小谷日記  by ヤマナガ


5月3日(金)
 
 M嬢と小金井公園内の江戸東京たてもの園へ。池袋から西武新宿線にのり、花小金井駅から徒歩15分。東京近郊で現地保存が不可能になった様々なたてものがここに集められている。入場料400円(学生320円)で江戸時代のカヤ葺き農家、建築家前川國男の自宅、戦後の下町の商店群や銭湯、高橋是清邸などバリエーション豊富な建物が楽しめて実に面白い。2時間しか見ることが出来なかったので、小金井公園でのんびりする時間も取ってもう一度行きたい。たてもの園内で、上野駅で買ったちらし寿司とサンドイッチの昼食。夕食、お好み焼き。

5月4日(土)

8時2分新宿発のあずさで松本へ。11時着。薄曇り。前日から長野に来ていたもりさんがウイングロード君でむかえに来てくれる。既に昨日からの移動中に渋滞にはまっていたもりさんは少々ロウテンション。そこからそねはらさんに会いに南松本、空港西側のスカイパークへ。そねはら邸でアイス珈琲を頂きながら音楽や写真のことなど話し、昼食を取るべく安曇野へ。外食でそねはらさんお手製の角煮を食べ損ねたのが残念。
 少々さまよったあと、安曇野の蕎麦店「大梅」へ。連休中だけあって、駐車場には休日の信州を満喫しようと県外ナンバーが並ぶ。ヤマナガはこの蕎麦屋を2週間前にも訪れていて、その時に一緒に行った友人が頼んでいて非常に美味しそうだった「鴨つけ」(ざる蕎麦を鴨入りの温かいツユにつけて食べるもの)をついに注文。こんなに早く食べれるとは、と自分の長野率の高さにびっくり。
 「鴨つけ」、筆舌に尽くしがたい美味。様々な材料が、丁寧、的確、そして愛情のこもったプロセスを経たことが分かる誠実な味がした。鴨のうまみが沁みだしたツユでの蕎麦湯も絶品。
 途中ジェラート屋の「彩香(さいか)」で男三人でデザートにジェラートを食し、一旦そねはら邸に戻る。ウイングロードに乗り換え、そねはらさんも連れ出し小谷村に向かう。6時過ぎに出発。出かける前から降り出した雨は北に向かうにつれ強まる。途中、白馬のジャスコとアップルマートで鍋の材料と酒を買出し。9時前、小谷村のもりかわ邸に到着。
 昼からの蕎麦やジェラートやドライブですっかり満喫して疲労していた3人だったが、玄関をくぐり土間を抜け、薪の燃える囲炉裏ばたに上がった途端、表情はゆるみ、乾杯の瞬間には気分も再度盛り上がり、昼間の疲れを忘れて次のラウンドに入って行った。(ロングドライブに疲れていたもりさん、初対面の人ばかりが待つ場所に連れて行かれるそねはらさんはとりわけお疲れだっただろうと思います。ごめんなさい。でも、そこまでしても連れて来たかった場所だったということも分かって頂けたのではないでしょうか?)
 借主の「でポン」のMくん、Tくん、Y、Yの姉のT姉ちゃん、それから僕ら3人の飲み会ともなれば話題は尽きることなく、日本の地理や風土や政治から、音楽、写真、芸術全般、さらには地質や岩石や断層の話まで、幅広く、そして面白おかしく、時間はビールと長野の酒「真澄」の流れるがままに過ぎていきました。

5月5日(日)

 昨夜は遅かったにもかかわらず、8時に目が覚める。皆はまだ夢の中だが、せっかく起きてしまったので、玄関先の肥料袋に腰掛けて本を読む。谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』と中島義道『うるさい日本の私』、それから小島信夫の『各務原、名古屋、国立』の3冊で悩んだ結果、『うるさい日本の私』を読む。
 著者が哲学者ということもあり、日本の音事情に対する単なるエッセイ的な批判であり、「私は一体現代の日本人の音に対する感性はどうなってしまっているのか、と疑いをもたずにはいられないのだった」というような日和見的な嘆きが展開されているかと思いきや、内容は思った以上に実践的なものだった。一種、市民活動の手引きの側面も持っていると言えるほど。
 海の家の注意放送、バスや電車の車内案内、近所の商店街、竿竹売りの車、銀行のATMコーナー、そういった著者の身近な場所での、無益にうるさいだけで人の自立心を損ね、聞かない自由を妨害する(と著者はいう)「音害」に対して、どのような実践を行ったかの精細な記録だった。その記録はまったく、恐ろしいくらいに哲学者的に細かい。
 



