今の気持ち集 第七十二弾
Oct.6th 2011
数学の話。 かなり長文。 興味ない人あしからず。 この前、 台湾に乗り込み中のがもめとろろさんと けっこう久々にお話したんです。 で、ワタシが大学で習ったことなんてまったくわかってないから、 最近少し数学の勉強まがいのことをしているなんちゅう話をしましたら がもめさんが 微積ってなんとなくで使えたりするけど 線形ってのはほんとうによくわからん。 と。 さらに、 固有値、固有ベクトルって何さ。 共分散行列の固有値で固有ベクトルが@%$#(以下略 ねぇ、教えてよ。 もう最後の方はまったく「日本語でおk」って感じだったんですけど、 まさかがもめとろろさんから教えを請われるなんて思いもしなかったので ここはニートが一肌脱ぐしかなさそうだな、ということで ここ数日は教科書とノートとインターネットにどっぷり浸かってみました。 嘘です。ニコニコ動画とスパ4で息抜きしてました。むしろ息抜きの方が長k(ry えっと、 まず注意点としては ワタシは物事を理解するってのができない人間ですんで 今から書くことが全然見当違いだったりすることも多々あると思うんで 予め御了承ください。 あくまでココ数日でワタシが無理やりひねり出したひとりよがりの納得ですんで。 まず、恐らくがもめとろろさんがやろうとしてるのは 主成分分析ってやつだと思われます。 〜主成分分析〜 ホットケーキを作るとしましょう。 ホットケーキは A:ホットケーキミックス B:卵 C:牛乳 の3種類の材料でできます。 さて、 3種類の材料をいろんな分量で混ぜた10個のホットケーキができました。 例えば(A,B,C=300g,1個,100ml)とか (A,B,C=200g,2個,50ml)とかそんな感じ。 ではどうやって評価をするか。 それはもちろん美味しさです。 作るからには美味しいホットケーキを食べたいのは当然の理。 というわけで、 いろんな分量でできたホットケーキを一つ一つ食べ比べて美味しさを評価します。 んで、その評価を元においしい順にホットケーキを並べていきます。 するとどうでしょう。 まず「10個の中で一番美味しい分量」がわかると思います。 次にその並び方から 「どの材料が一番美味しさの決めてになってるか」がわかると思います。 ということは その味の秘訣がわかったことで より美味しいホットケーキが作れる分量が見えてくるかもしれません。 この例で言いますと、美味しさってのが主成分となります。 要はいろんな変数が示す情報を全部ひっくるめて表現する新たな変数のこと。 んでは、主成分分析をどうやるか。 具体的には、 「A,B,Cの各材料の分量」と「美味しさ」をどう結びつけるか。 流れとしては、 1,生データを全て偏差(生データから平均値を引いたもの)の形にする。 2,偏差の値を元に共分散行列を作る。 3,そのようにして得られた共分散行列の固有値が主成分の分散、 固有ベクトルが主成分の結合定数となる。 4,主成分は係数が結合定数となる一次結合で表される。 ここらへんからはさらっとした説明となります。 まず、なんで偏差なのか。 卵を1個、2個とかいう具体的な数値よりも 平均値からどれだけプラスか、マイナスかっていう方が 他の分量との関係性を見つけやすいから。 〜共分散行列〜 ベクトルの要素間の共分散の行列のこと。分散共分散行列とも言います。 分散:偏差の2乗の平均値。どれだけ平均からバラけてるかを表します。 共分散:2組のデータ間での偏差の積の平均値。 例えばそれぞれの平均値と比べて 卵がすごい多くて、牛乳もすごい多ければ、共分散は大きなプラスの値。 卵がちょっと多くて、牛乳がちょっと少なければ、共分散は小さなマイナスの値。 そんな感じになります。 同じデータの偏差をかけて平均したものが分散 違うデータの偏差をかけて平均したものが共分散となります。 各分量の偏差をそれぞれのアルファベットで表すとすると ┌ A×A A×B A×C ┐ │ B×A B×B B×C │ └ C×A C×B C×C ┘ と並べて各要素を平均したものが共分散行列になります。 左上から右下にかけては 同じデータの偏差をかけてるので分散を表して 他の要素は全部違う者どうしをかけてるので共分散となります。 この行列によって ホットケーキミックス、卵、牛乳という各材料の分量について 全部の組み合わせにおける平均値からのバラつきを表せました。バンザイ。GJ。 さて、そんな感じでできあがった共分散行列の固有値問題を解く。 つまり固有方程式を解くことで固有値と各固有値に対する固有ベクトルが得られます。 〜固有値、固有ベクトル〜 正方行列V、列ベクトルxがあったとすると Vx=λx (λは定数) という関係のとき、 λを固有値、xを固有ベクトルといいます。 