クルマとカメラ

(平成15年4月)
ヤマナガ的趣味の世界。まとめ出すときりがないが、今回はクルマとカメラ。
興味がない方にはちょいと難解かも(っていうか読めないかも)。



ヤマナガの異常な愛情―私はいかにしてデジタルカメラを嫌い銀塩フィルムを愛するようになったか
もりもとさん、決算おつかれさまです。ナイスなラーメンタイムを過ごされたようですねぇ。
(どうでも良いのですが、「おつかれさまです」からはヒエラルキーは生まれませんが「ごくろうさまです」と言うと、上の者が下に向かって言う感じが生まれてしまいますよね。)

オーモリさんが「(メモカメラなら)デジカメで充分なのでは?」と掲示板に書いてくださいましたが、いや、まったくそうなのですよね。実際、私もオリンパスのCー2という200万画素の小さなデジカメも持っているのです。というわけで、なんでまたフィルムという最早過去のものになりつつあるメディアに固執するのか、を弁解がましくグタグタと述べてみます。ちょいと失礼をば。

もちろん、おーもりさんの言うように、メモ的に使うだけで、記録や伝達のために割切って使うならデジカメでなんら問題ないと思うのです。(事実、新聞・出版業界ではほとんどがデジカメを使っているそうです。)

ただし、そこに思い入れとか愛着といった非合理な事柄がまざってくると、どうにもデジカメが手につかない。

しかし、我ながらこのデジカメに対する拒否感と苦手意識はなんだろう、単なるアンチ・テクノロジー意識、内部プロセスを知ることが出来ないブラックボックス回避的アナクロ感性のせいか、などと漫然と思っていましたところ、港千尋の『映像論』(NHKブックス)という本の112ページでそれが見事に「言語化」されていまして、眼前の霧が晴れる思いがしました。

それは、写真の基盤が「アトム(物質)」から「ビット(情報)」に切り替わることに対する物理的な不安感だということです。港氏の文章はいささか読み解きにくいものなので引用は避けますが、すなわち、銀塩フィルムはフィルム面に塗布された「物質」に外部の光があたって起こる化学反応の結果得られる画像であり、それは確実に(物理的に)ある外部の反映としての写真だということが出来たと思うのです。

しかし、デジタルカメラはそういった物理的プロセスを介さず、外部をデータ(情報)として残します。(構造的なことに疎いので明確なことはわかりませんが、少なくとも、デジカメは光を物質として残さないという点は間違ってないと思います。)

あるイメージを残す、という点ではデジタルであろうが銀塩であろうが変わりはなく、むしろデジタルの方が劣化や紛失といった危険性は減るのでしょう。しかし、この「光→感光→物質化」というプロセスにある「物質」の要素こそが、僕が銀塩写真を好むひとつのポイントであると思ったのです。

物質の安心感、という文脈でいえば、「従来型の書籍」と「電子書籍」との関係にも同じ不安感があるかもしれません。ぱらぱらとページを繰る心地よさ、の問題ですね。

そして写真に限ると、僕は出来るならば写真を情報としてではなく、光の痕跡として見ていたいと思っているのです。伝達、記録、以外の何か崇高なものをそこに見ているようなのです。ですので、そのプロセスに物質が挟まっているか否かは重要で、大げさな言い方をすれば、フィルムは物神であるのかもしれません。

と、ちょっと大げさになりすぎました。ただ単に、偏屈で、古いものが好きで、自分の理解の範囲を超えたテクノロジーが苦手で、懐古趣味だというだけかもしれません。そして自分が慣れ親しんだものが駆逐されてしまうような寂しさ、これが一番大きいのかもしれません。(きっと多くの人が言っていることなのだと思いますが。)

実際、自分の思春期には既に大きく流通していたCDはほとんど抵抗なく使ってます。レコードで育たなかったから、それほど抵抗感がなかったのでしょう。と、そうなると、もしや今からあとのデジカメ全盛に生まれた世代は、フィルムカメラに大した郷愁も抱かないで済むのでしょうか?

