日記です。ただし不定期ですけれど。。

  「クリスマス」 2001年12月22日

    「クリスマス、どうするの?」なんて聞かれて、「もちろん、予定入ってるよ」と強が
   ってみせたひとが、きっと何百万もいるはず。
    "踏み絵"のような言葉だ。
    「わたし(ぼく)切支丹じゃないから。」と返してみたところで、踏み絵を踏まなくて
   よいわけではない。それは江戸時代と何ら変わっていない。
    そう言ってはみたものの、内心ふたりきりでディナーに行きたいなんて願っているひと
   は、さしずめ「隠れ切支丹」か。
    この場合、殉教を示すのはどんな言葉だろう。
     「残念ながら、ひとりぼっちです」
     「家族と過ごします」
     「来年こそは…」
    こんなところか。
     「ホテルは押さえてあるんだけど…」
    これは大殉教者である。


  「マッチポンプ」 2001年9月17日

    「マッチポンプ」という言葉がある。
    映画「バックドラフト」は、連続放火犯がじつは消防士だったというストーリーである
   が、現実にも、自ら火を放ち、消防団員としてその消火にあたって手柄をあげようとする
   者がいる。こういった行為をマッチポンプという。
    いまそのマッチポンプが大っぴらに、「またも」行なわれようとしている。
    言わずもがな、世界最大にして最強のマッチポンプ、アメリカ政府。
    パレスチナ。
    ボスニア・ヘルツェゴビナ。
    地雷。
    そして、アフガニスタン。
    挙げればきりがない。
    軍事的にも、経済的にも、アメリカが世界ナンバー1であることに疑う余地はない。し
   かし、だからといってそのアメリカの思想・文化こそ至上のものであるとし、経済的発展
   途上にある国に対してそれを押しつけせしめることは、余計なお世話であり、大国の傲慢
   さ以外の何物でもないのだ。
    かつて、他国に日本語の使用を強要した国の子孫として。
    各国各地域には、そこに住む人々の持つ独自の時間軸があるのである。
    自由と民主主義を享受する私達にとって、それはかけがえのない思想ではあるけれども、
   それを選択するか否かは、その国や地域の人々自身が、自身の時間軸の中で決めることな
   のである。
    決してテロを擁護しているのではない。アメリカ政府も、振り上げた拳をどこかに落と
   さなければ国民が納得しないであろう。報復開始は時間の問題だが、それが終わった後、
   テロ防御対策だけでなく、アメリカ政府自身の今までのマッチポンプぶりを考えなおして
   みては、と思うのである。それが一番のテロ対策ではなかろうか。報復のための予算は4
   兆8000億円と聞く。それと同じ額を、パレスチナの貧困救済と和平に使ってみてはど
   うだろうか。


  「夏休み」 2001年8月16日

   もうすぐ夏休みが終わる。
   宿題なんて出された1割くらいしか提出しなかったような気がする。
   それでもまぁ、なんとか生きてるわけで。

   盆を過ぎると、図書館にも宿題に追われたこどもたちが押し寄せる。
   いや、正確には宿題に追われたこどもが「親に引かれて」やって来る。

   わりと裕福な友人と、スーパーの特売でバッタリと会う。
   「どしたのよ?」
   「今日は味噌が安くてね。」
   「お前は?」
   「しょうゆだねぇ。」

   味噌いくら?
   しょうゆいくら?

