ノンフィクション小説「長野へゴー」
1.伊那
2.長門
3.小豆
4.松本
5.パンプキンヘッド前編
6.パンプキンヘッド中編
7.パンプキンヘッド後編
8.ラーメン屋
9.松本城ライブ
10.まつりのあと
11.猫
| 1.伊那
僕は高速道路を北へ走っていた。この全長80000mほどの長すぎるトンネルも、それまでは一度さえ通ったことがなかったのだったが、最近はよく通るようになった。なぜなら松本に住んでいたときは、時間よりもお金がなかったので、安く長く、峠を通行していたのだのだが、やっぱり社会人ともなるとお金よりも時間が優先されてしまうのだった。 そんな高速道路も便利だとは思うけれど、モリはできれば使いたくないと思っている。ある地点からある地点に行くまでの、「移動」のためだけに通行料金をとるというやり方は、いまいち理解できないからなのだった。それに日本の高速道路はさすがにちょっと高すぎる。 でも、そんな気持でもやっぱり使ってしまうのは、贅沢なことである。反省しながら、高速を流す。 伊那インターを降りたのは昼の1時前だった。そのまま、もう少し標高的に上の方にあるカメ亭に向かった。カメ亭というのはカメルーン亭の略で、僕も最初は大使館の名前だと思っていたのだが(嘘である)、実はれっきとした下宿の名前なのだった。サッカーでカメルーン旋風が起こった年(何年かは知らない)、「この下宿もカメルーンに見習おう」という意味で、この名前にしたのだそうだ。ちゃんとした一軒屋で、主に信大の農学部生が一部屋ずつ住んでいる。カメ亭に着くと車は満杯で、たくさんの人がここに訪れているのがわかった。要するにみんなカメ亭に帰ってきているのだった。 里帰りだ。 部屋に入るとカメ亭独特の匂いがする。どちらかというと、田舎のおばあちゃんの家みたいな、郷里感のある土の匂いだ。カメ亭の居間には、ソネさんと、ボビさんと、つるぽんと、Yなかさんと、みのるんが待っていてくれた。挨拶も早々に(本当に早々だ)、お昼ごはんを食べに行こうということになった。みのるんはカツどんを食べたいことを主張したのだが、却下されて、結局生駒に行くことになった。生駒はおいしい「山賊焼き」や「だちょう料理」が売りの食堂なのであるが、僕も何回か行っているのだが、そのときに他に客がいたことがない。静かな雰囲気を独占できるので、客としてはとてもうれしいのだが、わりとおいしいのになぜにこんなにお客が少ないのだろう、と思う。 「なんかモリと昼ごはん食いに来るときは、いっつもここに来ている気がするな」 とつるぽんが言った。 実はそれは事実で、僕が伊那に行くときは、なぜかいつも「生駒っている」のだった。そして何も考えずに山賊焼き定食を注文する。山賊焼きとは、鶏肉の唐揚げなのだが、生駒の場合ちょっと特殊で、その唐揚げの間に野菜が入っている。これは完全に亜流なのであるが、これがけっこう美味かったりする。そしてどう見ても量は多い。さらに、メインだけじゃなく、味噌汁と漬物もかなり美味かったりする。僕は一度伊那で食べる御飯は何でも美味しいのではないか、という勘ぐった事があったが、本当にそうかもしれないと思うくらいにみんな美味だ。 ボビさんは「韋駄天丼」を注文した。韋駄天っていうのは、早く走って足が長い神様のこと指すことから、ダチョウの肉のことを韋駄天と呼ぶことがある。韋駄天丼はそんなダチョウの生肉を醤油や生姜で味付けして、あったかいごはんに乗せてある料理だ。ダチョウの肉というのは、食べてみればよくわかるのだが、あまり鶏肉という感じがしない。むしろ牛肉のような感じなのだが、牛肉が持つしつこさのようなものはない。要するに鶏肉の淡白な良さと、牛肉のギッシリとした良さが、うまく調和し、ブレンドされたような夢の食物なのだ。 「これはうまい」 「そうでしょう」 美味いものを食うと、みんなニコニコしてきて、話も早いのだった。 そして我々はお金を払って、生駒を出て、Y中さんと分かれた。Y中さんは実は僕の居住地とわりと近いところに住んでいて、つまりは過疎地に住んでいるということだった。どんな仕事をしているかと問うと、森林に関係する仕事をしている、という。僕も全くの無関係な仕事ではないので、いろいろ話をさせてもらった。バイクにのってここまできていて、これに相応しいライダーっぽく頑丈なヘルメットをかぶって、さっそうと生駒を出て行った。 カメ亭に一旦戻って、つるぽんとそこで分かれた。タナカヤスオ君関係で、仕事が忙しくなってきているのだ、と言った。そうか、今ごろ長野県内の選挙関係とか役所関係のところでは、御婦人方が「あそこで県政会が不信任投票なんてするから、お盆なのに私達、こんなに忙しいんだわ。ぷんぷん」などとお怒りになっているのだろうところを想像した。 「あーみんな帰っていっちゃんだなあ」 つるぽんは体育すわりをしながら言った。 「つるぽん、おみやげ買ってきてやろうか」 「・・・うん」 ソネさんがつるぽんに提案すると、つるぽんは体育すわりで座りながら、首を上下に振った。 つるぽんはこうして伊那に住んでいるのだが、やっぱり信大生と言えども、新入生が入ってくれば、当然伊那を去る人間もそれだけの分だけいるのだ。僕は大学の4年間が終わってから早々と松本を去ったのだけれど、残っている人たちから見れば僕たちがヒラリヒラヒラ手を振って、なんともなく出て行ってしまうのだ。住み慣れた町を人が出て行くのを、残った人たちはどういう気分で見送ったのだろうか、と思った。 僕はいずれ松本を出るんだ、出なきゃいけない、と思って、かなりフライング気味に松本を漏出してしまったのであるが、今でも同級生で松本に残っている人は少なからずいる。残る、っていうことはどういうことなんだろう。街を去る、っていうことは喪失なんだろうか。 |
