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“現在おかけになった衛星通信は受信者側が電源を切っているか、地下などの電波が届かない場所にいる可能性があります。留守番電話サービスにお繋げ致しますので・・・”受話器の向こう側から無機質なテープ案内による女の声が流れる。 矢口は留守録の「ピー」という音が鳴る前に慌てて居間にある階段脇の受話器を置いた。そう、いかにも上品と悪趣味が同居しているような金色の装飾のついた白い派手なデザインの電話。まあこの古い屋敷の雰囲気に合っているといえば合っているのだが、初めて見たとき矢口は失笑するしかなかった。 「やっぱり繋がんない」矢口は自分の「圏外」と表示されている携帯電話(安倍の電話番号を調べる際にアドレスを検索するために必要だった)をパーカーのポケットに仕舞いつつ、首を振る。傍らの階段の上から不安そうな目で一連の動向を見守っていた安倍が、手すりに寄り掛かる格好でついていた頬杖を外して踊り場から見下ろす。 上の遊戯室からは、誰が弾いているのか分からないピアノの音が漏れ伝わってくる。もの悲しげな旋律。 あたかも、安倍の絶望に打ちひしがれたその状況を助長するようでもあった。 「うっそぉ〜、どーしよぉ」 「なっち、来るときの私の車の中に忘れてきたんじゃないの?」ぶるぶる。 下唇を突き出しながら首を振る安倍。 「違うよう。この屋敷に来てから、いっぺん部屋の中で電話しようとしたもん。そしたら、あのヤグっちゃんの叫び声がしてきて・・・」 「・・・(あの時か)」矢口がこの屋敷に到着し客室(203号室)に篭って、過去と現在のギャップに悶々と苦悩している時にあの「血まみれに染まった便器事件」に遭遇した。 騒ぎを聞きつけて部屋になだれ込んだ吉澤に、その一部始終を見られた。それからしばらくして、廊下を挟んで向かいの部屋(202号室)にいる安倍も様子をうかがいに来てくれた。安倍は下の居間にいる他のメンバーに釈明してくれたりと、騒ぎが大きくならないように尽力してくれた。 あのフォローは的確だったし、その点に関しては矢口は心の底から感謝している。 「あの時は、確かにバックの中に入れておいたのに・・・」 「ねえ、なっち。携帯だから常に持っていなくちゃダメだよ。どうせどっかに置き忘れているとかじゃない?」 「あんなゴツイの持ち歩けないよ!」確かに安倍の持っている衛星受発信の携帯電話は、小型化が極限まで進んだ現在の一般に普及している携帯電話に比べるとかなり大きい。子供の頃遊んだトランシーバーのオモチャを連想させるぐらい“スタイリッシュ”というキーワードからかけ離れたシロモノだ。 ただ都会に住んでいる分には、普通の携帯電話の電波が届かない場所なんてケースあまり無く、もっぱら衛星携帯電話は世界各国を飛び回るビジネスユースのため、デザインはあまり重要視されていないだけなのかもしれないが。 「はぁ、まあそうだよね。おっきいもんね・・・あの携帯」 「あーどうしよう〜マネージャーさんから怒られる〜」 「そうそうなっち、最後に使ったとき電源切った?」安倍が持ってきたはずの衛星対応の携帯電話が忽然と消えたと聞いて、まず矢口が行動に移したことがその番号をかけてみるということだった。幸いにも、この山奥にある洋館は携帯電話の電波が届かない割には、固定電話の回線は引いてある。(ゆえにインターネットも可能らしい) その電話から、安倍の衛星携帯電話にかけてみれば―――もし繋がれば呼び出し音が鳴って、その在処が分かると思ったが、見事に肩すかしを喰らったという結果に終わった。 「ううん、撮影中じゃあるまいし別にそんなことする必要ないもん」 「じゃあバッテリーが・・・」 「昨日充電したから少なくともあと3日ぐらいは持つはず・・・だよ」 「う〜ん・・・絶対なっちのお得意のボケだと思うんだけどなぁ。トイレに忘れてきたとか」 「も〜違う! 違うよ!」 「とにかく探そう・・・もう一度なっちの部屋を隅々まで探せば見つかるかもしんないよ」 「・・・と思ってさっきまで探していたんだけど無かったよ。トイレとか、ベッドの下まで探したけれど見あたらなかったの!」 「じゃあ、どこかで落としたのかしんない。ホラ、よっすぃーとこの屋敷歩き回ったじゃん」 「う、うん。でもあの時は確か持って出掛けた記憶無いんだけど・・・っていうか、ここに来てからバッグの中にずっと入れておいたはずなのに・・・」 「・・・そうなの? 「・・・」矢口は思い当たることはすべて言った。順を追って考えてみる。 矢口が運転しているときに、確かに安倍は衛星携帯電話を使ってパソコンでメールチェックをしていた。