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日記です。ただし不定期ですけれど。。
「ちゃばん」 2002年11月6日
「うたばん」という番組を見ていて思う。
これは音楽番組などではなく、単なるトーク番組であり、
そしてトーク番組として見ると、とても面白い番組だと思うのだ。
それにしても、音楽業界。
MP3やCD−Rの普及でCDが売れない、などと言う前に、
もっと「買いたい」と思うCDを出して欲しいものだ。
「うたばん」や「HEY!×3」に出ていたが、
藤木某だの、サカノウエ某だの、ちょっとひどすぎないか?
あの学生バンド並の音楽が、販路に乗り、
ゴールデンタイムに堂々と流れることに、
怒りを越えて哀れを感じてしまうのは私だけだろうか。
「雑感」 2002年8月9日
ひさびさの日記更新。
この間、世の中にも周囲にも、いろいろな事件が起こり、またいろいろなことを考えさ
せられた。
8月といえば広島・長崎原爆忌、終戦記念日である。しかし"平和"という言葉の重みが
何と軽くなったことか。記念番組を放送するのは今やNHKくらいである。平和なんて、
言葉に出すだけで「生ぬるい奴」と罵られることうけあい。
私の周りや、毎年十数人いる新人さんと話をしていて感じるのだが、若いくせに全く反
骨心のない人が多くていささか残念。先日「何でサービス残業するの?」と問うたところ、
「勤務評定に響く(出世が遅れる)から。」と返され閉口した。素直な人間なのは良いこ
とだが、行き過ぎるとただのおバカである。
いや、40過ぎのおっさんおばさんがそれを言うのは別に何とも思わないのよ。
こういう人は、裏で上司に「ご注進!ご注進!」と告げ口したりして点数あげてるんだ
ろうなぁ、きっと。友達だと思ってる私がただのおバカなのだろうか。だいたい、評価さ
れることを望むなら仕事の中身で勝負しなさいよ。「私はサービス残業をこれだけやって
ます!」だって。
ボスに尻を貸す猿と同じだってことに気づこうね。
「むなしい」 2002年4月24日
むなしくなる瞬間。
さっき買ったソフトクリームを落っことしたとき。
というのは誰でも一度は経験したことがあるんじゃないでしょうか。
仕事でもむなしくなる瞬間ってありますよね。
「きいてないよ〜」ってのが重なったときとか。
何のために仕事してるんだろう…なんて考えちゃったりしませんか?
最近一番むなしかったのは、
事故した車に成田山のお守りがぶらさがってたのを見たときですかねえ。
みなさんはどうですか?
「磯鵯」 2002年3月23日
ここ何日か、風の強い日が続いている。
春一番かと思ったが、どうやら気温が足らないらしい。
加えて、今年は黄砂がひどい。おかげで車はドロドロである。
中国大陸の黄河流域から、わざわざ砂が飛んでくる、凄まじい風の力。
どんどん工業化する中国から、砂といっしょに酸性雨もやってきているのかと思うと複
雑だが、同じように東京湾の河口から行き着く先はペルー沖、なんてこともあるわけで、
あの国が悪い、では解決しない問題なのだと改めて思う。
最近、職場のとなりにある小学校の花壇に、磯鵯(イソヒヨドリ)がやってくる。それ
が、決まって12時なのだ。2階の窓から覗くと、12時にやってきてエサを啄み、13
時前になるとどこかへ行ってしまう。ちゃんと時計を持っているんだな、と感心。いつも
見ていると、愛着が湧いてくるものである。たまに姿のない日があると、何かあったのか
なと心配になる。晴れた日などは、青い羽根が映えてとても美しく、また愛嬌たっぷりな
ところも憎めない。
時計がないと不便だが、僕は極力見ないようにしている。太陽が傾いて薄暗くなってき
たので、だいたい5時頃かな、と、こんな調子である。それでも意外とやっていけたりす
るのだ。腕時計なんて生まれてから付けた記憶がない。受験のときに使ったくらいだろう
か。磯鵯が決まってお昼を食べに来るように、鶏が毎朝コケコッコーと鳴くように、動物
には時を知る能力があるはずなのだ。
しかし、デートに遅れて「体内時計が狂っちゃってねえ」では通らないのが、世の常で
あるが。
←イソヒヨドリ
「年頭の・・・」 2002年1月19日
遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
というほど更新していませんね…
よくあるあいさつの中で、
「この激動の時代うんぬん」という言葉があります。
「この安定した時代」などという表現は聞いたことがありません。
先日、職場で古い本を整理していると、1973年出版の経済書に出会いました。帯に
「この激動の時代を生き抜くサラリーマン必読の書!!」とあります。いま書店に行って
も、この類の表現をした本はたくさんありますよね。
これを見る限り、少なくとも30年、日本は激動の時代だったようです。しかしおそら
く、朝鮮戦争特需だ、神武景気だ、所得倍増だ、高度経経済成長だ、列島改造だ、安保闘
争だ、えとせとらえとせとら、ずっと「激動の時代」という表現はあったのでしょう。
さて、がらっと世の中は変わったでしょうか。
何が「激動」したのでしょうか。
確かに、物は豊かになりました。
田舎から「金の卵」として集団就職列車に乗って都会に働きに。馬車馬のように働いて、
エコノミックアニマルと揶揄されながらも、高度成長を支えてきた結果、ここまでの経済
的繁栄を築いたのでしょう。
前へ前へ、上へ上へ。
もっとお金がほしい、もっと物を持ちたい。
そういう向上心、悪く言えば貪欲さ。
しかし、これだけ物が豊かになったにもかかわらず、「激動」という表現はなくなりま
せん。
私には、「激動」という文字が鞭のように見えてならないのです。
「もっと自分を変えないと、これから生き抜いていけませんよ。」
「今のままの自分でいいのですか?あなたの価値はそんなものじゃないよ。」
これはファミレスでたまに聞く、マルチまがい商法の勧誘の言葉ですが、「激動」本の
中にも、同様の表現が並んでいます。
私は、そろそろ、振り返る余裕が必要なのではないかと思うのです。不況不況といいま
すが、好況とはどの程度を指すのでしょうか。ジュリアナ東京で扇子片手に乱舞していた
時を頂点とするのであれば、私はごめんこうむりたい。
長々と書きましたが、私の今年の目標は
「ほどほどに」。
今年だけでなく、ずっと「ほどほどに」。