Last Updated:2000.06.01

      「私がプログレッシャーになった訳」(23歳、男性)

 

 

 

幼児期のトラウマ

 私が自分の意志で入ったと思ったプログレワールドも今から考えると、幼児期にやたら聴かされた影響が強かったのではないかと思う。
 私には歳の離れた兄がおり、私が物心つくころには、彼は立派なプログレッシャーと化していた。彼はプログレワールドに初めからはまっていたわけではないにしても、プログレとともに相当生きてきたツワモノである。アナログ時代から、人脈と持ち前の行動力によってカセットテープにダビングしたり、中古レコード屋から買い漁ったりしていたようである。
 そうした時期に有無を言わせず、イエスやEL&Pを聴かされていた幼児期の私にとって、のちにイエスを聴いて「初めてじゃないみたいだ」と考えてしまったのも無理はない…。

 

プログレとの出会い(再会?)

 私がプログレを初めて(自分の意志で)聴いたのは、中学3年の頃だった。この頃はちょうど90年代の前半で、プログレの古典派(イエスやEL&Pなど)が相次いで再結成したり、久々のニューアルバムを出した時期であった。ちょうど、音楽雑誌「FMステーション」(今でもあるのかなぁ…最近本屋でも見ないけど)で紹介されていたエイジアの「AQUA」のジャケットに魅せられた私は、思わず買いに走ったのであった。…もっともこのアルバム自体にプログレ的な要素は希薄であると思うのだが、お約束的に過去のアルバムを買い、メンバーの経歴に関わるアーティストのCDを買い…などという行動に私を走らせるには十分なきっかけであった。
 また同じ頃、これまた雑誌で紹介された
ジェネシスの「ウィ・キャント・ダンス」に魅せられた私は、衝動的に買いに行くことになった。このアルバムは市場ではいまいちヒットしなかったが、私の中では今でも名作アルバムのカテゴリーに入っている。
 そして私のプログレ道を決定的にしたのが、やはりプログレッシャーの兄であった。高校1年の春に休暇で戻ってきた兄が、私がプログレっぽいCDを買い始めていることを大層喜び、
イエスの当時の最新アルバム「結晶」を渡してくれた。結局、高校1年の段階でピンクフロイドを除くいわゆる4大プログレバンドと接触する羽目に陥ってしまったのであった。

 

そしてプログレッシャーへ

 高校1年で既にメジャーのプログレバンドと出会った私であったが、本格的にプログレッシャーとなるには高校3年まで待たなければならなかった。もちろん、それまでにイエスの「危機」EL&Pの「タルカス」「恐怖の頭脳改革」を聴きまくってはいたのだが…。
 高校3年時に私を再びプログレ道に導いたのは、やはり兄であった。これまた帰省していたときに、アメリカの「カンサス」というバンドの曲を聴かされた。それまでプログレといえば、イギリスのしかも五大バンドくらいしか知らなかった私にとっては結構な驚きであった。
「カンサス」はかなりメジャーなバンドなので、容易に手に入れることが出来たのも、プログレ道に一歩踏み込むいい契機となってしまった。
 また、当時私が住んでいた街に
イエスが「トーク」を引っさげてライブにやって来ることになった。「トーク」は80年代に生まれ変わったイエスの集大成的なアルバムで、かなりの意欲作である。このアルバムを結構気に入っていた私は早速チケットを購入。これにより私のプログレッシャーへの道は決定的となったのであった。
 高校3年で、中古CDを買い漁った私は、それからイエス・EL&P・キングクリムゾン・ジェネシスで未購入のアルバムを買い求めた。厳密にそれがプログレかどうかは微妙だが、
ジェネシスの「デューク」にはかなりはまった。
 高校卒業後、上京して予備校生活が始まる。やはり東京にはまだまだ知らないジャンルのCDがいっぱいあった。ちょうど、予備校の近所にあった御茶ノ水のディスクユニオンや秋葉原のヤマギワソフトでちょっとマイナーなCDを多数買った。いきなりはまったのがマグナカルタレーベルから出た
「カイロ」。EL&P的な構成が良かった。

 

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