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2002年08月20日 21時47分13秒
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| 2.長門
カメ亭でつるぽんと分かれた後、僕たち(ソネさん、ボビさん、みのるん、モリ)は、一路ウイングロードに乗って長門町に向かった。塩尻北インターから高速道路に乗り(また高速代を支払った)、岡谷インターで降りた。諏訪の街の中はひどく混んでいて、しかもそのほとんどが県外ナンバーだった。これじゃ諏訪の市民は「ちょっと買い物に行ってくるわ」なんていう御婦人方も、ちょっと行ったつもりが渋滞でエライ目に合う事は必至だろう。諏訪市民も大変だ。 新和田トンネルを抜けて、ようやく長門に入った。松本からだいたい1時間半だった。途中で黒曜石の研究所を見つけた。 みのるん「あ、メイ大の黒曜石研究所だって」 モリ 「へえ、メイ大ってこんなところにも研究所もってるんだ」 みのるん「メイ大って明治大ですよ」 モリ 「なんだ」 wordとか使っていてもそうなのだが、メイダイと変換すると、たいてい明大の方が先に出てくる。僕は三重県生まれだから、幼少のころからメイダイは名大のことを指すと信じて疑わなかったのだが、どうやら全国的にはそんなことはないらしい。それどころか、関東では名大のことを「ナダイ」と呼ぶ輩もいると聞くが、これは少々失敬な話である。名大はナダイではない。 ちなみにそういう論争ではシンダイも負けておらず、長野県内では天下の信大も、一歩県外に出たら、神大や新大に追い抜かれていく。そしてどう考えても神大の法が全国レベルだから、これは信大は神大に間違いなく負ける。申し訳ないが、これは認める。 と言っているうちに、我々4人はTファミリー牧場に到着した。そこでは馬の世話をしているやよいさんがいて、白い「つなぎ」を着ていた。僕も実は一時期「つなぎ」を欲したことがあったのだが、かっこいいつなぎというのにあまり出あったことがない。いつも第一次産業的な、なんとなく農協的なデザインがどうも気に食わず、購入することを諦めた。新規就農者をもっと増やす為には、DASH村で働くTOKIOに相当かっこいい「つなぎ」を着せて、つなぎブームに火をつけることも一案である、と提案しておこう。農業っていうのは実はこんなにかっこいい職業なんだよ、と言う。実際モノを作る仕事というのは、それだけで充分な価値があるのである。 みんなが料理をしている間、僕はソネさんと白樺湖へ酒を買いに行った。ファミリー牧場からかなり近く、約20分で白樺湖である。白樺湖はけっこう大きいのだが人工湖で、そのせいか「人工的リゾート地」という匂いがプンプンする。高原のイメージはこうですよ、ソフトクリームですよ、ワインですよ、野沢菜ですよ、夕方にはボートですよ、夜になったら星を眺めてくださいよ、白樺も綺麗でしょ。こんな感じである。 申し訳ないが僕はこういう作りモノ感がダメで(モノつくりはいいがつくりモノはダメ。日本語は難しいねえ)、そういうところにやって来ている品川ナンバーとかの車を見ると、「どうしてこんな作り物の自然で満足できるんだ?」とか思ってしまうのだが、よくよく考えたら、自分だって完全に県外ナンバーだし、しかも確かにわりと白樺湖って夕暮れ時は綺麗だよな、と思わず考えてしまうのだった。 そんな風なリゾート気分人たちと同じ気分になってしまうことがイヤだった。社会人になった、っていうことだろうか。僕は偽者の自然の中に癒しでも求めているんだろうか。 そんな風に考えながら、ビールと日本酒をすこぶる買って、やよいさんの家に戻った。車の中ではビートルズの「Black bird」が流れていた。 |
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2002年08月20日
22時00分22秒
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| 3.小豆
