第111話グラデ左 グラデ右紺野

「愛ちゃん・・・保田さんとの話って・・・何?」
 惚れ惚れと飯田を遠目に見守っている高橋に対して、腫れ物に触るかのように慎重に尋ねる紺野。
「ん〜ふふふ、私ね、保田さんと・・・一緒に曲創るんだ」
「えっ、そうなの?」
「ウン、ずっと・・・ずっとメールで歌詞とか送り合ってて・・・もうちょっとでカタチになりそうなんよ」
「すっ・・・ごぉい」
 誇らしげに口をキュっと結んだ高橋の表情は、まるで、長い間片思いだった先輩にようやくラヴレターを届けた少女のように瑞々しく輝いていた。
 もしかしたら高橋は紺野が思っている以上に保田を神格化し(という表現が大袈裟に感じないくらい)心の底から慕っている―――と感じさせるには十分だった。

 そこで思い出したのは、元モーニング娘。で紺野らが加入前に脱退していった、ある一人のメンバー。
 詳しい事情は紺野も知らないのだが、グループの絶頂期に不明瞭な理由で卒業を表明し、表舞台から消えていった市井紗耶香。人気が急上昇している中で、突然芸能界から消えていったがためにファンの幻想がどんどん肥大化していった。そしてその期待が頂点にまで達したその時、復帰を果たした彼女を待ち受けていた残酷な結末。シンガーソングライターを目指して娘。を辞めていった彼女だったが、結成されたユニットの活動は痛々しいぐらいに売り上げを落としていった。
 結局市井はファンの過剰な期待に押しつぶされたのだ。他の誰でもない、過去の自分自身に負けたのだ。その屈辱感から、復帰してから活動を続ける中で一時的に芸能界からドロップアウトしたこともあった。
 モーニング娘。の壮絶な最期の影に隠れがちだが、そういった芸能界特有の泥臭い悲劇も存在していたことを忘れてはならないだろう。

 保田のそれとは状況が違うにしても、高橋の中で彼女に対する期待が高まれば高まるほど(逢えないがゆえに膨張する幻想!)、それが裏切られたときのショックは大きいのは市井の例を挙げるまでもなく、容易に想像できる。
 目を輝かせながら保田の話をする高橋を見ていると、紺野はふとそんな不安に駆られるのだった。

「ねえ、そういえばあさ美ちゃん、なんか元気ない・・・? 目が暗いよ」
「あ・・・うん。気付いた? いや・・・なんか気になることがあって」
「気になるって・・・何?」
「この部屋」
「部屋?」
 そう言われて高橋は今自分たちがいるピアノ室をグルっと見回す。
 黒光りを称える重厚なグランドピアノ。
 古びた楽譜―――多分、つんくの集めたものではなく、元からこの屋敷に眠っていたものだろう―――が敷き詰められた棚。赤い絨毯。シャンデリアではなく、シンプルなライト。観葉植物。エンジ色のミニソファ。
「この部屋がどうしたん?」
「う・・・ん〜、具体的にどうってコトは分かんないんだケド・・・なんか変じゃない? 5年前に来たときと雰囲気違ってない? 愛ちゃん」
「あ・・・確かにそうかも。何か違う。なんでやろ」
「他の玄関とか居間とか個室とかは5年前とほとんど一緒なのに・・・この部屋だけ、なんか中に入ったとき違和感が・・・う〜ん、何が違うんだろあの時と」
「ああ、私この部屋で写真集の撮影したわ、そういえば!
 ピアノの位置が少し違うかも」
「ピアノ? 位置?」
「うん、確かね、ピアノ置いてあったの〜もうちょっと階段寄りやったような気ぃするもん!」
「ああ、そうかも。そっか写真集か」
 紺野はこの部屋に入った瞬間から感じていた違和感を、飯田のピアノ演奏中もずっと拭えないでいた。確かに高橋の指摘通り、5年前に比べてピアノの置いてある位置が微妙に異なっているような気がする。
 いや、この部屋でどこが具体的に何処が違っているかということが問題なのではなく―――「なぜこの部屋だけ変わったように感じるのか」ということに対して、大きな疑問符が紺野の頭の中に浮かぶのだった。
 この山奥の洋館だけ、世間の時の流れを断ち切ったかのように、何処を見ても5年前のまま。屋敷の外観はもちろんのこと、エントランスホールから居間を抜けて食堂。厨房。赤いカーペットが敷き詰めてある階段を登り客室。もちろん細かい点、例えば小物やシーツの色などは5年という月日が流れれば変わっていても全くおかしくない。
 だが屋敷全体に漂う一貫した雰囲気は統一されており、それがピアノ室においてのみ前回訪れたときとは違ったカラーで彩られているような気がしてならない。
「ねぇ? だから何?」
 ―――そうだ。確かにだから何なんだろう。