   私にとっては、これが毎日の宿題である。


  「茶髪」 2001年8月3日

    「茶髪のせいにしよう」と口裏を合わせたという。
    情けないことだが、公組織というのは責任を回避することには一生懸命だ。
    「公は無謬である」という神話。
    その神話を事実化するためには、一部の人間を犠牲にしてもかまわないという精神構造。
   それによってもたらされた薬害や自然破壊などの"神話に書かれないこと"など、挙げれば
   きりがない。
    茶髪という容姿を贄にした今回の事件には、もう呆れるしかない。
    地球温暖化問題でいえば、
    「温暖化の原因の1割は、ハゲの反射熱のせい」
    という質の悪い冗談と同レベルなのである。


  「猛暑」 2001年7月16日

    暑い。
    7月半ばでこの暑さである。8月が思いやられる。
    人間は、耐性や免疫を身につけることができる。人生80年として、零度の冬から35
   度の夏を80回経験することになるのだが、暑さ寒さを超越したという話は残念ながら聞
   いたことがない。もちろんそれは人間だけに限ったことではない。イヌも魚も白クマも同
   じことである。
    人間とは上下40度内にのみ生かされているのだな、とふと考えた。
    むかし理科の実験でビーカーの水をアルコールランプで温め、水温計でその温度上昇を
   記録したことがあった。摂氏50度を超えるのに、ものの数分だったであろうか。
    人間の発明として、夏はクーラーがあり、冬はこたつやストーブがある。
    言い換えるとするならば、クーラーやこたつやストーブがないと存在し得ないとも表現
   できる。
    しかし、クーラーを背負って立つ程度の人間の尊大さは、止まるところを知らないよう
   だ。気象統計によると、この100年間で日本の平均気温は約3度上昇しているらしい。
   こと最近の集中豪雨の多さには、何とも言い難いいやな予感を抱くのだが、某国のように
   世界の警察、もとい石油資本の警察を自認している国の最近のワガママぶりと、それに釘
   をさせない国に溜息をつく方は決して少なくないのではないだろうか。


  「桃栗三年」 2001年7月14日

    時代はブロードバンドなのだそうだ。ADSL、光ファイバーなどなど。いまだアナロ
   グ回線にWin95の私は、確実に"時代"に取り残されつつある。
    職場のパソコン計16台は、3年前に5年リース契約したものだ。あと2年は使わねば
   ならない。Win95で、MMXペンティアム、メモリ32M、ハードディスク2GB。
   もう立派な骨董品といえる。
    しかし「たった」3年でこの変わり様。

    待てよ、私23歳、いま26歳か。

    やはり「されど」3年である。


  「ラジオ」 2001年6月28日

    今日、生まれて初めてラジオ番組に出演した。
    出演といっても、図書館員としておすすめの本を紹介するというもので、時間にすれば
   5分と少しである。
    緊張しまくりどうも上手くまとめられなかった。

    DJの中川(きよみママ)さん、ご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。


  「梅雨2」 2001年6月27日

    今の季節、ぴったりの曲といえば。

     『雨が空から降れば』 作詞:別役 実 作曲:小室 等

      雨が空から降れば オモイデは地面にしみこむ
      雨がシトシト降れば オモイデはシトシトにじむ
      黒いコーモリ傘を差して 街を歩けば
      あの街は 雨の中
      この街も 雨の中
      電信柱もポストもフルサトも雨の中

      しょうがない 雨の日はしょうがない

      公園のベンチでひとり
      オサカナを釣れば
      オサカナもまた 雨の中

      しょうがない 雨の日はしょうがない
      しょうがない 雨の日はしょうがない


    この曲は、別役実さん作の演劇『スパイものがたり』の主題歌としてつくられたもので、
   しっとりとした名曲である。

    替え歌をつくってみた。
     『弾が空から降れば』
     『ヘリが空から降れば』
     『破片が空から降れば』
    以下割愛。


  「梅雨」 2001年6月21日

    梅雨だ。嫌な季節だ。
    豊岡という町はもともと湿地帯で、湿度が極端に高い。
    湿度80%90%などざらである。
    ゆえに、除湿機が欠かせない。
    我が家では2台の除湿機が年中フル回転している。