例えば列ベクトルxがX−Y座標を表すとしますと 行列をかけたものが定数倍したものとイコールの関係になるということは ベクトルに行列をかけることで X−Y成分が伸びたり、傾いたり、軸がまるまる回転したりするのを表します。 さて、Vx=λxを変形すると (λE−V)x=0 (Eは単位行列)となるので (λE−V)の行列式=0 を解けばλが求まります。 この (λE−V)の行列式=0 を固有方程式と呼びます。 求まったλを(λE−V)x=0に代入すればxが求まります。 で、この固有ベクトルが主成分の結合定数となります。 結合定数ってのはベストな分量の割合を表します。 美味しさ=aA+bB+cC この場合、各材料の偏差にかかってる係数が結合定数です。 例えば a>b>c となった場合 Aのホットケーキミックスの分量が 一番美味しさの決めてになっていることがわかります。 これで各材料の分量と美味しさをつなげることができました。 正味な話、 コレ以上難しいこと言おうとしても自分で追いつけないし でも正確なことを言いたい気持ちも少しはある。 みたいなすんごい複雑な気持ちですけど 少しはイメージがつかめていただけたでしょうか。 ってか自分自身まだまだわかってない部分だらけですので もし何かありましたら、いくらでもご指摘ご意見授かりたいと思います。 ってか、 メールでもスカイプでもなんでもいいから 何かしらリアクションが欲しいっす。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Oct.12th 2011
灼眼のシャナ〈22〉 (電撃文庫)
灼眼のシャナ XFさんからの紹介ではまったわけですが、 ついに最終巻となりました。 ちゃんと終わってよかった・・・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Oct.16th 2011
ツーリングの話。 先週の土曜日、 WFSさんとツーリングにいってきました。 若干肌寒く雲っているけど雨は降らなそう。 風はほぼ無風。 そんな午前9時。 我が家に集合、銚子を目指し、そこから九十九里を南下する。 くらいのおおざっぱな計画のもと出発しました。 途中休憩がてらに寄ったコンビニでハーレーの大群に出くわしたりしました。 お昼になるにつれて 雲間から太陽も現れてどんどん気温も上がって来ました。 銚子に来るのは初めてではなかったのですが、 思ったより時間がかかってしまいました。 細い道で混まれるとバイクでも利点が生かせません。 銚子にてWFSさんのおすすめのサンマとイワシの佃煮を買い、イオンで昼飯。 そして、 人生初の九十九里へ出発です。 九十九里有料道路をひたすら南下します。 海沿いの道を走る走る。 気温は程良い暖かさ、湿気も少なくカラッとしてます。 90〜100km/hくらいでまったりと走ります。250ccにはベストすぎる速度。 道路に走っているのは先をゆくWFSさんと後続のワタシのみ。 左を見れば砂浜に波が寄せては返しており、 右を見ればのどかな街並みが広がっています。 まさに絶好のツーリング日和。 有料道路の最南端にある休憩所にて一休み。 見渡す限り広がる海。 水平線と空の境界線が滲んではっきりしないなんていう初めて見る光景。 西の空を見れば雲間から太陽の光が降り注ぎ、 東の空を見ればぼんやりと月が昇ってきています。 高台にある四阿にて缶コーヒーを二人して飲み、 向かい合いながらしみじみと ( ´∀`)「バイクの免許とって・・・良かったね。」(´∀` ) これまでもツーリングで 霞ヶ浦とか日光とか海ほたるとかいってきました。 どれもこれも楽しいツーリングだったんですけど、 今回のはあまりにも別格過ぎました。 天気、風景、走り心地、すべてが神がかり過ぎたのです。 んで、休憩してましたら、 午前中に見かけたハーレー軍団も休憩所に乗り込んできました。 こんな謎の奇跡ってあるのねって驚いてましたら、 バイクから降りたあんちゃんが 降りるなり第一声。 \(^O^)/「・・・っっっっ最っ高!!!!!」 って叫んでました。 普段、そんな大仰な態度を見かけると鼻白むもんですが、 あの時はそんなことをしてしまう気持ちに大いに共感できました。 それくらい気持ちいい。チョー気持ちいい。 帰り、千葉市内のスーパー銭湯にて疲れを吹っ飛ばし、 WFSさんと別れた後16号をかっ飛ばして帰って来ました。 家に帰るまでがツーリングですよ。 車のドライブってのもいいもんですが バイクのツーリングってのはまた違った楽しさってのがあるんですな。 お疲れ様でした。 お誘いいただきありがとうございました。 ぶっちゃけ数日は燃え尽き症候群で何も手につきませんでした。 燃えたよ。真っ白によ。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Oct.19th 2011
