[多田ミツオEpisode2]

 「なぁ多田、もし火星に火星人が居たとして、火星人が畑で大豆を育ててたとして、その大豆で味噌を作ったとしたら、その味噌で作った味噌汁、お前、飲む?」
 「はぁ?何?ミソ汁・・・?」
 また始まったよ、と多田ミツオは思った。
 一ノ瀬という男はしばしば、唐突に訳の解らない質問をしてくる。質問の意味は判るのだが、何の目的で、何を知りたくて聞いてくるのか理解に苦しむのだ。
 しかし邪険にはできない。
 なぜなら学内で試験やレポート提出の際に彼ほど頼りになる友人が他にいないからである。
 ミツオとその友人、一ノ瀬タクミは共に大学一年生。
 学業において、ミツオは一ノ瀬に何かと世話になっている。一ノ瀬はいわゆる秀才で、また変わり者であった。
 「うん。火星人の味噌汁。飲む?」
 「どうだろうなぁ・・・、ちょっと気持ち悪いかなぁ。飲まないよ、多分。」
 「なんで?」
 「なんでって・・・だから気味悪いよ。異星人の育てたモノなんて。」
 「何が気味悪いんだ?」
 (しつこいなぁ、相変わらず・・・)
 ミツオはうんざりし始めていた。別に嫌なヤツでは無いのだが、いや、かえって気さくないいヤツなのだが、好奇心に満ちたあの目で人の深層心理を探るかの様な、ある種無神経な突っ込み方が少々うっとおしいのである。
 「とにかくオレは飲まないと思うよ。悪い、ちょっと、トイレ・・・」
 「おぉ、オレも行く。トイレ。」
 (勘弁してくれよもう・・・)
 ミツオは別にトイレに用は無かったが行かざるを得ない。一ノ瀬と一緒に。
 「なぁ、多田、何が気味悪い?どういう処が気持ち悪く感じるんだ?」
 「あぁ・・・、ほら、何か火星人っていったら姿からして気持ち悪そうじゃん。イメージ的にさぁ・・・そう言うお前は飲めるのか?」
 「あぁ飲めるよ。大豆が育つ環境や蒸したり発酵させたりする為の適温や湿度、使用する器具なんかは、ある一定の条件を満たしていないと味噌にはならない訳だから、味噌になった時点での保存状態さえ良好ならオレ達地球人に有益な栄養素を含んだ普通の食材となるし、味噌汁にするなら水を、いわゆるH2Oを一度沸騰させる訳だから有害な雑菌も死ぬ。飲めるよ。」
 「あぁ・・・そうか、それもそうだな。」
 長いよ、説明が・・・とミツオは思う。
 「それで、な、多田。お前で5人目なんだ、これ聞いたの。みんな、気持ち悪いから飲まないって答えた。」
 「あぁ、そうだろうね。」
 そりゃそうだろうよ、と心中毒づくミツオ。
 「本題はこれからなんだけどな、何が気持ち悪いのかって事なんだよ。オレ達日本人は外の者、いわゆる異文化の者達を深い理由も無しに不衛生なモノ、自分の体には合わないモノと捉える傾向がある。」
 (うわ、始まっちまった、長くなるぞ・・・)
 ミツオは心の中でため息をついた。
 「だけどな、オレ、実はお前にちょっと期待してたんだよ、多田。お前は物事を深く掘り下げるタイプでは無いが、経験する事を重んじる人間だ。自分の目で、耳で、手で触れて納得しようとするところがある。」
 「はぁ、そうかな。」(こいつ、誉めてんのか、けなしてんのか・・・。)
 「あぁ、お前とは4月からだから半年の付き合いになるが、オレはお前のそういう所を少し尊敬している。」
 (少し・・・ね。)
 「いきなりの質問でお前もよく状況を想像せずに無難に答えたのだろうが、お前は実際にその味噌汁が存在したら必ず一口は口にする。絶対にするはずだ。」
 「え、いや、そうかなぁ、やっぱ気味悪いぞ。」
 「そんな事無いって。オレの目に狂いは無い。」
 (オイオイ・・・。)
 「・・・でな、そんなお前にちょっと手を貸して欲しいんだ。」
 「え?あぁ、オレに出来る事なら・・・。」(気がすすまねぇなぁ。)
 「ある人物に声をかけて欲しい。」
 「ある、人物?」(ミソ汁と何の関係があるんだ?)
 「あぁ、夜中にうちの近くを散歩してるんだ。」
 「夜中?変な人か?」
 「いや、解らない。50代か60代の男の人だ。散歩してると言うより散歩させてる、と言った方が正しいな。」
 「散歩させてる・・・犬かなんかを?」
 「あぁ、犬・・・、多分。」
 「普通じゃないか。自分で声かけろよ。なんでわざわざオレなんだよ。」
 「うん、その、少し恐怖心があってな・・・でも好奇心の方が強くて、確かめたいんだ。」
 一ノ瀬はほんの少しはにかんでみせた。
 「話がよく見えないよ。何を確かめたいんだ?で、何が恐いんだよ。」
 「見れば解るよ。多田、お前も絶対確かめたくなるぞ。」
 「変な事に巻き込まれるの、嫌だぞ、オレ。」
 「それは、とにかく、その目で見てから判断してくれ。今夜、な、多田。頼むよ。」
 「・・・うーん・・・まぁ、暇だし、他ならぬ一ノ瀬大先生の頼みとあれば、うん、行くだけ行ってみるよ。」
 ミツオは半信半疑ではあったが暇つぶしのつもりで、夜、一ノ瀬の住む町まで行く約束をした。
 「サンキュー!ミツオ。」