白樺湖畔の酒屋でビールと日本酒を買い、家に戻ると、白い石狩鍋が出来ていた。味付けは味噌と牛乳である。ソネさんは、「鍋に牛乳?」とかなりその取り合わせに意外感&不信感を抱いていたみたいだが、食べてみると、相当納得したようだった。鍋に牛乳というのは、非常によくマッチする。 ちなみに言うと、僕は大学院時代、サッポロ一番味噌ラーメンの牛乳版という料理をよくやっていた。作り方は簡単で、要するに水を入れて沸騰させる過程を、牛乳に置き換えてみるだけである。こうすると、ともすれば栄養が偏りがちなインスタントラーメンも、乳牛君のミルクパワーによりカルシウムばっちりの「骨っ子君」になれるのであった。ぜひ騙されたと思ってやってみてください。けっこう美味いので。 と言っているうちに、酒は進み、ソネさんは日本酒で酔っ払い、ボビさんも「マイお猪口」で日本酒を進め、「ザル」を通り越して「枠」のみのるんは何にも変わらず笑顔で飲み続け、やよいさんも久しぶりの開放感にビールが進むのだった。 そうするとやっぱり「あずきやってよ」みたいな感じになり、やよい邸はあずきのライブ会場となるのだった。 あずきの良いところは3つある。1素朴であること、2親近感があること、そして、3いつでもどこでもやれること、の3点だ。 「あずき」「夕立」といつもの曲が終わった後で、あずきの曲としてはレアな「滑走路」を僕はリクエストした。これはみのるんが在学中に作った最後の曲なので、卒業の時にみんなに配ったあずきCDには入っていないのだった。滑走路というのは、カメ亭の方向から大学に行くまでの道のことで、ちょうど長くまっすぐな下り坂になっていいる。見てもらえばよくわかるのだが、あの道は「滑走路」としかネーミングできない。信大農学部生のの大体6〜7割くらいは「滑走路」といってどの道を指しているのかわかる。そんな道だ。 「私は歩く、歩く、歩く、歩く・・・・」 こう歌う。僕もこの僕はこの滑走路を歩いたことは実はなくて、自転車で何回か上っただけなのだが、残念ながら、一度として上りきったことがない。この滑走路を春も夏も秋も冬も、そしてまた春も、いろんな人がこの道を歩いたり、走ったりしているのだ。 そういう歌だ。 みのるんが東京で何気なく作ったっていう曲も初めて聴いた。まだ曲の構成とかタイトルとかもまだ「仮」らしいのだが、みのるんらしい単純かつ深い曲だ。みのるんが東京に行ったんだな、っていうことを、なんとなく感じさせる歌だった。未来のある曲ではあるが、やはりどことなく冷たい寂しさも含まれている。 どうやら、あずきは3月に卒業して以来、このやよい邸で合わせたのが、初めてだったらしい。やっぱり遠いっていうことは、その人がどう思おうが、それなりに壁にはなるのだ。どんなに歩いても歩いていては到着できない場所だってある。 |
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2002年08月20日
22時10分15秒
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| 4.松本
起きると、午前7時でみんなもう起きていた。牧場にいるとみんな自然に朝が早くなるのかもしれない。それでも低血圧な僕は(というよりネボスケな僕は)、やっぱり最後までグースカ寝ていたかったのだった。 みのるんとやよいさんは外から帰ってきた。どうやら搾乳をしてきたらしい。僕らが軽軽しく飲んでいる牛乳というのは「牛の乳」なのである。だから当然搾乳しないと、我々は牛乳も飲めないし、サッポロ一番みそラーメンを牛乳ヴァージョンで栄養たっぷりに食べることもできないのだ。農業っていうのは偉大である。 そのうち、5歳の女の子がやってきた。千尋ちゃんというそうだ。千尋ちゃんは埼玉からお盆休みを利用して、このTファミリー牧場にきており、約1週間ここで暮らすのだという。よくしゃべる女の子で、やよいさんの部屋にある「千と千尋の神隠し」と「猫の恩返し」の映画パンフレットを眺めては、いろいろ気がついた事項を僕たちに教えてくる。 例えば、僕が千と千尋の「坊」に似ている、とか。 後日聞いたのだが、千尋ちゃんは今幼稚園だか保育園だかで、やよいさんが聞いたらしいのだが、 「好きな男の子はいるの?」と聞くと 「ハク君が好きなの」 と答えたそうだ。その「ハク君」は本当にハク君なのかどうかは定かではないのだが、もしそうであればあまりにも出来すぎた話であるし、もしそうなら今のうちにぜひ結婚に向けてラブアタックをかけるべきだと思う。千尋ちゃんとハク君が結婚した、っていったら、誰もその夫婦の名前をを忘れることはないだろう。 そのうち、僕たちは馬の方へ行って、乗馬の体験をさせてもらった。馬というのは、テレビとかで見ていると、かなりラクにのっているが実はのっているほうはかなりシンドイ。なぜかというと、馬の性質上、馬は走るときに背中が上下するからなので、要するに何も考えずに乗ると、我々は馬の背中の上下運動のために振り落とされそうになったり、そうでなくてもお尻を非常に痛めることになるからなのである。 そこで人間様は、そんな上下運動の馬に乗るためにどうしているのかというと、自分もそれに合わせて上下運動を繰り返すのである。足をひっかけているので、行ってみれば乗馬している人は馬の上でヒンズースクワットをしているみたいな感じなのだ。当然僕みたいな初心者はそんなこともできず、うまの背中でお尻を打ちつけ、5分と乗っていられなかった。 乗馬ひとつとってもかなり難しい。華原朋美は乗馬ができることを非常に信じにくい。 