| 塩田修 |
事務所入り:1995.8.22
主な仕事:「関じゃにNight」「DO-YA」
シアター1200「KYO TO KYO」
98年12月、KTK終了と同時にJrを卒業
|
さて。現在、かずみの中で一番存在の人、塩田修。 神様、こんな子をどうしてかずみの前につれてきたのかしら。なーんてメルヘンチックに祈っちゃうくらい好きです。神様、こんなに素敵な子を作ってくれてありがとう。修のお父様とお母様とご兄弟とお友達と、それからMAIKOのみんなにもありがとう(^O^)修がいればかずみは幸せです!!(そこまでゆーか(笑)
修のどこが好きかって言われても、それはそれは難しくって答えられない、ってのが事実。修のダンス、踊ってる時の顔、声、指、目、肩のライン、背中、しゃべり方、もちろん笑顔、それから甘えんぼなとこも。おっきいのにちょこんとしゃがんじゃうとこも、きれいな指も、全部大好き。外見も内面も全部イイ。とゆーかいっちゃえば存在自体全部好きなわけです(笑)そういっちやうと身もふたもない。一言で終わっちゃうの。何にも書く事なくなっちゃうよ。こんなスペースとることもないわけ。実のところは「彼のどこが好き?」「ぜんぶっ!!(ハート)」とか答える娘さんたちと何ら代わりはないんです。はい。それは自覚してるんだ、すごく。だからほんとは語ることなんてなんにもないの。 だって、すごい溺愛してるんだもん。もー、修のやることだったらそれが何でもいい!!って思ってるの。修がやりたいことならそれがなんであれ無条件に応援するし、受け入れられる。否定も意見もいらない、の、それでいいんだから。ガンコで強情で自分勝手で人の意見を聞かないかずみがそんな風に思っちゃったんだもの、もうどうしようもないでしょ。でも、そんな自分がすっごく幸せだと思えるし、だからほんとにあのコが何やってもいいの。本人がちゃんと納得してることだったら、もしかしてそれが間違ってる事だったとしても、きっと否定はしないと思うんだ。それは、修がまっすぐで素直で優しい子だから。それから、自分の好きな事のたるには本気でがんばれる子だから、そんなの見てればわかるじゃない。まだ若いんだから悪い事だってするだろうし、ずるい事も、まちがった方法もいっぱい知ってると思う。手をぬいたりやる気がなくなったり、さぼったり、でもきっといつかそんな自分を置いて、大好きな事のためにまっすぐ歩き出すと思うから、だから、何もせずにただ見てたいなぁって思っちゃうんだ。どっかで、信じてたい、ってのもあるね、きっと。
でも、時々、出来るなら辛い思いしてほしくないなぁって思うの。努力するのに邪魔なものは、出来るならとりさってあげたい。修が歩く道を邪魔してほしくないの。こんな過保護な願望があって自分に時々びっくりするくらい。かずみって、可愛い子はとりあえず谷に落としとけ、みたいな人だったのに(笑)修には絶対そんなこと出来ないよー(>_<)でもその理由は、自分がいっちばんきつい時に、KTKって舞台のおかげですごくそばにいてくれたように思えたからかもしれない。修のダンスや笑顔で、いっぱい幸せにしてもらったし、それで本当に元気になれたんだ。ちゃんと生きてけた。だから自分が普通なら納得できないような理不尽なことだってなんだって修のためならかまわないって思うのかもね。・・まあ出来ることなんて限られてるんだけど。ファンが出来ることってゆーのは、応援すること。ただそれだけ。またそれも幸せだよ。だってずっと好きでいられるんだからね。 これから先、いっぱいの人に手助けされて、手をひかれながらでもいいから、行きたい道を進んでってね。意地はったり、すねたり、負けたりしないように。誰かにおんぶされてての道のりだって決してはずかしいことじゃないし、それが修の持ってる力なんだと思って欲しい。でも、いつか自分だけの足で歩けてどこかにたどりつけたら、その時はいっぱい拍手して、声援送りたいと思います。ダンス、がんばってね。 |
|
| 鎌田淳 |
98年4月より、京都で舞台KYO TO KYOに出演
98年12月のKTK終了と同時にJrを卒業
|
京都の鎌田淳、通称鎌っち。鎌さんってゆーのとはビミョーな違いだけど、呼び名ってその時の人間関係を明確にあらわすものだと思うの。鎌田はMAIKOじゃみんなのお兄さんじゃなかったし、誰からも頼れるリーダー的存在じゃなかったからね、ミドルの時とは立場がやっぱり違ってたんだと思う。きっと、あれがただの鎌田淳だったのかなあって今だから思います。今までJrとして生きてきた時間に生じたMASKを全部剥いで、無駄なものをそぎおとし
