今の気持ち集 第七十一弾


Jul.1st 2011

とことで 一部の友達には白状したんですが、 このMyOfficialサイトでも公表しようと思います。 人生二度目のニート中です。 ハロワ通いの日々、再来です。 どうも、ノヴォールです。 結局自分が自分に甘い、ってことだったり この先の自分ってものに対して何も考えてないってことだったり、と いろいろとあるんだとは思うんですが、 今現在仕事をするっていうことに対するモチベーションは異常なまでに低いです。 一応ハロワにて紹介を受けて いざ履歴書を書こうとしてみるものの これがびっくりするくらい何も書けない。 履歴書を目の前にしてまる二日なにも書けないでにらめっこして終わったりして。 マジ「一身上の都合」ってなんだよって話ですよ。 ダメ。 こんな暗いことじゃダメ。 せっかくこんな自他共に認めざるをえない 国存続の危機ってなぐらいの状況で 浮世離れしたポジションに陥ったんだから。 こんなふざけた毎日はないよ。 バァさんの肩を揉んでりゃ 飯食えるし、風呂も入れるし、究極の食っちゃ寝の生活してるし。 1週間のうち、家から出ない日のほうが多いですからね。 完全にひきこもりのニート。 ニコニコ動画が友達すぎる。 毎日毎日飽きもせずエロサイトを巡って ちんこから精液を搾り出して ああ、オレなんぞに精子を生産する能力を与えてしまったのは この世に存在してしまう無駄なものの一つだな、って考えてみたりして。 まぁでも 無駄なものが存在してくれるおかげで 必要なものの存在価値が光るわけですよ。 ワタシも一つ目の会社で主任に言われましたから。 「キミみたいなのがいてくれるから ちゃんと評価される人がされるんだけどね。」と。 んなこと身に染みてましたよ。 むしろ 入社して2月目には 「あ、オレこの会社には何の役にもたてない。」ってのはわかりましたから。 がんばったところでどうにもならんことがあるって。 この会社のためにオレができる唯一の貢献は 会社から居なくなることだ、って。 あ、また暗くなった。いかんいかん。 えっと。 性癖の話でもしましょう。 そう、そういう話題とかいいじゃん。 前に友達とカラオケに行ったときの話です。 カラオケでアニソンを歌う楽しみの一つとして そのアニメの映像が流れるというものがあります。 むしろその映像が見たいからアニソンを入れるという 本末転倒的なこともしたりします。 んで、その友達がアニソンを歌いながら 流れる映像を見て、 「オレの性の目覚めってコレかもな」って言ったんです。 そのアニメはワタシたちが小学校高学年くらいのときに放映されてた 戦う女の子が主人公のアニメでした。 月に変わってお仕置きの方じゃないです。 その言葉を聞いてから 今の自分の性癖の根っこにあるものってのはなんなんだろうと 要は 自分にとっての「性の目覚め」ってなんなんだろう、と 考えてみたのでした。 めっきり落ちてきた記憶力に対抗するためにも 記憶の海を浅いところから深いところまで探ってみました。 するとですね、 一筋どころではなく 何条かの光が差し込んでくるのでした。 そう。 自分にとっての「性の目覚め」とは おそらく同時期に読んだであろう何冊かの漫画がそうだったのです。 小学生時分に読んだ漫画に出てきた女の子に対して そりゃまだ当時は勃起をするなんていうわかりやすい表現じゃないですけど とにかく興奮してしまったんでしょうね。 んで、その体験を寝ても覚めても脳内で反芻するうちに いつの間にやら自分にとってのエロスの土台を築いたんだと思います。 そういうワタシにとっての性の養分となったキャラは何人か思い当たりまして これを順位付けしようなんてことは非常に困難なんですけど 1位ははっきりしてるんです。 それはDQ4のアリーナ姫です。 アリーナは漫画じゃなくてゲームのキャラだろ?死ね?と おっしゃる方もいるやもしれませんが、 我々の世代にとってのドラクエというのは ゲームであると同時に漫画でもあるのです。 4コマ漫画といえば、コボちゃんよりもドラクエなんですよ。 ドラクエの主人公達はあんましゲームの中でしゃべらない、ということを うまいことエニックスは逆手にとったんでしょうな。 ドラクエ開発元のエニックスが公式の二次創作として 4コマ漫画をいろんな漫画家さんに書かせていたのでした。 すると 例えば衛藤ヒロユキの描くミネアが好きとか きりえれいこの描くスライムが好きとか 柴田亜美のニセ勇者とか衛藤ヒロユキのふんどしとかの伝説級のネタとか 一つのゲームから生まれているものなのに 各々の漫画家さんの創意工夫によって ゲームをするだけでは生まれなかった思い入れと創造がなされたのです。 同人誌の発展には一役買ったであろうと思います。 さて、 ワタシは新山たかしの描くアリーナが大好きでした。 正直、性の目覚めでした。今考えてみると。 すると 今現在のワタシのちんこの友になっている素材を 冷静に分析していってみると 新山アリーナにつながる部分が何箇所も発見できるのです。 そんときに 形容しがたい面白さのようなものを感じたのです。 過去の自分が味わった何気ない出来事が 今の自分に知らず知らずのうちに影響を与えてる。 よく 援助交際をするおっさんってのは 自分がその交際相手くらいの年、 つまり高校生位の時にまったく女子と遊べなかったから そんときの追体験のようなものをしている、 っていう話があります。 つまり 自分が味わっていたことっていうのは マンガとかアニメを観るっていう「やったこと」だけでなくて 女の子と付き合うっていう「やれなかったこと」ってのも含まれるんです。 「やったこと」の中からエッセンスを抽出してその理想を追いかけるのも 「やれなかった」からこそ神格化して追いかけるのも おんなじ欲望なんでしょうね。 ワタシも「やれなかったこと」を追いかけるっちゅうことで どうにか女子高生とどうにかこうにかなったりしないかな、と日々想うばっかりです。 「女子高生」っていうエッセンスはもはや神の領域ですよね。 どんな宗教よりもワタシを洗脳できる単語ですよ。 というわけで、 女子高生のコスをしたアリーナを仲間にするために ちょっとルイーダの酒場にいってきます。 アリアハンまではどういったらいいんでしょうか? 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