・快晴。朝、玄関先の肥料袋に座って中島義道『うるさい日本の私』(新潮文庫)を読んだ。面白いけど、この本自体も相当うるさい。どうせここに来たなら谷崎の『陰翳礼賛』を読めばよかったと後で少し後悔した。

・10時を過ぎて、ちょろちょろとみんなが起きだし、とりあえず、といった具合に陽の光を浴びに外にでてくる。とりあえず、で土の上で陽の光を浴びる休日というのは、悪くない。『陰翳礼賛』を「いんうつらいさん」と読み違えたのはそねはらさん。なんか面白い。

・11時頃、残念ながらもり、そねはらは松本へ。一緒に温泉行けず。みんなで見送る。ウイングロードが小さくなる。

・残った5人で小谷温泉へ。車で10分。昼から露天風呂。好天、新緑のナラの葉、鳥のさえずり、熱めの湯、石鹸のかほり、無言でも満たされる友人。
 酔いと囲炉裏の煤が落ちていく。男四人、とてもダラダラしている。湯船の端に座って、T字剃刀で丁寧に髭をそる。

・さらに奥の鎌池に雪遊びしに行く。この時期でも、まだ雪が残っている。春の光と雪原というのは、異質。見たことのない風景。雪解け水で出来た沼地さえ気持ち良く見える。でっかい機材を三脚に据えたアマチュア写真おじさん多数。

・7,8メートルの雪山をビニール袋で滑り降りる遊び。正座型、直立不動型、寝そべり型、回転型、ジャンプ型と様々な降りかたを開発。
 でも最後は、M川くんと僕は、小山の上に立ち本気で次の降りネタを議論する三人を「みんな関西人やなあ」「そうやねえ」と雪の上に腰を下ろしてのんびり見物。
 じつは小山の上で必至にオイシイ降りかたを考えているTくんは仙台出身、下からのんびり見物しているM川くんは奈良出身なのだが、出身地と性質は必ずしも一致しないのだった。
 最後はM川、Y、ヤマナガの三人で背中あわせに組み合わさり、顔面を外にして回転して転げ落ちるという新展開で締めた。回転力の増加で、よりダイナミックな転がりを達成できたらしく、転がりの絵面はかなり良好だったらしい。周辺の雪遊び客への受けもまずまずであった。来年はもっと湧かせる転げ落ち方を望みたいものだ。

・雪遊びで疲れたので、国道沿いの道の駅まで行き、野豚を食べる。M川くんだけとんかつ定食。ほかの4人はカツ丼。ごはん、カツ、そのうえにだし汁と温泉タマゴをかけて食べる特殊な一品。野豚は普通の豚より少し油が強い感じだが、味に野趣があって美味。でも、欲を言えば普通の卵とじカツ丼で食べたかったな。

・帰り道、M川くんの案内で山菜とり。三箇所移動して、タラの芽、つくし、こごみ、ふきのとう。これまたひっじょーに楽しい。M川くん、まるで山菜博士。しかし、「地元の人はもっとよく知っとるからなあ」という。

・家に帰り、晩御飯の準備。取ってきた山菜を天ぷら

夕食以後

 夕食、鍋と山菜づくし。タラの芽とふきのとうは天ぷら、こごみとつくしはおひたしに。異色な存在はつくしの卵とじ。でもどれも美味。鳥とブリの入った鍋も美味。翌朝、この残った汁でおじや。これまた美味。っていうか、実際うまいんだけど、それ以上に囲炉裏端には何でもうまく感じさせる力がある。
 M川くんの作った「フキ味噌」は酒のアテに何よりの一品。刻んだふきのとうをフライパンに放り込み、味噌・酒・醤油を加えてながら水気が飛ぶまでチリチリ炒める。これを冷奴にのっけて食べると・・・。んー、小谷は最高だ。
 