でもわかりませんね。

CDに慣れ親しんでいても蓄音機やLPに郷愁を感じますし、モダン建築や新建材が行きわたった後に生れ落ちても木造家屋や日本建築にノスタルジーを感じてますから。

古いもの、もう戻ってこないもの、世の中の第一線から退いたものには、どこか心を落ち着かせる作用があるのだと思います。そしてそれは、きっとその中の不便さや手間や無用性に起因しているように思います。

結局のところ、僕が銀塩フィルムを好むのは、「物質」云々の議論以上に、こういった心情的な部分が大きいようです。

そして、考えてみれば、ノスタルジーは人が写真を撮るモチベーションの源泉ですしね。全て写真は終わったことしか見ることが出来ません。終わった光は「物」を介して残っている方が、僕にはよりふさわしく思えるのです。自分がアトムで構成されている限り、ノスタルジーはアトムと手をつないでやって来て欲しいのです。
2003年04月04日 03時18分15秒

カメラ考
さまざまなところでカメラ熱、写真熱が盛り上がっているようですね。さとみさんもカメラを探しているとのこと。
 そんな僕は、この間の日記にもちょっと書いたのですが、最近オリンパスのPENという小さな古いカメラを買いました。

PENに関する詳細はこの方(http://homepage1.nifty.com/olympuspen/index.html#TOP)のサイトに詳しいのですが、
昭和34年(1959年)にデビューした小さなハーフ判カメラです。

ご存知の方も多いかと思いますが、ハーフ判とは一般的なフィルムの1枚分を、半分づつ2枚に分けて使う形式のカメラで、簡単に言うと、24枚撮りのフィルムで48枚撮影することが出来る大変おとくなカメラなのです。
現在ではほとんど生産されていませんが、昭和30〜40年代のカメラブームの頃には安価で誰でも楽しめる普及版カメラとして、PEN以外にもキャノン、リコーなど様々なメーカーのラインナップにありました。

僕が買ったのはPENのEE3というタイプで、1973年から86年まで生産されたものだそうですので、少なくとも20年近く前のカメラと言うことになります。

古いカメラですが、撮影の方法は簡単です。フィルムを入れて、フィルム感度を合わせれば、あとはシャッターをかちん、と押すだけ。ピントは4メートル付近に固定されているのですが、ほとんどの場合、これで想像以上に綺麗な写真が得られます。(接写は出来ませんが、それでも今のところあまり不自由を感じません。)

何より気に入っているのは、一眼レフにあるようなカメラ自体の存在感、威圧感がないことです。

北朝鮮の拉致被害者の会見やイラク戦争などなど、さまざまなメディア報道を見ていると、一眼レフ、というのは拳銃にとても良く似ていると思うのです。とりわけ拉致被害者の生活のように、ごくごく一般的な日常にまでメディアが踏み込む際には「なんでそこまで伝えなきゃいけないの」という興味本位の視点が感じられてむかつきを憶えます。
 一眼レフは視線の権力を象徴しているカタチに思えるのです。「視線」すなわち「見ていること」を強化するカタチは、撮られる人にとっては威圧的だと思います。そしてあの金属の塊の存在感は、やはり「写真を撮っている」ということを周囲の人や撮られる人に強く意識させます。「写真を撮っている」ということを目立たせてしまいます。

小さくて頼りないPENというカメラは、街中で片手にぶら下げても、この人はカメラを持っている、ということをそれほど意識させません。なんというか、被写体を敵視しないカメラだと思うのです。

例えば、電車の中から窓の外を撮る、というのはとても面白いことなのですが、東京の山手線や大阪の環状線に乗りながら一眼レフでそれをやると、やはり周囲の視線が「こいつ何してんだ」と気になってくるのですが、PENのように小さなカメラだと、「あっ、写真にいいポイントだな」と思った瞬間に鞄から取り出し「かちん」とシャッターを切れば周囲の人の気にさわらずに自分の欲しい画面を手に入れることができるのです。

このこと、つまり「使うカメラを選ぶことで撮れるシチュエーションを増やす」ことは、面白い写真を撮る上で案外忘れがちですが重要なことだと思います。結婚式、入学式、卒業式、記念写真、観光名所、風光明媚な場所、こういった誰しもが写真を撮って間違いのない場所でカメラを構えることは別段なにも難しいことではないのですが、ふだん誰も気にしていないような何かをフィルムに残そうとすると、撮影者に対して周囲から好奇の眼や奇異の眼が飛んでくることになるからです。