た状態。それは自分で選んだ居場所だったし、自分で自分を追い込んで、自分の中に残ってる底力みたいなモノを見つけたかったのかな、自分探しって言うんじゃないけど、ギリギリの状態にならないと自分が本当にどれだけの力があるかわからない、そんな風に思ったりしたんじゃないかなって。実際、京都行ってからの鎌田はすごく変わったと思う。もちろん尾身だってかわったけど、それは単に成長って言葉であらわせるもので、でも鎌田はそれとは違う、何かが剥き出しになってた。多分、甘えを許さない自分と、ギリギリの体力、それからもう後のない背水の陣的なオーラ。それが京都の鎌田淳だったんだと思う。自慢の筋肉が落ちて、痩せていく姿は見ていて不安だったけど、それで何かつかめるんなら・・ってかずみは思ってたんだ。
そう思ってたからこそ、見えないふりをしちゃったのかもしれない。鎌田の体のこと。
だらけてさぼってへらへら笑って、やる気のないふりして最後まで押し通した9ヶ月。最終公演で初めて伝えられた体調のこと。「踊ったら死ぬ」「ドクターストップ」「最後だから」いろんな言葉が聞こえた時、たまらなかったよ。「ちゃんと踊れよー」なんて笑いながらくだらないこと言ってた自分が情けなかったよ。うすうす気付いてたから余計悔しかった。だって見えてたはずだもん、浮かんでた脂汗も、悪い顔色も、面サウナ表情も。だけど、みないふりしてた。だって無敵の鎌田が弱ってるとこなんてみたくなかったから。だから鎌田が笑って言った言葉が自分の中でジレンマになっていつまでも消化できないでいたんだ。心配だったし、辛かった。誰でも体調が悪い人が無理してたらそう思うのはあたりまえ。でもどっかで、鎌田が泣き言言わないならだまされてやろうじゃん、きっとそれを望んでるからこうして笑ってるんだ・・って気持ちがあったから、どうしようもなかった。かずみは鎌田淳のオーラってやつが好きで、無条件で何もかもが好きって言う、たとえば修みたいな存在とは違って、鎌田は鎌田らしくいてナンボってのがあるから、無理してでも笑ってる鎌田を指差して「あの人は弱ってる」なんて悪趣味なことはしたくなかったんだ。それは偽善かもしれないけど、今はそれでよかったと思うよ。最後までそれで押し通してくれなかったら、裏切られたよう思ったかもしれない。おかげでかずみの中の鎌田淳は何もかわらずいつまでもタフで無敵。ちょっと弱み見せて心配させたかと思うとぺろっと舌出して笑ってる。うん。鎌田淳はやっぱりそーゆーオトコなんだ。最後の瞬間、かずみはやっぱり鎌田みたいになりたいなぁって本気でそう思ったんだ。うん。
|
|
| 今川晴司 |
事務所入り:1994.12.24
98年4月より、京都で舞台KYO TO KYOに出演
98年12月のKTK終了と同時にJrを卒業
|
晴司を意識したのは名鑑2の頃。ちょうどBOYSってグループで雑誌にも出始めてた。第一印象は「大阪のヤンキーってこんな人?」(笑)あきらかに自分で色を落とした金髪、ちらっと見える凄みのある(ように見せてる)表情、コギャルにびっくりしてみたり、プリクラだ、ケンカだ、やんちゃな受け答え、どれをとっても東京の子にはないパワフルな感じでいっぱいだったもんだから、ほほえましく見守ってたもんです。いや、元気だったね。あの頃の晴司は。何を見ても怖いもんなしって感じであふれてた^^; 髪を伸ばしてた名鑑3の頃。関西ジャニナイトでもやんちゃバクハツ。勢い込んでやるアクロバットが得意げで、あの頃の晴司見てた自分はすっかり近所のお姉さん状態だったわ(笑)
だから98のKTKが始まってからしばらく、すっごい心配だった。見る見るうちにやせてくしふらついてるし、後半なんか「今日は晴司来てる??」ってまず心配するのが友達との間で日課になっちゃったりしてねー、早い回は殆どいなかったらしいけど、かずみは早い回って見ないことが多かったから(起きられにゃい・・前日京都泊まりの日は別だけど)おんまりそういう時には遭遇しなかったなあ。でも、そのおかげで修源氏、思いがけずたくさん出番ありだったのよね^^; 「クールビューティ(by尾身)」なルックスのお陰で晴司源氏は最高にきれいだったねー、烏帽子の下でさらさらゆれる金髪の前髪!!(かずみは晴司が黒髪から金髪に戻した時思わず拍手した組さっ^^;)でも晴司源氏を一発目に見た人は、大抵あのルックスにだまされてたね〜!後で小ネタ披露するやんちゃな晴司見てビックリ、てなもんですわ。うちの相方もかなりだまされてたわー「性格もクールなんでしょ?」って。そんなわけあるか(笑)晴司がクールだったら、みんな大変だわー!!
いっぱいかっこつけて、その後に見せるくったくのない笑顔にほっとしたりして、晴司の笑顔はいいよねぇ、無邪気ってゆーか、あれが素なんだろうけど悪気がないってゆーか(笑)でも誰かとじゃれてたりふざけあってたりするときがいっちばん楽しそうだった。その時の笑顔が一番だったな。修のBirthの時、何回も何回も叫んでくれた。仲間思いの熱い晴司。願わくば、あの笑顔がずっと晴司から消えないように。
|
|