そんなこんなで、かきいれ時のTファミリー牧場勤務のやよいさんは、今日もお仕事なので、我々4人(ソネさん、ボビさん、みのるん、モリ)は、そのままウイングロードで松本に向かったのだった。 途中、道の駅の横に温泉があって、入った。ナトリウムイオンと硫化物イオンが多い温泉で、露天風呂やサウナもあり、とてもよかった。風呂上りには「四角い仁鶴がまあるくおさめまっせ」のお笑い笑百科を見つつ、やっぱり上沼恵美子は天才だとか、オール阪神巨人は何気にすごい、とか、コメディーNO1はアホの坂田がいるんや、とかいろんな笑と若干の法律知識(なるほど「法定果実」)を得たのだった。 三才山トンネルを通ると(また通行料を払った)、すぐに松本に出られる。 松本の駅前は近年急激な速度で都市開発が進み、あらゆるところに道が出来、あらゆるところに目新しい店がたっているのだった。よく最近路上音楽の多ナワテ通りもそのひとつで、僕の在学中は申し訳ないが本当にみすぼらしい商店街だったのだ。プラモデル屋の箱には埃がたまり、たいやき食べても歩きながら見るものはなく、ラーメンはおいしいけど3人で満杯、喫茶店もいい雰囲気をもっていながらもそれを生かしきれていない(っていうか客がいない)・・・・とにかくもったいない場所だったのだ。 それでも、いろんな努力のお陰で、いまや立派な商店街になった。地元の人もナワテで遊べるし、もちろん松本城への観光客もナワテに立ち寄ったりする。そして、そこではYAMA-SHOWSをはじめとした路上音楽のムーブメントも確かにある。 僕が在学中はこんないい環境、なかったんだよなあ・・・。 |
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2002年08月20日
22時50分02秒
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| 5.パンプキンヘッド 前編
僕らはかせきさいだあみたいなナワテ通りと四柱神社の小道を4人で(ソネさん、ボビさん、みのるん、モリ)そぞろ歩きながら、あ、そりゃそりゃと、陽気にパンプキンヘッドの開場時間を待った。少し時間があったので、ガレージという喫茶店に行き、お昼御飯を食べ(僕はトマトカレー)、戻ってくるとすでにパンプキンヘッドには人がワイワイしていた。 ここパンプキンヘッドのライブは、松本グルービーが主催していて、実はここの中心的な運営役のリグルさんとは、大学の学科が同じなのだった。しかも在学中はお互いの音楽活動なんてほとんど知らなかった(というより、僕は活動と呼べるようなことはしていなかった)のだから、人と人はどこでつながっているかわからない。実に人間と人間は面白く深いであるか、ということを実感する。 パンプキンヘッドはライブハウスの名前で、キャパシティーは最大300人らしい。確かにそれくらいは入れそうなのだが、実際にざっと見た感じでは150人くらいかな、という感じである。オールスタンディングのライブなので、あんまりギュウギュウでライブ見せられても、我々フォーク世代にはわからない部分になってしまう。 そうこうしている間に、ライブは始まった。まず、最初は東京から来たという「ばからっく」。 1.ばからっく ばからっくは、フェネギー、おもちゃ、かずさんの3人で、わりとフェネギーさんのワンマンバンドかな、と思わせておいて、実は数日が経過した今、わりと思い出すことができるのは、かずさんのギターソロ「LOVE SONG」であったり、おもちゃさんのウクレレ曲「ダラダラ節」だったりするのであった。なんで「おもちゃ」さんなのかよくわからないけれど、とりあえず、全ての曲でおもちゃ楽器(子供用ピアノとか)を使っていた。おそらく、全部あわせても総額1万円いかないだろう。しかし、音楽的には子ども用ピアノでもしっかりとした音で、音楽に参加していたことが印象的。 2.そーた 実は以前に一回会っていて、それはナワテ通りのカレー屋さん「集」での「あずき卒業ライブ」。ここで初めてそーた君の声を聞いたのだが、これがとても印象的な声で、特に「あくび」という曲が僕は実に好きなのだった。そーた君のほのぼのした個性と、歌と、声が非常によくマッチしていて、聴いていても心地よかったのだ。 その後僕は、そーた君とはメールで何回かやりとりしたり、松本深夜をMDで聴いてもらったり、こちらもそーた君のを聴かせてもらったり、さらにそーたTシャツをもらったり、そーた扇子をもらったり、僕も負けじと松本深夜Tシャツをあげたり、まあ遠いながらもいろいろと交流はさせてもらっていたのだが、さて、ライブは。 (1)じゃんぷ (2)ポケット もちろん2曲ともオリジナル。そーた君の声はかなりハリがあるので、聴いている人はかなり「おおッ」と思うだろう。よく聞いて見ると、しゃべっている声もわりと音楽的な声なので、これはやっぱり天性のものなのだろうと思ってしまう。あずき卒業ライブのときには、俺もこんな声が練習したら出るかもしれない、と思って、初対面にも関わらず、 モ「あの、どういう風な練習してるんですか、昔からそんな声なんですか」 そ「まあ、そうですね」 モ「最初から割りと歌は歌えた、と?」 