Jul.7th 2011

ニートになって1ヶ月が過ぎまして、 がもめとろろさんからスカイプにて叱咤激励を受けました。 何かやりたいことはないのか?と。 正直な話、 食欲性欲睡眠欲の三大欲以外は けっこうからっきしになってしまっていますので、 どう答えていいかわからん状態になってました。 新しいバイクでのツーリングは フジッコさんとWFSさんの協力により実現しましたし。 んで、ようやっと思い浮かんだのが 富士山を登山することでした。 「じゃぁ富士山に登って。 明日とは言わないけど、今週中ね。」 がもめとろろさん曰く 何かしら思っていることを実現することで 全然気持ちが違ってくるはず、とのこと。 ううむ。 運動不足のたるみきったこのカラダで 一人でいきなり日本最高峰にチャレンジするのは あまりにも無謀。 なんといっても失敗したときのリスクが高すぎる。 しかしこのまま何もしないまま一週間を過ごすというのも せっかく遙か台湾からスカイプをかけてくれたがもめとろろさんに申し訳ない。 というわけで、 かねてよりやってみたいと思っていたことを なんとか一個でも達成することで なけなしの代替案にすり替えてみようという作戦にでました。ヘタレ。 では、 その案とはいったい何か。 それは、 動画投稿なのです。 ラジオのリスナーだったら ハガキ職人に憧れるのは自然な流れ。 Youtubeとかニコニコ動画ってのが こんだけ当たり前な存在になってきますと なんとか自分も動画をアップロードしてみたいものだ、という 小さな願望が芽生えてもいいんじゃないでしょうか。 そしてできれば動画のジャンル的には 自分が愛してやまないゲーム動画にしたい。 さらには いわゆる「ゆっくり」と呼ばれる 合成ボイスに喋らせたい。 しかし、 もちろんわからないことだらけ。 ファミコンやスーファミのプレイ映像を どうやれば録画できるのか。 動画を編集して文字や画像を入れたりするのはどうやるのか。 そしてゆっくりボイスを動画に埋め込むにはどうすればいいのか。 一番の懸念事項としては このCeleronCPUという低スペックな環境で 動画編集なんていう重そうなことが出来るのか。 最終目標は ニコニコ動画にうpすること。 超えなければならないハードルが意外と多そう。 しかし、 こういうのや こういう 便利で親切なパイオニアの方々の力を駆使して なんとか動画そのものをつくることはできました。 まだまだおかしい点はたくさん残っておりまして 課題は山積みながらも 自分で一から創り上げたものには変りないので ひとまずホッとはしてます。 こんなもんで許してくれるほど がもめとろろさんが甘くはないのは承知してますが わずかな時間でいいので 小さな小さな達成感に浸ってもいいですか? 〜〜〜〜〜〜〜〜



Jul.15th 2011

アニメ「美味しんぼ」の 栗田さん荘真由美ヴォイスが どんどんエロく聞こえてきました。 どうも、ノヴォールです。 昨日は久々に 家族や友達以外と長時間の話をしました。 久々にスーツなんぞを着込んで。 なぜって?お察し下さい。 おかげで異常なまでに疲れまして、 今日一日起きていられないくらいの眠気に負けていました。 窓全開の家の中で35℃ってどういうこと? 日陰でこれじゃぁ、日向はもう体温越してるね。死ぬね。 うちのバァさんもずっと こんな暑くちゃ撹乱する撹乱するってうわ言のように言ってましたからね。 もともと対人恐怖のケがあるワタシが こんなひきこもりのニートになんぞなってしまうと 余計に人様と会いまみえることに対して 億劫になってしまいます。 負の連鎖。 動画作成なんですけど、 完全に手詰まりとなってます。 そもそもの動機が動機だからなぁ・・・ というのも、 これワタシにとってあまりにもありがちなんですけど 「動画を作ってみたい」という欲求だけしかないんですよ。 これがすごい中途半端な欲求でして、 ものすごい長続きしない。よくない。 本来というか理想とするのは 「こういう動画を作ってみたい」という欲求なんですよ。 いわば、 欲しいと思ったものを手に入れただけでお腹いっぱいみたいな感じなんですね。 本当は その手に入れたものそのものを楽しんだり それを使ってもっととんでもないことをしでかしたりすると 素晴らしいのはわかってるんですけど。 なんていうんだろう。 結局ワタシは 「動画を作ってみたい」というよりは 「動画編集環境を手に入れたい」っていう 中途半端に変な欲求を満たしただけで満足しちゃったのかしら。ある程度。 「次の動画はどうするの?」って 言われるのはわかってましたけど、 いざ本当に言われてみると予想以上にうろたえた。 でもね。 一作目の動画再生数をのばすっていう相乗効果を発揮するためにも どしどし動画を送り込まないといけないんですよ。 なんとか産み出してやる。 もう、ある程度他人とかぶっても気にしないくらいの ネチケットの悪さを露呈してやる。 ああ、 負の連鎖。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



