長いが読むべし!
三味線の歴史
まずは、だ。
そもそも三味線っつーもんはどこからやってきたんだってことだ。
インドの代表的な楽器でシタールってのがあるよね?
びょぉ〜〜ん、みょぉ〜〜んってエキゾチックな音色を奏でるアレだ。
私も三味線を始める前にかなりハマってて、わざわざインドまで行って買ってきた。
いや、シタールを買うのが最大の目的ではなかったんやけどね…
日本円にして約1万円。これが日本で買うと同クラスので10万以上するんだな。
ぼったくりやん… だいたい日本の楽器屋っつーのは…
おっと、脱線… そんなグチを垂れるサイトではないのだ。
話を元に戻そう。
インドの代表楽器シタール、
そいつが三味線といわば親戚関係にあるというのだ。
何ィ!?
んなアホな。 まるでそれはメルセデスベンツとママチャリは親戚だ
って言ってるくらいブッとんだ話だぜ。
だってシタールは主要弦だけで5,6本あるし、共鳴弦入れたら何10本にもなって
俺みたいに、
2,3本いっぺんに切れたらわざわざインドから
苦労して持ち帰ったにも関わらず
二度と練習する気が起こらなくなるくらい
弦の多い楽器ですぜ!?
三味線は読んで字の如く、弦(糸)は3本。
毛髪でいえば、オバQとアウストラロピテクスくらいの差があるぢゃないか!?
(アウストラロピテクスのは毛髪なのか?)
もしくはヒゲでいえば、猫と尾崎紀世彦くらいの差だ!
(もういい&あんましおもしろくない)
しかも胴はカボチャで、だいたい大きさも三味線の軽く2倍はあるぞ(容量で)。
フフフ… しかし、しかしだ。 驚くなかれ、ご同輩。
人間同様、見た目で判断しちゃイカンのだよ。
実はシタールは長い歴史を誇るインドにおいては、ゆーても比較的最近の楽器。
ほぼ12世紀から13世紀の間頃に西アジア、
つまりペルシャ、トルコあたりからインドに入っていったのである。
その楽器というのは、セタールというペルシャ系楽器。
インド人はそのセタールをそのまま使うのではなく、
弦を増やし、胴を大きくし、深い音色が出るように直し、
さらに特殊なフレットまで考案し、伝統的なヴィーナと折衷させ、
あの独特の自由な音楽性に相応しいものへと改良していったのだ。
ところでこのセタールという名前、どういう意味かわかります?(わかるかい)
実は、ペルシャ語で「セ」というのは「三」のこと。
「タ−ル」というのは「弦」のこと。
セ タール
三 弦
びっくりだぜ、兄弟!?
要はルーツが同じだってことだ。
さてそれでは、本題に入ろう。(前置きながっっ!!)
ペルシャ起源のセタールとかその辺の楽器、そいつが中国に渡る。
おそらく中国人もそのまま翻訳して「三弦」(サムシェン)としたんやろね。
けど実際、三弦の祖先となると、エジプトのノフル(ネフル)、
中央アジアのクーブーズ、タール、タンブーラ、
チベットのダムニアンなど多数の楽器に分かれてしまう。
いくつかの違った種類の楽器が元の時代に統合されたのだ
という説が有力。
福建地方を中心に民間楽器として用いられていた三弦が
中国全土に広まったのは清朝中期。
「京劇」の中で劇場用楽器として使われだしたのがきっかけらしい。
そしてそれが14世紀末、
琉球(沖縄)に伝来する。
いわゆる「三線」(サンシン)、または「蛇皮線」と呼ばれる小型のもの。
皮にはニシキ蛇を用いる。
サムシェンもサンシンもバチは用いずに指、または義爪をつけて弾く。
そんなリュート属長顎撥弦楽器が
日本本土に伝来してくるのは16世紀末。 頃は室町時代末期。
1562年(永禄5年)なんてやけに正確な話があるが、ホンマか!?