    しかし居間に除湿機はない。
    1台は寝室兼衣装部屋に。
    1台はギタールーム兼衣装部屋に。

    どうも服やギターのほうが大事らしい。

    身体にキノコが生える日も近い。


  「ヒューマニズム」 2001年6月9日

    大阪の小学生刺殺事件を巡って、メディアを通してさまざまな意見が出されている。犯人
   (まだ「容疑者」ではあるが)の為した犯罪には弁明の余地もなく、その凶行には怒りを通
   り越して憎悪の念さえ湧く。
    しかし−
    「犯人は人間ではない 獣以下だ」「警察はなぜその場で銃殺しなかったのか」「奴に人
   権などない」「加害者の人権をいう奴は犯人と同じ異常者だ」「八つ裂きにしてしまえ」
   「精神異常者は危険である 隔離するべきだ」「犯人の家族出て来い」

    友部正人さんに『乾杯』という唄がある。

     〜 電気屋の前に30人ぐらいの人だかり 割り込んで僕もその中に
       「連合赤軍5人逮捕 泰子さんは無事救出されました」
       金メダルでも取ったかのようなアナウンサー
       「かわいそうに」と誰かが言い
       「殺してしまえ」とまた誰か
       やり場のなかったヒューマニズムが いまやっと電気屋の店先で花開く

       一杯飲もうかと思っていつもの焼鳥屋に するとそこでもまた
       店の人達 ニュースに気を取られていて注文も取りに来ない
       お人好しの酔っぱらい こういう時に限ってしらふだ
       ついさっき駅で腹を押さえて倒れていた労務者には 触ろうともしなかったくせに
       泰子さんにだけは触りたいらしい

       ニュースが長かった2月28日を閉めくくろうとしている
       「死んだ警官がかわいそうです 犯人は人間じゃありません」って
       でも僕思うんだ 
       奴ら ニュース解説者みたいにやたらに情にもろくなくて良かったって
       どうして言えるんだ 奴らが凶暴だって
       新聞は薄汚い涙を高く積み上げ 今じゃ正義の立て役者
       見出しだけでもっている週刊誌 もっとでっかい活字はないものかと頭を抱えている
       整列した機動隊員 胸に花を飾り猥褻な賛美歌を口ずさむ
       裁判官は両足を椅子に跨がせ 今夜も法律の避妊手術
       巻き返しを狙う評論家達 明日の朝が勝負だとどこもかしこも電話は鳴りっ放し

       結局その日の終わり 取り残されたのはいつもの僕達
       乾杯! 取り残された僕達に
       乾杯! 忘れてしまうしかないその日の終わりに
       乾杯! 身元引受人のない僕の悲しみに
       乾杯! 今度会った時にはもっともっと 凶暴でありますように 〜


    人を「異常」であるということは、自己は「正常」であるというよほどの信念があるらし
   い。その割に、「あなた変わった方ですね」「君は常人離れした考え方してるね」という言
   葉には嬉々としている。
    ネット上でもある。「ボクちょっと変らしい」
    それも誇ったように。
    あいつより優れている、あいつよりいい大学、あの家よりマシ…
    全方位序列的に捉えなければ自己の存在を確認できない、その思考から生み出された「正
   義」や「ヒューマニズム」。

    犯人の家族が差別されることも「正義」なのか。
    加害者の家族が多く自殺しているが、それは「しょうがない」のか。
    人を殴り殺した者は叩き殺され、車で人を轢死させた者は轢き殺し、刺殺した者は市中引
   き回しの上めった刺しにされて「当然」なのか。
    今回のような事件を起こす可能性のある「精神異常者」は社会からオミットされて「当た
   り前」なのか。

    ハンセン病問題で、国会が国会の不作為を認める決議をしたことには拍手するが、自らの
   内なる差別心にはついぞ目を向けることのない人々の「ヒューマニズム」とは、なるほど
   "立派"なものである。