映像化の話。 いつもより独断と偏見が強い文章となります。 灼眼のシャナと同じく ハルヒに触れることになったのもXFさんのおすすめのおかげでした。 おかげでアニメは1期2期全話見たり、 自分の一番好きなエピソードが映画化されて 意気揚々と映画館まで見に行ったりするまでになりました。 ハルヒは 自分の視聴の順番としては アニメ1期→原作という流れでした。 自分にとっては今思えば正解だったと思ってます。 アニメを見てある程度話の流れとかキャラ設定とかを把握した状態で 原作を読んだからこそここまで好きになれたと思います。 なんの予備知識もなしにいきなりあの原作を読んだら もしかしたら拒絶しちゃってたかもしれません。 あの複雑な世界観をあそこまでイメージ通りに映像化した 京アニスタッフは本当に素晴らしい精鋭だと思います。 そしてその魂の力作アニメーションに息を吹き込んだ 声優陣もまさにドンピシャだったと思います。 次にシャナ。 これは借りた小説を読んで知った存在です。 これまた世界観が非常に難しい作品。 でもアニメ化されている。すごいチャレンジャースピリッツです。 ハルヒと違って 「原作を先に読んだことによる功罪」ってものは常につきまといます。 すなわちそれは 自分の脳内でキャラが声を出しちゃってること。 どんな声?とか 声優で言うと誰が近い?とか言われても非常に困る代物です。 凛々しさと幼さが入り交じる女の子シャナ、 そして地を這うような響きある声の威風堂々たる風格のアラストール。 もうこの主人公の二人の具現化不可能な声が自分の中で決定されてるのです。 さぁアニメはどうか? シャナ役にはその筋では大人気、釘宮理恵。 アラストール役には渋い名脇役、江原正士。 そりゃ有名な声優さんですからどういった声かくらいある程度わかりますけど 実際の映像とあわせて聞いてみなきゃわかりませんから どうなんだろう。どうなんだろう。と期待に胸ふくらませながら見てみると・・・ (´・ω・`)全っ然違う・・・orz・・・ 釘宮理恵という声優を否定しているわけでない。 ガッシュのティオとか、銀魂の神楽ちゃんとか、ハガレンのアルとか そりゃもうどはまり役はいくらでもあるし、うまいし、かわいい声ですよ。 江原正士についてはどうも悪役っていうイメージが強すぎて・・・ なんていいますか 小説とかマンガとか読んでると どうしても出てくるキャラクターは喋る。もちろん声を出して喋るんです。 その声っていうのは一体どうやって脳内に響いてるのかはわからないんですが、 そしてもちろん その原作をアニメ化する際には そのキャラクターのイメージにあった声優さんをキャスティングしてるはずです。 原作が好きな大多数がOK判定を下すはずなんですよ。 でも第一声を聞いた瞬間に拭い切れない違和感に満たされてしまったわけです。 違う。オレの中のシャナとアラストールはこんな声じゃない、と。 さらに厄介なことに じゃぁ誰なら良かったのさ?と聞かれても わからん。そんなん聞かれても困る。となってしまうのです。 そういう意味で 原作付きの映像コンテンツってのは まず映像を見てから原作を読むというのが 一番すんなり受け入れられる安心できる楽しみ方なのかもしれませんね。 とどのつまり 声優さんをキャスティングするスタッフさんと自分の キャラクターに抱いているイメージがマッチングしているかどうか、 これが重要ってことなんですね。 ここで不思議なのは自分の脳内の声ってのは どうやら案外しっかりとフィックスはされてないらしいというのが正直な感想。 やはりちゃんと耳にしていない分、振れ幅のようなものがあり 映像化されたキャラクターから飛び込んできた声と 自分の脳内の声を擦り合わせた結果 ある程度の誤差なら全然OKということになるということです。 自分の部屋をぐるっと見回して 原作→アニメの順番で見て 大きな違和感を感じる事無く純粋に楽しめたのって何かなぁ・・・。 「ジャングルはいつもハレのちグゥ」 「生徒会役員共」 「こどものおもちゃ」 「あたしンち」 あとはアニメが先かなぁ・・・。 もしくは昔過ぎて違和感を感じたことすら忘れてるのか・・・。 ってかいつもの単なる懐古主義になりそうだなぁ・・・。 仕方ないじゃん90年代のジャンプは思い出補正も相まって神アニメばっかだもん。 違う話をしようと書き出したら 気がつきゃこんなにも長いこと別のことを・・・ おお怖い怖い((((;゜Д゜)))) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Oct.21st 2011