そんなことを気にしない、というような図太い神経の持ち主ならば良いのですが、一般には中々難しくなってきます。
 僕はよく光のあたっている路上や水面や壁面の反射を写真に撮るのですが、案外雑踏の中にそういう面白いものがが転がっているわけです。自分は面白いのですが、他人から見ると「こいつなにしてんの?」と思われる場所で、おもむろに一眼レフを眼前に構えて地面に向けるのは抵抗がありますが、PENを入手してからは、そういう他人の目から随分自由になりました。新宿駅前でもひょいひょいとガードレールを撮影したりできるわけです。
 鞄から取り出したPENをさりげなく片手に持ち、ただ手に持っているように見せておきながらその実レンズは路面にむけ、ファインダーすら覗かずに、光線の綺麗なあたりをおおよその目測でかちりとフィルムに残すのです。
 しかも撮影時のシャッター音も現代のカメラのようにメカニカルにやかましいものではありませんし、撮った後の「ウィーン」という巻上げモーター音がしないので、静かな場所の撮影でも周囲の迷惑になりません。

 ただし、ハーフ判は、現像を受け付けてくれないDPE屋さんもあるので、近所のお店でなるべくプリント代が安価でハーフ判でも受け付けてくれるお店があるかを確認してからカメラを入手すると良いと思います。散見する「プリント0円」の店でも、ハーフ判の場合、特別料金を取られる店もあります。ですが、もしプリント代が0円でOKならば、現像代の500円のみで50枚以上の写真を我が物にすることができるのです。これはなかなか魅力的ですよ。

と、さとみさん、こんなカメラもありますので、ご参考に。個人的には、スタジオや記念写真など、何か対象となるモノをキッチリと撮りたい場合以外では、小さくて軽くて操作の簡単なカメラの方が有用な場合が多いと思います。
うつりのいい使い捨てカメラみたいなもので充分だと思います。そして、PENというカメラはその名のごとく、メモカメラとしては非常に高性能だと思います。

「撮影」の威圧感を被写体にも周囲にも与えないオリンパスPENを、いまのところヤマナガは非常に気に入っております。毎日カバンに入っているので、学生のうちは、撮りたいものをどんどん撮り残しておこうと思っています。いまのところ、まだ法に触れる隠し撮りはしておりませんので悪しからず。(あ、個人情報保護法には引っかかってるのかなあ・・・)
2003年04月02日 14時27分31秒


くるまのはなし
最近の日記がいささか堅苦しかったな、とおもったヤマナガです。ってなわけで今日は久しぶりにたらたらと。

しかし話題は「クルマ」。面白がれる方だけお付き合いください。いつものクセで、書き始めるとたぶん長くなります。

・クルマは好きです。そして好きでした、といったほうが正確です。
・クルマラブ度ピークはおおよそ高校生の前半でした。

・三歳児のころに描いていた落書きがクルマの絵だったそうです。(本人は覚えてませんが。)
・小学生のころから父にねだって福岡で毎年開催される輸入車ショーに連れてってもらいました。初めて行った小学校三年生の時は、興奮のあまり会場で鼻血を出し、帰ってから発熱するという馬鹿興奮具合でした。生まれて初めて、フェラーリを見たのでした。たしかその当時は現行モデルだったテスタロッサだったと思います。

・中学生になると『CAR&DRIVER』という隔週雑誌を兄と毎号交互に買っていました。
・今考えると中学生にしてはかなり保守的な「若さ」のない雑誌です。値段が安かったこと、国内外の新車情報が網羅的に載っていたこと、記事に客観性があったこと、近所の本屋で手軽に手に入ったこと、なんかが理由だったと思います。
・それ以外には『NAVI』や『MORTOR MAGAZINE』をたまに買ってました。新車に関するさらに突っ込んだ記事を読むことが出来ました。
・この頃は、道路を走っている車の名前は99%分かるほどでした。(トラックやバスを除いて。)
・高校の頃には『TIPO』や『NOSTALGIC HERO』などの旧車方面へと足を踏み入れていきました。徳大寺有恒の『こんな車は買ってはいけない』は毎年度ごとに読んでました。(今考えるとコレが中学生〜高校生の頃の愛読書の1つなのかも・・・。)
・値段の高い『CAR GRAPHIC』も何冊か買った記憶があります。小林章太郎という日本のモータージャーナリストの第一人者の記事が難しくて、実際あまり読めなかったけど、その大人の趣味な雰囲気には何か惹かれておりました。