Jul.21st 2011

どう見てもベロンベロンに酔っ払ってる人間が 自分は酔ってないと発言するのには どういう心理が働いているのか。 これはおそらく ものすごく単純で簡単なことなんだと思います。 なぜなら そこまで酔っ払った状態で理性的な考えを出来る訳がなく 本能がそうさせているからだと考えられるから。 もはや人間という高度な知的生命体とかいうよりは 生物的、動物的な心理が働いた結果の発言なんだと考えるのが自然。 では 本能が虚勢を張るのはどういう心理か。 きっと防衛なんだと思います。 足元もおぼつかないくらいの酩酊状態は 狩人からすれば格好の標的となる。 シラフに比べれば圧倒的に弱い狩られやすい存在となります。 自分は酔ってないと虚勢を張ることで 生存競争で少しでも有利な立場に立とうと悪あがきをしているのです。 効果があるかないかは別として。 ある意味、生物としては正しい行為なのかもしれない。 だから、 自分のことを酔っ払ってる、と豪語する人間は もう完全に屈服してしまって生存競争っていうレベルじゃねーぞ、ってことか もしくは 自分を酔ってると思って近づいてきた狩人をガブリとしようとする余裕の持ち主、 このどちらかなんでしょう。 こういう 自分にとって”相手からすると弱点に見えると思われる”部分を どうにかこうにか隠そうとするってのは 人間的な作戦云々というよりは 動物的な本能が寄与する部分が多そうです。 例えば、病気とか怪我についても同じではないか。 「血が出てるよ。」と指摘をされたら 思わず「こんなの舐めときゃ治るよ。」と言ってしまうのも 突き詰めれば自己防衛なんでしょう。 怪我はさ。 それ相応に周りからもわかりやすい見た目をしてる場合が多い。 血が出てたり、骨が折れてたり。 でも病気ってのは パッと見でわからないものが多い。 そして本人にとっても気づかないものも多い。 医学って、 手術とか薬とか治療っていう部分に注目されがちですけど わからない気づかない病気を見つけるっていう部分も 大事なんじゃないかなと思います。 まぁ病気が特定できたからといって治せるかどうかはまた別の話になるわけですが。 それにその病気を予防できるかどうかもまた別問題となるわけですが。 血液検査とか尿検査とかの 検査項目で数値でわかる病気ってのが どれほどのもんなのか知りませんが、 今の医学では数字で語れない病気ってのもたくさんあるんだと思います。 ワタシって病気じゃないんでしょうね。 一応今年の頭に受けた 血液検査、尿検査、胃のレントゲン検査では異常なし。 腹部超音波検査では 典型的なアルコール性脂肪肝、他の臓器が綺麗なだけに目立つ。 ってなくらいで 特にコレといったなんやかんやがあったわけではないですから。 そう、自分は病気じゃない。 仕事をやめる前1ヶ月くらいずっと悩まされていた頭痛や胃痛もとれましたし。 もちろん、自分は病気じゃない。 車の運転だって出来るし、友達とバイクでツーリングいったりしてるし。 やっぱり、自分は病気じゃない。 録りためてた「楽しいムーミン一家」を一気に視聴して面白いと思えるし。 日々の生活の中で いくばくかの不安要素があるのは こんなアラサーな年頃ならば当然あってしかるべきですし。 3連休の反動で 火曜と水曜の2日間で40時間くらい寝てたけど病気じゃない。 そしてそんだけ寝といてまだ眠い。どういうカラダしてんだ。 おそらくこれが 成長期ってやつなんだろう。 まだまだ思春期真っ只中ですから。 夜の校舎窓ガラス壊してまわってもおかしくないくらい思春期。 器物破損? いやいや尾崎が悪い。 これも自己防衛? 〜〜〜〜〜〜〜〜



Aug.2nd 2011

「お邪魔します」って 丁寧な使い回しですけど、 よくよく考えてみると 実はとんでもなく傲慢な言葉なんじゃないかな、って。 他人の家に入る際に言う言葉ですね。 字面を追ってみると 「自分がお宅に訪問をするのは邪魔だということは認識してるけど入ります。」 ってことですよ。 「ま、邪魔だっつうのはわかってるんだけど 遠慮無くお宅に踏み入れさせていただきますぜ。ゲヘヘ。」 ってことですよ。 「来ないでっていったでしょ!あんたに来られると邪魔なんだよ。迷惑なんだよ。」 「邪魔だろうとなんだろうと こちとら用があってここに来たんだから上がらさせていただくぜ。グヘヘ。」 ってことですよ。 それこそ 借金取りが上がりこむならまだしも 普通に遊ぶのが目的でもこの言葉を使うって 謙遜というより 相手の気持を汲み取った上であえて踏みにじろうとしてる なんつうかドSなんでね? まったく同じことが言える言葉として 「失礼します」がありますよね。 何なの?失礼する、って。 何堂々と宣言しちゃってるの。 これから失礼無礼なことをしちゃいますよ、って。 ちょいとした宣戦布告ですよね。 これから 邪魔をするかもしれない、 失礼をするかもしれない、 だけど こうやって予め宣言しといたんだから 多少とんでもないことをやらかしたとしても 広い心でもって許してちょ、っていいたいのかしら。 「おいおい怒ることないじゃないか。 だって、『邪魔する』『失礼する』って言ったじゃない」ってことかしら。 熊谷次郎直実が「失礼します」っつって懐に侵入すれば いきなり泣く泣く首をぞかいてんげって敦盛が最期を迎えても 何のお咎めもなしってことでいいのかしら。 俗に言う慇懃無礼というやつか。 どう考えても保険ってやつだな。 「これから自分があなたの空間に侵入し 様々な挙止動作、言動をとることと思われる。 そしてそれに伴い もしかしたらあなたに肉体的苦痛、精神的苦痛が生じるかもしれない。 だがしかし 予め『邪魔をする』『失礼をする』と宣言した上 その言葉に対し快く『どうぞどうぞ』と招き入れた以上 起こってしまった不愉快に関しては こちらだけに責任があるわけではないのですよ。 喧嘩両成敗っていうでしょ?ね?ね? もし生じてしまうであろう一切の苦痛を取り払いたいのであれば 邪魔をしたり失礼を働くような人間を招き入れないことで防げるよね。 そっちにもちゃんと落ち度はあるのよ。 一方的にこっちを責めるなんて大人気ない。」 んでは、 どういう言葉が適切なんでしょうか。 試しに英語で考えてみると「Excuse me.」 (;゜Д゜)なんとまぁ。自分を許せ、と来たもんだ。 なんかドイツ語でも「Entschuldigung」っつって謝罪って意味らしいよ。 中国語も辯解(弁解)だってさ。智辯和歌山でしか見たことない字が出てきた。 まとめてみますと、 自分の存在が相手の空間を侵すことに関して 日本人は「邪魔をする」「失礼をする」と予め宣言をする。 外人は「ごめんなさい。」と先に謝っちゃう。 微妙にお国柄の違いが出たとはいえ、 なんだかんだで相手に覚悟をさせて なんとか喧嘩両成敗の状態に持ってってるという上では変わりはありませんな。 でもまぁ こういう言葉を使っていくしかないですよ。 こんなにも丁寧な使い回しとして世の中に浸透してるんですから。 使わない手はない。 「失礼します」っつって 本当に失礼をしたいよね。 そんなやんちゃもたまにはいいよね。 あ、これじゃ誰もワタシを家に招いてくれなくなるね。 自分で自分の首を絞めてるね。セルフかいてんげるしかないね。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜



