[多田ミツオ・Episode1]

 昼間の暑さを癒す様に夕風がそよぐ頃、彼らはふらふらばたばたと現れる。
 ひぐらしのどこかもの悲しい鳴き声とは裏腹に、ふらふらばたばたと現れる。
 コウモリ。
 ここは住宅街のド真ん中。
 (いったい何処から飛んでくるんだろう。)
 ミツオは思った。
 キャンパスライフ一年生。夕食を買いにコンビニへ向かう途中だった。
 (けっこういるな・・・。)
 一匹、二匹ではない。ざっと見た処、二十匹はいるだろう。・・・いや、もっとか・・・。
 地面から1m〜5mのくらいの高さをふらふら、ばたばた・・・
 「うわっ・・・。」
 ミツオにぶつかりそうになるコウモリ達。
 だが、決してぶつからない。
 コウモリは視覚がほとんど無く、ソナー音の様なものを発して障害物を探知する、と何かの本で読んだ事をふと思い出すミツオ。
 だから障害物ギリギリまで飛んできて、直前でふわっと避ける。
 この季節必ず現れる「彼ら」なのだが、今日は妙に気になる。
 (いったい何処から・・・)
 まずい。
 一度気になり出すと頭から離れなくなる性格である事を、ミツオは自分で知っていた。
 空腹感すらも忘れている。
 (コウモリ・・・夜行性動物なら明け方寝ぐらへ帰るはずだ。)
 ミツオは何処へ帰るのかをつきとめる事にした。

 午前4:30。
 夏の日の出は早いので暗いうちにアパートを出た。
 「あれ・・・?」
 いない。
 いや、一、二匹まだふらふら飛んでいる。
 ・・・が、ほとんどいなくなってしまっていた。
 (まだ暗いのに・・・。)
 コウモリは気温が下がると活動が鈍くなる。真夏とはいえ、さすがに4:30ともなると日が昇るまでは涼しい。
 (残ってるヤツだけでも追いかけよう。)
 濃紺の夜空に見失いそうになりながら「残業組」を追いかけ、ミツオは自転車のペダルを踏んだ。
 コウモリはふらふらと飛ぶ。
 置いていかれる事は無さそうだ。
 とにかく姿を見失わないように目を凝らすミツオ。
 自転車を5mほどこぎ進んで止まり、2mほどこぎ、止まり、3mほどバックし、しばらく止まり、またこぎ出す・・・。
 コウモリの尾行に入り20分くらいたった頃、
 「ん!?」
 ふらっと家らしきシルエットの黒い影に吸い込まれて消えてしまった。
 慌ててその黒い影に近づくミツオ。
 木造の平家。
 ここは・・・そうだ。『あの空き家』だ。
 新興住宅が建ち並ぶ中、一軒だけ取り残された様に在る木造の平家。
 あきらかに人は住んでいない。
 窓の曇りガラスは割れ、木製の外壁は腐ってはがれかかっている。
 (ここに入ったのかな?ここしかないもんな・・・。)
 さて・・・。
 確かめる為に入ってみようか?
 この家の両隣は人が住んでいる住宅なので、ここに「彼ら」が入っていったであろう事はまず間違いないのだが、ミツオは気になる。
 確かめたくてしかたがない。
 空き家なのに「夜中にギシギシ音がする」だとか、「カギが掛かっているはずの玄関が音も無く自然に開く事がある」だとか、そんな『あの空き家』の噂話などミツオにとってはどうという事はなかった。
 (オレみたいなモノ好きが夜中に忍び込んだりしてたんだろ。)
 昼間入ると隣の住民がうるさいだろう。
 今、入ってしまえ。
 ミツオは自転車を立てかけポケットからペンライトを取り出すと、『あの空き家』の玄関の引き戸に手をかけた。