なんでだろ〜の話。 とある疑問が生じたり投げかけられたりしたとします。 その疑問が1+1=2のように 明確な答えがないようなものだったとします。 恐らく なぜ?とか、どうして?とか そういう理由を問うような疑問に対しては 唯一無二な絶対的な誰もが辿りつける答えは出せないことが多いでしょう。 で、 その疑問に対して答えを求めるプロセスってのは 答えがはっきりしているものといないものとでずいぶん違うものとなるでしょう。 答えがはっきりしている場合、 公式に当てはめるという強力な武器が存在することが多々あります。 底辺が2、高さが2の三角形の面積は 三角形の面積=底辺×高さ÷2 という公式に当てはめれば 誰もが機械的に疑いようもなく正しい答えの2に辿りつけるのです。 もしくは公式を知らなくて位置から組み立てて行っても ちゃんとその道筋が正しければ正解の2に辿りつけるのです。 逆に なんでワタシはこんなにもハルヒを面白いと思うんだろう? なんていう疑問に対しては、 どういう道筋で考えれば正しい答えに辿りつけるのでしょうか。 正味な話、自分のことながら自分自身でも正確な答えを出せそうにありません。 で、こういう問題を考えるにあたって非常に厄介なのが 「一般的」「普通」「常識」「当たり前」という単語の存在です。 こういうはっきりとした答えがない疑問に対して 信頼と実績がある安心して使える何の答えにもなって言葉です。 思考停止というか 正確に言うと考えるのもめんどくさいという感情を暗に示す悪魔のワードです。 「どうしてオレってハルヒが面白いと思うのかな?」 →「オタクだったら普通でしょ。」 →「常識的に考えて長門萌えだからだろ。」 →「一般的にも面白いアニメって言われてるからね」 →「お前の性格から考えて当たり前の反応だろ」 回答者を答えた気にさせる便利な言葉だと思いませんか。 そして回答者自身の道筋がまったく見えない答えだと思いませんか。 そう。 実は疑問に答えるっていうのはものすごく大変なことなんです。 上記の疑問にもし真剣に取り組もうとするなら ワタシがどういう性格か。 ワタシのマンガやアニメの視聴遍歴。 どういう心境でハルヒと出会ったか。 などなど知らなければいけない事柄がものすごい多い。 さらに もし回答者もハルヒを知っていたなら 回答者自身のハルヒに対するイメージなども相まってきますので とんでもない情報量になってきてしまいます。 その中から答えに関係ありそうなものを抽出して 組み合わせてこねくり回してようやく答えかどうか分からない候補が一つ生まれます。 日々、自分に降り掛かってくる疑問一つ一つに対して 真剣に答えようとするなんて 体力的にも気力的にも時間的にも無謀です。実質不可能といっていいでしょう。 そこで生まれた便利な単語。 効率的に世の中を生きるために必要とされている言葉。 それが「常識」。 とある疑問が自分の元へやってきた瞬間 この疑問にがっぷり四つになって取り組んでも疲れるだけだな、と判断する。 すると脳内を駆け巡るのは とりあえず一般論を述べて言いくるめてしまおうという考え。 でもこれは仕方ないことなんです。 人間の生きる時間は有限です。 当然何につけても優先順位は生まれます。 そして疑問を投げかけた側にも同じことが言えます。 いや・・・そんな真剣に考えてもらうような疑問じゃなかったんだけど・・・ というテンションの違いのようなものもあったりするでしょう。 スピード勝負の疑問だってたくさんあるでしょう。 時間をかけて正確さを求めようとすると 答えが出たときには時既に時間切れだったりすることもあるでしょう。 この質問者と回答者のテンションの違いって ものすごい重要なことなんじゃないかなって思うのです。 ・・・あれ?(゜д゜) また書きだした時と全然違う中身になってきちゃいました。不可思議。 なんでこういうことが重なるんでしょうね? 〜〜〜〜〜〜〜〜
Oct.26th 2011
勧善懲悪の話。 すベてがFになる (講談社文庫)
子供の頃は、 月曜日の夜といえばフレンドパーク→水戸黄門というのが定番でした。 ♪はじめっましょおか あったらっしいこっと こころときめく〜 あ〜かるい〜 ナショ〜ナル〜 っていう歌と共に始まる水戸黄門を家族で眺めていました。 なんで水戸黄門ってこんなに人気があるのかしら。 まさかお銀の入浴シーンだけでもってるような番組だなんて そんな答えは認めません。 悪代官とそれに癒着する悪徳商人がいて、 それに対して徳川の副将軍という絶対的な権力でもって 正義の黄門様が裁きを下す。 わかりやすい悪と わかりやすい正義がいて 最後には正義の味方が勝つ。 世界征服をしようとしている竜王を勇者が倒すDQにしても 己を永遠の存在にしようと企むカオスを光の戦士が倒すFFにしても ウルトラマン、仮面ライダーなど特撮にしても 結局根っこにある原理は変わりません。 要は 悪いもの、マイナスな要素、他人に被害を及ぼす自分勝手な存在 そういうもの自体を、そしてそれを生み出す根源を懲らしめてやりたい。 むしろ懲らしめられるべき。