Aug.22nd 2011

映画「コクリコ坂から」を見て。 スタジオジブリの作品を映画館で見るのもなかなかに乙。 久々にまったく何の前知識のない状態での鑑賞となりました。 もはや何をどう書けばネタバレなのかそうなのかよくわかりませんので、 もしこれから本気で見ようという方がいらっしゃいましたら 読まないほうがよろしいかと。 舞台は昭和38年の横浜。 高2女子が主人公。 ひょんなことから知り合った一学年上の新聞部部長といい仲になってみたりして。 というお話。 で、 話の大筋をシンプルにするとそんなんですけど、 こっから先は完全にワタシの独断と偏見みたいなものなんですけど。 ある意味、 スタジオジブリっていうアニメーター集団が アニメの世界観づくりに力を入れており そしてその結果素晴らしい世界を描けたからこそ起こってしまったことなんです。 この映画は誰向けに作られたの?ということ。 あまりにもリアルに昭和38年が描かれているがために 正味な話わからん、と。 団塊の世代より上じゃないと見ててわからんくね? そう、ジブリのあふれんばかりの表現力でもって 昭和38年の日常がありありと その当時の雰囲気を背景、小道具などから醸しだされているのです。 なので、 こう・・・・例えば子供の頃 親戚が集まるような時に 大人たちが昔話に花を咲かせているときに その話に加われずにポツンと自分一人でいるような空気になってくるのです。 身近な世代が生きてきたリアルな時代を描いてしまったがために 起こってしまった弊害なんじゃないかな、と思うんです。 これがさ、 いっそのこと 主人公が空を飛んでくれたりとか 魔法とかテレパシーを使ってくれたりとかすれば ああ、今眼の前で流れている映画の世界観はそうなのね、となれるんですけど この作品の主人公は火を起こすのにガス台を使いますし 新聞を作るのにはガリ版刷りです。 三丁目の夕日って アニメは面白かったのに、実写映画が面白くなかったのは きっと同じようなことがあったんですね。 アニメは西岸良平の描くあのつぶれあんまんみたいな顔のキャラだったから 見ててもちゃんとアニメとして異世界として見れましたし、 純粋に内容を楽しめました。 でも、映画は演じていたのは当然人間ですから 今回のコクリコ坂と同じようなことが起こったんでしょうね。 というわけで、 もし周りに団塊より上の世代がおりましたら、 おそらく親とかが一番身近な存在となるでしょうけど、 そこらへんに勧めてみましょう。 何故スタジオジブリがこの作品を扱ったのかがわからん。 もう吾朗は信じない。絶対にだ。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜



Aug.24th 2011

只今24日の29時半です。 布団に入るもまったく寝付けずに 軽く筋トレしてみたり ストレッチしてみたり 水を飲んでみたり 本を読んでみたりしてみましたが まったく効果がなく ゴロゴロし続けるうちにこんな時間になってしまいました。 こういうとき 頭の中ってのはいったいどういう状態になってるんでしょうね。 ここ数日で見たり聞いたり思ったり考えたりして入ってきた情報を元に 関連付けされた画像、映像が芋づる式に脳内をぐるぐる走りまわってしまうんです。 またいつもの欝の独白に入ります。 アウトローって憧れるもんですよね。どうしても。 ルールに縛られない、とか 自分の世界を持っている、とか そういうのって背伸びしたい年頃にとって格好の餌になりますよね。 小学4〜6年の3年間ぶっ続けで担任をしたA先生は まさにそんな人物でした。 我が4年3組の担任となったA先生が最初に放った一言は 「オレは”先生”と呼ばれるのは嫌いだ。 だからオレのことは”親分”と呼べ。」 小学校の先生になる前はトラックの運ちゃんをしていたという 異例の経歴を持つA先生。 クラスの問題児となっていた男子児童N君を 胸倉つかんで持ち上げて教室の裏の黒板に叩きつけたりする 割と肉体言語な教育方針の持ち主でした。 中学にもおっかねぇ先生はけっこういましたけど 中学校卒業時、N君に今までで一番怖かった先生は?って聞いたら A先生って即答してました。 そんなA先生の破天荒っぷりに心を捕まれてしまったのが 当時小学生だったワタシでした。 もはやAは先生どころかある種の教祖的な存在となってました。 Aのすること言うことはいい事であると盲目的に信じる、 なんていうと大げさですけど、 それに近いような状態にまで心奪われていたのでした。 崇拝まではいかなくても尊敬というものは間違いなくしてました。 A先生がワタシの潜在意識へ与えた影響は計り知れません。 A先生は多趣味な人間でして、ギターも趣味の一つでした。 なぜか教室の片隅にギターが置いてあり たまにジャンジャカかき鳴らしていました。 曲目は主に長渕。 今現在ワタシがギターを弾くのが好きなのも 間違いなくA先生の存在が大きいでしょう。 また、コンピューターも趣味の一つでした。 ワタシが小学生当時は 今ほどコンピューターというものが教育現場に当たり前の存在ではありませんでした。 しかしA先生は他の授業そっちのけでコンピューターの授業をやったりしてました。 恐らくあの当時、他のどのクラスよりも 視聴覚室を使う機会が多かったと思います。 当時ワタシが通っていた小学校に導入されていたのが ロゴライター2っていうソフトっちゅうかOSっちゅうかってな感じのやつでして まだマウスってものが一般的でない時代に 日本語のプラグラムでカーソルがわりの亀さんを動かしつつ 絵を書いていったりするのがメインの使い方だったはず。 今現在ワタシがマウス操作よりもキーボード操作のほうが好きなのは この頃の楽しかった記憶があるからなのかもしれません。 さて、そんな感じで今現在のワタシの根っこに関わる部分に いろんな影響を与えてきたA先生なんですが、 未だにぬぐい去ることのできない傷跡も数多く残していったのでした。 小学校の授業の時、テストに使われていたのが 表はカラフルで教科書の内容に沿ったもの。 裏が2色刷りでおまけ的な内容だったり発展的なものだったりっていう紙でした。 国語の時間のことでした。 表を解き終わったワタシは裏にも当然チャレンジ。 裏の内容はというと100字程度の文章が書いてあり感想を書くことでした。 どんな中身の文章だったか、それに対してどんな感想を書いたかは まったく覚えてないんですけど 後日返ってきたテストを見てワタシは驚愕しました。 ワタシの書いた感想の部分に まるまる大きな×がしてあったのです。 誤字脱字があって訂正するとか、 てにをはを修正するとか そういうレベルじゃありません。 全体を丸ごと拒絶のバッテンが赤く書かれていました。 愕然、絶望。 冷静になって思いかえせば 文章と関係のないことを書いちゃったりしたのかもしれませんが 当時のワタシにはショックでしかありませんでした。 A先生にバッテンくらった、と。 この時の傷が癒えることなく、 今も尚何かしら文章とか物事に対して感想を持つというのが恐いのです。 自分の意見を持つなんて割ともってのほかなんです。 ましてやそれを主張するなんてありえない。 こんな場末のサイトで 誰にも読まれないような環境で細々と吐露するので精一杯なんです。 だってまた自分の意見にバッテンされたら、と思うと何もできない。 小学校の夏休みの宿題の一つに自由研究ってのがありますね。 ワタシはとんぼについて調べてみました。 ワタシの家から一番近い図書館がある地区は 不良がいっぱいいると言われていた地区で なかなか近寄りがたいということもあり 生まれてこの方図書館というものを利用したことがなかったワタシが ここぞとばかりに遠い図書館まで足を運んで調べたのでした。 インターネットなんてない時代ですからねぇ。 とんぼってのは”蜻蛉”っていう字を書いて”せいれい”っていう読み方もある。 とか とんぼのイラストを書いて生態みたいなものにも触れたりした記憶があります。 そして模造紙一面にびっしりと調べた内容を書いて 自分的には相当やり遂げた感を感じつつ提出したのでした。 A先生はなんていってくれるのかしら、と 幼い胸をドキドキさせながら反応を待っていると 「これは本に書いてあることを写しただけだな。」 の一言で終わりました。 今思えば全くその通りで的確で適切な評価なのかもしれませんが、 当時の自分にとっては完全にして強大な否定でした。 A先生から受けたあまりにもあっさりした一蹴。 自分には研究なんて向いてないんだな、と ワタシに植えつけるには十分すぎる出来事でした。 とまぁ ワタシの人生の多感な時期において 良くも悪くも巨大な影響力を持っていたA先生の思い出でした。 ちなみにワタシの小学校の頃の夢は 学校の先生でした。 三つ子の魂百まで。 トラウマは洗っても落ちないシミのように ワタシの根幹にこびりついています。 今丁度30時半になりました。 朝飯食って寝ます。おやすみなさい。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