そ「学校で合唱の時とかは、先生によばれたりしてました」 モ「あ・・やっぱり・・・」 というわけで、合唱のときに先生に呼ばれたことのない僕は、やっぱりこんな声は出ないんだなあ、と諦観をあらわにしてしまったのだった。 (しかし、余談ではあるが、実は僕は中学校1年と2年の時に合唱コンクールでは指揮をしていたのである。ちなみに10クラスくらいある中で、1年の時に優勝し、3年の時にも優勝した。これはカナリすごいことなのである。しかし、さらに余談ではあるが、四日市の音楽仲間のALWAYS BLUE のじゅんは、なんと3年連続で優勝しているのである。これは確率からいうと、相当すごいことになる) (3)夕立 そして、ついにこのときがやって来た。実はライブ前に楽屋に遊びに行ったときに、すでに「今日はあずきの『夕立』やりますよー。みのるんさんもどう?一緒にやらない?」なんてことになっていたので、いつくるかとは思っていたのだが、ここで「夕立」が来た。最初、前奏をハープで吹いて、なんとあずきの原曲のキーで歌っていた。しかも転調後もしっかりと歌っていた。 みのるんとパンプキンヘッドに行く途中、松本市内で話していたのは、カバーとコピーの違いで、コピーっていうのは練習のためにするもので、人に聞かせるときはやっぱりコピーの域を出てカバーをしなきゃいけないんじゃないか、ということを車内で話していたのだ。(実はこのとき、松本深夜の「氷の世界」と本家の井上陽水の「氷の世界」を聞き比べていて、こういう話になった。僕たちの年代で本家の「氷の世界」は実はあまり知られていないんじゃないか、と思うのだけれど、一回本家の方も聴いてみてださい。ゼンゼン違うのでたぶんびっくりします。) 要するに、カバーっていうのは全部ではないけれど、ある部分ではその元の曲よりも優れていないと意味がない。そーた君の夕立は、そういう意味で「カバー」だった。あずきにはない良さがあったと思う。 雨が降ってやがて静まるように音楽が終わって、「夕立」は終わった。 そんな折、ベースを持って、ステージに岡野さんが現れた。 |
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2002年08月20日
23時34分07秒
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| 6.パンプキンヘッド中編
そーた君のライブに岡野さんがベースを持って現れた。 (4)潮風へ 実はこのライブの前にそーた君から、「そーた扇子」なるものを送ってくれていたのだが、実はここにイラストと詩が書いてあったのだけれど、これはこの曲のまさに歌詞そのものだったのである。しかもベースが入ったものだから、わりとノリもよく、みんなけっこう乗っていた。夏らしい、爽やかな音楽だ。 (5)まる この曲は、そーた君のノリノリソングで、「花火がきれいだーまる」と歌ったら、みんなで友達の輪みたいな円をつくって「まるーー!!」と叫ぶのである。で、僕も叫んだ。 これやってるときにみっけの2人(西口君と堀川君)が出てきて、ラジオ体操のお兄さんみたいに「まるーーー!!」ってやっていた。こういうノリっていうのは観客を乗せるのにけっこう重要で、みっけはいいキャラしてるなあ、と思った。僕の横で聴いていた女の人は「そーた君の曲で、これがいちばん好きなのよねー」と言っていた。 で、ライブがすごく熱くなってきたところで、 そーた 「岡野さん、暑くなってきましたねー」 岡野さん「そうねー」 そーた 「じゃあ、ちょっと脱ぎますか」 岡野さん「そうするか」 みたいな会話をして、何やってんだろ、と思ったら、なんと2人とも松本深夜Tシャツを着ているじゃないか!がーん! (6)リベロ そーた 「そのTシャツ、誰からもらったんですか」 岡野さん「えーと・・・林さん・・だったかな」 そーた 「じゃあ、この曲を歌います」 ギャグを飛ばしていても、お客の中で笑っているのは一人もおらず、僕がただただ驚くだけで、流れ出した音楽は「リベロ」なのであった。みっけの2人も西口君が超上手いハープを全面的にやってくれて、堀川君もタンバリンで曲を盛り上げてくれたのだった。 っていうか、お客さんも一応喜んでくれていたけど、申し訳ないが、一番楽しかったのは僕です。自分達の歌を人に歌われる時にどんな気持になるのか、初めて知りました。なかなかいいものです。特にあれだけのステージであれだけの上手さでやってもらえたら、僕は光栄です。 「海岸沿いぬって走る道・・・・」 ちなみに、キーはCでこのキーは松本深夜の原曲よりも8音も高いキーなのであった。 (7)君にありがとう そして、ステージからみっけも岡野さんも去り、そーた君一人になって、この曲を弾き歌った。この曲はあずき卒業ライブでも聴いてきたし、おそらく、そーた君も自信のある曲なんだろうな、と思った。 そーたライブが終わって、ライブハウスから少し出て、まさに脱力感っていう感じだった。久しぶりに感動した。前日にはボビさんに松本深夜Tシャツを贈っていたので、今日のライブにボビさんはこれを着てくれていたのだが、それを見ているだけで、幸せな気分になった。 