 気が付くと、日本酒は昨晩の「真澄」から「白馬錦」へと世代交代。この日ほど次から次へと「うまい」と言い続けた晩は、少なくとも近い記憶には思い当たらない。
 春先の新芽は大抵何でも食えるとか、タバコを吸う動作は上手く間を満たすことのできる優れた手段だ、とかそんな話に一同賛成したりしながら夜は更ける。買出しに行ってくれたTくんには、「春の台風 小谷風」が振舞われた。(冷奴、ネギ味噌、つくしのおひたし、こごみのおひたしを使った小皿料理。箸置きには昨晩の竹皮で包んだチマキ。食後のタバコ一本付き。)

5月6日(月) 快晴

 小谷最終日。

 朝8時、近所のおじさんが「近くのお宮で3時過ぎからお祭りがある」と教えに来てくれる。とても大きな声。囲炉裏端で寝ていた三人は起こされる。けれど、あとではっきり時間がわかったらまた伝えに来る、と言ってくれたものの結局、その後来てくれず分からずじまい。お宮の場所もわからずこのお祭りには行けず。春を迎えた小谷でお宮びらきの寄り合いだったのか、ちょっと行ってみたかったので残念だった。
 
 昨日の酔いと天ぷらを居の腑に残したまま、囲炉裏端でタバコを吸い、みんなごそごそ起き出して、おじやを食べてぼんやりと11時過ぎ。誰が言い始めたか分からないが、なんとなく2階の片付けが始まる。
 
 それまで少なくとも15年は使われていない部屋の中は埃だらけ。あわせて20畳以上ある2部屋に箒をかけ、バケツを3回取替えて雑巾拭きをし、置いてあった布団と絨毯を干し、風を通す。5人で2時間かけると、部屋は見事に生き返った。
 絨毯をひき、そのあたりに転がっていた用途の分からない道具を並べ、しっかりした木箱と板をテーブルに仕立て、2時間前は廃墟だった部屋は広々とした見事な空間になった。
 
 程よいサイズの窓の外に向かいの山の緑と川の流れ。そこから入る光線に、埃まみれだった壁の長押や柱は黒々と存在感を発し、茶色い土壁とともに落ち着きはらって部屋をぐるりと取り囲む。壁は、何か良い色の絵を掛けてくれと言わんばかりだ。M川くんは「ええなあー、ここはむっちゃええなぁー」と喜びを隠さず何度も言い、その横で使い込まれた糸車がちょこんと見守る。そんで、僕らは片付いたその部屋に転がってみる。昨日の余ったビールを分け合って飲んだりする。この部屋に何を置いたら似合うか、何を置いてもこの部屋は何でも似合ってくれるとか、想像しあったりする。

理想郷とは、ここか?

 とは言いつつも、この時、家の外では平行して肥汲みも行われていた。これまた、リアルに臭い。2年間寝かせた人糞の色というのは、何とも言えない色と香りだった。大家さんのおばちゃんの言うとおり、家の前の畑に掘った穴にバケツで流し込む。「こりゃ、畑になによりのご馳走だわ」とのこと。秋にはM川くんやここを訪れた人たちのうんちやおしっこが、おいしいかぼちゃになるとのこと。

 片付けの途中、M川君とYの後輩のO君が荷物を届けにやってきた。「なんで俺が」と言いながら肥え汲みを手伝ってくれた。彼の車は、僕が信州にいたころに乗っていたもので、久しぶりに運転させてもらった。ちょっとエンジンの回転は鈍っていたけど、まだまだ元気だった。でも、距離計は僕が3年前に彼に譲ったときから4万キロ以上まわっていて、しっかり時間が経ったのだなと感じた。考えると、O君自身も大学院生になり、僕ももう3年生になっている。
 
 一息ついてO君は松本に帰っていき、僕らは夕食の買出しと準備をした。僕は本当は、4時発の鈍行電車で帰るつもりだったのだけど、気が付いたら楽しく4時をまわっていたので、もう今日帰るのをあきらめてしまった。第一、帰りたくなかった。
 