Aug.26th 2011

昼夜逆転。 というか、 夜はすんごく眠いのに寝れなくて 結果として昼過ぎぐらいに重い眠気に襲われるせいで 昼に寝る、という生活リズムの狂い方をしています。 そう。 前回の24日の更新以来 そんな毎日になってしまい、 ちょっと薄ら寒いものを感じています。 なんの解決にもならない恨み節が ぐるぐる頭の中を駆け巡って安眠を妨げる。 どうしてこうなった。誰が悪い。何が悪い。 深く掘り返せば掘り返すほど 巡り巡って自分のせいとなりダメージが増える一方。 ああそうか。自分が今こうなのはあれがこうだったからなんだな、と たどり着いても何の進歩にもつながらず、 かといって どんな悪あがきでもいいからアクションでも起こせるわけでもなく ただただ縮こまり 動けず しまいには 「めんどくさい」という悪い言葉に支配され 思考停止。 がんばれ。みんながんばれ。 自分の周りに存在してくれるみんながんばって幸せであれ。頼む。 自分が何かしてあげられることが後押しにはならないだろうし 自分が何かしようとしても足をひっぱることにしかならないだろうから 見守ることとか思うこととかしかできないけど ちくしょーあんにゃろーやりやがったなーくらいに 思われるようなことをやり遂げてください。おねがい。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



Aug.29th 2011

さてさて、 今月のアフィリエイト紹介料はと・・・ えっ?(゜д゜)! マ・イ・ナ・ス!? 馬鹿なの?死ぬの? キャンセル 危うくタピオカパンって叫びながら エスケープキーをふっとばすところでしたわ。 (※参考) おおこわいこわい 〜〜〜〜〜〜〜〜



Aug.31st 2011

フェルマーの最終定理 (新潮文庫) 読み終わりました。 フェルマーの最終定理っつったら、 X^n + Y^n = Z^n (nは2より大きい自然数) となるような自然数の組み合わせX,Y,Zは存在しないというお話。 n=2だったらね、いくらでもあるわけですよ。 いわゆるピタゴラスの定理ってやつでして、 辺の長さが3,4,5の直角三角形は代表格の代物です。 「存在しない」ことの証明ってのは 「存在する」ことの証明よりはるかに難しい。 俗に悪魔の証明なんていわれてますけど とにかく「いる」ってのは見つければいいんですけど、 「いない」ってのはいくらでも見逃しの可能性があるがためにつぶしきれない。 例えば、 ニュートン力学っちゅうのは正しい。どんなもんでも挙動を説明できるばい、と 胸張って自信満々に豪語してたら 実はそれは巨視的なものに対してであって、 原子だの分子だの電子だのという微視的なものに対しては 予想に反した挙動をしてくれちゃったりしてなんのこっちゃ、と。 このように今日まで 見えないわからないから「ない」とか「いない」とかされてたものが 計算速度があがったり、分析観察能力があがったがために発見されてしまい覆る。 そんなことが起こってしまうのです。 そこいくところ数学の世界はおっかない。 自然数なんて無限個あるんですから。 この本に出てきた例でいうと、 オイラーっちゅう数学界の化物がいて その人が X^4 + Y^4 + Z^4 = W^4 となる自然数の組み合わせX,Y,Z,Wは存在しない って言い出した。 オイラーは18世紀のスイス人。 当時は紙とペンで計算するしかなかったはず。 つまり人間の手でなんとかなりそうな数字ではわからなかった。 でも、 コンピューターという強力な武器が現れた。 1988年に 2,632,440^4 + 15,365,639^4 + 18,796,760^4 = 20,615,673^4 ってのが発見された。 ちなみに20,615,673^4って 180,630,077,292,169,281,088,848,499,041だって。約18穰だって。穰て。10^29て。 molですら10^23だってのに。 このようにあまりに計算に気合を入れすぎて ある日視力を失ってしまい、 でも盲目になってからのほうがより計算能力が増したなんていう 計算チートキャラのオイラーですら さすがに18穰の数字は思い浮かばなかったみたいですね。 でも、もちろんコンピューターってのにも限界があって どんだけCPUの性能があがろうと無限にはたどり着けないわけです。 今のパソコンだったら、穰の上の溝だろうが澗だろうが 一瞬で全部の組み合わせの可能性をやってのけるでしょう。 でも無限の組み合わせを試すには、やっぱり無限の時間が必要なわけです。 さて、 話をフェルマーの最終定理に戻しますと、 もしかしたら無限の組み合わせを試すと 一個くらいはX,Y,Zは見つかってしまうのではないか、という状況の中 如何にして声高に「絶対に許せない!」と言えたか。 それは数学でよく使われる逆ギレ。 いわゆる背理法です。 どうだい?いくら探してもX,Y,Zは見つからないだろ? これだからコンピューターに頼ろうとするとロクでもないことが起こるんだよ。 だからもう画面の向こう側の彼女とデートするなんてお止め。 タッチペンで飛ばしたハートの数だけ君は人生の幸せを逃しているよ。 と出題者に関係のない部分まで嫌味を言われた回答者が じゃぁもういいよ。「ある」としてやるよ。「見つかった」ことにしてやんよ。 と威勢よく逆切れをする。 んで、いざ「見つかった」組み合わせを元の式に当てはめてみると、 なんかおかしい。普通じゃない。まさに異常。ぶっちゃけありえない。 どうしてこうなった・・・ それは「ある」とした前提がおかしかったのだ、と。 だから結果として「ない」のが正解なのだ!!! これが背理法。 つまり「存在しないことを示せ」という問題で 直接「ない」ことを言うんじゃなくて 「ある」とすると矛盾が生じてしまうので やっぱり「ない」が正解とする若干回りくどい戦法。 無限の可能性を全てつぶしていく、っていうのは時間がかかるっていうかできないから 一個でもあったとしたら・・・を検証するという 逆転の発想ですな。 ま、 難しいことは頭のいい人に任せておけばいいんですよ。 というお話でした。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