 紺野はその違和感によって奇妙な不安に支配されている自分自身に対して、戸惑っているのだ。自分に置き換えてみれば、いわば実家に帰省した際に妹の部屋が模様替えをしていたようなもので、それが重大な異変と感じること自体おかしい。実家の何部屋かあるうちのひとつが、しばらく見ないうちに壁紙を張り替えた。現象としては、その程度の出来事に過ぎない。
 それでも紺野の胸の内に沸き上がる、あのピアノの部屋には「何かがある」あるいは「何かがあった」という根拠のない確信。

 ―――幽霊? それが部屋の違和感と何か関係が―――

 どうにも煮えきらない紺野は、高橋にとあるひとつのアイデアを伝える。

「ねえ、愛ちゃん・・・最後の写真集ってココにあるのかなぁ」
「この屋敷でウチらが撮ったヤツ?」
「うん、なんかハッキリこのピアノの部屋のどこが変わったか確かめたくなっちゃった」
「はぁん? 確かめてどうすんの?」
「いやなんとなく・・・」
「別にいいやん〜疲れているのにそんなことせんでも。私部屋戻っているから・・・あさ美ちゃんは?」
「うん、その・・・写真集探すわ」
「そ、そう・・・でもさっきの約束忘れんといてよ!
 10時半に部屋におってね!」
「はぁい」
 そして高橋は物置の扉の向こうに消えていった。螺旋階段経由で2階の自室(205号室)に戻ったのだろう。去り際の高橋の目は(一体何考えてんの? あさ美ちゃん)といった困惑の視線を投げかけていた。
 紺野はとりあえず手始めに楽譜が並べられている棚の中から、例の「解散記念・モーニング娘。ファイナル写真集」を探すことにした。

 ―――ここが終わったら、物置。居間の棚。でも一番置いてある確率の高そうなのは、つんく♂の自室の隣りにあるらしい書斎。でも1階西棟は鍵で締め切られている。石川にマスターキーを借りなければ・・・それでも無かったら。いや無い可能性も大いにあり得る。なんせ紺野自身、その写真集を自分の部屋には置いてないわけだから。自分らが出したCD、写真集、グッズなどは照れ臭くて目に付くところには起きたくない主義なのだ。つんく♂もその例外ではないかもしれない。でもあの頃の屋敷の姿をビジュアルとして残してあるのは、恐らくその写真集しかない。
 無ければ無いで、実家に帰れば同じ写真集が置いてある。この同窓会が終わってからでもいい。確認はできる。でも、なるべくなら、今ここでその違和感の原因を確かめておいたほうがいい。いいに決まってる。なんだろうこの理解不能な情熱は。とにかく胸の中で渦巻いている灰色の雨雲が完全に晴れるには、その写真集が必要不可欠だ―――

 ここまでいろいろ考えて、紺野はなぜそれほどまでに根拠のない義務感に駆られるのか、その理由を自分自身に問いただした。

(ばかばかしい)
 ―――高橋の言う通りだ。調べてどうなるという問題でもない。せっかくの同窓会なのに何をやっているんだ私は。ここを調べて、それでも見つからなかったら2階へ降りる階段の途中で投げ出して、そのまま寝てしまおう。

 紺野はそう誓った。心に強く誓った。
 ―――誓いながらも、なお物置に散乱している雑誌類をひとつひとつ丹念にひっくり返して調べる紺野がそこにいた。

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