 夕方、カメラがなかったのでM川くんと僕はこの部屋を留めようと、綺麗になった2階を色鉛筆で絵に描いた。Yはおどけた調子で「んじゃ、ぼくモデルやるわ」と窓際で椅子に座った。描いているうちに光線は着々と変化し、描き終わった時にはすっかり陽が暮れて、裸電球の明かりで長い影が出来ていた。僕はみんなから急き立てられて描き上げて、小谷温泉に出かけた。久しぶりに絵を描いたら、ずいぶん下手くそになっていた。
 
 二階の部屋で近所の人も誘って映画上映会したら楽しいよね、などと車中で話しながら温泉から戻り、ナス、山芋、ソーセージ、隠し味のイセエビポテトチップス(from三重県)の入ったカレーライスをつくる。大家さんのおばちゃんのくれたウドとイラクサを食べる。ウドは味噌和え、イラクサはおひたし。そしてビール。言うまでもないが、これまた全て美味。調子に乗って、ウドの卵焼き(ウド玉)も作った。さすがにこれはまあご愛嬌。
 二階に1つ新しい空間が生まれたことで、なんか心持ちも余裕が出来たなあ、と話し合う。
 
 午後10時、ほろ酔いのT姉ちゃん、T君の車で一緒に長野駅へ。そこから「急行ちくま」で関西方面へ。いかにも帰りたくなさそう。そりゃそうだ。結局、ぎりぎり最後の電車まで引き伸ばすくらいだもの。(ちなみにT姉ちゃんを送るため、T君はビールをほんの一口しか飲まなかった。えらい。)

 2人減り、M川くん、Y、ヤマナガの男3人。少し広くなった囲炉裏端で、午後10時過ぎ。この日はこの後わりと真面目な話をした。「一ヶ所に居ると恐くなる」とか。僕は、その時は上機嫌で「そんなことない」と言い張ったが、昨日の午前中、常磐線のある駅でしっかり恐くなっていた。

 東京に帰ってきて、一ヶ所にいて恐くならないためには、3通りの心持ちがあるのじゃないかと考えた。1つは、その場所に居るのが絶対的に好きであること。もう1つは、その場所に居ることが経験的に必要だと思えること。そして、3つ目は、ここで良いやと、どこかで腹を決めてしまうこと、線を引いてしまうこと。3つ目は、優柔不断で欲の多い人間には、なかなか難しいような気がする。

 せっかくだからと2階に場所を移して飲もうとしたら、M川君はすぐに寝入ってしまった。Yとヤマナガは、久しぶりにお互いの言葉尻をとらえあうようにゆるゆると喋って、3時に寝た。

 3時間後に起きて、駅まで送ってもらい、6時40分発の電車で東京に帰った。普通電車の中は、通学の高校生がたくさん居た。男の子はお互いに背伸びをしあって会話をし、女の子は必死に鏡を覗き込んで10分以上前髪を整えていた。大町でたくさん高校生が降りた。もうさすがに、ルーズソックスの女子高生は少なかったけど、なぜみんな東京の高校生と同じ恰好をしたがるのだろうと不思議に思った。とてもぎこちない形に見えた。

 昼12時過ぎ、朦朧としながら東京にたどり着いた。最寄駅から家に帰る道すがら、タバコを吸った。タバコのフィルター部分は土に還らない。吸い終わって、思わず小谷に居る時と同じようにタバコのフィルターをちぎった。そうして、地面に葉っぱの部分だけ捨てようとして、捨てるべき地面にアスファルトしかないことに気が付いて、妙におかしく感じた。
 
 荷物をアパートに置いて学校に行ったけど、授業中、小谷に月に一度は行けるにはどの街に住めばいいかをメモに書いて考えていて、あんまり授業は聞いてなかった。

 M川くんのお薦めの石井克人の映画『桃尻女と鮫肌男』見てみよう。T姉ちゃんのお薦めのRCサクセションの隙間的アルバム『ハートのエース』聞いてみよう。
 M川君、小谷また行きます。待ってろよ2階!ほんとに、今でもあの部屋を思い浮かべるだけでかなり幸せになるのです。



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