 (電車に乗る事一時間か・・・近くは無いよな。)
 時計を見る。
 夜11時13分。
 (こんな所から通ってるんだ。)
 ホームにある時刻表を見る。
 (・・・あと2本で終電か。)
 駅に着いたら電話する事になっている。ミツオは公衆電話を探した。
 (こういう時、携帯電話って便利なのかな・・・。)
 改札を出るとすぐロータリーになっておりタクシー乗り場がある。その脇に電話BOXが3つ並んでいた。だが、その先にコンビニエンスストアーを見つけると、ミツオはそっちへ向かった。
 こんな時ミツオは決まってコンビニの公衆電話を使う。なぜか、こっちの方が落ち着くのだ。
 「・・・あの、もしもし、多田ですけど・・・。」
 「あぁ、オレオレ。自転車で5分くらいだからちょっと待っててくれ。駅の何処にいる?」
 「リリッシュマートの前。」
 「わかった。すぐ行くからな。」

 公団や高層マンションが建ち並ぶ区画整理がなされた道のま新しい歩道を、自転車を牽く一ノ瀬とミツオは一ノ瀬の家へ向かった。
 いかにも最近のデザインらしい街灯が妙に明るい。
 「・・・なぁ一ノ瀬、お前、なんであんな3流大学なんか入ったんだ?お前ならT大とかK大とか、さぁ・・・。」
 「T大?受けたよ。落ちた。」
 「あ、ごめん。悪い事聞いたかな。」
 「いや、別に。他にW大とK大とA学院受けた。」
 「みんな・・・落ちたのか?」
 「その3つは受かった。A学は最初から行く気無かった。嫌いな友達ばかり行ってたからな。W大は面接官がムカついたから蹴った。K大は試験官がムカついた。」
 「ムカついたって・・・もったいないなぁ。」
 「・・・で、行く所無くなっちゃって、たまたま今の大学の2次募集が残っててさ。浪人すんのかったるかったんでな。」
 「ふうん。後悔してないのか?」
 「全然してない。自分の勉強したい事なら何処行ったって出来るよ。それに入学式の日早々に面白いヤツに出会えたしな。」
 「面白いヤツ?」
 「数学の助教授の、根本助教授だっけ、あいつの頭カツラかどうか調べるって言って入学式の途中でふけて、わざわざ植毛の宣伝のビラ作って教員連中に配ってまわってたヤツ。」
 「・・・オレの事か・・・」
 「あっははは。お前のチープな発想と行動力は素晴らしいよ。根本のヤツ思った通りのリアクションとってくれたよな。ははは!」
 「・・・ははは・・・。」(けなしてるんだろうか?誉めてるんだろうか・・・?)
 「着いたぞ。あれがオレの家。例の『散歩人』は夜中の2時過ぎに現れる。天体望遠鏡で見張っていよう。」
 「天体・・・お前、覗きとかしてんのか?」
 「他人の家を覗いたりはしないよ。たまたま望遠鏡を下げてた時に目に入ったんだ。」
 「お前はそんな悪趣味なヤツじゃ無いもんな。安心したよ、一ノ瀬先生。」
 「先生はやめろ。」
 「来週提出のレポートもよろしくね、先生。」
 「やめろって。」