Sep.3rd 2011

温故知新 今はゲーセンの筐体よりも 家庭用のゲーム機のほうが 性能がいいだかなんだか言われてますけど やはりどうしても ゲーセンのゲームってのは 家庭用のものとは違う 何か特別なものに見えてしまいます。 それこそ一昔前ならば 家庭用に移植されたゲームは やっぱり移植であって 筐体の本物から 映像的にも音声的にもいろいろと削られたものというのが常識でした。 ファミコンのローンチタイトルの一つである ドンキーコングも ゲーセンからの移植でした。 当時は容量的な問題があり 本家は4面構成だったのに ファミコンへの移植作は3面構成となりました。 容量的なもの表現技術的なもので どうしても劣化版に見えてしまうのは仕方ないことだったのです。 しかしながら 筐体に比べて性能的には劣るファミコンへの移植の際に よくもまぁうまく移植したもんだ、と 感心してしまうような作品があるのもまた事実。 ここらへんはファミコンの頃なら 恐らくプラグラマーの腕一本にかかってたんじゃないでしょうか。
ツインビー1 ツインビー2 ツインビー3
これはコナミの代表作の一つ、ツインビー(アーケード版)ですな。 対空対地と弾を撃ち分けられますが 対地は腕がついている状態でないと撃てない。 正味な話、 ステージが進むにつれて対地が撃てない=死、 そして死=ゲームオーバーなので 一触即発すぎるのが現実なのです。 全5面構成といいつつ 実はザコキャラにバリエーションがあるので 2週目じゃないと出てこないキャラが盛りだくさん。 そして2週目くらいから敵の弾の数が本気で殺しにかかってきます。 音楽、キャラの動き、操作感など ファミコン版への移植は実にうまくできていると思いました。 ってか、 今になってファミコンの原作を味わうって すんごい楽しい。 移植ってマジでセンス。 〜〜〜〜〜〜〜



Sep.4th 2011

公式16連射ブック 高橋名人のゲームは1日1時間 (ファミ通ブックス)
公式16連射ブック 高橋名人のゲームは1日1時間 (ファミ通ブックス) 今の20代後半〜30代の日本人で 高橋名人を嫌いな人間っていないんじゃないでしょうか。 少なくとも悪いイメージを持ってるような人間はほぼ皆無でしょう。 小さい頃、コロコロを読んでたワタシとしましては 高橋名人とマッスル北村に対する崇拝は計り知れないものがあります。 ちなみに 高橋名人がキャバクラいくとモテモテだそうです。 16連射か・・・ 〜〜〜〜〜〜〜〜



Sep.16th 2011

適当に手にとった 「こどちゃ」6巻。 読み出すといつもと違う。 セリフのカラダへの染みこみ具合が違う。 鳥肌がたつ。涙が出てくる。 あれ? こんなにすごいマンガだったっけ。 今回たまたま手にして いつもと同じマンガを読んでるはずなのに いつもと違うのは 読む側のスタンスだったのでした。 もしかしたら人生で始めてかもしれない読み方。 自分が紙面の向こう側にいる読み方。 学生の頃、 研究室の後輩と小説「バトルロワイアル」の読み方の話になりました。 バトル・ロワイアル そんときに初めて自分自身の本の読み方というか 小説とのスタンスといったものを考えたわけです。 出した結論としては ワタシは常に”傍観者”である、ということ。 だから、バトルロワイアルで たった一人の生き残りになるために殺し合いする生徒たちの近くに 透明人間と化した自分がぽけ〜〜と見守っている、 そんなポジション。そんな読み方。 あくまで自分は読者としてこちらがわにいて 物語の真っ只中にいる主人公たちを見つめている。 後輩は見事に真逆。 もうその物語にどっぷりと浸かる”参加者”。 「もし自分がこのバトルロワイヤルに参加することになって こんな武器を渡されたらどうやって生き残るか、を考えながら読んでました。 桐山は・・・あいつに勝つにはどうしたらいいでしょうね。 車の運転までそつなくこなしますからね。最強すぎますよ。」 そんときは なるほどねぇ。違うなぁ。 くらいしか思わなかったんですけど。 今回「こどちゃ」を読んでみましたら 無意識的に初めて”参加者”な読み方をしていたのかもしれません。 しかも烏滸がましいことに 自分を主人公の倉田紗南と重ねていたりして。 うわ・・・オレ羽山秋人からこんなこと言われちゃったよ、とか もしこんなこと目の前で言われたらなんて答えるんだろう、とか 描かれている喜怒哀楽がそのまんま自分のことのように思えてきて そりゃ鳥肌もたつし、涙もでるわ。 んで、 結局 このマンガに出てくるキャラたちはつええな。 と、現実世界に戻ってきたときの感想はそれでした。 この読み方は面白いけど危険だな、なんて思ったりしました。 んで、 なんで自分はそういう”傍観者”な読み方をするようになったんだろうって 原因を突き止めようとして 湯船に浸かりながら考えていましたら 自分の奥底にある答えにあたる部分に触れてしまって 湯船に沈みたくなったので封印。 そう、 最近朝にシャワーを浴びるんじゃなくて 夜にゆっくり湯船に浸かるようになったんですよ。 もともと温泉が好きな質ですので、 頭まで浸かって毎晩楽しんでるんですけど、 湯船ってすごい。 何がすごいって とんでもなく思考することが出来る。 昔の記憶が異常なまでに蘇ってくるんです。 今まで思いついたこともないような発想もできる。 マジでオススメです。湯船。 風花かわいいよ風花 〜〜〜〜〜〜〜〜〜