  「裏」 2001年6月6日

    兵庫県では、県下の中学校2年生全員が一週間、地域のお店や工場、公共機関等に体験入
   社する「トライやるウィーク」という事業を行っている。4日の月曜日から、図書館にも8
   名の中学生がやってきて、カウンターに立ったり、本の修理や配架をしたりしてがんばって
   いる。
    同じ4日の夜、市民会館の文化ホールで玉置浩二のコンサートがあった。私は毎度のこと
   ながら、裏方として準備・案内・片付けに参加した。コンサートは超満員。ダブルアンコー
   ルを玉置浩二が弾き語りで5曲もこなすなど、ファンにとってはたまらない1日となったで
   あろう。裏方はまた違った意味でたまらないのであるが。機材運搬・受付けのボランティア
   を快く引き受けてくれたTくんたち、本当にありがとうね。それにしても持ってきていたギ
   ターの本数が半端ではなかった。今まで手伝ったコンサートの中でも最多だったと思う。
    図書館の仕事や、コンサートの裏方に共通すること、それは"見えない部分の大切さ"では
   なかろうか。図書館のカウンターには、通常数名の職員がいて、本の貸出や返却を行ってい
   る。しかしカウンター裏に一歩入れば、装備や受入、発注など、やらなければいけないこと
   が山のようにある。しかしこれはあくまで「裏の部分」なのだ。コンサートでも、舞台の上
   の輝くアーティストを支えているのは、数十名にのぼるスタッフなのである。
    それら「裏の部分」に光をあててほしい、と言いたいのではない。むしろそれらは「見え
   ない部分」なのではなく「見えてはいけない部分」なのだ。図書館であれば、気持ち良く利
   用してもらうため。コンサートであれば満足して帰ってもらうため。

    仕事の醍醐味って、「表の華やかさ」じゃなく、「裏方の自負」だと思いますよ?中学生
   のみんな。無理な光を求める社長さんとかだとシンドイでしょうけどね(笑)


  「骨」 2001年5月6日

    先日、生まれて初めて「田植え」を経験した。
    妻の実家の田植えを手伝ったのだが、田植え機「マイレディ号」を操る義父のそばで、1
   0センチほどに育った稲の苗を補充したり、「マイレディ号」の付けた轍をトンボで均した
   り…と、早い話が大して役に立たなかったということである。
    しかしこの田植えを、数十年前まではすべて手作業でやっていたのかと思うと、全く頭が
   下がる。私は田植えしか手伝わなかったが、田んぼの土を起こす「田起こし」、タネを蒔い
   て苗を育て、田んぼに水を引いて均す、などなど、今はその多くが機械を用いてできるとは
   言っても、やらなければならない作業は山のようにある。それらをすべて手作業と牛一頭で
   こなしていたのだ。
    祖父の代までは、私の家も農家だった。米づくりだけではなく、炭焼きもやっていたらし
   い。そのころ鍛えられたのか、私の祖父はめっぽう頑丈だった。70歳過ぎまで冬場は酒造
   会社に出稼ぎに行っていたし、私が高校生のときだったか、昼間の突然の雨で傘がないとこ
   ろに、わざわざ遠い学校まで歩いて傘を持ってきてくれたりした。優しい、そして逞しい人
   だった。
    そんな頑丈を誇った祖父が、ガンで亡くなってもう3年半になる。
    祖父が火葬場で灰になったとき、脚の骨がまるで強くいこって真っ白になった木炭のよう
   に、きれいにその原形をとどめていた。火葬場の方が「丈夫だったんですね」と言っていた
   のを思い出す。
    たった1日の田植え、しかも大して役に立っていないのにすぐ疲れが出る私。サプリメン
   トでカルシウムを補給する人たち。きっと火葬場でみじめな姿をさらすのだろう。


  2001年5月6日 記す

    日記には、苦痛だった思い出しか持ち合わせていない。小学生のときの絵日記、中学生の
   ときの生活ノート・・・。
    生来の横着者である私が、このようなコーナーをつくること自体無謀なことである。その
   うち、更新しないまま放置されることになるかもしれないが、でき得る限り続けていきたい
   と思う。