 「・・・ふうん、インターネットって面白いんだなぁ。」
 「まぁ、あくまでも情報交換の場だから娯楽メディアとしてはまだまだだと思うけどな。つまらないサイトも山ほどあるし。」
 「オレもパソコン買おうかな・・・。」
 「その前に電話回線入れろよ。お前携帯も持ってないし連絡取れないんだよな。」
 「そっか、電話ね・・・金かかるんだなぁ。」
 ミツオの通信、連絡手段はもっぱらコンビニの公衆電話だった。テレフォンカードがコミュニケーションのパスポート。
 「オレって時代に取り残されてんのかな・・・。」
 「そんな事は無いよ。ネットで情報を拾ってる連中は自分の部屋から出る必要が無い。携帯を持ってれば直接会わなくてもコミュニケーションが取れる。足を使わなくなり、目や耳で実物、本物に触れる機会が少なくなる。先進国の国民は自分の体を退化させているだけさ。発展途上とされている国の人々はきっと優れた体機能と感覚をまだ持っているはずさ。お前はそれに近い。素晴らしい事だよ。」
 「・・・」(けなしてるんだ。絶対けなしてるんだよコイツ・・・。)
 「おっ、そろそろ時間だな。チョット覗いてみるよ。」
 そう言うと一ノ瀬は、パソコンのマウスから手を離し、天体望遠鏡を覗いた。
 「・・・来たぞ!多田。見てみろ。角度は勝手にずらすなよ。建物や木の障害物が入って訳わからなくなるからな。」
 「どれ・・・。」
 ミツオは望遠鏡に触れない様にして、レンズを覗き込んだ。
 一ノ瀬の話通り、60代くらいの男が犬を散歩させている。男は右手に松葉杖をついて歩いていた。
 「・・・普通の、犬の散歩じゃないか。」
 「もっとよく見ろ。」
 ミツオはよく観察し始めた。
 「・・・犬の胴体に布が着せてあるな。ずいぶん背ムシの犬だなぁ。背中にコブでもあんのか?・・・あっ、犬、つながれてないじゃん。散歩の綱が無いぞ。・・・おい、一ノ瀬、レンズの視界から出ちゃったぞ。」
 「どれ、オレが望遠鏡をずらす。・・・入ったぞ、多田。犬をよーく見てみろ。」
 「犬、か?」
 ミツオは再び覗き込んだ。犬は男の少し前を歩いている。中型の日本犬の雑種の様だ。色は白に見えるが夜の街灯の下なので定かではない。背中がやけに盛り上がっているが布を着せてあって体は見えない。
 「・・・!!」
 ミツオは目の錯覚かと思った。
 犬の背中がもそっと動いたのだ。
 「お、おい、一ノ瀬・・・。」
 もう一度よく見る。
 目の錯覚では無い。
 犬の背中が、布の中身がもそもそ動いている。
 「なんだあの犬!」
 「見えたか。背中の中身が動くんだよ、あの犬。お前、あれ何だと思う?背中にもう一匹何か居るのかな。」
 ミツオはレンズを見ながら答えた。
 「いや、一ノ瀬、あれはあの犬の背中が動いてるんだ。背中が、と言うより・・・。行くぞ、一ノ瀬!あの犬を直接見に行くぞ。」
 ミツオは望遠鏡から目を離し立ち上がった。
 「そうこなくっちゃな、ミツオ。」
 一ノ瀬は、ミツオを本当に頼もしく思い、少し笑ってしまった。

 ミツオは玄関でスニーカーシューズに足を押し込みながら、以前テレビで見たある映像を思い出していた。
 怪我をした鳥、鷹だったか、鷲だったか、を治療して自然に帰すドキュメント番組。翼の付け根に怪我をしていたその大型の鳥は翼を動かさない様に、と胴体を翼ごと布で巻かれていた。不自由そうにもぞもぞと羽を動かそうとする鳥・・・。
 似ている。
 布の中で蠢く翼。
 その様に、似ている。
 しかし・・・あれは確かに犬だ。翼を持つ種の犬など聞いた事が無い。
 (だからこそ、確かめるんだ・・・)
 ミツオの目が恐いほど真剣である事に一ノ瀬は気押されながらも、くすぐられる好奇心の意を彼に向ける。
 「な、なぁ、多田、何か解ったのか?」
 「ん?・・・いや、何も・・・だから確かめに行くんだろ?」
 「あぁ、そうだな・・・。」(多田は何か気付いている。いや、何か知っているのか?)
 一ノ瀬は、そんなミツオの様子に少し嫉妬した。
 玄関を出る。
 広々とした車道が左右に真っ直ぐのびている。
 「あの犬の場所は遠いの?」とミツオ。
 「いや、あっちに信号が見えるだろ、一つ目の信号。あの交差点を左に曲がるとまたすぐに十字路がある。それを右に曲がれば彼らの姿が見えるはずだ。」と右方向を指す一ノ瀬。
 「犬とオッサンはその道をこっちに向かってくんの?それとも向こうに向かってんの?」
 「こっちに向かってくる。」と、一ノ瀬はニヤリとして見せる。
 「反対側から近づきたいな。」と、真剣な表情を崩さないミツオ。
 「解った。もう一つ先の信号の交差点から回り込もう。付いて来てくれ。」
 一ノ瀬とミツオは小走りで舗装整理された広い歩道を進んだ。
 明るい街灯が、二人の影を伸ばし、縮め、幾重にも踊らせて歩道に写していく。

