FASTCARS

 結成の経緯は、僕が仙台で以前やっていたSLEDGE THE FALLが解散したころ、98年の夏頃に同じく仙台で活動していたGOBRINを抜けたJohnnyと一緒に、メロディーをもったFUN・ATTITUDEなライブ・バンドを演りたいという思いから始めることにりました。その後、これは!といったDrがなかなか決まらずにいたところに、同じくGOBRINでDr.をしていたTomokoを口説き落として参加。FASTCARSのLINE UPが出来あがり。バンドの名前の由来は、あのBUZZCOCKSの名曲から拝借したもの。(そのころ同名のバンドはNETを検索してもひっかかりもしなかったのに、あのPUNK天国が発刊されて知るまでは。でもBTF4とかには入っていたりしてたのに、チェックが甘かったんだなぁ…。でもUKのFAST CARS(真ん中の空白が大事なとこね!)のSTUARTともメールのやりとりして、やっぱBUZZCOCKSだよね!って盛り上がったし、それはそれで良かった。)ちなみにライブの際、盛り上げてくれるためなのか、時に起こる’I hate …’コールは苦笑。
 メンバー決定と同じくしたころ、最初のデモ・テープを製作して、初ライブも98年の秋に行った。地元仙台の雄MICROPLAN(r.i.p.)の企画にてデビュー。その後、マイペースながら活動していく。当初の活動の中心は仙台で行っていて、その他の地域での場所のライブはほとんど無かった。(まぁそれは結成直後ということもあるわけで)地元のバンド友達の企画に出させてもらったりしながら、たくさんのバンドと共演し、経験値をあげていく。そこらへんは過去のライブの記録を見ていただければ分かると思います。その後もデモの作成やライブを継続しながら活動。時には変則的なメンバー構成でライブを行っていたりもしていた。僕がMYRIADを同時にやっていたというのも原因かもしれないが、ex-MICROPLANのAOKI氏(現baggage)やTHE RIVALSのAOKI氏(またしてもAOKI!もちろん別人)やSHAFTのミツルくんなんかが手伝ってくれてライブをしていたこともあった。また友人の企画に参加したりして、海外からのバンドとも共演する機会が増えてきたりもしていた。USAのバンドのTILTWHEELやTHE THUMBSなんかと共演し、そのようなバンドたちには結構FASTCARS流のPOP PUNKが受けていたりもしていたようだ。
 2001年には国内・海外のGARAGE〜PUNKのバンドをたくさんリリースしている東京のレーベル、1+2 RECORDSから公式としては初の音源であるオムニバスCDや、FASTCARS自身の初の単独CDをリリースしたりなんかした。前後して東京(しかしまだ近郊、ベッド・タウンともいう)でのライブを行い、新しい展開にわくわくしたもんだった。2002年には拠点を郡山に移して、JOHNNYの企画’9PLAY’を開始することに。レーベルで知り合ったツテや、東京やその他での対バン友達を有効に活かして開催する。またこの年の9月には、QUEERSとMr.T EXPERIENCEと仙台にて夢の共演!彼らのような音楽をやりたくって始めたようなバンドなだけに、とうとうここまで来たかという思いでいっぱいだった。そして現在も(夢とかその他)いっぱいいっぱいのステージを繰り広げている。


member ....

JOHNNY
TOMOKO
KOMATA

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