"パーフェクトサークル"とは"完全な輪"="閉ざされた街"つまりセルビア人勢力によって包囲された紛争中のサラエボのことをいう。
紛争中にサラエボで撮影された傑作映画のタイトルを引用した。

見よ!この美しい街こそ、サラエボだ!
"ベルリンの壁やソビエト連邦が崩壊して東西冷戦が消滅した"というのは日本にとっては"自由への解放"のごとくよい事件として伝えられたのだが、どうやらいいことばかりでなかったようだ。強大な社会主義国の崩壊は、世界各地で民族主義を誘発させ、今回訪れたボスニア・ヘルツェゴビナが位置していた多民族国家ユーゴスラビアにも飛び火し、共存しあっていた各民族が独立を唱えて反目しあい、挙げ句の果てには隣人・兄弟殺しともいうべき地獄のようなおぞましい戦争が勃発したのだ。
ユーゴ紛争のリアルタイム時はテレビや新聞の報道でなんとなく聞いていた程度で、詳しく知っていたり調べたわけではない。サラエボという地名すら知らなかったかもしれない。そんな俺がサラエボに興味を持ったのは、とある旅行系ホームページを見たことから。そこには、冬期オリンピックの屋外スタジアムが墓地と化した、あのコシェボスタジアム周辺の風景写真が掲載されていた。
冬期オリンピックを開催したこともある近代都市で戦争が起こることでさえ衝撃的なのだが、さらに平和の祭典であるはずのオリンピックのスタジアムが墓地になってしまうほどの状況が、自分がこうして平和にのほほんと暮らしている時間と平行して世界のどこかで存在することに言葉を失ったのだ。
それから、とにかく実際見てみたいという衝動にかられたのであった。また、ボスニア・ヘルツェゴビナ、そしてサラエボという国名・地名の響きが、俺の心を惹くものがあった。理由はうまく言えないけど、でも普通に聞いても清らかで趣き深い響きだと思わないか?
それが2000年辺りだったであろうか。
思い立ってからずいぶんと月日が流れてしまった。行きたいと思う反面、どうも気が重い。戦争を見物しに行くようで、それが果たして許されることなのか、それが足枷としてあったのだ。
しかし2003年になってやっとその気になった。
アメリカの侵略とも見えるイラク戦争が起こり、全世界規模で「反戦」と「平和」が叫ばれた時期だった。そんで俺は、アメリカの目にあまる横暴ぶりや罪のない一般市民が犠牲となることに憤りを感じつつも、戦後の日本の損得勘定を考えて景気回復のためには日本のアメリカ支持もやむ得ないことかもとか思っていて、日替わりでコロコロ考えが変り、心の葛藤を覚えながらも、どっちつかずで一貫性なし、よって説得力なしの意見をこのホムペの掲示板で展開させていた(誰も注目してないが)。
だが、そんな俺にも目にあまったのが、日本各所で叫ばれる「戦争反対」の陳腐さ。何を持って反戦と言っているのか分からん奴も多いし、人間の盾もイラクに利害のない奴が突然なったりして訳分からんし。あいつらが一番理解できん。盾というからには死ぬ覚悟で行ったはずなのに、ほとんどホテルに泊まっていたそうじゃないですか!何しに行ったんじゃい。
なんだか安易に「戦争反対」「平和」と言われている気がすることもあった。「みながそう言うから」という気持ちでいる人もいるんではないか、と。こういう場合は、周りが逆に戦争支持になったらそれにあわせて考えを変えるだろう。なぜ反対か、自分の考えを持っている人はどれだけいただろうか。
ちなみに、イラク戦争がおさまりつつあったときに、次は(俺の愛する)イランと(今年冬にヨルダンとともに行こうと思っていた)シリアも攻撃するぞなんて聞いてからは、俺は完全にキレタ!バカさかげんもほどほどにしろー!このコメヤローどもが!○×△■!!!
平和や反戦を述べることに対する疑問を持ち始めた俺は、今こそサラエボだ!と思った。なぜなら、平和を唱えるには戦争を見ることも重要だと思ったから。これについては本編でまた述べることにする。
ただ、イラク戦争やSARS問題と、海外に行くにはリスクが大きいと考えられていた時期。そんなときにボスニアのサラエボである。世間の認識からしたら、「危険地帯」だ。まだ内戦をしていると思っている人もいるだろう。でも俺自身は、別に今のサラエボに危険は感じていなかったんだけど。下手なまねさえしなけりゃ全然大丈夫でしょ、という程度。しかもそんなことはサラエボに限ったことではない。白人の先進国でも同様な常識だ。
だが、とかく世間は報道に翻弄され、GWの休日の並びが悪かったこともあるがそれにしても激減した海外旅行者。SARS問題も要因として多大にあるが、あれだけ平和・反戦を唱えた奴らが戦争に恐れをなして取り止めしたこともまた大きい。確かにSARSは怖い。俺は病気には屈する。仮に俺がとても中国や香港に行きたいと思っていても、今の時期は取り止める。
だが、世界は広い。SARSもイラク問題も及ばない地域はあるものだ。今回の俺の旅はまさにそれ。今の時期、我ながらなかなかナイスチョイスだったと思わずにはいられない。ちなみにウィーンは日本人・欧米人問わず観光客だらけだったぞ。日本人はおばちゃんの団体が多かったぞ。
別に無理に行くことはないが、元々行こうとしていたのを断念するのは戦争に屈しているように思う。戦争反対を表明した以上、戦争を理由に海外旅行を取り止めては「負け犬」となってしまう。旅人は旅人らしく、世俗に愚弄されてはいけないのだ。
実際のところ、昨年のプノンペン帰国後の入院以来目をつけられるようになった会社の上司からは「今は海外行くなよ〜!」と言われていたし、家族にも(毎度のことながら)反対されたのだが、テレビの報道に煽られっぱなしの人間のことなど聞くに及ばない。しかし強行するような素振りを見せるとまた面倒なことになるので、理解のある上司に伝えたのみで事実上会社には内緒で、白人国の有名観光地には寛大な家族へは「ウィーンに行く」と伝えたのみで(嘘ではない)、サラエボへ向かった。
今回、初めてネットで格安航空券を購入した。HISと比べても1万円くらい安かった(ネットで予約する前にHISに行って、ネットの料金を見せてまけさせようとしたが無理だった)。予約後の規約がちと厳しい感じはしたが、確実に行くのであればネット販売はなかなか使えると思った。
旅程としては以下の通りだが、サラリーマンのGW利用の旅のため、ちと強行スケジュールとなってしまった。モスタルも行きたかったが、ボスニアの滞在が実質2日間のため、サラエボに集中することにした。あと、ウィーン観光は特に疲れたな・・。
旅程)
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4/22 成田→ウィーン(経由)→サラエボ (朝に成田発、夜9時にサラエボに到着)
4/23 サラエボ
4/24 サラエボ
4/25 朝8時にサラエボ出発 → ウィーンへ 午後〜ウィーン観光
4/26 午前中ウィーン観光、昼過ぎにウィーン→成田へ
4/27 午前中に成田着
※ウィーン旅行記は別にやらんでいいでしょう?暇だったらあげますけど・・。