 ミツオの少し前を走る一ノ瀬は、ちらちらと横目でミツオの顔をうかがいながら思う。
 (男と犬が向かっている方向の確認、後ろから近づく方法論を提する計画性・・・しかも瞬時に、だ。なぜオレには、この瞬発力が無い・・・?)
 いつもそうなのだ。
 いつも「事」を起こす時、場面、場面での判断はミツオがくだす。
 そして一ノ瀬は時折来るミツオの簡潔な質問に対し、知識を提供する役なのである。
 こいつに、これをぶつけたら壊せるか?・・・と、ミツオ。
 いや無理だ。・・・と、一ノ瀬。
 あの建物の影は今何メートルくらいだ?・・・と、ミツオ。
 えっと、オレ達の影が2メートルくらいだから、約15メートルってところか。・・・と、一ノ瀬。
 こいつは水に浮く?・・・と、ミツオ。
 まてよ・・水の質量が・・分子密度が・・だから・・2/3くらい水に浸かるが浮くはずだ。・・・と、一ノ瀬。
 ・・・という具合。そして・・・
 次の行動を示唆するのはミツオなのである。
 (多田・・・お前が知識欲も持ったら、オレなんか全くかなわなくなるよ・・・)
 尊敬の意と嫉妬心。
 実は一ノ瀬は秘かに、ミツオの「瞬発力」を盗みたいという思いを抱いていた。もちろん、親しみのあるキャラクターであるからこそミツオを親友としているのだが、自分に無い彼の判断力と行動力を「学びたい」と真剣に思っていた。
 一つ目の信号。交差点。青である。
 一ノ瀬は走り抜けようとする。
 「待った!」
 と、ミツオ。
 「オッサンと犬はコッチに向かってるんだろ?見つかりたくない。様子を見てからがいいよ。」
 「ああ、そ、そうだな。」
 と、一ノ瀬。
 そうだ。この冷静さも、オレには欠けている。(見習わなくては・・・)と一ノ瀬は改めて思う。
 交差点にさしかかった二人は、角のブロック塀に身を寄せ、男と犬の歩いている筋道をうかがう・・・。

 「いない、な。」
 と、一ノ瀬。
 「うん。一気に走り抜けよう。」
 と、ミツオが湧さむ。
 一本向こうの筋道を歩いている、男と犬。距離的にこちらの足音は聞こえないはずだが、二人は音を立てぬよう努めて交差点の横断歩道を駆けていく。「抜き足走り」とでもいうものだろうか。こんな時もミツオは、ポケットの中の小銭が音を立てないように手で抑える気配りを怠らない。

 交差点を過ぎ、次の十字路へ。
 角にあるタバコの自動販売機を見て一ノ瀬は(時間外で販売停止中なら電源落としゃぁいいのに・・・)などと、ふと思う。
 角を左へ。20mほど先に男と犬が歩く筋道。直交している。さらに左へ曲がればご対面。
 男と犬はあの角からどのくらいの位置を歩いているか判らない。二人の「抜き足走り」は慎重さを増す。