Sep.19th 2011

将棋の話。 将棋ってそれぞれの駒の動かし方がわかるくらいで まともに対局したことなんかなかったんです。 たまたま 日曜の午前にやってるNHK杯をつけてたら 解説者の木村一基八段が面白くて ついつい最後まで見ちゃったんです。 んで、 こいつぁ面白いな、ってかプロってすげぇな、と思ったんです。 例えば、 とある局面があったとして 木村八段がこういう攻めとこういう攻めが考えられます、と 二種類の戦略プランを解説したとします。 しかし、実際の対局ではまったく違う手が打たれた。 そんな場合でも こういう場合には今後このような展開が考えられます、と 瞬時に冷静に対応して しかもわかりやすく解説するんですよ。 王手に差し掛かった場面では ワタシみたいな将棋の素人にもわかるように こう動かすと詰みます。って 一つ一つ詰め路を解説してくれるんですよ。 さらに 対局していた村中六段についても 「彼はね、将棋教室やってて子供からも応援されてまして、 あと・・・酒が強いんですよ。」って 将棋と関係のない部分の解説までも面白いという素晴らしさ。 木村八段はラジオDJとかやってもいいんじゃないかな。 というわけで、 最近ちょこちょこ日曜の午前中は ぼけ〜〜〜っと将棋の対局なんぞ見ながら 解説の面白さに微笑ましく思ったりしてるわけです。 昨日の森下九段の解説は割と神だった。 本戦の対局そっちのけで自分の戦略をとんでもなく展開させた挙句 もう一人の解説者である矢内四段の一言で全てが覆ってしまったり。 あの流れすげー面白かった。 まぁ将棋について全然わからない分 解説者同士の会話に集中できるという歪んだ見方。 さて、 そんな風に見てましたら 俄に自分もやりたくなりましてね。 適当に「将棋 フリー」とかで検索して 一番弱そうなCPUと対戦できそうなのを探しまして 1局対戦してみました。 人生初の本格的な将棋対局。 途中いろいろと危ない場面が多々ありましたが、 結果としては勝ちました。 人生初対局、辛勝。でもいいの。 感想。 将棋ってすごい。 たった81マスしかないのに あまりにも予想だにしない展開ばかりなんですよね。 終盤の局面で ワタシが相手に王手をかけて 「詰むはず!これで勝つる!」って確信してたはずなのに あっさりと視界の外から飛車がとんできて崩れましたからね。 あんなに限られた空間なのに選択肢と見逃しが多すぎる。 あと、 飛車って表舞台に立つと超強力な武器ですけど、 前線に引っ張り出すのが意外と難しい。 同じように武器として使えるのが角ですけど、 角ってデフォの状態から斜め前の歩が1回でも動けばもう突撃準備OKなんですよね。 でも飛車は真ん前の歩が少なくとも2回動いてくれないと突撃できない。 さらにその歩自身が邪魔になってなかなか攻撃を仕掛けられない。 結局、ワタシの人生初の対局は 飛車がデフォのポジションから1歩も動くことなく終了しましたからね。 完全に我軍の飛車はニートでした。エッグモンスター「ウゴカザル」でした。 こんなことってあるのね。 プロのすごさってそこだと思います。 全ての駒の全ての動きに意味を持たせることが出来るんですよね。 ワタシのように暇人な駒を決して生み出さない。 総力戦に持ち込めるってのがプロなんだな、と。 ほんと 見るとやるとでは大違いですよ。 とりあえずビギナーズラックで勝てたので しばらくは距離をおきます。 余韻に浸るため。 勝ち逃げこそ我が使命。 最悪だ。こりゃ最悪だ。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



