第108話グラデ左 グラデ右保田と吉澤

「で、なんでオトコになったの?」
 何杯かの水割りを酌み交わすうちに再び二人に酔いが回ってきた頃、ほろりと保田がつぶやいた。完全にリラックスした二人が、カウンター席で隣り同士に座り昔やらかした失敗などの思い出話に華を咲かせながらも笑い声がフェードアウトしていった、その時だった。それでいて保田のキリッとした視線の先は、頬を赤らめた吉澤を確かに捉えている。
 吉澤は鳩が豆鉄砲を喰らったかのように目を丸くし、その場―――2階遊技場の一角、バーカウンターが水を打ったように静まり返ったようになりかけた、次の瞬間。
「あははっ」
 ホクロの点在する吉澤の頬肉が、キュッとつり上げる。
「ねえ、なんでなの」
「あはははははははははははは!!!」
 吉澤はこれでもかという位、腹を抱えて笑い転げる。
 これ程の大爆笑は、保田もリアクションとして予想していなかった。
「ナニ? 何がおかしいの?」
「はははは、だって」
「だって何よお!」
「だって、そんな事ストレートに聞いてきたの、メンバーで圭ちゃんが初めてだもん!」
(ああ、そっか)
 その言葉に、保田は自分たちが世間的にも今日集まったメンバー的にも「異端」であることを改めて実感した。
 女という性別を捨ててまで男になろうと、普通なら考えるだろうか?
 顔を失っても歌手を目指そうなどと、常人は考えるものだろうか?

「なぜ男になったの?」
 保田は何気なくその質問を投げかけたが、他のメンバーだったらどうだろう?と考えてみる。かつて家族のような存在だったとはいえ、現在の吉澤の生き方を支持こそすれども心情まで理解しようとまでするメンバーが果たして他にいるだろうか?
 だが「異端」である保田は、同じく、いやそれ以上に「異端」である吉澤に強く興味を抱いていた。