 男と犬のいる筋道の角へ到達。
 「街灯、明るいなぁ・・・あの男が向きをこっちに変えてたら100%気づかれるぞ。」
 と、一ノ瀬。
 「・・・だな。ここからはオレ達も普通の散歩人になろう。大学生の男二人だし、夜中だって怪しくはないよ。普通に、自然に、曲がっていこう。」
 と、ミツオ。
 「おっけー。」
 (それが正解だな。さすがミツオ。)と、一ノ瀬は頷く。
 家へ帰る途中を装い、二人の表情はどこか堅いものの、例の筋道へ突入。
 いる。
 男と犬。
 男と犬は立ち止まっていた。男が犬を見下ろしている。男を見上げる犬は時折「しっぽ」を軽く振っている。まるで会話をしているかの様だ。犬・・・やはり布に包まれている背中は異常に膨れている。
 「こっちも立ち止まるのは不自然だ。行くぞ、一ノ瀬。」
 「ああ。」
 一ノ瀬は眼鏡をちょい、と上げ直す。
 近づく。
 二人の心拍数が嫌でも上がる。
 4、5mの距離。
 先にこちらを見たのは、犬。
 男もこちらを向く。
 さらに接近。
 (・・こんばんは・・声を、声をかけるんだ・・)
 ミツオの額に汗が滲む。
 「こんばんは。学生さんかな?」
 男の方から声をかけてきた。顔は穏やかに微笑んでいる。
 「あ、ども、こんばんは・・・」
 と、ミツオ。
 「ど、どうも。」
 と、一ノ瀬。
 男には何の警戒心も感じられない。
 ミツオの額から汗がひく。
 「お散歩ですか?足、悪いんですね、松葉杖・・・。」
 ミツオはちらちらと犬を伺いながら、会話を繋ごうとする。
 「はい、大学に行ってます。」
 (相手が、学生?って聞いてるだろ)とミツオを睨みつつ、次に続く一ノ瀬。そして、この男どこかで見た事あるな・・・と目を細める。
 しかし、犬、妙である。
 胴に着衣している「犬服」の中身もそうであるが、異様に落ち着きはらっている。
 普通の犬は、うろうろと落ち着きないものである。
 男がミツオ達と言葉を交わしている間、身じろぎもせず整然とこちらを見ていた。
 (犬、そうだ、犬の事を、背中の事を・・・)
 「あの、よく慣れた犬ですね。おとなしいし、あの、頭いいんですね・・・。」
 いきなり本題には入れない。言葉に迷うミツオ。
 「ははは。慣れていると言うかね、この子は正確には犬ではないんだよ。」
 「えっ!?」(うおお・・・いきなり核心に迫るぞ・・・)
 男の急展開な発言に、ミツオの好奇心は高鳴る。
 「わっ・・・!」
 犬に視線を向けていた一ノ瀬はおもわず声を上げた。
 犬の背中が、背中の中身が「もそっ」と蠢いたのである。
 「う・・あの、その、これ、一体・・・?」
 一ノ瀬は一歩後ずさった。
 しかしミツオは、こんな時こそ動じない青年。
 (やっぱり似てる。布に抑えられた鳥の翼に・・・)
 そう思った瞬間、犬の視線がミツオに向いた。
 「ウゥ・・・」
 口を微妙に歪めて小さく呻く犬。
 「よしなさい、ミウ。彼は悪い人ではないよ。」
 男が制すると、「ミウ」と呼ばれたその「生き物」は表情を緩めた。
 「あ、あの、人の言葉、解るんですか?」
 「はははは。もしかしたらミウは君達より賢いかも知れないぞ。あははははは。」
 ミツオの言葉に冗談を返す男。
 一ノ瀬は今、この不思議な犬よりも男に注意を向け記憶を探っていた。
 (やはりどこかで見た事がある。しかも・・・本か何かだ。著名人・・・)
 「あの、この、ミウっていう名前ですか、この、あの、(聞け、背中の事を聞くんだ)その・・・」
 ミツオの視線が「ミウ」の背中に移ったのを察し、男は静かに言った。
 「私とミウがここで散歩していた事は誰にも話さないで頂きたい。約束できるかな?」
 「ああ、はい・・・」
 「もちろん!」
 二人は男へ真剣な眼差しを向ける。
 男は続ける。
 「ミウはね、私が『グリフィン』と名付けた種の動物で、異種交配から生まれたんだよ。」
 (異種交配・・・!思い出した!久保田!遺伝子関係の研究で博士号を持つ久保田だ・・・!)
 一ノ瀬は思わぬ有名人との遭遇に興奮した。
 「グリフィンて、なぁ一ノ瀬、空想上の鳥じゃなかったっけ?」
 一ノ瀬を振り返るミツオ。表情がさらに堅くなり、眼鏡が曇りそうなほど汗をかいている彼を見て、
 (天才も大変だなぁ・・・異種交配とか聞いて緊張してんのか?オレにはよく解らないけど・・・)
と思う。
 ミツオの問いかけには答えずに一ノ瀬はグリフィン「ミウ」に好奇心の目を向ける。
 (グリフィンとは確かに翼を持つ獣だ。鳥と犬を・・・!?)
 一ノ瀬の観察眼が鋭さを増す。「ミウ」の顔、足、しっぽ、となめる様に見入る一ノ瀬。
 (背中を・・・背中を見たい・・・)
 一ノ瀬と同様、ミツオも願いは同じだった。
 しかしミツオがミウに向けた目は好奇の目ではなかった。
 (こいつ・・・また少し怒ってる・・恐いのかな、じろじろ見るオレ達のことが・・・)
 「おい一ノ瀬・・・おい!」
 「あ、ああ、グリフィンとは翼を持つ・・・」
 「そうじゃないよ。恐がってるじゃん。じろじろ見るの、よそうよ。」
 「え?あ、そうか、そうだな・・・」
 「すみません。ありがとうございました。ミウちゃんを大切にしてあげて下さい。おじさんの足も、お大事に。」
 ミツオはぺこりと頭を下げた。
 (え!?ここまで来て、犬の背中を見ないのか?)一ノ瀬はミツオをちらと見てから、思い切って切り出した。
 「あの、遺伝子工学の久保田さんでは?存じてます。このグリフィンの背中を・・・見せてもらえませんか?」
 「よせよ。もう行こう。ミウは迷惑してるみたいだよ。」
 男、久保田が口を開くより早く割って入ったのはミツオだった。
 「オレは久保田さんと話してんだ。ちと待ってろ。」
 一ノ瀬は不愉快そうな目をミツオに向けた。
 それには構わずミツオは、口元を歪め警戒心を見せるミウの前に屈み込んで言った。
 「ごめんよ、ミウ。悪気は無いんだ。もう何もしないよ。散歩の邪魔してごめんな。」
 (お、おい・・・噛みつかれたらどうすんだ・・・)一ノ瀬は不安そうにミツオを見る。
 しかし、男、久保田は笑みこそないものの落ち着いた表情でミツオとミウを見守っていた。そして、一ノ瀬へ振り返り、
 「私を知っていたのか、光栄だな。君達は帰宅の途中かい?私達もそろそろ帰らねばならない。」
 「あ、はい・・・」
 (ちっ・・・肝心な所を・・・)一ノ瀬は舌打ちした。
 久保田はミウへ視線を向けた。
 ミツオの言葉に表情を緩めたミウも、久保田を見上げる。
 と、突然、久保田は表情を曇らせ、軽く首を横に振った。
 ミウは表情を変えず久保田を凝視している。
 久保田が口を開く。
 「・・・それはダメだ。帰るぞ、ミウ。」
 しゃがんだままのミツオは、ミウと久保田を交互に見ながら驚きの意を浮かべた。
 (!・・・会話をしてるのか・・・)
 一ノ瀬も口を半開きにして、あっけに取られている。
 しばらく久保田を見ていたミウは、静かにミツオへ振り返った。