懲らしめられなきゃならない。 悪い奴のネジ曲がった考えなんて修正してしまえ。 汚物は消毒だ。 そういう気持ちがあるのです。 なので、 水戸黄門を見ずに8時48分だけを見ればいい と言われるように 黄門様の裁きが下って 「もはやこれまで」と悪い輩がひれ伏す様を見たいのです。 ぶっちゃけた話、悪代官と悪徳商人がどうやって私腹を肥やしてた、とか 貧乏長屋の病弱なおとっつぁんの娘がさらわれたけど助かった、とか あまりにも薄っぺらいオプション、付録なのです。 さて、 2時間サスペンスが大好きなうちの母。 それを横目に「日本のテレビは人死にすぎだろ。」と自分の部屋に戻る兄貴。 どうしてこんなにミステリーとかサスペンスってのが人気があるのか。 犯人を当てたい、トリックを自分で解いてみたいとかいうチャレンジ組も 少なからずいるかも知れませんが 結局は水戸黄門と変わらないんじゃないかなって思うんです。 正体なりトリックなりが暴かれた悪の権化の犯人に対して 正義の象徴である探偵が裁きを下す。 そこにカタルシスを求めているんだと思うのです。 犯人は悪の権化でないといけないのです。 そうじゃないと正義側が映えない。 竜王にしてもハーゴンにしてもゾーマにしてもミスドラースにしても デスタムーアにしてもオルゴデミーラにしてもラプソーンにしても 悪いやつはとことん悪くあって欲しいのです。 カオスにしても皇帝にしても暗闇の雲にしても ゼロムスにしてもエクスデスにしてもケフカにしても 一寸の濁りもなく悪の道をひた進んで欲しいのです。 そのほうが 正義側が勝利を収めた時の胸のすき方が気持ちいいから。 だから ピサロとかエルギオスみたいに下手に同情の余地があると 逆に戸惑ってしまうんですね。 ようやくたどり着きました。 アフィにしちょります「すべてがFになる」の話です。 これさぁ犯行の動機が崇高すぎてついていけないのね。 んなやつぁいねぇよ。 この本の解説で瀬名秀明が 「森博嗣はミステリー小説が変わるきっかけをつくった。」的なこと書いてます。 要は犯人は悪いやつ、それをやっつける。という常識的な構図は 読者の考えを凝り固まらせてしまっている。 「常識」を疑え、という提唱をしている。 そういう意味で新しいタイプのミステリーを生み出した。 そんな感じなんです。 幼い頃からの刷り込みで水戸黄門に慣れきったワタシには どうにもこうにも新しいものへの受け入れ態勢が中々整えられないんですね。 人殺しなんちゅう悪いことを平気でしでかす人間は 悪いことを考えている悪人だ。 拭い切れない常識として脳みそにこびりついております故。 悪いことをする人間にはそいつなりに理由とか原因とか信念があるんだよ、と 言われてみても でも、まぁ、悪いことをやっちゃんたんだから悪いやつでしょ 正義はもっと正義らしくちゃんと悪いやつを裁こうよ、となってしまうんです。 読み物としては面白いです。 やはり登場人物がイキイキしている小説は読んでて面白いです。 これって手塚治虫御大とか石ノ森章太郎とかも否定することになるのかなぁ・・・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Oct.30th 2011
贖罪の話。 謝るって難しいですよね。 何が難しいってどんな言葉を並べても どうしても白々しいし気恥ずかしいし。 もちろん謝りたい気持ちに嘘はないし真剣なんですけど 頭で考えてることを口に出した瞬間、なんか違うかも、となるのです。 特に 自分が相手を傷つけてしまった場合 誤り方もタイミングもすごく難しいこととなります。 多くの場合は結局逆効果になってしまい 余計に相手の怒りを買ってしまうようなことになりかねません。 相手を傷つけてしまった実感が自分にない場合もあります。 いじめっ子いじめられっ子の心理っぽいもので いじめっ子のほうは何の気なしに放った一言が 実は言われたほうにとっては一生もののトラウマになるなんてこともありえます。 そして だいぶ時間が経ったあと いじめられっ子側の気持ちに気付かされたいじめっ子は もうどうしたらいいんでしょうね。 罪を償うってのはなんなんでしょう。 例えば法を犯してしまった場合 警察にとっつかまって刑務所ですごすのが罪を償うことなんでしょうか。 これは見た目にもわかりやすい形式に当てはめただけです。 本当の償いってのは やってしまったことに対して悩み苦しむことです。 自分がやってしまったことで相手に迷惑をかけてしまったなぁ・・・ と 心底悩んで どうしたらいい?どうしようもできん。と懊悩煩悶し ま、でもやっちまったもんはしゃーないやん、と時に開き直り でもまたこんな感じの犠牲者を増やしてしまうのかなぁ、と不安になり まだ実は被害者がいるんでないかい?と疑心暗鬼になり これからは気を付けないと、でも気をつけるって何をどうすればさ、と混乱し 結局日々余罪が増えていくのを指をくわえて眺めてるだけになるのです。 土下座したり足長おじさんになってみたりと 具体的な行動に出た時点でもう償いの気持ちは薄れてるんですよ。 でもさ。 世の中の真理としては ”やらない善よりやる偽善”なんですよね。 いやはや全くそのとおりだと思います。 後悔はしても反省はしない。 こりゃぁ悪だな。 〜〜〜〜〜〜〜〜
