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アメリカ第三の標的イランに行ってきたよひとり旅 2002〜2003

エマーム広場はとても美しく、のんびりとした雰囲気がとてもよかったです。絵葉書より。
旅程)日付をクリックすると旅行記へとびます。

12/23
成田→テヘラン

12/24
テヘラン→ケルマン

12/25
ケルマン〜バム

12/26
ケルマン→テヘラン

12/27
テヘラン→イスファハン

12/28
イスファハン

12/29
イスファハン

12/30
イスファハン→シラーズ

12/31
ぺルセオポリスと周辺遺跡群〜シラーズ

1/1
シラーズ→テヘラン→成田

1/2
成田着


●旅行の経緯
俺は以前からイランを行きたい国のひとつとして考えていて、日に日に行きたいと思うマインドが強くなったため、2001年の夏あたりから、行けるだけの金のメドがたつその年の冬休みに行く具体的な計画を立て始めていた。ところが、その年の9月にアメリカで起こったテロ事件で、犯人扱いされたのがイスラム過激派のヤツで、そいつが潜んでいるのがイランと国境を接するアフガンで、テロの報復をするためにアメリカが強権をふるって乗り込んだこれまたイランの隣国パキスタンでは過激なデモが起こったり、さらにアフガン・パキスタンとは逆の方角でイランと国境を接するイラクにもアメリカに対して挑戦的な声明を発し、そのすぐ先ではイスラエルが状況に便乗したパレスチナ自治区爆撃を始めたり、とイスラム諸国が一気に緊張の度合いを深め、地理や民族的な理由からこの時期にイランを旅行することはとてもリスクが大きい、と感じるようになった。

テロ自体、非常に悲しい出来事であったのは確かだ。NYは俺自身、2年前に新年を祝った想い出の地であり、飛行機がつっこんだWTCのありし日の堂々たる風格も記憶に残っている。アメリカに対しては、なんでもリーダーシップをとりたがり、我こそ正義でありナンバーワンだ、と思いこんでいるところは好ましく思わないものの、そういう所以たる力を確かに持っていた国で、その国の象徴たるものがいとも簡単に、そして無惨に破壊されたことは、アメリカ国民でもない俺の心にも暗い陰を落とした。

そして旅客機がハイジャックされ激突する、というテロの手段は、ショッキングすぎた。あれで飛行機に乗ること自体が恐怖になり、アメリカ以外でも、航空・旅行業界が多大な打撃を被った。従来よくあった爆弾テロなら、アメリカ旅行はともかく、全世界の旅行にこれほど影響が出ただろうか。

しかし、長年夢見て、一度行くと決断した国への旅行をそう易々と諦めることは俺にはできなかった。このまま引き下がるのではなく、”行ける”と思えるに十分な情報がほしい、と思った。とまあ、安全確認をしたわけだ。いくら行きたくても命がけでは旅したくないからね。そこで旅行会社に問い合わせたり、本やインターネットで、テロ以前に増して、情報収集に奔走した。そうして得る情報は、イランに行きたいと思う気持ちに拍車をかけるものでしかなかった。

そして、イランが戦争をしているわけでもなく、また、戦争に加担もしていない。隣でドンパチやってるだけってとこだな。

イランに行けない理由などなかった。10月に入り、イラン行きの往復航空券の予約を入れた。

しかし、もともとイランに旅行したいっていうだけで変わりもん扱いされたが、この時期にこの場所へ行くということには、各方面から多くのネガティブなご意見・ご感想を浴びせかけられました。しかし反対する彼らはイスラム国家=イスラム原理主義=過激派=テロ集団と大きな勘違いをしている大バカどもばかりであったため、そんな奴らの言うことなんぞ真面目に聞いてられる訳がない。そいつらの頭んなかはアフガンもイランもなんでもイスラム諸国なら全部いっしょなんだろうよ。でもさ、ずっとそんな認識だったら、たまにある、変な日本語しゃべる日本人や明らかに時代錯誤的な描かれ方の日本が出てくる欧米映画やそれを納得してみている欧米人を批判したり反論したりできないぜ。テレビで煽られるだけ煽られて、自分で考え判断して行こうと思っている人に知ったような口でべらべらまくし立てる日本人に何言ってもダメっす。アフガン・パキスタン・イラン・イラクが世界地図でどこに位置するかも知らんくせして。

