□□□SADS TOUR GOOD-BYE 2002!! BEAUTIFUL DAYS FOR HEAVY PETTING□□□

live at yamagata session on 06/02/02 and 06/03/02

 

今回のSADSのツアー、

特筆すべきはそのメジャーアーティストの中ではダントツのその本数だろう。

今年の春から、来年春まで続く、トータル141本のツアーである。

この1年間で、他のバンドの3年分以上にあたる本数をこなして行く、

まさにROAD TRIPPIN'でフィジカル面でも過酷さを極めるものとなっている。

 

ちなみに、過去に清春は晩期の黒夢時代においても

1年間で100本以上のライブを行ってきたが、

今回のツアー本数は更にその本数を超えるものとなっている。

黒夢時代も、年間100本を超えるツアーを行って以降、

バンドの歴史が大きく動き始めた。

結果として、バンドの崩壊という哀しい結末を迎えてしまったのではあるが。

今回のツアーにも、SADSというバンドの歴史が大きく歩みを進める予感がしてならないのである。

誰もその行く末を知りうることは出来ないのであるが。

しかし、ここから何かが大きく変わるに違いない。

その予感だけは、それが確信と言えるほどに明確に感じられる。

果たしてそれは、僕の思いこみなのだろうか。

 

それでは、ライヴに話題を移そう。

ツアーが始まって二ヶ月めの6月。

ここ山形でのライブは141本中、28・29本目に当たる。

過去、このライブレポートでも触れてきたが、

このセッションというハコは物凄くキャパが小さい。

その数、250人。少なっ!!

そんなわけで、オーディエンスにはある意味やりやすい状況でライブは始まったわけである。

 

両日ともオープニングはライブ会場完全限定発売のアルバムから「MAKING MOTHERFUCKER」。

最初からオーディエンスをバーストさせていく。

しかし毎回思う事なのだが、

東北という土地柄、シャイなのかどうか知らないけど、

どうしてもライブ序盤は聞く体勢というか、落ち着きすぎてるオーディエンスが多いような気がする。

別に否定するつもりは無いけど、

やっぱり俺は最初から打ち上げ花火の如く、全力で行きたい人だからちょっと違和感も感じつつ。

そんなこんなで、今回も前半は前のほうと後ろの方では明らかに温度差がある。

ちなみに俺は当然の如く、最初から全力で。

一曲目でほぼ死亡。2曲目以降は火事場のクソ力です(笑)

 

ま、んな与太話はさておき、

以前にも言及した事があるのだが、

SADSはここ最近、本当にリズムの強度が半端じゃない事になってきていると思う。

ドラムの満園加入以前の曲も、アレンジなどが変わっているのだが、

そのアレンジの変化すら小さな事に思えるほどに、

リズムの強度が曲の姿を大きく変えているように感じられる。

それ故、ライブハウスという爆音に身をうずめる事が容易な環境の中で、

リズムと爆音が、暴れて悲鳴を上げる体に酩酊と恍惚を与えてくれるのだ。

さしずめ、ランナーズハイになったマラソン選手のように。

しかし、まだまだドラムに満園が加入してからのライブ本数は、決して多いとは言えないだろう。

通常、3年も同じメンバーが音を出しつづける事によって、

始めてそのバンドだけにしか出せない、グルーヴの本質が生まれてくると聞いている。

 

1年間で、3年分をやろうとするSADS。

つまりは、まだまだリズムが日進月歩で強度を増していく可能性に満ち溢れているわけだ。

正直言って、末恐ろしい。

この酩酊と恍惚の先に待つものとして、一体何があるのだろうか。

その答えは、きっとツアー後に発表される音源に明確に記録される事だろう。

 

ちなみに今回のライブを通して気付かされた事があった。

選曲に関して言及すると、新曲は勿論の事なのだが、

その中に混じって、もう2度と演奏される事は無いと個人的に感じていた

「忘却の空」などが、自然に配置されている。

つまり、ここに来てSADSは、全ての曲とは言わないまでも、

そのキャリアの局面局面で重要な意味を持っていた曲を、

手玉の一つとして自由にフラットに扱えるようになったのではないだろうか。

つまり、極論すれば今までバンドと曲の50%50%なパワーバランスが、

圧倒的にバンドに傾いてきてるのではないだろうかという事だ。

今のSADSはどんな手玉でも、曲の持つ過去に左右される事無く、

日常風景を捻じ曲げる強力な武器として、振りかざす事が出来るのではないか。

 