・中学校2年のときでしょうか、父の職場の同僚にクルマ狂いのKさんという人がいて、デビューしたてのR32GT-Rに乗せてもらったことがありました。1989年のことだと思います。四人乗車にもかかわらず、3rdギアで軽々と180キロに到達するその動力性能に後部座席に居ながらも度肝を抜かれた憶えがあります。RB26DETT(というのがR32GTRのエンジン型番だったのですが)のパワフルさエネルギー感、それを支える車体剛性に「クルマってこんなに速く動くのか」と興奮し大きなカルチャーショックを受けました。Kさんは「まだリミッターをカットしてないし慣らし中やから180キロまでしか出せなくて御免な」と自慢気に語っており、一体この先どんな世界があるのかと正直言って恐れました。場所は高速道路でした・・・。

・その後、KさんはR32GT-R NISMO、ホンダNSX TYPE-R(レーシングホワイトのやつ)、などとその時々の最も硬派に高性能な国産車を乗り継ぎ(時に同時に所有し)、福岡から三重の鈴鹿サーキットまで5時間で辿り着く(もちろんクルマで)などといった快挙を成し遂げながら、ついにはポルシェ911RSRという化け物まで到達したそうです。(新車価格は3000万円近かったのではないかと記憶します。)その後のことは、僕自身のクルマのへの関心が薄れたこともありあまり知らないのですが、どうも、Kさんの奥さんは実家に帰ってしまったそうで、「クルマに入れ込むと不幸になるのかも」といううっすらとした懸念も感じ始めたのでした。

・書いてたら色々思い出して楽しくなってきました。以後、ほとんど独り言です。サイト容量を食いつぶしてすいません・・・。

・このFun to Driveかつ旧車愛好を形作ったのは、実は西風という作者の『GT ROMAN』というマンガの影響がかなり大きかったのでした。

・そこに登場し憧れていた車はというと、
ヴァンデンプラ・プリンセス、ミニ、ミニ・カントリーマン、ジャグァーEタイプ、ロータス・エラン、ロータス・コーティナ、ロータス・ヨーロッパ、MGA、MGB、MGC、MGミジェット、オースチン・ヒーリー・スプライト(カニ目)、ミニ・マーコス/ルノー・アルピーヌ、カトル、サンク、シトロエン2CV、DS、GS/ボルボP1800/フェラーリ・デイトナ、ディーノ246、250GTO、アルファロメオ1300GTA、ジュリア/日産スカイラインGT−R(PGC10,PGC110,KPGC110/ハコスカやケンメリ)、フェアレディZ432/トヨタ2000GT,トヨタスポーツ800(ヨタハチ)、パブリカ、TE27カローラレビン/マツダコスモ/ホンダS500、S600、S800、ホンダZ/と、どれも50年代〜70年代の車ばかりでした。今じゃ忘れたけど、まだほかにも色々とあった気がします。アストンマーチンDB5とか。いささか甘ったるい趣味の旧車たちですが。

・なぜかアメリカの古い車にはほとんど食指が動きませんでした。唯一、マッシブでグラマラスなシェルビーACコブラは好きでした。あとはアメリカのテレビドラマ「ナイトライダー」に登場するキットの原型、ポンティアック・ファイアーバードトランザムはちょっと好きでした。

・なかでも中学2年の時に一番憧れていたのはMGBでした。150万円くらいからタマがある、というところが古いクルマにも少し現実味があるように感じたからでした。クラシックとモダンが程よく融合したそのスタイルも好きでした。勝手にMGBとレンジローバーが2台ならんで収まる将来のガレージ妄想図を描いては悦に入る中学生でした。