ま、永禄年中(1558〜70)であることは確からしい。
堺商人の貿易船により、大阪の堺港に伝来したというのが通説。
あと、中国から韓国を伝わって富山に渡り、
上方(大阪)に伝えられたという説もある。
しかし、もちろんこの時点では今のような三味線ではなくいわゆる蛇皮線。
そしてここは日本、ニシキ蛇の皮の入手は当然ながら困難。
そこで代用品として、他の動物の皮が試みられたが
結局、犬と猫に落ち着いた。
非常にエグイ話だが、やっぱり猫の皮はいい音するらしい。
しかも、グロイ話だが、性交渉未体験の猫の方が
ベストという話を聞いたことがある…
皮の詳しい話は後でするとして…
当時の日本における弦楽器といえば琵琶、その奏者は琵琶法師。
そんなわけで、その蛇皮線を改良、工夫したのは琵琶法師だと
言われている。そのため、指や義爪でなく、バチが用いられるように
なったという説が強いのだ。
「お、何じゃコリャ、ちぃこぃ琵琶じゃのぅ」
『どうやって弾くんじゃ?』
「どうやってって、ワシャこれでしか弾けん」
ベベン…
『ふむ…それでえ〜んじゃねか?』
そんなテキトーなノリで定着したのだろうか…(まさか)
何はともあれ、おかげで日本の三味線という独特な楽器が生れることに
なったのだから、琵琶法師にはスーパーひとし君をあげたいところである。
現在、三味線は進化を遂げ、細棹・中棹・太棹と大きく分けて三種
存在するが琵琶法師がいじくっていた当時は細棹である。
その後、浄瑠璃⇒三曲合奏⇒義太夫⇒
と三味線音楽が確立されていくのだ。
いわゆる「語りもの」として存在する浄瑠璃。
その進化、派生の中で最も重要なものは義太夫だと思われるが
その格調高い語りものに対して、『豊後節』というメチャ情緒的で煽情的な
正確をもったものが江戸時代、急激に世に広まることになる。
豊後節は義太夫が盛んなりし頃、起こってきた『一中節』から
生まれたものだが
つまりは、パンクやね。
あおって、あおって、江戸時代の人々の心に強く訴え、大流行しすぎたため
幕府から強い圧迫を受け、やがて絶えてしまったわけだ。
まさに、パンク
カルトやね、ある意味。
この豊後節から実は、常磐津、富本、清元、新内という
三味線音楽が生まれていったのである。
さぁ、諸君。
そろそろワケがワカランように
なってきただろう。
非常にややこしい。 てゆーか、細かすぎ。
あえて言おう。
俺にはよくわからん。(エヘン)
まぁ、アレだ。
パンクだ、オルタナだ、ソフトロックだ、グラムロックだ、ヘヴィメタルだ、
グラインドコアだ、エモコアだっていっても
要はロックでしょ?
だいたい、エモコアって何やねん。 エモーショナル・コアか?
感情的なハードコア?
感情的じゃないコアってどれやねん。 ノン・エモコアを聴かせろよ!
(まぁ、そんなテキトーなノリでこのサイトは名付けられたんやけどね)
デスメタルとグラインドコアの違いを教えてくれ!
そもそも、オルタナって何じゃい!?いつまで使うねん!!
「ニューミュージック」なみにヤバイ表現やろ!! ウガガガガッ!
ハァハァ… いかん、取り乱してしまった。
まぁ、そんな感じで、三味線音楽も当人たちの意志、プライド、ポリシー
などによって細分化/ジャンル分けされたのであろうと
あえて暴言を
吐いておこう。
(お叱りはこっそりメールで)
真面目に話をすると
常磐津節や清元節は歌舞伎音楽として栄え、
新内は座敷浄瑠璃として確立した。
また、歌舞伎の伴奏には小唄が用いられていたのだが
それを長編化してできた江戸長唄(いわゆる「長唄」と呼ばれるもの)と
検校たちが小唄をつないで長唄となった、別名地歌が確立。
江戸末期には小歌曲が流行し、端唄、うた沢節、小唄が確立。
明治に入ると、地方の民謡を三味線の伴奏で歌う俗謡、浪曲などが
はやり、三味線音楽全盛の時代を迎えるわけだ。
それでは次に焦点を
津軽三味線に絞って話を進めてみよう。
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