Nov.11th 2011
スーパーストリートファイターIV アーケードエディション
6つ1が並ぶとんでもゾロ目デイじゃああああ こういう日こそ忘れずに更新じゃああ どうも、ノヴォールです。 「病は気から」の話。 今週はまるまるずっと寝こんでました。 久々にここまで強力な風邪をひきました。 曖昧になった記憶力にたよってみますと 2008年の正月にインフルエンザと溶連菌感染症ってののダブルパンチをくらって タミフルを飲んで寝込んで以来の風邪っぴきでした。 今回は何があっても医者になんていかんぞ、と。 まぁ意地になってみたんですけど。 ひきはじめの頃は ちょいとのどが痛いだけだったんです。 それが あれよあれよと鼻づまり、頭痛とコンボが決まってきて さらに熱も出たんでしょう。体の怠さも半端ない状態にまでなりました。 月曜日、 とりあえず丸一日寝こんでみます。 その日の夜、 鼻は鼻水、喉はたんがからんでしまい呼吸が困難になりました。 こんなん初めてです。 話として聞いたことがあるのは 花粉症でかなり重症な人が 夜寝ている間に 鼻づまりとぜんそくっぽい症状によって呼吸ができなくなってそのまま永眠。 っていう嘘か真かわからんこと。 まったくそんなの信じてなかったんですけど 風邪で似たような状態に自分がなってみて あの苦しさがずっと続くなら死ぬな、死ねるな、と思ってしまいました。 そのまま良くなったりぶりっ返したりを繰り返し 今日、金曜日。 だいぶよくなってきましたので 自分の説が正しいことを実証してみました。 友達にスパ4を付き合ってもらいました。 どういうことかといいますと、 風邪の軽い状態、 ひきはじめ、とか もうすぐなおりそう、とか そういう状態の時は 肉体の病気は精神が凌駕する、という説を実証したのです。 要は 軽い不調なんざ気合いで潰してやろうという話。 しかもこの気合いってのは 精神的に昂揚した状態ってことですけど プラス方向でもマイナス方向でもOKということなんですよ。 滋賀の頃 風邪なんてひいたことありませんでした。 風邪なんざ遥かに凌駕する精神的なストレスが四六時中かかってたせいで。 だから2008年の正月の病気は 実家に帰ってきて気が抜けた瞬間にかかったのです。 で 今回は 友達に格闘ゲームにつきあってもらうことで 風邪をひいてることを忘れるくらい精神的極限状態に自分を仕立て上げます。 約2時間。40試合ほど。 鼻をかむことなく 痰を吐きにトイレに駆け込むことなく 順調に淡々と試合をしました。 やはり 心は肉体を凌駕するのです。 でも 熱があってぼけっとするような状態で格ゲーをやっても まったく手も足も出ずに負けて さらに肉体の状態も悪くなるという悪循環なので この荒療治は使いどころは難しい。 これくらいの不調なら気合いで勝てるな、っていうのは 経験則でなんとかしていきましょう。 よし、このタイミングだ。と言う時に 格ゲーを対戦してくれる友達がいてくれるってのは こんなにもありがたいことなんですね。 明日はその友達とプリキュアの映画を見に行きます。 十分に幸せなんじゃなかろうか。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Nov.24th 2011
End of Eternity (エンド オブ エタニティ)
ストレスの話。 RPGをやってるんです。 アクション性の高い詰将棋みたいな戦闘方式でして パーティーの3人衆の掛け合いが面白く 世界観もよく作りこまれてて 久々にやる21世紀のRPGとしては当たりです。 で、このゲームの主人公たちは いわば何でも屋さんたちでして 依頼人から様々な依頼を受けて一つ一つ遂行していきます。 昨日やったミッションの話なんですけど、 カリスマ芸術家が作った平和祈念像を 魔物蔓延る区域を抜けた先にある展示台まで運ぶというミッションでした。 この像はでかいくせに耐久力に限界があるので 魔物の攻撃で破壊されてしまった場合ゲームオーバーとなります。 なんといいますか RPGをやっててストレスを感じるシチュエーションって ほんと人それぞれだと思うんです。 ワタシの場合、 レベル上げという作業はむしろ好んでするくらいなのでまったく苦にはならなくて 例えば めんどくさい状態変化の攻撃ばかりやってくる敵が大量に出てきたりすると 割とそのゲームを投げ出すくらいのストレスを感じてしまいます。 