AC/DC BIOGRAPHY

AC/DCって?

AC/DC!!!!!


<<MEMBER>>

アンガス・ヤング

ANGUS YOUNG
<LEAD GUITAR>
生年月日:1955年3月31日
本名:Angus McKinnon Young
生誕地:スコットランド・グラスゴー
在籍:1973年から現在

マルコム・ヤング


MALCOLM YOUNG
<RHYTHM GUITAR>
生年月日:1953年1月6日
生誕地:スコットランド・グラスゴー
在籍:1973年から現在

ボン・スコット

BON SCOTT
<VOCALS>
生年月日:1946年7月9日
命日:1980年2月19日
生誕地:スコットランド・Kirriemuir
本名:Ronald Belford Scott
在籍:1974年から1980年

ブライアン・ジョンソン

BRIAN JOHNSON
<VOCALS>
生年月日:1947年10月5日
生誕地:イギリス・ニューカッスル
在籍:1980年から現在

クリフ・ウィリアムズ

CLIFF WILLIAMS
<BASS GUITAR>
生年月日:1949年12月14日
生誕地:イギリス
在籍:1977年から現在

フィル・ラッド

PHIL RUDD
<DRUMS>
生年月日:1954年5月19日
生誕地:オーストラリア・メルボルン
在籍:1975年から1983年,1995年から現在

サイモン・ライト

SIMON WRIGHT
<DRUMS>
生年月日:1963年6月19日
生誕地:イギリス
在籍:1985年から1989年

クリス・スェード

CHRIS SLADE
<DRUMS>
生年月日:1946年10月30日
生誕地:ウェールズ
在籍:1989年から1994年

<<WORKS>>

DISCOGRAPHYTBON SCOTT
1976『HIGH VOLTAGE』 200万枚
1976『DIRTY DEEDS DONE DIRT CHEAP』 600万枚
1977『LET THERE BE ROCK』 200万枚
1978『POWERAGE』 100万枚
1979『HIGHWAY TO HELL』 600万枚

DISCOGRAPHYUBRIAN JOHNSON
1980『BACK IN BLACK』 1900万枚
1981『FOR THOSE ABOUT TO ROCK(WE SALUTE YOU)』 400万枚
1983『FLICK OF THE SWITCH』 100万枚
1985『FLY ON THE WALL』 100万枚
1988『BLOW UP YOUR VIDEO』 100万枚
1990『THE RAZORS EDGE』 400万枚
1995『BALLBREAKER』 200万枚
2000『STIFF UPPER LIP』 100万枚

DISCOGRAPHYVLIVE&OTHERS
1978『IF YOU BLOOD YOU'VE GOT IT』 100万枚
1984『'74JAILBREAK』 100万枚
1986『WHO MADE WHO』 500万枚
1992『LIVE』 300万枚
1997『BON FIRE』(BOX SET) -
2001『STIFF UPPER LIP WORLD TOUR CD』 -

VIDEOS
1985『LET THERE BE ROCK』(Video)
1985『FLY ON THE WALL』(Video)
1986『WHO MADE WHO』(Video)
1991『CLIPPED』(Video、LaserDisc)
1992『LIVE AT DONINGTON』(Video、LaserDisc)
1993『FOR THOSE ABOUT TO ROCK』(Video)
1996『NO BULL』(Video、DVD、LaserDisc)
2001『STIFF UPPER LIP-LIVE』(Video、DVD)

※上記のアルバムは国内盤として発売されたものです。
※アルバム売上数は、"RIAA"(全米レコード協会)が2001年2月に発表したものです。よって、アメリカ国内での売上数という事になります。


<<BAND NAME>>
  "AC/DC"とは、"Alternating Current/Direct Current"の略で、日本語に直訳すると「交流と直流」という意味です。ただ単に電流のことを示すだけでなく、非常に性的な意味のある言葉でもあるらしいです。
  ヤング兄弟の姉であるマーガレットが、家の掃除機の裏側にあった"AC/DC"という文字に目を付け、アンガスとマルコムが"AC/DC"という言葉が持つパワフルでエレクトリックな響きを気に入り、そのままバンド名に決めたようです。