 「!?」
 その瞬間、すーっと霧の様なものがたちこめ軽いめまいを感じた。
 (・・・なんだ?貧血なんて起こした事無いのに・・・)
 カラカラカラ・・・。
 (えっ・・・!?)
 ミツオは手に力を入れてはいないのに、引き戸は数cm開いた。
 反射的に手を放し、一、二歩後ずさってしまった。
 (誰か居るのか・・・?)
 ペンライトを真っ直ぐ向ける勇気が無い。
 開いた玄関の隙間の足元を照らしてみる。
 グレーのコンクリートの床。
 何も無い。
 恐るおそるペンライトを上げてゆく。
 一段高くなり、木の床。
 奥の方までは明かりが届かない。
 「・・・す、すいません・・・。」
 声を出してみるミツオ。
 返事は無い。
 人の気配も無い。
 ・・・そう、人の気配が無い。
 (って事は・・・)
 ミツオはこんな時妙に冷静になれる青年だった。現実的かつ楽観的な性格なのである。
 (引き戸のレールが緩くてちょっと傾いてる、ってところかな。鍵は掛かってないんだな。)
 再び歩み寄り、おもいきって戸を開けきった。

 ガラガラガラッ!
 (やっぱり誰もいないや。)
 コンクリートに平たい石が適当に埋め込まれている玄関の床。一段高くなり、木の廊下が、目測で10mくらいだろうか、つきあたりは左に90度曲がっている様だ。
 玄関へ入る。
 (戸は開けておこう。)
 木の廊下。
 すぐ左に半開きのふすま。破れたり、シミが着いたり、そうとう傷んでいる。
 右側には開きドア。「便所」と漢字で書かれたプレートが付いている。
 (北側にある窓のガラスが割れていたな・・・。そこからコウモリが入っていったとしたら、廊下の右側の部屋のはずだ。)
 玄関は東に面している。廊下は西へ向かい、右が北、左が南という事になる。
 (便所はさておき、北に面している部屋は・・・?)
 ギシッ・・・
 廊下へ足を踏み入れる。
 「がさっ、ばたばたっ!」
 南に面した左側の部屋である。半開きのふすまの中から、明らかに彼らの、はばたきの音が聞こえた。
 (ん!?こっちか・・・。)
 まさか血を吸われたりしないだろうな、などと思いながら恐るおそる部屋の中へペンライトを向ける。
 「ばたばたばたばたばたばたばたばた!」
 うかつだった。
 彼らは、ペンライトに向かって飛んで来た。
 「やっ、ちょっ、待った、やばっ。」
 ライトを消し、身を低くするミツオ。
 数匹が目の前をかすめ、廊下の中をふらふらばたばたと暴れている。
 (あっぶねー。やっぱりこの空き家の中に棲んでたか。)
 しばらくして羽音が止み、また静寂が辺りを包んだ。
 (ライトをつけると向かってくるな。ヤツ等の寝顔をおがむのは無理か・・・。)
 目が慣れてきたのか、ぼんやりと見えるようになってきた。
 (ライト無しでもなんとかなりそうだな。)
 ミツオは無数のコウモリが天井に逆さに止まっているのを想像し、そのキモチワルイ在り様を見てみたい、と思った。
 なるべく音を立てないように立ち上がり、部屋へ足を踏み入れた。

