5年前の7月9日の夜。―――だから正確には5年と2ヶ月半前。
 このつんく♂邸で何かがあったことは間違いない。
 新垣と小川は、その後会ったときにやけに怯えていた。「幽霊でも見たの?」とからかったら冗談に受け取ってもらえなかった。それ以上深く追求することもなく、忘れ去ってしまったことをこの期に及んで紺野は猛烈に後悔している。
 ましてや、地下スタジオから吉澤が発見したというコミュニケーションノート。その中でも、後藤の7月10日の記述には、ハッキリとその夜に彼女を落ち込ませる程の「何か」が起こったことを示唆している。

 それ以上に薄気味悪いのが、その夜つんく♂邸で一夜を過ごしたメンバーは軒並み今日、解散から5年という月日を隔てて開催された今回のモーニング娘。の同窓会には参加していないという事実。いや逆説的に、あの夜この屋敷にいたから参加できない―――つまり、2003年7月9日の夜につんく♂邸にて起こったとされている何らかの出来事に遭遇していたから、あんな目にあった? という見方もできないこともない。

 言い換えるならば「武道館の事件」と「アメリカでの後藤の自殺」に繋がる、何らかの出来事が5年前のこの場所で起きたのか?ということ。
 もっとも武道館の爆破事件は、今日参加していないメンバーだけをピンポイントで狙ったわけではなく、自分たちモーニング娘。を無差別に殺害しようとしていたとしか思えないのは明かだ。犯人が誰であるかは別として、ハッキリとそれだけは断言できる。
 だが後藤・辻・小川・新垣が参加していない事実だけが、不気味に自分たちを圧迫する。

 そして今日、紺野らもその4人と同様にここ、つんく♂邸で一夜を過ごす。
 元モーニング娘。のメンバーのみで。

 多少複雑な事情と過去を引きずりながらも―――みんな、逞しく生きてきた。
 今後も重い十字架を背負いながら、それでも歩みを止めるわけにはいかない。
 あの武道館の悲劇を乗り越えてきたんだから、大丈夫なはず。残りの人生も。

 なのに。
 なのに胸に沸き上がる、この不吉な予感は一体何なんだろう。

「一緒に寝ようよ」
 高橋のポツリとした呟きに、ハッと我にかえった紺野。様々な思索の末に、それが今夜のベストな選択であるように思えてならなかった。彼女は、独り言のように繰り返しつぶやく。
「う・・・うん。愛ちゃんと一緒。一緒ならきっと大丈夫。たぶん」
 ―――そして高橋とともに一夜を過ごし、夜が明けて、また名残惜しそうにメンバー別れて、日常に戻る。そうに決まっている。
(そうでなければ困る)
 それまで無難な人生の選択を繰り返してきた紺野にとって、モーニング娘。加入は唯一最大の博打のひとつだった。結果としては、それによって波風の立たない人生を好む性格とは裏腹に、大きく時代に翻弄される運命を辿ることになった。だが、今は5年という月日を経てようやく平穏な生活を取り戻しつつある。
 それを失ってしまう障害があるとすれば、万難を排してでも阻止しなければならなかった。
「えーっと、今何時だっけ? あさ美ちゃん」
「うん、9時3・・・40分ぐらいかな?」
「そっか。私ね、このあと保田さんと二人で話したいことがあるから、10時半ぐらいになったらあさ美ちゃんのトコロまでいくと思う。その時部屋にいてね」
「うん」
「じゃ、ぜったい・・・」
 その時だった。

 誰もいないと思っていた隣室から、もの悲しげなピアノの旋律が聞こえてきた。

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