本名マーシャル・ブルース・メイザーズ三世。
カンザス・シティに生まれ、家庭の事情で何度も転校を繰り返し友達を作るのもままならず、母親からも愛情を受けることがなかった彼にとって、唯一の心の拠りどころはヒップホップだった。
デトロイトに落ち着いてからは、さまざまなアルバイトをしながら、そのかたわらライムを綴り続け、ダーティ・ダズンというラップ・チームを結成。96年に地元のレーベルからデビュー・アルバム『Infinite』をリリースするが、周りの友達を喜ばせるにとどまる。
ところが、元NWAのドクター・ドレーがこのアルバムを一聴して気に入り、プロデュースを申し出て、99年にアルバム『スリム・シェイディ』を発表。アメリカが抱えているさまざまな病巣、見境ない暴力や貧困、ドラッグ、セックスなどを笑い飛ばしながらも、怒りに燃えたライムで刻む様が、パンクやオルタナティヴに狂っていたティーンエイジャーから絶大な支持を得る。
そして、シングル「My name is……」が巨大アリーナで合唱され、アルバムは300万枚以上のセールスを樹立、爆発的なポピュラリティを手にした。
02年5月には待望の3rdアルバム『ザ・エミネム・ショウ』をリリース。発売1週目の総売上を待たずしてビルボード・チャートのトップを制するという、驚異的な記録を打ち立てた。
12歳の時までカンザス・シティとデトロイトを母親と共に2,3ヶ月ごとに転々としていたため、友達もできず、トラブルの絶えない生活を送る。「唯一の安らぎがラップだった」というエミネムが繰り出すそのライムには幼少の頃からの環境/リアルな経験が刷り込まれている。結果的に過激に響くそのライムは類まれなる世界観を生み、米英の若者達の強烈な支持をつかんだ。
ライムばかりでなく、マシンガン級速さのスキル、フリースタイルもズバ抜けたセンスを持つエミネム。あるラジオ番組でエミネムのフリースタイルを耳にした西海岸のドン=ドクター・ドレーが惚れ込み、自身のレーベル「アフターマス」と契約。
ドレー、バック・アップのもとポップス・チャート初登場2位を記録した衝撃のデビュー作『スリム・シェイディLP』を99年にリリース。そのアルバムからは「マイ・ネーム・イズ」というグラミー受賞曲も生まれる。
1stアルバムから1年というスピードでリリースしたセカンド『ザ・マーシャル・マザーズLP』は、1週目セールスが176万枚を突破、ソロ・アーティストとしての1週目売上げ記録1位を樹立、初登場以降、8週連続全米1位を達成。その後、彼を取り巻く世界は暴力事件、裁判、離婚、とスキャンダル性を増しながらも、ヒップホップ有史以来最強のツアーと絶賛されたドクター・ドレー、スヌープ・ドッグらとの"アップ・イン・スモーク"、続いてリンプ・ビズキットらとの"アンガー・マネージメント・ツアー"でその圧倒的なパフォーマンスをし続け、'01年2月に行われたグラミー賞では3部門の受賞と共に"スリム・シェイディ"というエミネム・ワールドにおいてターゲットにしていたゲイであることをカミング・アウトしていたエルトン・ジョンとのデュエットを実現し、度肝を抜かせた。
そして6月彼の夢のプロジェクト、地元デトロイトとの仲間を呼び寄せて組んだヒップホップ・グループD12(ディー・トゥエルブ)のデビュー・アルバム『デヴィルズ・ナイト』を完成させ、"フジ・ロック・フェスティバル'01"で待望の初来日パフォーマンスを果たす。
2002年はソロ3作目のリリース、そして自伝的映画への主演と、その創作の源は溢れることを止まない。
★エミネムakaスリム・シェイディ
(本名マーシャル・マザーズV)
・1972年10月17日生まれ
・お気に入りの刑務所服役死者/オーヴァードーズ
・アーティスト:2パック
・カンザス・シティ デトロイト