先日、実家の岡崎に帰った時、物置のようになってる部屋を漁ってみた。そしたらでてくるでてくる、昔の産物。ふる〜い写真や、へったくそな絵がいっぱいでてきてしばし悶絶した。

その中から、1冊の文集がでてきた。「和」と題された、中学校の文集だ。文集といっても作文中心の、ではなく、クラス紹介やクラブ紹介、学校行事の作文などがおさめられてる。
はて、なんでこんなもんが、とパラパラめくっていくと、あった。

「放送委員会  K−taro」

え〜!!
愕然とした。そして思い出した。
これは、初めて自分の文が活字になったのである。だから、こうしてとっておいてあったのだろう。

もともと文を書くなんて、苦手で大嫌いであった。そんな俺でも、小学校の読書感想文コンクールでは入賞をもらい、中3では、学年最後の作文コンクールで佳作を頂いたこともある。南山大学の05年度用パンフにも、拙い文章を載せていただいたし、現にこうしてWeb上でもなんらかしら書いている。
それでも、10行書くよりは5曲、人前で演奏したほうがよっぽど楽だぜぃ、な学生であった。

それでは、当時どのような文章を書いていたのか。ひとつここで披露し、検証(?)してみようとおもう。
(小学校とかの文集も発見したが、あまりにもお見せできるような状態ではない)

他の文章から察するに、これは、中2の頃書かれたものらしい。音楽と、機械がいっぱいある部屋が好きだった俺は、小学生の高学年から、放送委員になり、中学に入ってもそのまま放送委員を続けた。こんなこと知ってるのは、一緒にやったyatooぐらいか。まるちゃんは知らないだろうなぁ。では、ところどころツッみながみていきましょう。

「私は今、とてもなやんでいる。この原稿のしめ切が明日だというのに、いまだに何も書けていないのだ。読書感想文400字も満足に書けない奴に800字、しかも『和』にのせるというのだから、これはこまったもんですよ...。時計の針は12時を回ってしまったし、そろそろ、眠たくなってきた、まだ宿題もあるし、どうしたらええかなぁ...。」

キター!この出だし!なんらかしらの原稿を書かなければならなくなった時、誰しも必ず1度はやってしまう書き出し!文化祭のパンフの後記には、毎年ほぼ1回は見るであろう、常套手段である。

「...と、考えた末、こうやってわけのわからない文章を書いて、マス目を減らすという、キタナイ作戦(?)をとらせていただいた。」

そうなんです。所詮そんなもんなんです。みんなこのような作戦をとってきたんです。

「...と、いってもまだだいぶ残っているので、そろそろこの辺で、放送委員会という組織(??)の全貌を明らかにしていこう。」

やっとここで話が始まります。とても大袈裟な描写である。

「委員会の集まりは普通水曜日に行われるが、放送委員会は当番を決めたら1ヶ月くらいは集まりがないのでその点は楽である。当番は決めた日に放送室へ弁当持参の上、参上つかまつる。忘れたりすると、ヤバイので気をつけよう。」

当たり前である。

「放送内容は自由だ。まず始めにマイクで、『ハーイ。X年D組の林佳樹と松本秀人(仮名)でーす。』と、かるく自己紹介(名前を言うだけだけど...)をする。流す音楽も自由だ。ミスチル、小室哲哉関係、調子にのって嘉門達夫でもOKだ(昼食時は、みんな結構ワイワイガヤガヤしているが、さすがに嘉門達夫が流れている時は、沈黙と爆笑が繰り返される...。)」

まず冒頭。仮名と書いてあるけど、おもいっきしXjapanのYoshikiとhideの本名である。嘉門達夫も当時いろいろ流したけど、好評だった。しかし、この文章の直後「担当教員注...事前に放送計画表でチェックをします。」と入れられてしまった。しかし、いま思い返しても、チェックなんてあったか...

「冬の放送室はスッゴク寒いのでコートは必需品だ。(嗚呼...ここにも先輩のヤサシイ心遣いが...アア...)」

後輩諸君がこの文章を読んだかは、謎である。

「要するに、放送委員会はとてもすばらしいのだーのだーのだー(エコー)...以上で、文を終る、なんかダラダラと書いたが、これで放送委員会のすばらしさがわかってもらえたらと思います。」

トリビア風に書いてあるが、ちっとも、要するにじゃない。ほんとケンカ売ってる文である。

「あー...やっと眠りにつける...。ん?やけに空が明るいなぁ...。」

この文章は原文ママ、すべて事実です。こんな文章を書くのに徹夜したらしい...


以上、これが中学2年当時の作文である。
あれから、9年。なにをどう間違ったか、みなさんに読んでもらおうと文章を書くようになった。
人様に恥ずかしくないものを出すよう、いつも心がけている...が...