 部屋の中を見回す。
 「!!」
 ミツオは足がすくんだ。
 ミツオの右手、奥の方に人が立っている。
 身の毛がよだつ、とはこの事か。全身に強烈な寒気が走った。
 (逃げよう。逃げよう。玄関は開いてる。逃げよう。逃げよう・・・)
 体が言う事をきかない。
 ギシッ・・・。
 ミツオが一歩後ずさった瞬間、その人はこちらへ倒れてきた。
 「・・・・!!」
 声にはならなかったがミツオは心の中で絶叫した。
 (うわぁああぁぁあぁっ!)
 ガッシャーン!
 「あ・・・はっ・・・う・・・はぁ、はぁ。」
 ミツオは腰を抜かしそうになるのをようやくこらえて、理解した。
 等身大の鏡が立てかけてあったのだ。
 (マジ・・・勘弁してくれよ・・・。)
 自分の姿に驚かされていては世話は無い。
 「はぁあぁ。」
 大きくため息をつくと、ミツオは冷静さを取り戻した。
 (こんな大きな音を立てて鏡が割れたのに、コウモリ達、暴れ出さないな・・・?)
 天井を見上げ、目を凝らす。
 よく見えない。
 じっと目を凝らす。
 ・・・居ないようだ。
 おもいきってペンライトを灯ける。
 居なかった。
 どうやらこの部屋に居たのは廊下へ出ていってしまったあの数匹だけだったらしい。
 (やっぱり北側の部屋だ。)
 ミツオは廊下へ出て奥へ進んだ。
 ミシッ・・・ギッ・・・ミシッ・・・。
 自分の足音が大きく感じる。
 (さっきのコウモリは何処に・・・。)
 案の定、廊下の右側にも部屋がある。二枚ふすまの、一枚は無かった。
 窓の曇ガラスの割れ目から外が見える。まだ暗いようだ。
 ミツオは上半身だけ部屋の中へ入れ、天井を体をねじって窺う。
 居た。
 洗濯物でも干す為だったのだろうか、天井から20cmくらいの高さに棒やたるんだロープが渡されていて、そこに黒いカタマリが鈴なりになっている。
 (顔がよく見えないな。でも近づくのはちょっとな・・・。ペンライトで照らしてみて、暴れ出したら走って逃げよう。)
 上半身を廊下へ戻し玄関が開いているのを確かめ・・・
 確かめ・・・
 「!」
 閉まっている。
 再びミツオの体を寒気が走った。
 (なんで・・・)
 玄関の引き戸はぴったりと閉じられていた。
 (自然に開いちゃうくらいだから、また自然に閉まったかな・・・。)
 ミツオは努めて現実的に考えを巡らせた。
 (・・・いや、傾いているなら傾いている方にしか戸は滑っていかないはずだ。誰かが外を通りかかって閉めたかな?それとも鏡の割れる音を聴いて隣に住んでる人が・・・)
 何にしても、さすがに気味が悪くなってきた。
 (もういいや、帰ろう・・・。)
 そう思った時、
 ピン・・・ポロン・・・ピンポンピン・・・ポロン・・・
 何処からか、オルゴールの音が、かすかに、ゆっくりと流れてきた。
 「・・・」
 知っているメロディだ。確か、「エリーゼの為に」。
 (隣の家かな?)
 いや、オルゴールの小さな音が家の外に、ましてや隣の家屋まで聴こえてくるだろうか。
 そして何より音の流れ方に違和感がある・・・。
 そうだ。オルゴールはネジを巻いた直後は速いテンポで勢いよく流れ、だんだん遅くなってゆきゼンマイが切れる。
 逆なのだ。
 ゆっくり、途切れとぎれに流れ出し、今は勢いよく鳴り続けている。
 まるで時間が逆さに流れていく様に・・・。
 この家の中で鳴っている。間違い無い。
 今ははっきりと判る。
 廊下の、さらに奥だ。
 ミツオの中で膨らんでいくのは恐怖心では無かった。

 「エリーゼの為に」のオルゴール。
 ミツオの実家にもあり、幼い頃母がよく聴かせてくれ、ミツオはそれが大好きだった。母の物だったと思うが、音階を出す板が一部折れてしまっており出ない音符が一つあった。なぜそこが折れてしまったのかは思い出せないが・・・。

 今流れている「エリーゼの為に」もその音符がとんでいる。

 幼い頃が蘇ってくる様な不思議な感覚に包まれて、引き寄せられるようにミツオは廊下を奥へと進んでいった。
 突き当たりで廊下は左へ曲がっている。
 さらに音のする奥へと進むと、行き止まりに開きドアがあった。
 この部屋の中から聴こえてくるようだ。
 ドアにはカギくぎが付けられ、プレートが下がっていた。
 文字が書いてある。
 幼児が書いた様なぎこちない平仮名だ。

  『よしお・みつお』

 「!!」
 ミツオは我に返った。
 (これは・・・何でこれが・・・いや、そんなはずは・・・誰だ、こんなイタズラ・・・)
 幼い頃の、遠い記憶の扉が、ミツオの中ですっと開いた。
 (おにいちゃん・・・おにいちゃんが書いた・・・僕達二人の、子供部屋のプレートだ・・・。)
 当時3才だったミツオは、兄のヨシオがこのプレートに二人の名前を書いているのをワクワクしながら見ていた。
 しかし、こんな所にあるはずが無い。
 このプレートは今・・・
 (・・・実家の仏壇にあるはずなのに。)
 ミツオは現実を探した。混乱と幻惑に捕まるまいと必死に現実を見た。
 (イタズラだ・・・。)
 「イタズラだ!誰だか知らないが、どうやって調べたのか知らないが、オレを驚かせて何が面白い!!た、たちが悪い冗談だぞぉ!!」
 ミツオは声に出して怒鳴った。
 「この部屋の中か!中島か!?一ノ瀬もいるのか!!」
 ドアノブに手をかけ、勢いよく引き開けた。