そしてもう一つ。

今までのツアーにおいては、ほぼ全公演で演奏されていた

「LIAR」という激速超絶盛り上がり曲があるのだが、

山形の初日に関しては演奏されていない。

個人的にはSADSの曲の中で、3本の指に入るくらい大好きな曲なのだが、

演奏されなかった事に対して、一切の違和感も不満も感じなかった。

ライブ後に「あ、そういややらなかったなー」と初めて気付くぐらいに。

ここで猛烈に感じた事が一つ。

さっきの感覚と微妙にリンクするのかもしれないが、

今まで曲のバリエーション、ライブの構成や盛り上がりなどを踏まえた上で欠かせなかった定番曲が

メニューに組みこまれ無くとも、ライブの温度を変えることなく、

場合によってはそれ以上の温度へと持っていくバンド感と一曲一曲の体力を、SADSは遂に手に入れたのだろう。

以前、清春は「LIARなどが演奏されなくても成立するライブ」をしなくてはいけないと語っていた記憶がある。

そんな言葉をふと思い出して、

遂にこの日が来たか、なんて少し感慨を覚えてしまった。

 

そんなこんなで、最初は大人しかったオーディエンスも、

曲が進むに連れ、いよいよ本性を曝け出していくわけで(笑)

清春の煽りも狂気をどんどん孕んでいく。

時には観客の動きを黙らせ、時には未体験ゾーンの凶器を与える。

捻じ曲がった風景がそこにはあった。

例えるなら、「SAY A FUCK TO MY ROUTINE DAYS」

ここに来れば、煮え切らないルーティンワークのような毎日に

笑顔でFUCKを言い渡せる勇気が出てくる。

日常を破りたいと思えるエネルギーを、全てステージ上にぶつけて行く。

さながら、SADSとオーディエンスのある意味でのバトル。

本性を曝け出して、日頃出せない感情をブチ撒けた先には何が待つのか。

 

そこにあるものは「HAPPY」

 

とてもイイライブの時にしか演奏しないと公言されている、この曲。

歓喜に満ちたこの曲を、山形では2日連続でやってくれた。

今回のツアーでは、連日のHAPPYは初めての事だと言う。

この曲を聞けた後は、達成感とこの曲自体が持つ陽性のエネルギーに、

体中が歓喜に満ち溢れて行くのが分かる。

この歓喜が、また始まる日常への大きなエネルギーを与えてくれるのだ。

 

今までのキャリアにおいて、

SADSはその音楽的方向性をアルバム毎に劇的なまでに変えてきた。

しかし、今まで行われた全ツアーに参戦して、毎回感じる事なのだが、

例えパンクだろうが、退廃的ロックだろうが、グランジだろうが、ヘヴィロックだろうが、

どんな方向でSADSの音が鳴らされようと、

SADSの核は変わっていないと明確に感じられる。

どんな音でどんなスタイルであろうと、ライブに参戦すれば、

SADSが追求する、SADSだけの変わらぬ美意識と求道心に根差したカッコよさが、濃密に実感できるのだ。

そのカッコ良さと色気にヤられた人間として、

この濃密な空気はSADSを初めて体感した人間であろうと、

何度も体感した人間であろうと、同じスピードで飛び込んで、

その人の持つ風景を捻じ曲げ、犯して、再構築していくと確信している。

 

今回、SADSを初体験した・・・というか、SADSのサの字も知らないような友人が

その濃密さに恍惚の表情と共に酔い痴れていた。

だからこそ俺は確信を改めて深めようと思う。

 

もし、あなたが日常に少しでも違和感を感じ始めてしまったら、

SADSのライブにいく事を勧めたい。

彼らの音が、あなたに見える風景を捻じ曲げ、

それにあなたが呼応できたならば、

あなたは続いていた日常に、一瞬でもFUCKを言い渡す勇気を得られるはずだから。

 

まだまだSADSのROAD TRIPPIN’は続いていく。

全国の日常風景に、不自然なまでの捻じ曲がりを自然に与え続けていくだろう。

きっと自分達すらも捻じ曲げて、もっと凄いバンドへ変貌しながら。

 

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