あと ただ単に敵が強くて勝てないとかなら こっちのレベル上げが足りなかったのかな、とか 武器なりアイテムなりを使えばなんとかならないかな、と 少しは対策を立てようとも思えるので そこまで大きな挫折ポイントにはならないんですけど。 その像を運ぶミッションですよ。 この像がなんといってもでかい。 主人公たちがなんとか肉壁になるべく周りを囲んでも 敵は遠慮無く近距離から遠距離からどんどん攻撃を当ててくるし、 ホイミ的なものスカラ的なものも一切ないのです。 集中攻撃なんざうけたら もうただ呆然と虚しく破壊されていく様を見守ることしかできないのです。 こんなにもイライラさせられるシチュエーションなのか、と。 なんちゅうか 敵が強い、自分が弱い、という状態なら レベル上げたり、守りを固めたりとかなんとかできると思うんですけど 自分が守らないかん弱いものを まったく打つ手がないまま守れないって 一見間接的に見えて如実に 自分の馬鹿さ 自分のダメさ 自分の下手さ 自分の愚かさ 自分の無力さ なんてものを悪意を持ってつきつけられてるようで。 なんでゲームにまでそんな指摘されないかんねん、と もうワタシの怒りが有頂天ですよ。 ワタシの寿命がストレスでマッハですよ。 こっちができることは もう自分たちの肉体なんざどうなってもいいとばかりに できるだけ速く迫り来る敵を迎撃することのみ。 カミカゼアタックとばかりに突っ込むくらいしかなかった。 そしたらさ ゴール直前にボスまで鎮座しておられまして。 もう像のHPは残り1割あるかないかですよ。 もうね、こんな絶望ってあるんですね。 どうあがいても絶望ってこのことです。 しかもそのボスも悪意の塊とも思える機械でして トラクターの土を耕す部分みたいなぐるぐる回る刃物を 両手にがっちりとはめ込んでやがるのです。 んで主人公たちの姿なんざアウトオブ眼中とばかりに像に一直線で迫り ギュイーーーーーーーーーンっつってぐるぐる刃物を振り下ろしてくるのです。 ガリガリガリガリガリガリガリガリガリ ぎゃああああああああああああああああ やめてやめてやめてやめてやめてやめて HPゲージがドット単位でしか残ってない像。 これが幸福な王子だったら 完全に全身の金を燕に持ってかれて目ン玉の宝石も繰り抜かれてる状態ですよ。 燃え尽きたよ・・・真っ白にな・・・ってEDを迎えてる状態ですよ。 ワタシの中でスイッチが壊れる音がしまして ネズミを目の前にしたドラえもんよろしく もう何もかも全て消し飛んでしまえ、像なんざ初めからなかった、と 持てる限りの一番強力な爆弾を抱えてボスに突撃。 ヒャッハー汚物は消毒だああああああああああああ ちゅどーーーーーーーーーーーーーーーーーん ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・ 勝利・・・・・なのか・・・・・・・・ どうやら爆弾が爆発してボスに致死量のダメージが通った瞬間に 時間の流れがストップするみたいで 爆風が像を破壊する直前に You Win ってなったみたいです。 ただただ虚しさが残るミッションでした。 もう達成感もクソもない 人間が生み出す悪意が自分を蝕んで食い散らかしていった挙句 飄々と音も立てずに去っていっただけのような気分でした。 もうクリアでいいよね。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Dec.8th 2011
ポプラの秋 (新潮文庫)
早熟の話。 ワタシは 人様の言ったことやったことは覚えてることが多いのですが 自分が人様にしたこと言ったことはとんと覚えてないことが多いのです。 なので 正味な話、ここに書いた中身も忘れていることがほとんどなので たまに友達と話をしているときに ここで書いたことについて言われても きょとんとしてしまうのです。仕方ないね。 で、 上の本って高校の頃友だちにすすめられた本で 当時のワタシは読んでもいまいちピンと来なかったようでして どうやらけっこう失礼な感想を言ってしまったらしいのです。 どうやらってのはワタシは覚えてなくて 10年以上経ってから その友達から聞かされたことなので。 ああ、申し訳ない。 というわけで 昔読んだ本を改めて読みなおしてみるのが俄にブームになってるワタシとしては この本にもう一度チャレンジしてみるのもいいんじゃないか、 ということになりました。 もしもう一回読んで 高校時分のころと同じような感想になれば それはそれでネタになるなぁ、と 気楽に読んだんです。 でも これがね 期待を裏切るようになっちゃうんですけど 面白いんですよ。この本。 どうしてあの頃のワタシはこの本に面白いという感想を抱かなかったのか。 いや、逆だ。 あの頃のワタシには この本を面白いと受け入れるだけのキャパがなかったんです。 当時のワタシは 宗田理