「・・・さあ・・・なんでかなぁ」
 一時期はひいひい息苦しそうにしていた吉澤もようやく笑いが収まり、あらかじめ準備していなかった答えを見つけるべく頭の中をグルグル回転させているように見える。その時間稼ぎのような返事。
「はぐらかさないで。私はもしかしたら・・・」
「梨華ちゃんのことだね」
「・・・うん」
 ようやく吉澤の口から、保田が聞きたかったその人の名前が出た。
 晩餐以降、石川の話題を二人とも避けるように思い出話に浸っていたが、それはあまりにも不自然というものだ。保田にとっては、後輩であり教育係でもあり、友人でもあった石川。吉澤にとっては同期加入でもあり、歳も近く性格が正反対ゆえに深く結びついていた親友。
 だが、武道館での事件以降彼女らを取り巻く環境は大きく変わった。ただひとつ言えることは吉澤と保田は5年振りの再会であったということだけ。
「よっすぃーはこの5年間、あのコと連絡とってたの?」
「いや・・・5年なんてあっという間。長い長いと思いつつも、振り返ると短すぎる時間だったから」
「・・・同感」
「だから梨華ちゃんには・・・悪いけど、あんまり会ってどうしようとかね、そーゆーの考えつかなかった。自分のことで精一杯で」
「ふぅん」
 保田は飲み終わったグラスの水滴を利用して、カウンターテーブルに深い意味もなくハートマークを描く。
「でも私が思うに・・・心の中ではどっか石川の存在がよっすぃーの中に引っかかってたんじゃないかと・・・ワタクシ思ったのですが、その辺どうなんでしょうね?」
「う〜ん、つまり圭ちゃんはこう言いたいわけ?
 俺は梨華ちゃんのためにオトコになった、と」
「いや、そんな単純なことで決意できるような問題じゃないとは思うけど。
 ただイッパイあるだろうオトコになった理由の中に石川があってもおかしくないんじゃないかって思ってたんだ」
「・・・」
「私・・・別に、よっすぃーの気持ちとかはどうでもいいんだけど」
「どーでもいいって、どうよ?」
「ゴメンゴメン、どうでもいいってわけじゃあないんだけど、ただ・・・さっきの石川見た?」
「・・・」
 先刻の石川の悲痛な告白と、その直後のあまりに落差のある笑い声。
 儚い存在となってしまった石川に、誰もが哀れみの目を差し向けた。その中で唯一、吉澤だけが何かを行動に移そうとしていた。
 石川を護って―――
「護ってあげたいと思った」
「・・・やっぱりね」
「だって・・・あんな・・・梨華ちゃんがあまりにも・・・」
「分かるよ」
 頑張れば頑張るほど、空回りすることの多かった現役時代の石川の心の支えになっていたのは、他ならぬこの二人だった。
 彼女を知り尽くしているからこそ、あんな姿を目の当たりにして心が痛まないわけがなかった。
「ワタシ思うんだけどね、石川には加護以外に、もうひとり大きな支えになってくれる人が必要だと思うの」
「なんで?」
「うーん、石川と加護って・・・確かにあの事件含めて波乱バンジョーの人生だったと・・・そう思わない?」
「・・・」
「あ、よっすぃーその目! まるで(ワタシとアンタもそうじゃん)みたいなコトを言いたげな目!」
「・・・」
「そ、そ。ウチら皆そうなんだよね。でも、石川と加護ってさ特に・・・なんかあの二人だけの世界に閉じこもっているような」
「閉鎖的」
「お! ヨシコも難しい言葉使うようになったじゃん」
「別にいいから。何が言いたいンすか?」
「うん。なんかね、その、加護にしろ石川にしろ、二人で支え合っているのは十分伝わってくるわけね、精神的にも肉体的にも。でも、昔スターだったことが大きな足クセになってあまり世の中の流れに乗ってないと思うのね」
「圭ちゃん、それを言うなら“足クセ”じゃなくて“足枷(あしかせ)”じゃないの?」
「ん? そうなの? まあいいや。
 そんでね、確かにあの二人の心の傷ってさ、スゴク深いと思うのよ。だけどね、あの事件から5年。人生はこれからも10年20年と続いていくわけじゃない?」
「つまり?」
「あの二人・・・特に石川に今必要なコトは、この広い広〜い世の中でいろんなイロ〜ンナことを体験した人が側についていてやることなんじゃあないかな、と思ったわけよ」
「広い世の中・・・いろんなこと・・・体験した・・・人」
「そう、例えば」
「圭ちゃんとか」「よっすぃーとか」
 二人がお互いの名前を言い合った。
 吉澤が照れ臭そうに視線を逸らすのとは対称的に、保田はニンマリとしながら彼女の表情を観察する。
「よっすぃー、やっぱり、あンたが石川の側にいて、あのコの心の傷が化膿しないウチに、少しづつでもいいから癒してあげるべきなんじゃないかなって」
「・・・」
「あなたが男になった理由。それは分からない。っていうか、たとえどんなにヨシコ本人が丁寧に口で解説してくれたって、ワタシには理解できないと思う。あ、誤解しないでね。別に否定しているわけじゃないから」
「わかってるって」
「だけどね、私の心の片隅にもしかしたら・・・よっすぃーって石川を護る騎士(ナイト)になるために男になったんじゃないかなって・・・ゴメン、一方的な思いこみなんだけど」
 また保田は大笑いされるのを覚悟の上で、語った。
 しかし予想に反して吉澤は口を尖らせたまま黙り込み、氷だけとなったグラスを揺らしてカラカラ鳴らすだけ。

 保田がテーブルに水滴で描いたハートマークはほとんど蒸発し、消えかけていた。
 モーニング娘。とは、愛とかLOVEとか、そういったキーワードを象徴的に彩っていたグループだったように今にしてみれば思う。ひどく無自覚なまま繰り返せば繰り返すほどに、軽く、薄く、陳腐になってゆく言葉。
 マイノリティな世界で普遍的な愛に憧れつつも、自分にはもう普通の恋愛など許されないことを悟った。あの事件で殊更その想いが強くなった。
 私たちに残された愛のカタチは一体何だろう・・・保田はずっと考えていた。
 そして5年振りに再会した、吉澤と石川。

 この屋敷この日の出会いが、二人の今後の人生を大きく変えるような気がした。そしてその二人の間に芽生えるものが愛なら、どんなにいいことか。
 素直にそう思った。

「ゴメンね、変なコト言って。でも・・・やっぱモーニングの頃からそうだったけど・・・あンたと石川って不思議な関係だったから・・・なんてゆーのかな、じゃれ合っているんだか、けなし合っているんだか第三者から見たら分からないよーなトコがさ。ただ・・・一番あのコが頼りにしいていたのは間違いなく―――」
「いいよ」
「え?」
「もう、いいって」
「いいって何が?」
「もうそれ以上言わなくても。やっと圭ちゃんに言われて分かった。俺梨華ちゃんのことを・・・」
 その時だった。

 誰もいないと思っていた3階から、もの悲しげなピアノの旋律が聞こえてきた。

 二人は振り返ってピアノ室を見上げる。
 黒光りするグランドピアノを前に、悠然と曲を奏でる飯田がそこにいた。

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