さらに続きます・・・。

・F1も好きで、高校一年生の91年シーズンでしょうか、全ドライバー26人の名前と所属チームとカーナンバーを記憶していた覚えがあります。コローニのペドロ・マトス・チャベスがスバルのW12型(!)エンジンで予備予選を通過できなかった、とかそんな頃だったでしょうか。いまはなきロータスやミナルディやアロウズなんてチームもあったような気がします。ちょうど、週刊少年ジャンプがマクラーレンチームのスポンサーになり、日本のF1人気が高まっていた時期だったと思います。記憶が曖昧ですが。

・良く深夜に眠りこけながらフジテレビのF1放送を見ていました。いつか鈴鹿サーキットか岡山TIサーキットで生の音を聴きたい、と思っていたものでした。
・実況:古舘伊知郎、解説:今宮純、ピットレポート:河合ちゃんという黄金トリオの放送に浸っていました。(注:河合ちゃんはのちに鈴木保奈美と結婚し、早々に離婚する。やはりクルマ狂いはまともな結婚生活を送れないのか、とここでも思った・・・。)
・古舘伊知郎の過剰な比喩を盛り込んだ実況はとても面白いものでした。「中島悟の納豆走法!」とか「片山右京の張子の虎走法!」とか「怒れるフライング・フィン、ミカハッキネン!」とか。「雨の中島」なんてフレーズもありましたね。(参戦一年目の87年シーズン、中島悟は雨のオーストラリアGPでいまだ日本人唯一のファステストラップを公式記録に残していたので、車体性能の差が縮まりドライバーの腕の勝負になると言われる雨のレースには強い、というジンクスを持っていたのです。)

・好きなドライバーはもちろん我らが中島悟と、ベネトンにいたロベルト・モレノという見た目がダサく、しかも半分あたまの禿げた、どこか運の悪そうな人でした。(彼はシューマッハの電撃デビューに押し出される形でシーズン半ばにしてシートを失い、その後はインディなどに出場していたようです。)

・中学2年の時でしたでしょうか、土曜日の学校をサボり、友人のSくんと2人で電車で1時間半かけて中島悟のトークショーを聴きに行った覚えがあります。そのときは、大学生だったSくんの兄から偽名を借りて行きました。もし警察に質問されたらその名前を言え、と朝の駅で真剣な顔をしたS君から告げられたのでした。その時は学校をサボるという背徳感と思春期特有の緊張感で一所懸命にその名前をアタマに刷り込みましたが、今思うと、なんだか可愛らしいことでした。
・その時、兄からマニュアル一眼レフカメラ(ニコンFM2)とトキナー製の300ミリ望遠レンズを借りて持って行きました。けれど、トークショー会場となったのホールの少ない光量で望遠レンズ(しかも手持ち)というのは無謀以外のなにものでもなく、おそらくシャッタースピードはすべて8分の1以下、といったものだったのでしょう。現像から上がってきた中島悟の写真はどれもピンぼけしたものばかりでした。彼の着ていたPIAAのピンク色のトレーナー(!)のやたらに明るい色合いだけは印象的に覚えています。

・中島悟が引退した91年シーズンを境に、F1熱は徐々に冷めました。彼のラストイヤー、6位入賞はたまた表彰台が期待された鈴鹿GPは強く印象に残っています。31週目のS字カーブが彼の日本でのドライバー人生の終幕でした。エスケープゾーンに中島のドライブするティレル020が砂塵を巻き上げながら突っ込み、そしてあの特徴的なハイノーズがタイヤバリヤにめり込み、その反動で少しだけ車体が後ろに飛び上がり、そして静かに動かなくなる、という一連のビデオ映像は、短い時間でありながら古館伊知郎の絶叫とともに今でも即座に脳裏に呼び起こすことが出来ます。それほど、その時はショックだったのでした。


・F1への熱が冷めるのに決定的だったのは、92年のサンマリノGP、アイルトン・セナの事故死で、それ以後なんとなく1つの時代の終わりを感じ、F1からは遠ざかってしまいました。
・いまでは、F1よりもWRCのほうがテレビを見ていて面白いと思います。日本のチームもスバル、ミツビシ、トヨタ(まだ参戦してるのか?)といますし、応援のしがいがあります。