 ミツオを見つめるミウの目。
 なんと澄んだ、綺麗な瞳だろう。
 知性と理性から来る道徳心を持つ人間でさえ、これほど高貴な色を帯びた目を持つ者は少ないのではないか。
 ミツオは臆することなく、言葉をかけた。
 「お別れだね、ミウ・・・」
 そして、さようなら、と言おうとした時・・・

 『ヤサシイ人・・・ハズシテ・・・飛ビタイ・・・ワタシノ服ヲ・・・』

 声、ではない。
 伝わってくるのだ。
 ミウの意志が。
 「ダメだ、ミウ!私以外の人間に話しかけてはいけない!」
 久保田が声を荒立てた。
 「君、・・・君!」
 呆然としているミツオに久保田は険しい表情を向ける。
 「ミウには私も予想していなかった特別な力が備わっている。ミウの目を見続けてはいけない。」
 「特別な・・・力?」
 「そうだ。相手の脳細胞のシナプス間を流れる微電流に直接干渉出来るのだ。つまり、君の『短期記憶』への情報を目や耳の器官を介さずに伝える事が出来る。決して君の体を害する力ではないが、所詮ミウは犬だ。犬の稚拙な思念が君の脳に流れていくのは危険もはらんでいるのだよ。」
 「犬が稚拙!?・・・犬は頭のいい動物です。」
 「君は何も解っていない。エサを得る為に芸を覚えたり、散歩の時間を記憶したり、道筋や特定の場所を記憶したりなど、知性的な脳活動とは程遠いものだ。私もミウのデータを取り切れていない。だからグリフィンの存在も発表していないのだ。最近こうして散歩を始めたのは実験の一環であり・・・」
 「おじさん、・・・」
 ミツオは静かに立ち上がった。
 「おじさんは・・・ミウの仲間を何人作って、何人殺したんですか?」
 「・・・なに!?」
 久保田の表情がさらに険しくなる。
 「おい、多田、やめろ・・・」
 一ノ瀬がミツオを制する。
 ・・・が、ミツオが引く訳がない。
 「大学の講義で先生が言ってました。愛玩動物の需要がより複雑になり、犬や猫にも新種が求められてるって。人間の欲には限りが無いって。ミウもその犠牲者でしょ?」
 (おおかた、そんなトコだろうな・・・)一ノ瀬も頷く。
 「ミウだって、美味しいものを食べて、仲間と楽しく遊んで、恋人を作って、自由に暮らしたい・・・ただの動物でしょう?ミウだけじゃないです。カブトムシだって、金魚だって、みんな同じです。・・・ミウは言葉を伝えられるじゃないですか。聞いてあげて、楽しい暮らしをさせてあげて下さい。人間の都合のいいように造られてしまったこの世界の中で、少しでも暮らし易いように、面倒見てあげて下さい。」
 久保田は険しい表情のまま目を閉じた。
 「君の言う事は倫理的には正論だ。私も動物を愛しているが故にこの学問に進んだ。しかし物事はそう単純では無いのだよ・・・。君、名前を聞いてよろしいかな?」
 「はい、多田です。多田みつお。」
 「そうか、多田君。私は久保田浩次という。遺伝子工学に携わる者だ。」
 「クボタコウジさん・・・」
 「この新興住宅街はこの時間人通りが無いので散歩に踏み切ったが・・・あさはかだったようだ。君達に出くわしてしまうとはね。グリフィンの研究は『翼を持つ犬』という輸出用の愛玩動物がテーマだ。対外経済活性の問題が大きく絡んでいる。多田君、私にも発言権があれば君と同じ様な倫理的見解も強く主張したかった。だが私ですら、この研究に意見する権利は無いのだよ。多田君の気持ちは受け取った。ミウは大切にする。」
 「おじさん・・・信じていますよ。」
 「おじさんではない。久保田だ。」
 二人はくすくすと笑った。
 二人の会話の流れにほっとすると一ノ瀬は、先ほどから気に止まっていたミウの「ひげ」に再び視線を向けた。
 (妙に太いひげ・・・ほにゅう類らしくないな・・・この形状・・・)
 ほにゅう類の体毛は枝分かれしない一本形状である。しかしミウのひげは数本あるうちの2本、左右一対、軸となるひげからさらに細かい毛が生えていて、太い一本のひげとなっている。
 (ん〜・・・)
 眉をひそめる一ノ瀬。好奇心がまたくすぶり始めている。
 「一ノ瀬、行こう。元気でね、ミウ。久保田さんもお元気で。」
 ミツオが歩き出そうとしたその時である。