3.みっけ みっけとは一緒にライブをしたこともある。去年秋のロンポワンライブの時だ。あずきはその後の「やったぜー」のあずき卒業ライブの時も一緒にやっているので、わりと何回か見ているのである。 正直に言うと、今回のみっけのライブはすごかった。なんというか、お客さんが完全にひきつけられているのである。音楽じたいもそういう音楽だし、歌う、というより我々に語りかけているような感じでなのである。 例えば直線があって、その直線の右端が「音楽家」、左端が「お笑い」とすると、みっけはわりとその真ん中よりもちょいと右側にいるのかな、と思った。「みっけlive中」というCDを買って聴いていたのだが、やっぱりライブを聴きたいと思わせるのは、おそらくみっけがその場の雰囲気をうまくつかんでライブを作っていく力が強いからだろう、と思った。 僕は何が好きかと言うとまず、「一若者の視点」。「まじめに働くのがダサいと思うヤツがいる 心配されているのが分からないヤツがいる」っていうところが上手い。いるんだよ、真面目に働くのダサいと思う若者が(僕もそうだったのだけれど、今は絶対思いません)。 あと、曲のタイトルがわからないのだけれど、アルペジオで「君の変化が怖い」って歌うやつ、あれもいいです。とても。 |
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2002年08月21日
00時10分39秒
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| 7.パンプキンヘッド後編
この辺りで、Tファミリー牧場で仕事が終わったやよいさんが到着。やよいさんは結局、そーた君の「夕立」を聴けなかったのだ。残念。 ここで「お笑いゴングショウ」なる企画があった。参加者は3分の時間が与えられ、その間に観客をどれだけ笑わせることが出来るか、という企画なのだ。しかも勝者には今週土曜日のFM長野の「YAMA-SHOWSのRADIO STREET」でオンエアされるという。まあ、誰が買ったかはオンエアで確認していただくとして(ヒント:身内)、割と参加者は大変そうだった。お笑いって、音楽よりずっと大変だよな、と思った。実は僕も出演してみない?みたいな話はあったのだが、僕は激しく首を左右に振った。 で、遂にライブは佳境に。 4.YAMA-SHOWS YAMA-SHOWSは、みっけと同じく、ロンポワンとあずき卒業ライブ、そして僕は見ていないのだが、あずきはまふぇ−ライブでも共演している(こうやって書いてみると、あずきっていろんなところでライブやってるなあ)。 前回見たときはラジオ番組をもつ前だったから、何かが変わっているかな、と思ったら、やっぱりちょっと変わっていた。何が変わっていたかというと、1打ち込みを使っていたこと、2コラボレーションが豪華なこと(チェロとヴァイオリンもお気軽アンサンブルが参加)、3久納さんのギターが凝っていたこと(ほとんどストロークじゃない)、こんなところかなあ・・・とにかくレベルは確実にアップしていた。 ただ、お客さんは「アコースティック」なものを求めてライブにきているので、やっぱりチェロとかヴァイオリンはとても受けていた、と思う。特にチェロはすごくよかったな。実はチェロもヴァイオリンも僕の大学時代に入っていた音楽サークルにまつわり深い、人脈伝いであることがわかり(深くは書かないが)、これまた人間と人間のつながりというのは重要だな、と考えてしまったのだった。 個人的には、「虹」がカナリ良かったと思う。ああいうストーリー性のある歌詞は僕は好きだ。なかでも、最後に「虹のたもとを見せたい人が僕には居る」という終わり方がいい。「虹のたもと」という象徴的なものを置きながら、しかもそれを聴き手にしゃべりすぎず感じさせる、という微妙なところをツイていて、とてもよかったです。 そして、豪華なコラボレーションでアンコールも終わってから、その余韻にひかれつつ、僕たち5人(ソネさん、ボビさん、みのるん、やよいさん、俺)でラーメンを食べにラーメン藤に行った。 そしてここでまた新たな出会いが・・・ |
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2002年08月21日
00時41分00秒
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| 8.ラーメン屋
