<解説> 1980年以前からその活動が確認されているが今以てその実態がはっきりしない幻のユニット。しかし,susieがこの2人に誘われるままBANDを始めた事だけは確かである。
T. SATO このユニットのリーダーであり,またあらゆる活動の首謀者,陰の仕掛け人,そして多重録音の導師である。80年当時,YAMAHA CS-30を所有し,近所迷惑をモノともせず多重録音に精魂を傾けたその生き様はsusieの心に今も深い感銘をもたらす。彼が編み出した数々の多重録音のテクニックはまさにコロンブスの卵のようであり,当時Y.M.O.に傾倒した我々のコピーバンドはその技術を用い,シーケンサー無しでのテープシンクによる演奏を可能にしたのである。学園祭は大賑わい!! また,彼は電子回路に詳しく,簡易発振機や回路の改造調整等,出来ないことは無かった。ここで特筆すべきは,YAMAHA PORTA SOUNDのピッチ調整の改造である。彼が17才のある日「ピッチ変えられるぞ!」と言って見せてくれたのはボトムを取り去ったPORTA SOUND。彼によると,ある抵抗に別の抵抗を並列接続するとピッチが変化するそうで,早速試したらなんと音程が変化するではないか! 大至急ボリューム(Bカーブ)をハンダ付けし,可変PORTA SOUNDが完成! 以降,シンセが買えるようになるまで,この可変PORTA SOUNDは多重録音には欠かせない重要機材へと変貌を遂げる。(ちなみに,susieはこのPORTA SOUNDをE-muにサンプリングして使ったことがある。)
彼のYAMAHA CS-30は数奇な運命を辿ることになる。運搬中に階段から幾度と無く落とされたり,フィルターとして過酷な入力を試みられたりもした。しかし,最も悲惨だったのは「CS-30のポリシンセ化計画」の実行であった。彼は,CS-30もPORTA SOUNDもヤマハ製であることに注目し,結果,PORTA SOUNDを用いてCS-30がポリシンセ化出来ることを発見! しかしその製作途中でうっかりショートさせてしまい,なんとCS-30はLos Angels行きとなったのであった。つまり国内修理は無理(チップが生産中止のため)。ちなみに壊れたCS-30をヤマハに持ち込んだら「一体どんなことしたらこうなるんですか?」と聞かれたそうである。
S. KIMOTO タカハシユキヒロのような,あるいはボサノバ系のドラムを叩かせたら右に出る者はいない程の腕前であるが,彼の専門はギターである。思いつきと調子の善し悪しで(つまりその日の気分で)もう,再現不可能なシビレるフレーズをバリバリ弾きまくる。従ってレコーディングが一番厄介である。そのためには,仕込ませない,準備させない,あまり求めない,この「3無い」が重要であった。小学生からビートルズ漬けだった彼は,英語になじみがあるためか,デタラメな英語(の様な発音)が凄く上手い!! この上手さは外国人をも唸らせるモノで,彼のしゃべりは「地下鉄で酔っぱらっている人が喋っている様に聞こえる」というのである。現地ではワイナーというらしい。
そんな彼ではあるが,実はかなりの読書家(活字中毒とも言う)である。吉本隆明はその著作を全巻読破,また現代作家では阿部昭を読破等,かなりの量の著作を読みこなしている。特に吉本の「重層的非決定」はあの時代の若者のさめた気分を知る上で重要であり,「何でも見ることが出来,何でも手に入れる事が出来る」ことの裏には常に「無関心」が潜んでいる事を我々に教えてくれる。そのためか,彼の目はいつも眠たげであり,どこか「自分には関係ねー」という表情が見て取れるのである。物事に対して彼が下す評価は,その研ぎ澄まされた感性と,選び抜かれた切れ味のある語句によって正当にかつ大胆に行われ,また吐き捨てるようなその評論態度は常に爆笑と戦慄がつきまとい,評された者達には必ず引導を渡してきた。
彼は個人的には「グリーン・ゲーブル」というバンドのリーダーでもあり(これぞ幻のユニットに相応しい),得意のデタラメ英語で聴衆を魅了し,ライブでは「英語はどこで勉強したのか?」と質問されるなど,そのイカサマ振りは尊敬に値するものである。デタラメでもイイじゃないか,格好良ければそれでイイ。適当DJだってお手のもの(冗談抜きで本当にカッコイイ!)。がんばれPOW-WOW!!!