の描く少年少女の絆の物語にハラハラしてみたり 金田一少年の事件簿の小説版を読んで美雪に萌えてみたり そんな程度だったんですよ。 そこんところに いきなりこの本をつきつけられて こういう世界観もありかもって受け入れろっていうほうが ある意味ムリある話だったんです。言い訳にしか聞こえん。 この本は 主人公の女性が 少女期を過ごしたアパートの管理人である婆さんが死んだという知らせを受け アパートに直行しつつ昔を思い出していく、みたいな流れなんですけど 当時の自分としては 正義の味方が悪者を倒すわけでもないし 名探偵が事件を解決するわけでもないし と 残念ながら読んでても自分が期待するような流れがこなかったみたいなんですね。 それで大変失礼な感想を述べてしまった、と。 今冷静に分析してみるとそう思うのです。 でも、 この年になってこの本を読んでみると 面白いと思える。魅力を見つけることが出来る。 これってつまり 読む側のワタシが変わったからということですよね。 なんちゅうかね 例えば 金田一なんて犯人は誰、みたいにいわゆるネタバレを言っちゃったりすると 読む楽しみが半減しちゃいますね。 あと 宗田理の本は少年少女が集って冒険したり問題を解決していく、みたいな ある意味わかりやすい話の流れがあると言えます。 でも この本って あらすじ言った所で読む楽しみは変わらないし 逆にあらすじを言うのが難しいくらい一言で言い難い物語なのです。 というのも 読む人によって 話の根幹の捉え方が変わっても全然おかしくないからです。 要は 高1のおいらにはまだ早すぎる本だったというわけで 逆に たった15年ちょいしか生きていないのに この本を他人に薦められるくらい面白いと感じることができた その人があまりにも早熟だったんでね? どんだけ達観した15歳やねん。釈迦か。 というわけで 今読んでます ミッキーマウスの憂鬱 (新潮文庫)
これを読み終わったら 次は 春のオルガン (新潮文庫)
ポプラの秋の作者の別の作品にチャレンジ。 ほんと おいらの周りってすげぇのばっかりだわ。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Dec.18th 2011
End of Eternity (エンド オブ エタニティ)
シミュレーションの話。 友だちから借りてやってるこのゲームなんですけど やはりどうしてもシミュレーション要素が強いRPGだもんで 苦労しっぱなしなのです。 で、 これを貸してくれた友達に スカイプで話をするたびに 出てくる言葉がこのゲームへの愚痴になってしまいまして。 ほんとうに申し訳ない。 そしたらその友達に お前は何が面白くてそのゲームを続けてるのだ?なんて言われちゃいまして まぁ当然の流れだと思いますよ。うん。 やはりキャラが魅力的っていうのが 一番の継続理由なんでしょうな。 正味 自分にとってシミュレーションゲームというのは 戦略とかそういうのをまったく立てられないので なんといいますか ちゃんとできてる感がまったくないんですよね。 むしろ たとえそのミッションをクリアできたとしても こんな方法でよかったのかいな、と もっとうまい方法があったんじゃないのか、と 毎回毎回後味の悪さしか残らないんですよ。 これがよくない。 このゲームを借りるときには 頭を使ってなんとかすれば レベルが低くても進めるよ的なアドバイスをもらったので 実は背筋が凍ったんですよ。 これは難しいんだろうな、と。 ワタシのRPGの遊び方は 基本戦略とか敵の弱点とか味方の属性とか そういうものを一切合切かなぐり捨てて レベルを上げて物理で殴ればいいというスタイルなので うまいことやるということはできないんですよね。 まぁ結局 なにゆえ自分がシミュレーションゲームが苦手かっていうのが ようやくわかってきた気がします。 自分で納得の行く進め方ができないから。 というか 何が正解かよくわからん状態でもやもやっとしたまま進めないといけないから。 普通に倒すという方法がわからんから。 あとさ シミュレーションゲームってさ 敵と戦ったキャラしか経験値入らないんですよ。 例えばDQ4ですと 戦闘の最前線にいるアリーナと 馬車のなかで待ちぼうけのブライに 同じ経験値が入ります。 確かに これって不公平といやぁ不公平なのかもしれませんが パーティーなんだからさ仲間なんだからさ いいじゃん戦闘に参加してないメンバーにも恩恵があったって。 なので、 戦闘に参加しているメンバーと していないメンバーで極端な差が開いてしまうのも すんごく気持ち悪いんですよ。 ほんと シミュレーションゲームをできる人って よっぽど素晴らしい脳みその使い方ができるんだと思います。 〜〜〜〜〜〜
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