Sep.24th 2011

地デジとネットと生放送の話。 いまやニコニコ動画も 動画だけに飽き足らず、 ニコニコ大百科っていう(大いにねた的要素満載な)辞典的なコンテンツや、 ニコニコモンズっていう画像などの素材を投稿できるコンテンツまであります。 で、最近興味深いのが ニコニコ生放送です。 ユーストリームなどでもうお馴染みになりました ネットに繋がった環境さえあれば誰でも簡単にできる生番組の配信。 これがニコニコ動画でもできるのです。 もちろんニコニコ動画ですから 視聴者が書き込んだ内容が表示されます。 とっ捕まる前のホリエモンとかは 生放送でひろゆきと焼肉とか食べてました。 生放送を自宅でしながら書き込みをする。 そして、そのリアルタイムな書き込みに対して うぷ主(アップローダー)や他の視聴者がリアクションをする。 これが面白いこと面白いこと。 例えばうぷ主が風来のシレンをプレイする番組だったとしますと、 ゲーム画面内で起こるいろんなアクシデント、 そしてそれに対するうぷ主のリアクション、 さらには視聴者からのツッコミ。 みたいな流れがしっかりと出来上がっており見ているだけでも面白い。 また、 もちろん自分も視聴者の一人ですから 話題提起、ボケ、ツッコミなどなんでも書きこむことが出来る。 この壺にはこういう使い方がある、とか その草は敵に投げて使ったほうがいい、とか 次の階からはドラゴンが出てくるから対策をしないと、とか 真面目な攻略に関する話をしたとおもいきや なぜか回転寿司とかお好み焼きの話題になって ゲームとは全然関係ない部分ですごい盛り上がりを見せたり、 そのゲームを持ってる友達の家にみんなで集まって見てる、 といった雰囲気を彷彿とさせてすごく楽しいのです。 思ったのが もしかしたら地デジの狙いの一つってこれだったのかなって。 地デジとアナログ放送の違いの一つとして 双方向であることがよくあげられます。 アナログでは放送局が発信した番組を視聴するだけしかできなかったのに 地デジでは一視聴者が手元のリモコンでリアクションがとれるようになった。 もちろん以前から 電リクとかFAXとかテレゴングとか できるだけ視聴者の意見をリアルタイムで取り込む手段はありましたけど 地デジではテレビ一台あればできる環境が整いました。 あ、でも、ネット環境がないとそこまでできないんだっけ?あれ? まぁ、ともかく 配信側が発信するだけでなく 見ている側からも情報を発することができる。 そしてお互いがそれに対するリアクションをとっていく。 というのが地デジっちゅうもんの 一つの、そして大きな目標だったんじゃないでしょうか。 もちろんニコニコ生放送と地デジでは 規模も環境もユーザー層も違いますから 簡単に比較するなんてできないとは思うんですけど、 ネット環境がこれだけ整ってきたことによる リアルタイムでの双方向のやり取りっていうものに 果てしない可能性を感じるのもまた事実なんです。 また、ニコニコ生放送の面白いところは さっきいった友達の家にみんなで集まってプレイを眺めるって話ありましたけど ニコニコ生放送にはまったく知らない人間同士が集まります。 見ず知らずの人間がみんなでネタを合わせたかのようなやり取りをする。 不思議な世界。 でも、見ず知らずの人間が寄り集まって知恵を絞り合うことのすごさは この前ニュースになってましたからね。 なんかタンパク質の立体構造を一瞬で解いたらしいし。 ホリエモンが 今はネットに要求すればすぐ答えが帰ってくる みたいなこと言ってましたけど、 こういうことなんでしょうね。 とにかく お互い素性も知らない人間同士が ネット上の仮の空間に集まって 情報を持ち寄って知恵を絞りあって 一つのコミュニティを形成していき 完成品を生み出していく。 このことに無限の可能性を感じざるを得ない状況に来てます。 ニュートリノ速えええ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



Sep.28th 2011

科学の話。 ニュートリノが光速よりも速そうなんだけど、というニュースと バイクに乗ると脳が活性化されるっぽいよ。というニュース。 あんまし難しいことはわかりませんが、 ニュートリノってのは 理論的に帳尻合わせで考えたけど、誰も見つけられなかった。 でも、どでかい機械で何年も計測したらようやく存在を確認できました。 そんな実態不明な謎エネルギー体のこと。 ちなみにその発見でもって 小柴さんっちゅうスターウォーズに出てそうなおっさんがノーベル賞ゲット。 そんなあまりにも馴染みのないキャラであるニュートリノが 光よりも速いスピードで動けるものであるらしいことが発見されました。 これまで光ってのは宇宙で一番速い物質、 ギニュー特戦隊でいうバータみたいな存在であると信じられてきており、 いろんな物理学のなんちゃらかんちゃらはそのことをもとに組み立てられています。 曰く、ものってのは速く動けば重くなる。 んで、光の速さに近づいてくと自分自身が無限に重たくなってきちゃうから それ以上速くなれない。 だから、光の速さには絶対に辿りつけない。 らしいです。 ニュートリノの速さを何万回も計測した結果、 これは測定誤差っていうレベルじゃねーぞ、っていう数値が得られ 光速より速い物質ハヶ━m9( ゜д゜)っ━ン!!となったわけですが、 発表したらしたで なんかまたまたまだまだ再検証というお話になったみたいです。 これまでの何万回の計測の苦労を少しは労おうよ。ちったぁさ。 まぁ、ニュートリノなんちゅう 物言わぬ無個性な物質に対してなんですから、 何万回でも計測に付き合ってくれます。 いくらでも納得行くまで検証しちゃってくださいな。 さて、次はバイクのほう。 スクーターよりギア付きの方が脳が活性化され、 バイクに乗った場合、乗らない場合に比べて精神的にいいらしい、とのこと。 うん。ぶっちゃけあやしいよ。 いろいろと文句やいちゃもんをぶっつけたくなりますよ。 でもさ、 こんな感じの、人間を対象にした実験の結果って 文字通りに鵜呑みにするしかないんじゃないですかね。 むしろ (´ι _` )アッソ( ´_ゝ`)フーン くらいでちょうどいいんだと思います。 だって、 例えば物理の実験だったら、 温度とか圧力とか 実験結果に影響を与えそうないろんな要素を一定に固定することができますけど、 人間相手の実験だとそんなこと絶対にできないじゃないですか。 というのも、 生まれも育ちも、それにこれまで食べてきた食事、歩いてきた歩数とか そういうのがすべて同じ人間を何十人、何百人単位を用意するなんてできないから。 バイクの実験でいえば バイクの車種くらいは一定にできるかもしれませんけど、 毎日の道路状況、スピードをどれくらい出すか、バイク運転スキル 時期、季節、場所、人種、風習、癖、距離、乗車時間とか 不確定要素だらけで何がどう結果に影響するのかまったくわからん状態で 何人だか、何回だかわかりませんが、試行を繰り返して その結果から無理矢理搾り出した結論なんだと思います。 だから、検証なんぞもってのほか 時間もお金ももったいないだけだし ぶっちゃけた話、 「バイクに乗ると脳が活性化しますよ」っていう話を 聞く前と聞いた後とでも結果が違ってくる可能性だってあるわけだし。 そういうわけで、 生物を対象とした学問の結論って 「うん。そうかもね。」くらいでそっとしといてあげるのが いい付き合い方なのかもしれませんね。 例えばモテモテのイケメンが 「オレの経験からすると、女ってのはこうすれば落ちる!」 ってのとあんまし変わらないんじゃないかな、と。 自然界で起こっていることをちゃんと知るってのは人間にはできませんで ほとんどの学問的理論は一番ちゃんとしてそうな仮説を根っこにしています。 あとはそれを自分の使いやすいように改造したり 自分に都合のいいように解釈したりして なんとか形を保っているのが科学というものだったりします。 女子高生にセクハラしても捕まらない学問とかないのかしら・・・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜



back