<<SOUND>>

  「SIMPLE IS BEST」それがAC/DCを表す最良の一言でしょう。

  AC/DCは20数年間の歴史の中で、ただひたすら自分達のやりたいこと=できることを徹底的に貫いてきました。それは、シンプルな、リフ主体のR&R。
  身も心もR&Rに捧げ、自分達に忠実に、そしてファンには誠実に、何事にも揺らがない鋼鉄の信念でAC/DCのサウンドは形作られています。
  AC/DCは、時代がダンスミュージックに流されようと、ダークな音楽に覆われようと、ポジティブでいつでも僕達に勇気を与えてくれる音楽を届けてくれます。

  堅実なリズム隊とマルコム・ヤングの職人技のリフの上を、アンガス・ヤングの奔放でエネルギッシュなギターが走る。そこに、ボン・スコットのしゃがれ声とブライアン・ジョンソンの金切り声を乗せると、AC/DCサウンドの出来上がりです。

  難しいことは何もありません。そこには、シンプルなサウンドがあるだけです。ただ、このサウンドにノレるか、ノレないのか。AC/DCのサウンドに心地良さを感じられたなら、もう言葉はいらないでしょう。レコードの針を落とせば、CDをトレーに乗せれば、そこにはいつでも変わらないAC/DCがいるのだから・・・。

<<BIOGRAPHY>>

  AC/DCは、オーストラリア人の兄マルコム<g>と弟アンガス<g>のヤング兄弟によって'73年シドニーで結成され、同じくオーストラリア人のマーク・エヴァンス<b>とフィル・ラッド<ds>、そしてスコットランドからの移住者ボン・スコット<vo>で布陣を固め、'75年にオーストラリア国内のみの発売『HIGH VOLTAGE』でデビューを飾った。そして、同じくオーストラリア国内のみで2nd『T.N.T.』を'75年にリリースした。
  '76年には、旺盛なライブ活動でオーストラリアにて支持を得たAC/DCは、オーストラリアのみの発売であった『HIGH VOLTAGE』と『T.N.T.』の2枚から選曲した編集盤『HIGH VOLTAGE』をもって、英米デビューを果たした。この年のイギリスとヨーロッパのツアーにより、AC/DCの名は瞬く間にシーンに浸透した。
  そして、'76年リリースの3rd『DERTY DEEDS DONE DIRT CHEAP』をはさみ、いよいよ'77年に4作目『LET THERE BE ROCK』が初めて世界で同時にリリースされた。やはりここでも、ライブ活動による成果で、アルバムはイギリスではチャート20位内に飛び込んだ。
  AC/DCは休む間もなくイギリスからヨーロッパにかけてツアーを敢行したが、'77年夏に疲労からマーク・エヴァンス<b>が脱退してしまう。ただちにバンドは、イギリス人のクリフ・ウィリアムズを迎え、初の全米ツアーを行った。その後、新ラインナップで'78年『POWERAGE』を完成させた。
  '78年秋には、ヨーロッパでのヘッドライナー・ツアーの模様を収めた初のライブ盤『IF YOU WANT BLOOD...YOU'VE GOT IT』をリリースした。そして、続く'79年発売の『HIGHWAY TO HELL』では、全英でトップ10、全米ではトップ20入りを果たし、初めてのミリオン・セラーを手にした。