 ガチャン、キィィッ!
 その瞬間オルゴールが止んだ。
 「だ・・・」
 誰なんだ!、と叫ぼうとしたミツオは息を飲んだ。
 三畳ほどの狭い部屋。
 ドアを開けると目の前にすぐ、高さ30cm〜40cm程の小さな木の机。クレヨンの箱と消防自動車のミニカーが大事そうに置かれている。
 その右隣の勉強机に向かっているのは子供だった。
 (こ、ここは空き家・・・この部屋・・・子供・・・ゆ、幽霊・・・)
 動けなかったのはほんの数秒だったのだろうが、ミツオにはとても長く感じられた。
 「あ、あの・・・、」
 やっとの事、ミツオが声を出すと、その子供は何か描いていたらしい画用紙を上半身全部で隠すようにして、
 「ダメッ!」
 と言った。
 その言い方、隠し方、声・・・。
 「お・・・お、おにいちゃん。」
 ミツオの目からは涙が溢れていた。

 ミツオが4才、兄のヨシオが5才の夏。
 海へ家族旅行に行く準備の最中に、部屋の隅に出されていたヨシオの浮き輪を道路に見立ててミツオは消防車のミニカーを走らせ遊んでいた。
 その時、消防車に付いていたハシゴを浮き輪に引っかけてしまい、小さな穴を開けてしまった。
 怒られるのが嫌だったミツオは黙っていたのだが・・・。
 泣き続ける母。目を閉じて黙ったままの父。海水浴場で救助隊員に助け出された時はすでに手遅れだった・・・。

 「おにいちゃん・・・おにいちゃん・・・うっ・・・うっ・・・ごめんなさい・・・おにい・・・ちゃん・・・うっ、くっ、う、う・・・」
 「泣くなよ、みっちゃん!別にオレ、怒ってないぞ!」
 その子はミツオの方へ振り向き、穏やかに笑って言った。
 「その代わり、オルゴール壊したの、ママに言っちゃダメだぞ!」
 間違い無く、「ヨシオおにいちゃん」だった。
 「う、うん。わかったよ、おにいちゃん。」
 ミツオは涙が止まらなかった。
 「この絵、やるよ!カウンタックっていうんだぜ。」
 差し出された画用紙にミツオは手を伸ばした。
 すると突然、霧の様なものがたちこめ、目眩を感じ、眠りにおちるかの様に意識が遠くなっていった・・・。

 「君、君!」
 (・・・ん・・・?)
 「君、駄目じゃないか、こんな空き家の前で寝たりしたら。何をしてたんだい。家は何処?」
 (・・・おまわりさん・・・?)「あ、すいません・・・。」
 「君は、なに、学生?空き家で遊んじゃ駄目だ。もっとも玄関は釘、打ちつけてあるから、入れないだろうけどねぇ。」
 「はぁ、すいません。」
 「早く、帰りなさいよ。いいね。」
 「あ、はい、すいません。」
 ミツオは、どうやらこの空き家の外で寝てしまっていたらしい自分にようやく気付いた。
 (・・・あれ、そういえば、コウモリ・・・)
 この『あの空き家』に入ったらしいところまでは憶えているが・・・。
 (ちょっと覗いてみるか・・・。)
 ミツオは玄関の引き戸を開けようとしたが、駄目だった。釘で打ちつけられ、ぴくりとも動かない。
 (ちぇ・・・)
 もう夜が明けている。釘を突破して中に入るなど、隣の住人に何を言われるかわからない。
 「・・・ん?」
 あきらめて帰ろうとしたミツオの足元に、茶色く色褪せた画用紙が落ちているのに気付いた。
 (なんだろう?)
 車の絵だ。クレヨンで赤く塗られた四角い車。
 「・・・・。」
 なぜだろう。ミツオは何かとても大事なものに感じ、持って帰る事にした。
 「今日も暑くなりそうだな。」
 太陽はすでに夏の日差しになりかけていた。

  (完)

 *この物語はフィクションであり、実際の個人、団体等とは一切関係ありません。

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