 19歳と1日で免許を取得してからがいよいよクルマ好きへの本道の始まり、だったはずなのでしょうが、あまりにそれ以前にイマジネーションの中で膨らんでいたクルマ賛美が猛烈だったために、実際運転するクルマというものは残念なことに思ったほど刺激的なモノではありませんでした。
 結局、恋愛と同じで、クルマに一方的に恋することに耽溺していたのでしょう。雑誌を読み、写真を眺め、スペックを憶え、そうやってアタマの中だけで紙面の中の遥か遠いクルマの世界と戯れているその状況が、その自分自身に酔っている状況が一番充実していたのだと思います。
 しかも20才も近づきハタと世界の状況に気付くと、どうもクルマにとっての一番素晴らしかった時代は過ぎ去ってしまったことにも気づいてしまったのでした。これ以後、50〜70年代のように、安全基準もエアバッグも排ガス規制もエコロジーも電子制御も立体プレスボディ成型もクルーズコントロールも空力計算も燃費向上も何もない遊び心と冒険心に富んだ個性に満ち満ちた車たちが溢れる時代は二度と絶対にやってこないのだ、という確信にたどりつき、現代のクルマ情報を追うことにほとんど諦めに近い感情を覚えたのでした。

 いまでは、東京生活ということもありクルマを欲しいと思うこともあまりないのですが、たとえ手に入れるとしても、道具として使うなら日産のマーチで十分かな、と思っています。現行型はデザインも色も良いし、高速道路を100キロで走ることも出来ます。ブルーメタリックのプジョー206もカッコいいですね。
 でも、どちらにせよ、排気量の小さいクルマに正当性を感じます。オペル・ティグラもカタチが好きです。(まだ生産してるか知らないけど。)

 初代MR2なんかもいかにも80年代風なあのボクシーなデザインセンスがちょっとずれていて良いかもしれません。その線で列挙しますと、スタリオン、2つ前のリトラクタブルヘッドライトのフェアレディZ、スカイラインRSの4ドア(シルバーメタとブラックの2トーンカラー)、初代シティ、パルサーエクサ、初代プリメーラの5ドア、いすゞピアッツア、ダイハツ・アプローズ、スバル・レオーネ、初代レガシィのマイナーチェンジ前(しかもワゴンじゃなくてセダン)、アルシオーネ、アコードエアロデッキ、三菱ジープ、初代ゴルフ、W123型メルセデスのセダンなどなど。(うーん、我ながら、分かる人には大喜びなチョイスなのではないか、これ。)

 金銭や住環境の面を全く無視して純粋に欲しい車を言うならば、TVR・タスカンスピードシックスやケイターハム・スーパーセブン、もしくはモーガンやMGBなどになると思います。初代レンジローバーもカッコいいと思います。プリミティブで独特の色を持ち、そしてどこかこの時代から外れていることに自覚的なクルマが好きです。
 
 ちなみに、6速MTは扱ったことがありませんが、出来る限りクルマはマニュアルトランスミッションで乗りたいと考えるところです。
 コーナーの出口を見切ると同時に、加速をすべく満を持してクラッチを切り、シフトをしかるべきギアにほおりこみ、右足でアクセルを適切にあおり、そして左足をゆるめクラッチをミートさせると、それまで空転していたエンジンの馬力はデフを抜け車輪を回し(出来れば後輪が良い)、道路に食い込んだ速力は車体を汗馬の如く前方に蹴飛ばし、身体はシートバックへと力強く押し付けられる、というあのダイナミズムはマニュアルミッションだけに味わえる操作感だと思います。
 まあ、いうてみれば、「俺が動かしてる!」という感動が得られるってことです。
 オートマティックトランスミッションのクルマなんて、ゴーカートと同じだ、と思ってしまいます。(とは言いつつATだと運転しない!と言い張るほどのポリシーも無いのですが。)

と、予想通り、いや、予想以上に長くなりました。もはやこれは日記アラシ、かもしれません。記憶で書いたので嘘八百もあるかも。低頭。
2003年02月24日 02時38分48秒