ライブが終わったあと、駅前にあるラーメン屋「らーめん藤」に夜御飯を食べに行った。このラーメン屋は松本市内では一二を争うおいしいラーメン屋とされているのだが、僕は実は一度も行った事がないのだった。普通のオーソドックスなラーメン(500円)を注文し、ライブ会場で買ってきたみっけの「みっけライブ中」というアルバムと、YAMA-SHOWSの「ナワテ通りの歌」が入ったCD(これまたともに500円)を開封し、中の歌詞カードを見ながら、 「あ、すげえ。『協力してくれた人たち』の中に松本深夜が入ってる!」 「あ、あずきも入ってる!大変だ!」 などとワイワイ言いながら、ライブの勝手な感想などをぺちゃくちゃ喋っていたのだった。その時である。机の端っこのほうでラーメンを食べていた青年(大学生風)が僕たちに声をかけてきた。 「あのー、パンプキンヘッド行かれた方たちですか・・?」 「は、はい・・・」 実はいろいろ聞いていると、パンプキンヘッドのライブ帰りにこのラーメン屋に立ち寄ったのだそうな。僕たちがみっけがどうのこうの、と大声で話していたので、思わず声をかけてみたようである。 じつはこの青年がけいじ君で、信大の人文学部在学中なのだが、「カミナリグモ」というバンドのギターヴォーカルなのだった。後からホームページでオリジナル曲を視聴してみたのだが、これがまた恐ろしくうまい(申し訳ないが、我々は相当遠く及ばない)。正直言って今考えると、あのように普通にラーメン屋で話したことですら、どうも不思議に思えてしまうほどだ。 ちなみにカミナリグモは、ギターヴォーカル、ドラム、ウッドベースのスリーピースバンドである。 それなのに怖いもの知らずの我々は、 「あ、私たち、あずきっていうんです」 「フォークやってるんですよね?」 「え、ええ、まあ」 「あずきって名前は聞いたことあります」 「は、はあ。光栄です」 「あ、僕は松本深夜のモリといいます」 「マツモトシンヤ?」 みたいなかなり身分をわきまえないセルフイントロデュースなどをしながら、けいじ君と少し話した。なにやら、その次の日に音楽祭のコンテストの決勝があるらしく、これに一緒に参加するみっけと、朝早くに出発するのだそうだ。 しかもカミナリグモのけいじ君が帰った後。そのさらに隣に座っていた御婦人たちが、こちらをチラリと見ている。そして、 「あら、あずきちゃんじゃない」 なんて言って、声をかけてくれたのだった。どうやらそーた君たちと一緒にギターをされているギターサークルの仲間なんだそうだ。 「あずきちゃんは最近も音楽やってるの?」 「いや、最近は少し離れてしまいまして、あんまりやれていないんです」 「あらそうなの。残念ねえ」 「あ、僕は松本深夜のモリといいます」 「マツモトシンヤ?」 そんな会話をしつつ、僕たちはラーメン藤を後にしたのだった。これだけラーメン食べている間にいろいろしゃべっていれば、美味しいラーメンものびてしまう。 |
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2002年08月22日
19時53分36秒
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| 9.松本城ライブ
ラーメン屋を出て、せっかく半年ぶりにあずき二人が揃ってるんだから、ナワテ通り路上ライブしよう、っていう昨日からの提案を、深い夜ながらもやってみることにした。途中、某駐車場に楽器をとりにいったら、向こうのほうからランドナーで走ってくる若者二人がいるなあーと思ったら、やっぱり知り合いだった。大学の時に同じサークルの三重県出身の某夫婦であった。 「あれ、こんにちは」 「あらモリじゃねえか。何してる」 「いや、今からちょっと歌いにいこうかな、と」 「どこで歌う」 「ナワテなんかどうですかね」 「もうこんな時間だぞ」 確かに11時を回っていて、これはさすがに深夜騒音である。騒音規制法には抵触しないかもしれないが、おそらく上乗せ条例が何らかの形であるはずだし、長野県には生活騒音に関するどんな条例が制定されているのか知らけれど、恐らく人のメーワクにはふんだんに成り得ると思う。こんなことでナワテの音楽イメージを悪くしてはいけない。 そこで、我々はナワテ通りの路上ライブを断念し、「松本城のお堀の横ライブ」に切り替えることにした。代替案ですらナイスである。 「ところで、二人で何やってたんですか」 「駅前で飲んできたところだ」 「ああ、そうなんですか」 「いや、友達が今度子供が生まれることになって、云々」 「へえ、そうなんですか」 「だから実は今酔ってるんだ」 「ところで三重県には帰ってこないんですか」 「あ、この前行ったよ」 「そろそろかえってきてくださいよー」 「いや、いや」 なんつう話をしながら我々は分かれ、楽器を持って松本城に向かったのだった。 松本城でしばらくお堀を眺めていると、パンプキンヘッドの打ち上げをしていた岡野さんとそーた君がなんと来てしまったのだった(これは、せっかく打ち上げがあったのに、ホントに申し訳ないことをした)。 そーた夕立を生で聴き、あずき夕立を生で聴き、そーたリベロを生で聴き、モリが可聴域ギリギリのハモリをとりおこない、岡野さんはその間、アリアの生ベースでベムベムとベースラインを刻んでいたのだった。そーた君は関係ないのに「まる」とか歌わされて、そのおかげで打ち上げの解散に立ち会えなかった(すまぬ)。 お堀の水面にはお城が写っている。松本城がきれいで、音楽があって、仲間がいる。 最高の空間だ、と僕は思った。 |
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2002年08月22日
20時20分01秒