 『ワタシハ飛ぶ・・・好キナ人ノマエデ・・・翔ブ・・・』

 ブチッ・・・ブチブチッ・・・ビィィィィ・・・

 ミウの「犬服」のボタンがはじけ、ファスナーが開いてゆく・・・
 ・・ビ・・ビリッ・・ビィィィィィ

 ぶわぁっ!

 ものすごい風圧と共に巨大な翼が開く。
 「う、うわっ!」
 「うお・・・!」
 「いかん!ミウ!」
 白鳥を思わせる白い翼は全幅3mはあるだろうか、左右「くの字」に大きくはばたいた姿はギリシャの彫刻でも見ているかのような美しさと妖しさをたたえていた。
 「うわ・・あぁぁ・・・」
 ミツオは目を奪われた。なんと壮麗であろう。
 広げられた翼の下に、半透明の薄い羽が見える。血管のような筋が放射状に細かくめぐっている。
 「う・・・!」
 一ノ瀬はその「羽」を見て気づいた。
 (あの「ひげ」・・・そして「羽」・・・間違い無い・・・)
 一ノ瀬の頬に一筋の汗が伝う。
 「こいつ・・・こいつ・・・」
 (昆虫が混ざってやがる!)
 一ノ瀬は急にグリフィンの存在が恐くなってきた。昆虫の遺伝子も持つ翼を備えた犬。そして人の脳に直接語りかける能力・・・。
 (久保田・・・なんてモノを造ったんだ・・・)
 よく考えたら、犬と鳥の交配だけでは決して「ありえない」事だった。4本の足と2枚の翼。合計6本、3対の「腕」。
 (4つ足の普通の犬にさらに2つの翼を付けるには6本の足を持つ昆虫の遺伝子が必要だったんだ・・・鳥だって足と翼、2対、計4本しかないからな・・・)

 ぶわっ・・・ぶわさぁっ!

