8月も終わろうとしている...。8月も終わりということは世間的には夏休みが終わるということだ。

バイト先の小学生や中学生に話を聞くと、

「もうとっくにおわったよ〜。」
「もうすこし...今日中には。」
「もうムリです...。」

などなど、いろんな答えが返ってきった。

今も昔も、宿題の内容はそんなに変わっていないようだ。日誌、ポスター、自由研究などなど。いまでも自分が作った最初の自由研究は忘れられない(自分の誕生日の10年分の天気図をまとめた)。

中でも、読書感想文は、いまの子たちも苦労しているようだ。夏休みもあと2日なのに、まだ本すら読んでないツワモノもいた...。



そこで、ふと思い出してみた。自分は、どうだったのかと。

当時、小学生のころは、読書は苦手で大嫌いだった。芥川龍之介や夏目漱石といった有名どころなど、いまですら開いたことはない。よって、読書感想文なんて、毎年避けては通れない、予防接種のようなもので(たとえが幼稚だなぁ)、イヤンイヤンであった。


そんな読書感想文にまつわる話がある。


あれは、確か小学校2年のとき。愛知郡日進町(現愛知県日進市)の小学校に転校して、最初の夏休みのときだった。
夏休みもあと2日となった。しかし、宿題がぜんぜん終わっていなかった。なかでも読書感想文はもう絶望的なところまできていた。本は用意はしてみたが、読んでもいなかった。

うわ〜、これは間に合わない。どうしよどうしよおか〜さ〜ん、と母親に泣きついてみた。

次の日の昼、他の宿題に手をかけているところに、母親がやってきた。手には、広告のチラシを6枚ほど持っていった。

「はい。」

と、それを渡された。よくみるとそこにはびっちり何かが書かれていた。

「これを、自分で原稿用紙に清書しなさい。」

なんと、母親が、バカ息子の代わりに書いて手伝ってくれたのだった。

いや〜親は偉大だ。へへーと低頭しながらそれを受けとり、3,4時間かけて原稿用紙を埋めた。

宿題はすべて、無事完成した。やれやれである。



事件はそれからである。



2学期が始まって1ヶ月近くたったある日の朝礼の時間。いつものように、校長先生の長い話が終わった後だった。

「2年1組、K−taro!」

はっ?!名前が呼ばれた。なんのことか一瞬わからなかった。前を見ると、他にも呼ばれた何人かが校長先生の前にずらっと整列しているではないか。

「K−taro、早く出てこんかい!」

担任の先生に催促された。事態を飲み込めないまま、とことこ前に並んだ。

なんと、「第xx回夏休みこども読書感想文コンクール」校内選考に入選したのだった。



「おめでとう」

校長先生は笑顔で、賞状を渡してくださった。クラスのみんなも口々に、おめでとう、すげーなーと祝ってくれた。

人生で初めて手にした表彰状が、母親が書いた読書感想文で、とは口が裂けても言えなかった...。
その日、俺はトホホ〜な気分で、下校した。


しかし、事件はまだおわらなかった(事件か?)。


さらにその1ヶ月半を過ぎたころだった。
そのときは、雨で、朝礼を体育館で行っていて、みんな地べたに体育座りしながら、校長先生の長い話を聞いていた(フリをしていた)。そんな長い話が終わった後、つづけて教頭先生がマイク片手に舞台にあがった。

「第xx回夏休みこども読書感想文コンクール 郡選考に入選した人を発表しまーす。」

グンセンコウ?なんだそりゃ、まだそんなもんがあるのか、とぼーっと聞いていた。
そしたらなんと、クラスの同級生のA倉君が発表された。彼は校内選考にも選ばれていた、とてもスポーツ万能な子であった。
お〜すげーなーと周りの友達と驚いていると、次の瞬間。


「同じく2年1組、K−taro


がちょーん!!

なんと、親の書いた読書感想文で、校内どころか、愛知郡内の小学校のコンクールまでも賞をいただいてしまったのだった...。またもや、なにがなんだかわからないまま、その場に起立していた...。


当時は、まだ事の重大さにそれほど気づかなかったが、今考えたら、ほんと、トホホ〜な思い出である(ちなみに、家族がどういう反応をしたかは覚えていない)。


でも、中学のとき作文コンクールで佳作をとったことがあるのですよ。ちゃんとこれは自分で書いたのですよ!ほんとですよ!!