矢口がゴッツイ携帯を見たのはそれが最後だったが、携帯電話を持ってきたのは確かだ。屋敷についた。確か午後4時集合予定だったが、遅れて実際には5時10〜15分前ぐらいになってしまったと記憶している。特に寄り道もせずに自分の部屋へと向かった。 そして―――あの「事件」が起こった。 203号室に安倍と吉澤が駆けつける。結局原因は曖昧なまま部屋を替えてもらうことにした。矢口は203号室の後始末をしたり(心細いので、紺野にそばにいてもらった)、引っ越しのためにいろいろ動き回っていたような気がする。安倍はその間吉澤を伴って裏庭などを散歩していた。 本人は携帯を部屋に置いてきたと言い張っているが、矢口はもしかしたらその散歩の時に携帯を落としたのではないかと睨んでいる。 「じゃ、なっち。裏庭に行ってみる?」 「盗まれた」 「・・・?」 「盗んだんだ、誰かが」やおら安倍は、重々しく口を開いた。 「なっ・・・」 「そうでなきゃ・・・それ以外考えられないんだもん」 「え・・・? あ・・・でもそんなことするなんて」 「誰? 誰だろ、ねえ」安倍の鋭い視線が矢口に突き刺さる。 「き・・・決めつけることないじゃん、なっち。そんなことする人なんて今日ココにいないよ! みんな仲間で―――」 「誰でも盗むチャンスはあったはずだよね」 「・・・!!」―――まさか―――まさか、なっち私を・・・私まで疑っている?
誰か盗んだ、という発想に至ることがまず矢口には無かった。
ゆえに中に人がいないときは、誰でも他人の部屋に出入りできる状況ではある。 (・・・確かに状況だけ見れば―――なっちがよっすぃーと散歩していたとき、夕食のとき、夕食が終わってなっちが皿洗いしているとき―――誰でも留守の間になっちの部屋に入ろうと思えば入れたけど)屋敷に来ているこの同窓会のメンバーの誰かが安倍の携帯を盗んだと仮定して、そういった行為自体ももちろん悲しいのだが、それより即座に「盗まれた」と発想する彼女に対して、矢口の背筋に冷たいものが走る。 かつては頭の中がお花畑のようだと安倍のことを形容した矢口。その色とりどりの花は今でも咲いているのだろうか? 「あ、ありえない、よぉ」矢口はしどろもどろになりながらも、必死に声を振り絞る。
確かに誰もがアイドルだった頃と比較して、現在置かれている状況はかなり異なる。ある者は身体的にハンディキャップを背負い、またある者は一般人に戻り、ある者は再び歌への夢を追いかけている―――そして、大きな挫折を味わった者もいる。でもそんなバラバラの人生を送ってきたメンバーにとって、最後の守るべき共通意識が「お互いを信頼する」ということではなかったのだろうか。
―――とそこで矢口はふと、とあるメンバーの存在が脳裡をよぎった。
辻希美。 「オレ見たもん、ののを。今日。この屋敷で」先程吉澤が晩餐会で漏らしたあの言葉。 あの時は逆上して自分を見失ったが、今ではこの同窓会に正式に参加している以外のメンバーが屋敷に実は潜んでいる、という奇想天外な発想ももしかしたら「あり」なのでは、と矢口は思った。
別に辻でなくてもいい。
とにかく安倍のその疑念だけは早急に消し去らねばならない、と矢口は思った。 「あのね・・・その・・・とりあえずこの屋敷に詳しいはずの・・・あいぼんと梨華ちゃんに相談しよ・・・ね? それからでも遅くはないと思う」悲痛な告白により晩餐会を途中退席した加護と石川。 あれから1時間も経ってないが―――だから精神的に落ち着いているかどうかも分からないが―――同窓会が始まる1週前から滞在し、この屋敷の構造に一番詳しいのはこの2人に他ならない。彼女らにとりあえず相談して、今後の展開を決めてみる。いや、それより今の安倍と二人きりでいるのが、いたたまれなくなったというのが偽らざる矢口の今の心境だ。 今の安倍の視線を分散する。それが矢口の本当の狙いだ。 「でもアノ二人に相談したところで見つかるかなぁ、ケータイ」 「とりあえず・・・ね。行ってみよう」有無をいさわず、矢口は1階東棟への扉へと走った。安倍が渋々でもついて来てくれることを期待しつつ。 その進んだ先の101号室は、加護と石川の相部屋。二人に相談したところで、あまり決定的な解決には繋がらないであろうことは、矢口にも容易に想像できた。それでも安倍と二人きりでいると、どんどん望まない方向へと傾いていくような気がしたのだ。 ああ見えて、しっかり者で器用な加護。彼女なら何とか現状を打破してくれるのでは。
だがその考えが甘かったことを、矢口は101号室の扉を開けた瞬間に知ることになる。 |
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