俺は、危険を冒しに行くつもりは毛頭ない。何かあったら運が悪かっただけ。熱海に旅行行ったって、絶対怪我しないとか、絶対死なない保証なんてないでしょ。それといっしょで。それに、アメリカ人はともかく、実害のない日本人が、なんで?一応外務省の安全情報で危険度2以上になったらツアー中止になるんだけど、何をもって2?って国あるよ(アフガン空爆直後のイランもそう)。だいたい、公金横領とか不祥事ばっかやってる外務省の情報よ。普段は汚職!とかいって批判してる相手が出した情報にホイホイ従うなんて、バカでしょ。家にこもってコタツでみかんでも食ってろ、っての。

・・・とまあ、意気込んでいたのだが、なんと12月に入ったとたんに大病にかかり(※この歳で水疱瘡にかかりました・・)泣く泣くキャンセル。あほか、と。会社も12月はほとんど行かなかったのです。
そして、翌年5月、カンボジア・プノンペンで赤痢感染、帰国後即入院という失態を犯し、またもや家族や会社に迷惑を及ぼす。おかげで家族から海外旅行禁止令が下された。会社からも強制ではないが先進国以外は行くな、というようなお達しがあった。だが家族からの命令は徐々に緩和してきて”先進国ならいい”ってことになり8月はとりあえずアメリカに行き、年末年始は姉が住みはじめたオーストラリアに行く予定にしていた。

しかしイランに行くことを完全に諦めていたわけでなく、実はタイミングを虎視眈々と狙ってはいた。だが2002年も中東情勢は慌ただしく、イスラエル・パレスチナ間の争いは一向に治まる気配はなくテロと報復の繰り返しが続き、イランの東隣のアフガンは段々と落ち着きはみせてきたものの、今度は西隣のイラクがアメリカと一触即発状態だ。昨年同様、到底周囲に理解されるはずはなく、また、数々の失態を犯してしまったため、今回はなんとも強行姿勢をとりづらいのだ。

そんなとき、たまたま起こったオーストラリア人を狙ったとみられるバリ島テロ事件をなかばオーストラリアへ行かない口実にし、さらには今先進国はアルカーイダに狙われているから先進国を旅行することは危険だ、逆にイスラムの国のほうが安全だ、とかいろいろ言って、やっぱりイランに行くことにした、と家族にまず伝える。もちろん最初は反対されたが、徐々に「自分で判断したんなら行けば」と、いつもながら納得はしてないだろうが一応理解してくれはした。そんなこんなでちょっと遅れたが11月に航空券を手配、12月に入ってビザもゲットした。

しかし会社にはもちろん内緒。「今度はどこ行くんだ?」と会社のおじさんには聞かれたが「オーストラリア・・が候補のひとつです」とウソのようなウソでないようなことを言っておいて、出国した後に本当の渡航先が書かれた「旅行届」が提出されるようにしておきました。だって会社のおじさんたちに「イランに行く」なんて事前に伝えていたら厳しめの営業目標とか叩きつけられて、イランに行くならクリアしてから行け、とかあーでもないこーでもないといろいろうるさそうなんで・・。ちなみに昨年行こうとしていたときも同様の手段をとる予定でした。

しかし、その国自体が反日国であり隣があの北朝鮮である韓国とか、対イラクのために米軍が集結しまくっているトルコなんかには平気で押し寄せるくせして、両隣がドタバタしているもののその国自体は平穏であるイランへ行くってことはどうして理解されないんだろうねぇ。アフガン問題もイラク問題でもイランはアメリカに基地だけでなく領空すら使用を許可せず、といってあおりをくうような可能性もないんだけどなー。確かにアメリカにはイラクや北朝鮮と同じ扱いされているけど、あのイスラム革命やどうしてもアメリカに屈しない姿勢を根に持っているとしか思えない。その二国に比べたら生活水準は比べるまでもなく高いし、普通に旅行できるまともな国なんだからさ。