 ミウの体がほこりを舞いあげ宙に浮く。
 「ミウ!・・・ミウゥっ!」
 久保田の叫び声はもはやミウには届かなかった。
 「おじさん・・・おじさ・・・」
 久保田に振り返ったミツオは、久保田の目に涙が溜まっているのを見た。
 「ミウ・・・」
 久保田の目から、その涙がこぼれた。
 「おじさん・・・?」
 ミツオをちらと見て、久保田は話し始めた。
 「ミウは・・・グリフィンは種保存の本能で飛ぶのだ。ミウはオスだ。メスへ自分の存在を示す為に、最期に・・・飛ぶ。」
 「さい・・・ご?」
 「ああ。グリフィンの飛翔は・・・死の前兆なのだ。」
 「・・・・」
 言葉を失ったミツオは再びミウを見上げる。
 青白い三日月を背に、グリフィンの妖しい影がゆったりと舞う。
 「飛ばずにいれば・・・或いは寿命も延びるかもしれない。そのデータも取り・・・あ、いや・・・」
 ミツオの目にも愁いが帯びているのを見て、久保田は言葉を濁した。
 (死ぬ前に飛ぶ・・・まるでセミだ・・・昆虫なんか混ぜるから・・・)
 久保田の言葉に一ノ瀬もため息をつく。
 「・・・降りてくるよ、ミウが・・・」
 ミツオはミウが降りてくる方へ駆けていく。
 久保田も足を引きづりながら向かう。
 一ノ瀬は動かなかった。なんともおぞましいモノに関わった複雑な思いを整理し切れないでいた。
 「ん?」
 走りながら目でミウを追っていたミツオは、ミウの飛び方の異変に気づいた。
 「ミウ!落ちてくるじゃないか!ミウ!」
 姿勢を崩したミウは翼のはばたきも止め、人形のように落下してくる。
 ミウから目を離さずに、つまずきながらも必死に走るミツオ。
 「ミウ・・・ミウ・・・」
 久保田も懸命に向かう。
 「はぁ・・・はぁ・・・」
 ミウの真下に到達するミツオ。
 (犬だ、小さな犬だ、軽いはずだ、受け止める、受け止めるんだ、地面に落ちたら、コンクリートになんか落ちたら、絶対、受け止める・・・)
 ミウを見上げながら、フラフラと位置を定めるミツオ。
「た、多田君、やめろ、はぁ・・はぁ・・君も、・・怪我するぞ、無理だ・・・はぁ・・はぁ・・やめなさい!・・・」
 「いやだ!ミウを受け止める!絶対に助けるんだ!」
 落ちてくる。
 ミウが落ちてくる。
 ミウの真下にミツオが着いてからほんの数秒だったのだろう。しかし、なんと長い数秒か・・・
 (受け止める、受け止める、受け止める、受け止める、受け止める、受け止める・・・)
 ミツオはイメージした。体育倉庫の2階から投げ落とされた、丸まったマットを。
 (受け止める、瞬間、膝を曲げる、腰を落とす、背中から倒れる、頭を打たないように、腕も引く、腰を打たないように、勢いを殺す、背中から地面へ、・・・来る・・・来る!)

 「ぬわりゃっ!」

 奇声を上げてミツオは、頭から落ちてきたミウの胴体にしがみつくように、体ごと抱きついた。
 「はうわぁっ!」
 腕の中にミウを抱き込んだまま、膝を曲げ、腰を落としたが・・・あまりの衝撃にタイミングを取りそこなった。
 「ぐふっ・・・」
 背中から地面に叩きつけられるミツオ。自分の頭を丸め込み、最悪の事態はなんとか避ける事が出来た。
 「う・・ぐはっ・・げほっ、げほっ・・・つ・・痛ぇ・・・」
 右肩に激しい痛みを感じるミツオ。
 (ミウは・・・ミウは!?)
 「ミウ!ミウ!」
 ミウの口から血が流れている。ミツオと接触した衝撃で内臓が破裂していた。
 「多田君!大丈夫か!?」
 久保田が息を切らせながら近づいてくる。
 「ミウ!ミウ!」
 懸命に呼びかけるミツオ。
 「ガ・・・ウグ・・・ガハッ・・・」
 血を飛び散らせながら咳をするミウ。
 「フヒュー・・・ヒュー・・・」
 苦しそうな呼吸をしながら、ミウは静かに目を開いた。

 『優シイ人・・・飛ンダ・・・ワタシハ飛ンダ・・・気持チヨカッタ・・・優シイ人・・・アリガトウ・・・』

 ミウの意識。
 そして、ミウの頭はガクっと力をなくした。
 「ミウ・・・飛んだね・・・見ていたよ、ちゃんと、見ていたよ・・・」

 冷たくなってゆくミウの体を、ミツオはぎゅっと抱きしめた。
 後から駆けてきた一ノ瀬は思う。
 (・・・何をやっているんだ、人間てやつは・・・自分の欲を満たす為に、創造し、破壊し、生み出し、そして殺し・・・結局は自分が空しく、悲しくなるんだ。対外経済活性?そんなに金が欲しいのか?羽の付いた犬?そんなもので自分を慰めたいのか?・・・オレも将来・・・金の為に創造と破壊を繰り返していくのか・・・?)
 自分は何の為に知識を溜めていくのだろう?なぜ人間には「好奇心」なる感性が与えられているのだろう?
 18才の青年、一ノ瀬タクミは自分の存在に、いや人間という存在に、理由無き不安を抱き始めていた・・・。

 ミツオに抱かれて、満足そうな表情で息絶えたグリフィン「ミウ」を、久保田は言葉も無くただ見つめていた。

 空には青白い三日月が、冷たく在った。

(完)

 *この物語はフィクションであり、実際の個人、団体等とは一切関係ありません。

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