  しかし、世界的な大成功を収めた'79年のワールド・ツアーを終えた直後、'80年2月19日、<vo>のボン・スコットが、アルコールの過剰摂取のあげくの嘔吐物による窒息死により急死してしまう。その悲しみを振り払うかのように、AC/DCはすぐさま元ジョーディのブライアン・ジョンソンを新しいヴォーカルに迎え、'80年に『BACK IN BLACK』を完成させた。ボン・スッコットの追悼作を感じさせる真っ黒なジャケットだが、飲酒を賛美するかのような曲も収録され、AC/DCらしくノリの良いアルバムに仕上がっている。そして、全英1位、全米4位の過去最高の800万枚(当時)の大ヒットを記録した。
  『BACK IN BLACK』の大ヒットを受け、'81年には旧作の『DERTY DEEDS DONE DIRT CHEAP』が全世界で発売され、全米3位を記録した。その余波を受け日本でも人気が上昇してきた'81年2月にAC/DCは初の来日を果たした。東京、大阪、名古屋の全4会場でライブが行われた。
  そして、'81年11月に発売された『FOR THOSE ABOUT TO ROCK(WE SALUTE YOU)』は、とうとうAC/DC初になる全米1位を獲得する。この時期、AC/DC人気が爆発する一方で、"悪魔崇拝バンド"として地域によっては放送禁止などのバッシングを受けることもあった。もちろん、そのような不当なバッシングに屈するAC/DCではなく、アメリカでの人気は過熱し根強いファンを増やしていくことになる。
  '82年6月には、早くも2度目の来日を東京の日本武道館をはじめ、大阪、京都、名古屋で行った。ここから再来日までに19年もの月日を待たねばならないと誰が予想したであろうか・・・。
  日本公演を含む'81年末から'82年にかけて過去最大規模のワールド・ツアーを終えたAC/DCは、'83年に『FLICK OF THE SWITCH』を完成させる。その直後、フィル・ラッド<ds>が脱退してしまうが、元タイタンのサイモン・ライトを後任に起用した。そして、いままでになく長い時間を経て'85年に『FLY ON THE WALL』を、'86年にはモダン・ホラーの第一人者スティーブン・キング原作・監督の映画「マキシマム・オーヴァードライブ」のサントラ盤『WHO MADE WHO』をリリースした。
  一時の勢いを失ったかのような、なにも情報が流れない'86年の後半から'87年の1年間の沈黙を破り、'88年に、テレビ画面を突き破ってアンガスが飛び出すジャケットの『BLOW UP YOUR VIDEO』がリリースされた。何作か続いたミドル・ナンバー中心の重厚なスタイルから、軽快にノレるシンプルなR&Rナンバーを中心にしたアルバムに仕上げ、久々に全米12位、全英2位とヒットした。
  しかし、バンド復調の予感を感じさせた矢先、'88年のツアー途中でマルコムが内臓疾患で倒れてしまい、長いオフに入らざるを得なくなってしまった。また、制作途中にサイモン・ライト<ds>が脱退し、新たにクリス・スレイドを迎えたりと、新作の完成に時間を費やした。だが、'90年に完成した『THE RAZORS EDGE』は、新たなAC/DCの魅力を提示した重要な作品となった。多様化を極めたロック・シーンに、やはりAC/DCのようなシンプルなR&Rナンバーを演奏するバンドが求められたのか、チャートでも全米2位、全英4位と大ヒットした。
  '92年には、AC/DCの集大成的な新旧の代表作を収録したライブ・アルバム『LIVE』をリリースし、今も昔もAC/DCはライブ・バンドであることを見せつけた。
  '95年、さすがのAC/DCにも引退の噂がささやかれる中、全盛期のメンバーであるフィル・ラッド<ds>が復活し制作された『BALLBREAKER』をリリース。存在をアピールするかのように、アルバムを堂々の全米4位に送り込む。

  そして、2000年を迎え、AC/DC健在をしめす最新作『STIFF UPPER LIP』を発表した。

  2001年2月冬。遂に、遂に、AC/DCの来日が決定した!くしくも、ボン・スコットの命日にあたる2月19日から始まる、19年振りとなる来日公演で、AC/DCは必ずや期待にそぐわね、いや、期待以上のライブ・パフォーマンスをぶちかましてくれるだろう。新たなる伝説が歴史に刻まれ、そして、僕達は歴史の目撃者になることができるのだ。
  とうとう、長年抱き続けた夢が叶う時が訪れた・・・。


  ・・・2000年2月19日19:10。大歓声の中、AC/DCのメンバー5人が横浜アリーナのステージに登場した。本物のロックン・ロールを、長年待ちつづけた日本のファンに叩きつけ、続く2月20日横浜アリーナ、2月22日大阪城ホールと全3公演となる3度目の来日公演を熱狂の中行った。ライブを体験した日本のファンの心の中で"AC/DC"の存在をさらに大きくさせた後、AC/DCのライブ・サーキットは続いていく・・・。


2000/05/25・12/06
2001/03/31・11/16