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| 10.まつりのあと
夢のようなイチニチが終わった次の日は、我々はアルプス公園でサル山を見たり、みのるんをバスターミナルへ送っていったり、ヴァルゴというレストランでハヤシライスを食べたり、写真家ソネさんの愛蔵カメラを見せてもらったり、写真を見たりして、まったり過ごした。まつりのあとに相応しい、時間の流れ方だった。 みのるんをエスパ地下のバスターミナルで送ったとき、バスの前面には「松本→新宿」と書いてあった。このバスは、どうやら東京へと続く長い道のりを数時間かけてズルズルと走り続けるのだ。だけど、遠いかもしれないけれど、窓の中から手を振っているみのるんとは、すぐにだってまた会いそうな気がした(しかも、実際に会うのだ)。 ソネさんの写真熱は、昨年ごろから始まったのだが、わりと物事に熱中しやすいソネさんは、写真にもかなりの域まで入り込んでいて、そしてその努力が最近結実して、8月20日発売のアサヒカメラのコンテストで「カラープリント部門」でなんと1位をとったのだ、という。何しろ千何百通の中の1位である。これは結構すごいことだと思う。 「その写真は見れないんですか」 「ここに飾ってあるよ」 その1位の写真は、果たしてソネさんの部屋の一区画を飾っていた(同じく写真好きのみのるんはミノルタのカメラが欲しいと言っていたが、この写真はミノルタアルファー7という機種でとったのだそうだ)。 これはカメ亭でとった写真で、蛇口の向こう側にいる猫(プウと呼ばれる)が何かを仰ぎ見ている。その背景には、みんなの写真やら絵やらがズラリと広がっている。蛇口の横には合成洗剤があって、プウはまな板の上に乗っている。壁にはいろんなものが架けられてあって、時計やダーツや、映画のポスターや学位記までがある。 へえ、と思った。僕はソネさんが写真で一位になることも素敵だと思ったが、それと同じくらい、こういうカメ亭が写真雑誌に載ってしまうことも素敵だと思った。 みんなが音楽やら写真やらそれぞれのいろんな手法で、自分の愛するものや、守るべきものを表現している。僕はこの辺りが、伊那や松本で一生懸命楽しんでいるみんなのすごいところだと思っている。そして僕もこうありたい、と思っている。 かえりみち、僕はまた高額な高速道路の料金を支払って、長すぎる全長80000mのトンネルをくぐろうとしていた。僕はその時は、ごく久しぶりに中村一義の「ERA」を全部通して聴いていた。「ハレルヤ」はもの凄い曲だ、と思った。「君ノ声」もいい曲だ。 阿智パーキングエリアで休憩した後、缶コーヒーを買って、車を走らせた。その時、僕の右前方の車が突然雨でスリップしてスピンした。その車は壁にぶつかって、反対向きになりながら、僕が走っている車線の方向に流れてきたので、僕はそれを避けて、そこから500mくらい離れたところにあった「非常電話」という緑の電話の横で停車した。僕は生まれて初めて、非常電話でをとって警察の事故のあった旨を話し、壁への衝突の原因を説明した。 警察はすぐに現場に急行します、と言って電話を切った。 |
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2002年08月22日
21時03分20秒
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| 11.猫
高速道路を降りて、僕はまた郷里へ戻ってきた。飲み終わった缶コーヒーを洗って、ゴミ箱に捨てた。母親に事故に遭いそうになったことを話した。事故と無事故ってホントに紙一重だと思う。 三重が長野と違うところは、海が近いところである。たぶん、他にもいろいろあるだろうが、そんなに違いなんて、おそらくないのである。 その後、本屋に行った。「アサヒカメラ」はその次の日が発売だったのだが、今日でも置いてあるかな、と思って見に来たのである。そうすると、「趣味」の本のコーナーに「写真」というのがあって、その中に「アサヒカメラ」が平積みされていた。割と雑誌にしては高かったのだが、思わず勢いで購入してみた。 252ページを見ると、カメ亭の写真が見開きページで掲載されていた。当たり前のことだが、ソネさんの部屋で飾ってあった写真と全く同じ写真である。 評者のこんなコメントが掲載されている。 「この部屋で交わされた言葉、罵声やささやきが、部屋のあちこちに残っていて、猫はその証言者のよう」 全くその通りである。この写真にはそう言ったものを他人に伝える能力があったのだな、と思った。 アサヒカメラをカバンに入れて、またウイングロードに乗って、さらに南へ向かった。 三重では、つくつくほうしが鳴いていて夏休みももう終わりに近づいていた。こんなにも素適な夏が、僕のこれからであと何回あるのだろうか、と思った。 (終わり) |
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2002年08月22日
22時50分29秒
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