それはただの気分さ
そもそも。
そもそも、なんだ? 何したって、生きている限り時間は進む。じゃあ死ねば? って、それもちょっと。死ぬのは痛いし。なので死のうとか思った事無いし。つうか自分が死んでも自分の嫌いな奴は死ななかったりするから勘定に合わないし。なんで、じゃあ生きてるほうが全然ましじゃん。っつうわけで、ぼんやりと生きるわけだけれど、震える程のハッ、ピー!とか、そりゃ勿論やって来ないんだよね。それを望むのってまあ我が儘かもしれないけれど、兎に角うまくいかないものだね。うまくいかないのには理由があって、自分でうまくいかない方へ歩いているから、なのだろうけれど。まあ、軌道修正は何回かやっているのだけど、どうにもこうにも。なんつうか、うまくいくイメージ、に悪態吐いちゃいけないのだと思う。あれらは、本当は、僕らが心の奥底で焦がれるほど望んでいるものなのだから。つうか関係ないけど、輝ける人生、とかは割と幻想の類だけど、何してもうまくいかない、も、割と幻想の類と思う。大抵の人はその真ん中にいてそこには降り幅があるだけ? かな? 知らない。まあいいや。しかしまあ、うまくいく為の結論としては、どうにかがんばろうぜ以外の結論が出ないのがいつも問題だと思う。ああしかし、これって、うまくいくとかいかないとかをぼんやりとしたイメージでしか捉えていないと、こういう事を書くようになるって好例だなあ。確固たるイメージがない、みたいな事をわざわざ言うのは大変に恥ずかしい事だけれど、実際問題ないものはない。それがあれば、困難を排除し突き進む、美徳ここに極まれり、っていう暮らしになるのかも。そうすりゃ他の事が見え辛くなるから、うまくいくのじゃないかなあ、そういうの、余計なものに遭遇する可能性も減るし、つまり邁進ってやつ、とこれまたぼんやり思う。なんてな事を考えているうちに、もう年取っちゃったよ。やっべえ。
なんて文章、如何だろう。僕などはこういった文章を見ると、ブラウザを2秒で閉じるか、最後まで読んで悪態を吐いてブラウザを閉じるかのどちらかなのだけれど。
[2002.12.13]
センスレス・ミーニングレス
意味を成さないものを書くのは得意だった。それは文章の出来不出来の問題じゃ無い。単に労力を要しなかったというだけだ。それこそ特に、書くこと自体に思考を必要としなかった。ところで僕は物語を決定的に紡げない。もし、僕が物語を紡いだとしたら、そこにあるのはまごう事無き借り物の、僕の意味を成さない文章以上に意味を成さない文字列になるだろう。さて、なら僕はここで何を書こう。日記? 確かに書き続ける事も出来る。しかし散々書いた。軽くて、ふわふわしてる文体の、そして中途にフックを挟み、最後にオチのようなものが来る、あの、日記? まあ、それも良いだろう。けれど、それでは以前と何も変わらない。あのフォーマットの反復には飽きた。とは言え、飽きたところであのフォーマットはこれからも所々顔を出すだろう。そこまで僕は器用じゃない。
いや、僕が言いたいのは、違う、つまり、あの自ら生み出したフォーマットに、自らが操作されている感覚が嫌になったという事だ。その点、メモはいい。今書いている“これ”と同じく、何も憂いる必要は無いからだ。
[2002.12.12]
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driftwood